大好きな人の命令

両親が紹介した男性をバーボンから守る為に会う予定を三日伸ばした。その当日、にこにこしているバーボンに名前は難しい表情で言った。


「いいですか、バーボン」
「はい」
「ちゃんとここで待っていてくださいね。ついてきちゃダメですよ」
「はい」
「私が帰ってきていなかったら怒りますよ」
「…名前さんに怒られるのもいいかも」
「こら」
「いえ、冗談です」


怪しい笑みを一瞬浮かべたが、すぐに顔を戻すバーボン。本当にちゃんとここにいてくれるのだろうか…と不安になる名前は既に出かける用の格好をしている。後20分で出なければならない。ベットに座る彼女と床に座って正座させられている彼。するとそんな彼は身を乗り出して彼女の腰に巻きついた。


「そんなに不安なら縛り付けてしまえばいいんですよ。そしたら僕はここから出られないですし」
「?どういうことですか?」
「何でもいいです。首輪とか手錠で拘束して動けなくしてくれたら僕は嬉しい…」
「そんなことしませんよ」


最近知ったこと。バーボンはMだということ。
たまに過激なことを言うので引いてしまう。彼女はそういう趣味は持っていないからどういう反応をしていいのか分からない。
困ったように彼女は眉を下げると彼の頭を撫でた。


「バーボン、不安じゃないですか?」
「不安ですよ、でもそんなこと考えなくていいんです。前に行ったじゃないですか。僕のことは考えずに命令してほしいって」
「…」
「僕に気を使わなくていいんですよ。貴方の命令は絶対なのですから。貴方がここで待っていろと言うのなら待ちます」
「そ、そう?それじゃあ、私行きますからね?」


彼女が立ち上がると同時に彼は彼女の後ろについていく。
不安で仕方ない。でも彼女の命令なら聞くしかない。でも、でも、とバーボンはぐるぐると考えてる。

本当にちゃんと断れる?僕がいなくても平気?

すると彼女がくるりとこちらを向いて、彼はニコニコと笑顔を作る。


「部屋はちゃんと暖かくしててくださいね」
「はい、名前さんが帰ってきても寒くないように暖かくしておきます」
「違いますよ、バーボンが風邪ひかないように。…なるべく早く帰ってきますが、夕飯は冷蔵庫にありますから食べてくださいね」
「は、はい、」
「ベットで寝ていても大丈夫ですよ、それと…」
「…名前さん」


バーボンは彼女の頬に手を添えると少し撫でた。気を使われると、優しくされると期待してしまう。こんな会話、まるで付き合ってるみたい。
僕は貴方の特別になりたいと何度も願って、もうすぐ叶いそうで心臓が破裂しそうになる。


「好き」
「バーボン…」
「好きです、大好きです」
「し、知ってますよ」
「うん…」


本当は行かせたくない。けど我慢しないと。
彼女を信じないと。

彼は顔を近づけると彼女の額にキスをした。
すぐ離れるとふわりと照れ臭そうに微笑んで言った。


「何かあったらすぐ呼んで下さいね。飛んで行きます」
「わ、分かりました」
「……」
「わっ、」


ぎゅっと抱きしめられる。やっぱり不安で仕方ないんだ…と名前は申し訳なさそうに彼の背中を撫でる。しかし時間も迫っていた為、「バーボン?そろそろ行かなきゃ」と離れようとするが離してくれない。


「遅刻しちゃいますから」
「…わかりました……」


渋々離すと彼女は彼の頭を撫でて外に出た。冷たい外気にバーボンは寂しそうに俯く。そんな彼を見て彼女は後ろ髪を引かれる思いで言った。


「行ってきます」


ドアが閉まる時、「…ぁ、」とバーボンが呟いて手を伸ばすがバタンと玄関は閉まってしまう。ぺたりとその場で座り込むと真っ青になる。だらだらと冷や汗を流して、明らかに不安を隠しきれない。


「…名前さん…、僕を捨てないで…」





「名前さん、名前さん…」


何も連絡がない。
部屋をうろちょろして落ち着きのないバーボンは今から彼女のところへ行こうか悩んでいた。今すぐ飛んで行った方がいいのか、それともここで待つべきなのか。


「…、」


耳につけているイヤホンに手を当てる。笑い声が聞こえる。
名前に抱きついた時、彼女の襟元に盗聴器を仕掛けた。彼女に何かあったらすぐ駆けつけられるように。


『苗字さんに貴方を勧められた時は驚きましたが、とても優しい方でよかったです』
『いえいえ、私も話しやすい人で嬉しいです』


楽しそうな明るい男女の声に反して真っ青になるバーボン。早く結婚を断れ、断ってくれと念を送るが、お互いがお互いを褒め合ってて終わらない。どことなく漂ういい雰囲気に彼の不安が募ってしまう。


「嫌だ…僕のだ、彼女は僕のだ、」


床に座って、ベットに寄りかかる。シーツに顔を埋め、彼女の連絡をひたすらに待つ。

嫉妬で頭がどうにかなりそうだ。こんなに不安になるなら彼女の方を縛りつければ良かった。僕の目の届く範囲に置きたい。僕だけが触れられて、愛でたい。可愛がりたい。


「命令は絶対…」


そう、彼女の命令は絶対なのだから、この部屋で待っていなければならない。万が一、彼女の信用を裏切ることはしてはならない。
何度もスマホの画面を確認しては彼女からの連絡を待つ。イヤホンから会話を盗み聞く。もどかしいのに、今はこれしかできない。



「はー、寒い…今日は一段と冷え込んでる…」


ぽつりのつぶやくと名前は足早にアパートに向かった。早く帰らないと彼が寂しがってる。部屋を出る時の彼の表情はとても不安そうだった。強がってニコニコしていたけどそんなことすぐ分かった。
土井さんと話してる時もバーボンのことが心配で仕方なかった。今どうしてるのか、ちゃんとご飯食べてくれてるのか。
アパートの階段を上がっていくと部屋の前に人影があった。誰か座ってる。その人が誰か気づくと彼女は走って近づいた。


「バ、バーボン…!何してるんですか!?」
「…あ、名前さん…!!」
「わっ」


バーボンは彼女を視界に入れると顔を綻ばせて思いっきり抱きついた。「帰ってきてくれた…!」と今生の別れをして会いにきた恋人のように喜ぶ。あまりに勢いよく抱きしめられたので彼女はふらついて一、二歩下がる。


「ちょ、バーボン。危ないですよ」
「名前さん、名前さん、」
「はいはい、帰ってきましたよ」
「嬉しい…やっと帰ってきてくれた…」
「なんで外いたんですか?」
「名前さんに少しでも早く会いたくて…」


そう恥ずかしそうに言うバーボンに名前は可愛い…と微笑む。帰るとは連絡したけどまさか外で待ってくれてたなんて思わなかった。
しかし、彼の目線は彼女ではなかった。苦しいくらい彼女を抱きしめて心はそっちなのに、視線は冷たく建物の影に隠れている男の方。バーボンの目線に気づくと男はすぐに視界から消えた。


「さあ、名前さん。寒いですから早く中に入りましょう」


パッと笑顔になって彼女の顔を見る。彼のそんな黒い感情に気づかず彼女は「そうですね」と部屋に入っていった。後から部屋に入ろうとするバーボンはちらりと男がいた影を睨みつける。
暖かい部屋に入って飲み物を飲もうと冷蔵庫開けると夕食は食べられていなかった。あれ、と名前は首を傾げる。


「ちゃんと断れてよかったです」


彼が口を開いてそんなこと言うものだから、まだ何も話してない名前はびっくりした。


「え、え?まだ何も言ってませんよ」
「ふふ、分かりますよ。名前さんの様子を見れば」


ぴと、と彼女にくっつく彼を見てうーんと首を傾げる。自分では何が何やらわからないそうだ。


「断れなかったら絶対表情を暗くして帰ってきますから。平気そうならちゃんと断れたんでしょう?」
「確かに」
「僕の為に断ってくれるなんて嬉しい…」
「そこまで言いましたっけ?」


どうやら彼は自分の都合のいいように解釈してしまうそうだ。
すると、抱きつく力が強くなった。気のせいだろうか。先ほどまでニコニコしていた彼の目が怖いのは。


「で、名前さん」
「は、はい」
「相手の男性は諦めましたか?」
「…」
「…」


彼女は冷や汗を流して目線を泳がすが、彼が「名前さん」と逃がさない。
彼女が降参するのに時間はかからなかった。


「そ、それが…」
「それが?」
「なかなか諦めてくれなくて、次もまた会いましょうって、」
「ふーん」
「あ、でも次もちゃんとお断りしますよ!」
「次は僕も行きます」
「え!?」
「何か問題でも?」
「あります!ありまくります!」


いい年した大人が一人で何もできないやつだと思われる!!情けなさすぎる!親にもなんて言えばいいのか!!

と、彼女は必死に止めるが彼の意思は強かった。何を言っても首を縦に振らなかった。
彼は慌てる彼女の両手を取ると言った。


「遠慮しなくていいんですよ。僕もあの男は大嫌いですから」


僕の彼女に触れたあの男なんか地獄に落としてやる、と彼はイヤホンで聞いた指先が触れてしまったかのようなあの会話を思い出す。
あわあわと真っ青になる彼女の頬を撫でて、怪しい笑みで言う。


「僕に貴方を守らせてください、ね?」



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