変な人

「名前さん、温かい…」
「ふふ、かわいい」


彼女の隣に座っているバーボンは名前に抱きつくと幸せそうに顔を緩ませる。すー…と匂いを嗅ぐと頭の中がぼんやりする。

あの時許してほしいと言ったことは彼女を抱きしめることを許してほしい。

彼女は少しびっくりしたけど了承した。
あれから彼はべったりと名前にひっついてまわっている。


「細くて小さくて…いい匂い…」
「あはは」
「名前さんは本当に天使みたいですね…」
「それは言い過ぎですよ」


天使だなんて。でも彼は本気のようで彼女の頬をむにむにと触っている。


「はあ…本当に幸せ…」


彼は溶けそうな表情で呟いた。


彼女は優しい。誰にでも優しい。
何事も嫌な顔にしない受け入れて、側にいて、文句も言わず、ニコニコしている。
幼い頃、彼女は母に何度も優しい子になってほしいと言われていた。


「おかあさん、やさしいこってどんなこ?」
「そうねえ…、あそぼって言われたら皆にいいよって言える子、かな」


ふーん、と首を傾げる幼い少女。最初はそんな当たり前のことだった。でも成長するにつれの優しい子が行きすぎたものになっていった。


「名前は優しいね。お母さんは嬉しいわ」


と彼女の母は嬉しそうに高校生の名前に話しかけた。名前は真顔で返事をせず立っていた。


「他のグループから追い出された女の子、受け入れてあげたんでしょ」
「うん」
「優しいのね」
「…」


確かに優しい行動。優しい人にしかできない。

そう、私は優しい。いや、優しくなれけばならない。どんな相手にも平等で分け隔てなく接して優しくなければならない。
お母さんが求める優しい子にならないといけない。

そんな重圧が彼女を襲う。


「名前さん?」
「あっ…な、何ですか?」
「いや、ぼーっとしてたので…」
「す、すみません。考えごとをしてました」
「…」


心配そうに彼女の顔を見るバーボンに名前は心配をかけないようにニコニコと笑顔を作る。

もうそれは昔のことで今はもう吹っ切れたと思っていたんだけどな、と心の端で思う。


「ねえ、#名前さん」
「?はい」
「もし困ってることや悩んでることがあったら言ってくださいね」


きょとんとした。そんな風に見えたのだろうか、と彼女は思ったが、嬉しそうに微笑んで頷いた。







「それおかしいわよ」


きっぱり言われて名前は固まった。相手は職場の先輩。以前、一緒に出かけていた女性だ。
彼女に彼のことを話した。ごく普通にああいう人もいるんですね、と。
気が強くてはっきり言うタイプ。


「路地裏で拾った男が懐いて、毎日やってきてハグしてくるってどこの漫画よ」
「え、ええ…」
「しかも?料理も家事もできる?私にくれ」
「彼は物じゃないですよ」


最後、何だか欲にまみれた言葉が出てきた。


「で、名前はどうしたいの?」
「へ?」
「彼とどうなりたいの?」
「え、えーっと」
「付き合いたいの?」
「え!?!?」


大きい声が出た。ここは会社の休憩室。思わず口に手を当てる。
付き合いたいなんて考えたことがなかった。ひたすらに彼が安心して過ごせるように願っていただけだった。


「(その彼とやらは明らかに名前のことが好きなんだけどなあ…面白いから黙っとこ)…まあいいんじゃない?彼も名前がそんなんなのは知ってるだろうし」
「そ、そんなん…?」
「そう、優しすぎる人っていうのは」
「…」


黙ってしまった名前に先輩はしまった、と口を閉じた。
名前は優しいと言われると複雑な気持ちになっているのは先輩はなんとなく察していた。


「ま、一線越えなきゃいいのよー!男女の関係にならなければ!」
「!!」


場を明るくしようと言った言葉がだめだった。顔を真っ赤にした名前はぱくぱくを口を開く。あ、やべ、と思ったのも束の間、名前はだらだらと汗を流し始めた。
え、私、まずいことしてない?と思い始める。


「せ、先輩…」
「おう」
「私って…変…?」


その問いに先輩は生真面目な表情で頷いた。


そもそも、だ。いくら助けた男でもそうほいほい上がらせるのは良くなかったのかもしれない…と名前は部屋で悩んでいた。確かにバーボンは色々と我慢していたのかも…と。

そう考えこんでいたらピンポーンとインターフォンが鳴った。

彼がきた。どうしよう…とわたわたと慌てるが、そんなことをしても仕方ないので玄関に向かう。
ドアを少し開けるとやっぱりバーボンがいた。不思議そうな目でこちらを見ている。


「名前さん?どうしました?」
「いや、その、…」
「…お邪魔しますね」
「あっ」


彼は有無を言わさず入ると彼女に近づいて頬に手を添えた。外にいたせいでその手は冷たい。


「何かありましたか?」


なんでそんな気まずそうな目をするのか。僕が何かした?だめだ、離れることは許さないと彼はじっと目線を合わせる。


「あの、」
「なんでそんなに避けようとするんですか」
「それは」
「何か悪いことしたなら謝ります。だから」


離れないで。
逃げないように彼女の両腕を強く掴む。早く理由を言ってくれ。何があった?僕が何かした?避けられるなんて耐えられない。
吐き気がする、気持ち悪い。早く、早く教えて。


「バーボン…」
「…はい」
「…」
「…」
「私って変ですか…?」
「………は?」


なんで?


話を聞けば第三者から見れば彼女とバーボンの関係がおかしいらしい。付き合ってもない男が部屋に上がったり、抱きついてくるとか。
確かにそんな関係はおかしいかもしれない、が。


「名前さん」
「…わっ、」


バーボンがぎゅっと抱きついてくる。落ち込んでいる彼女を慰めるように頭を撫でる。
彼女にはないが彼には下心がある。あわよくば付き合いたい。でも彼女のことを変と言ったその先輩とやらが彼にそういう疾しい気持ちがあるとは言われていない以上この関係は続く。


「変でもいいじゃないですか、僕だって変ですよ」
「そ、そうですか…?」
「はい。そもそも変じゃない人間なんていないんです。皆どこかしら変なところはありますよ」


そう、変だっていい。変で何が悪い。彼女といられるならなんだっていい。

だから彼女に余計なことを吹き込むな。

はあ…と彼女が大きくため息を吐く。それと同時に脱力した。


「そうですよね、変でもいいですよね」
「はい、僕はそんな名前さんと一緒にいられて楽しいですよ」
「ふふ、嬉しい」


彼女といられるなら何だってする。
彼女が離れないようにする為に上手く言いくるめないと。

その先輩が余計なことをしないように僕がなんとかしなくちゃ。



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