全部、僕が守るから他はいらない

「名前さん…」
「ふふ、くすぐったいですよ」


ぐりぐりと抱きつくバーボンに名前は嬉しそうに笑う。

幸せ。
僕は彼女がいるだけで幸せ。

だから、この幸せな時間を邪魔してくる奴は許さない。


「名前さん、明日は迎えに行けないです」
「ん?お仕事ですか?」
「…はい」
「頑張って下さいね」


よしよしとバーボンの頭を撫でる名前にバーボンはきらきらとした表情で嬉しそうにする。
嬉しい、嬉しすぎる。もっと撫でて欲しい、僕だけに優しくしてほしい。

幸せ過ぎて死にそう。





この幸せな時間は僕が守らないと。

次の日の夜、バーボンは暗い街を一人で歩いていた。周りに人気はない、街頭も切れかかって街をあまり照らさない。
いつも彼女といるような気の抜けた表情ではなく、闇に溶け込みそうな雰囲気の彼は足音を立てずに歩く。


「…そろそろか」


スマホの画面の時計を見てぽつりと呟く。あの女が通る。
コツコツとヒールの音がする。その女の姿が見えると先に声をかけたのは彼だった。


「こんばんは」
「え、え?」


女は名前の先輩だった。彼女は驚くと同時に固まってしまった。なんで、ここに…?と困惑している。あの時、興味ないと言われて完全に先輩も嫌な奴と印象は最悪だった。だけど後輩の友人、無碍にはできない。


「えと…名前の友達…」
「はい、まだ名前さんの友達です」
「ま、まだ…。や、やっぱ名前のこと好きなんだ…?」
「ええ」


あっさり認められて先輩は引いてしまう。一歩、彼が近づくと先輩は重い足を動かして一歩下がる。
何だろう、怖いと冷や汗を流す。目が怖い。今にも殺されそう。


「ふふ、殺しませんよ」
「こ、心読まないで……てかなんか用ですか…?」
「はい、貴方に言いたいことがあるんです」


彼が目の前に立つ。触ろうとしてこないあたり殺す気はないのだろう。だけど彼の青い目が先輩を縛り付ける。

この女の身辺は調べた。ただの一般人。何か弱点になるような、脅しに使えそうなネタもない。真面目に今までを生きてきた人間。だからそれを使わせてもらう。


「さっきも言いましたが、僕は名前さんが好きなんです」
「…」
「彼女から僕のこと聞いてますよね?だからあの時名前さんについてきた」
「そ、そうだけど」
「僕達の関係は変だって言ったらしいですね」


やばい、こいつやばいと先輩は半泣きになる。チャラい奴とかそんな可愛いものじゃなかった。早く帰りたい。
完全に怒っている目の前の彼から逃げられない。逃げたら殺される。


「す、すみませ」
「まあ確かに変ですね。僕だってそう思いますよ」
「あの、」
「でも僕は幸せなんです。彼女だってそうだ。いつも楽しいと言ってくれる」
「…」
「知ってますか?名前さんに触れるとそれだけで救われるんです…汚い心が洗われる。僕みたいな人間と一緒にいてくれるだけで優しいのに、笑いかけて触れて側にいてくれる」


何この人、顔を赤くして本当に嬉しそうに語ってる。何が言いたいの、先輩は引いている。心底惚れているのはわかったから帰してほしい。
するとはあ…と彼は大きな溜息を吐いた。「でも…」と呟くとまた人を殺しそうな目に戻る。


「それを貴方は変だと言った」
「いや、あれは」
「いいですか、これは命令です。今後二度と僕達の関係に口出しするな。彼女に変なことを吹き込むな。彼女は今のままでいいんです、変えようとしたら許さない」
「…そ、それは」
「もし少しでも反抗したら…」


彼はポケットからスマホを取り出した。電源をつけるとそこには車椅子に乗っている老婆の写真が映し出されている。先輩はサッと青ざめると震えた。


「貴方は優しいですね、親の代わりに育ててくれた祖母の病気の治療費を払ってるなんて」
「な、なんでそれを…」
「ああ、調べましたよ。貴方のことも貴方の祖母のことも」
「…」
「貴方には何もしませんよ、名前さんに嫌われたくないですから。ただ…僕に逆らったらこの人がどうなるか分かりますよね」


怪しく微笑む彼に先輩は真っ青になって、ぺたりと地面に座り込んだ。彼女は震えながらこくりと頷くと、その行動に彼は満足そうに言った。


「うん、いい子ですね。…ちゃんと僕の命令守って下さいね。名前さんにも怪しまれないように」
「わ、分かりました…」


彼はスマホを仕舞うと「それじゃ、よろしくお願いします」とスタスタと暗闇に消えて行った。残された先輩は優しい後輩の身の安全を願いながら、南無阿弥陀…と心の中で呟いた。


その日の夜、部屋でのんびりとテレビを見ていた名前の部屋のインターフォンが鳴った。誰だろう…と思いながらドアを開けるとバーボンがいた。


「名前さんっ!」
「わっ、」


彼女が視界に入るなりバーボンが勢いよく抱きついてきた。「会いたかったです…」と呟くとぎゅうぎゅうに抱きついてくる。
部屋に入るとバーボンはべったりと彼女にひっつく。テレビは消された。


「バーボン、今日は仕事では?」
「早めに終わったので会いに来ちゃいました」
「ふふ、お疲れ様です」
「名前さんもお疲れ様です」


彼女と隣に座って抱きつく彼に名前は気にせず彼の頭を撫でる。それが嬉しくて彼はぐりぐりと頭をひっつける。


「もっと撫でて」
「今日は甘えたさんですね」
「嬉しいことがあったんです」
「?」


僕達の邪魔をする人間がいなくなった。これからはゆっくりと彼女との時間を堪能できる。彼は幸せそうに頬を緩めて目を閉じる。


「名前さん、好き」
「私もバーボンのこと好きですよ」
っ、大好き、名前さん大好き」


最近バーボンと仲良くなれて嬉しい。最初の頃は拾ってきた猫みたいにどこか警戒してた。ずっと気を張ってて疲れないのかなと思っていた。
でも最近はよく笑うようになって沢山話もしてくれる。可愛い。


「そうだ、今週末は私いないので来ちゃダメですよ」
「え?」
「実家に少しだけ帰るんです」
「実家…」


同じ都内だからそう遠くない筈。彼女は一人っ子で、両親は健在。父親は会社員で母親は教師の裕福な家庭で育った。大学を出てそのまま一人暮らしして今に至る。
恵まれた環境だと思う。
因みにこの情報は彼が勝手に調べた後に彼女が自分の口から言った。
彼はパッと表情を明るくした。


「分かりました!その日は来ないようにしますね」
「はい、すみません」
「いえ、…名前さんのご両親はどんな人なんですか?」
「…」


困ったように黙った彼女に彼はまただと思った。
あまり仲が良くなかったのだろうか、喧嘩でもしたのだろうか。
知りたい、困ってることも悩んでることも全部知りたい。


「…普通の人ですよ」


はぐらかされた。
本当に普通の人ならそんな言い方しない。でも言いたくないのなら無理に聞けない。
だから調べないと。


「…名前さん、困ったことがあったら僕に何でも話して下さいね」


すると彼女は嬉しそうに小さく微笑んだ。



[*prev] [next#]