叶わない夢
私はバカだ。
「ねえ、ママ。お兄ちゃんとお姉ちゃんは?」
娘の名前は首を傾げて聞いてきた。私はそれをどう答えればいいのか分からない。
貴方がお兄ちゃんとお姉ちゃんを殺したのよ、そんなこと言えるわけもない。
組織から逃げて、逃げ延びて、名前と彼女の母親は小さな村に身を寄せている。もう見つかっては行けない、毎日、母親はビクビクしながら暮らしていた。
名前は兄姉から貰った歪なクマのぬいぐるみで遊んでいた。
「…名前、お兄ちゃんとお姉ちゃんはね。パパのところにいるのよ。」
「?」
パパ?と名前は首を傾げた。
…あの人もダメだ。信じていたのに、最愛の人だと思っていたのに。
私に近づいて結婚したのも全て組織の命令。
「ママ、絵本読んで?」
「ええ、勿論よ。」
昔々、あるところに…と母親は日本の童話を読む。
母親は日本で生まれた。いつか家族で日本に住むことを夢見ていた。しかしそれは叶わぬ夢だった。
母親は子供達に組織に内緒で日本語を教えていた。見つかってしまえば、「余計なことを教えるな。」と酷い目にあうからだ。
いつもそうだ。
母親が組織の仕事をしている時、うまくいかなければ殴られる。"目"しか必要がないから。
最初は自分が悪いと思っていた。けど段々組織がおかしいと理解した時には名前の兄姉は死んでいた。
…私はバカだ。
私があんな組織の言うことを聞いていなければ、今頃幸せだった。
あの子たちも死ぬことはなかった。
夜、名前が寝静まった後、母親は静かに泣いていた。ベルモットが撮ってくれた家族写真を握りしめて。これが唯一家族に会える時間だった。
「ねえねえ、私も友達欲しい。」
ある日、仕事から帰ってきたら名前は言った。母親は思わず動揺してしまった。そんなことをすれば組織に見つかってしまうからだ。でもなんて言おう、作っちゃいけないなんて言えない。
「ど、どうして?」
「さっきね、お外出たの。」
「!」
どうして、あれほど出てはいけないと言ったのに。
母は血相を変えて、幼い名前の肩を掴んだ。
「外に出ちゃダメって言ったでしょ!」
「で、でも、」
「外は危険がいっぱいなのよ!どうして言うことが聞けないの!?」
「うっ…。」
ポロポロと名前は大きな目から大粒の涙を溢した。それを見た母親はしまった、と固まってしまった。
こんな頭ごなしに言うつもりはなかった、この子の意見を聞かずに酷い事を…!これでは組織と一緒だ。
「ごめんね、ごめんね…!」
母親は娘を抱きしめた。涙を流して、こんな生活をさせてしまっていることを謝った。
本当は沢山遊んで学ばせたい。
落ち着いて、母親は外で何があったかを聞いた。
「同じくらいの女の子達がね、お外でおままごとしてたの。だからね、私も混ぜてって言ったら友達になってくれるならいいよって。」
今まで組織の小さな籠の中にいた家族には友達と呼べる者はいなかった。
「私もおままごとしたいなあ、いい?」と名前は目を輝かせて言った。
この子には私のように辛く惨めな人生を送って欲しくない。
そう思った母親は困ったように微笑んで娘の頭を撫でた。
「いいわよ。でも暗くなる前には帰ってこないとダメよ。」
「うん!」
娘はとても喜んだ。
沢山友達を作って、沢山笑って…そう、普通の女の子の幸せを掴んでほしい。
きっと神様も許してくれるだろう。
次の日から名前はよく遊びに行くようになった。
「じゃあ、行ってくるね!」
それが最後の日だと知らずに。
この村にきて一か月が経った。母親は小さなパン屋で働かせて貰っていた。"目"が綺麗だとよく言われるが、未来が見えることは絶対に言ってはいない。言えば組織に見つかってしまう。
名前にもしつこく"目"のことは言わないようにと釘を刺している。でもまだ3歳の娘だ。不安が募る。
「お疲れ様です。」
空はすっかり暗くなっていた。女手一つで娘を育てる。想像以上に辛くキツい。でも頑張らないと。あの子を幸せにしないと。
亡くなった子達の為に。
職場から売れ残りのパンをもらった。あの子の好きなチョコレートが入った菓子パン。きっと喜んでくれるはず。
家に近づくと人集りが出来ていた。どうしたんだろう?と母親は足を早める。すると彼女に気づいた老婆は焦って近づいてきた。
「大変よ!貴方の家が火事に…!」
ばさ、と母親はパンが入った袋を落とした。
走って家に前くれば大火事になっていた。どうしよう、あの子が、名前が…!でもあの子は遊びにいっていて…!でも…!
「、名前ちゃんのママ…?」
「!貴方達は…?」
娘と同じくらいの女の子が3人いた。女の子たちは涙目で言った。
「名前ちゃん、ママと約束したからって先に帰っちゃって、その後火事に…。」
母親は急いで火の気が立ち込める家の中に入って行った。「名前!名前!どこ!?」と叫ぶが、煙を吸って肺が苦しくなる。けほ、と口元を押さえながら家を隈なく探す。
「ママ…。」
微かに聞こえた命より大切な娘の声に母親は火傷しながら向かった。
寝室に娘はボールを手に持って泣いていた。幸い、怪我はしていない。
「名前!逃げるのよ!」
「でも…、」
名前の腕を引っ張っても娘は動こうとしなかった。
早く逃げないと死んでしまう。貴方にはまだ教えなきゃいけないことがある。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんに貰ったぬいぐるみが…。」
崩れた壁に挟まるクマのぬいぐるみ。
そんなことどうでもいいの、早くここから出ないと。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんに怒られちゃう…。」
ぐすぐすと泣き始める娘に母親の肺が限界だった。
「大丈夫よ、ママが持ってくるから。名前は先にここから出て。」
「本当?」
「ええ。」
にこりと微笑む。
ガラガラと燃えた壁が崩れ落ちる。ああ、もう限界だ。さよならだ。
母親は涙を流しながら火傷で痛む腕で娘を抱きしめた。
「ごめんね、ごめんね。」
「ママ…?」
「ママは馬鹿なの。娘一人守れやしない。」
本当はずっと一緒にいたかった。
貴方の大きくなった姿、見たかったな。
「ねえ、ママ。」
「なあに?」
「明日、絵本読んでくれる?」
「…勿論よ。」
そっかあ、と娘は嬉しそうに母親を抱きしめた。
そして、家が大きな音を立てて壊れた。木製の壁や家具は黒く灰になって跡形も消えた。
名前は気を失っていた。そんな娘を母親は守るように抱きしめた。
「ここに名前という娘はいるか。」
火が消化された後、黒い服に身を包んだ男が老婆に尋ねていた。
「え?ええ…。」と老婆は戸惑いながら言った。
その男を見た名前の友達は顔を見合わせた。
ある日、目がとても綺麗だねと褒めるとあの子が言っていた。
『私ね、未来が見えるの!』
にぱーと笑顔で。最初、女の子達も嘘だと冗談だと思っていた。でも「もうすぐ雨降るよ。」とか「転んじゃうよ。」とか未来をよく言っていた。
名前は母親と同じこの"目"が大好きだった、自慢したかった。でもそれはいけないこと。
その話を男は隠れて聞いていた。
気を失った名前を男は抱きかかえた。
火をつけたのは彼だった。名前が帰ってきた頃を見計らって火のついたタバコを落とした。
ジンは死んだ母親の目を見た。まだ綺麗に残っている。
そうだ、この"目"は高く売れる筈。
そして母親の目を抉り取った。
村の人に自分は彼女達の親戚だと嘘をついて名前を組織に連れ帰った。
家族が過ごした籠ではなく、新しく用意された更に小さい籠に娘は入れられた。
前までの籠に入れて思い出されても面倒だ。
目を覚ました名前はショックからか意思と感情、記憶も失っていた。
これは好都合だと判断した組織は彼女を"人形"として育てた。
「ねえ、名前。日本語の勉強しましょう。」
帝丹高校に入学すると決めた翌日、ベルモットは突然そんなことを言ってきた。"人形"はどうして?と首を傾げた。
勉強する必要はないのに。
「高校受験するのに日本語が話せないといけないのよ。」
「話せるよ。」
名前はその時初めて組織の人間に日本語が話せることを言った。
…あれ、どうして黙ってたんだっけ。
「あら、じゃあ心配ないわね。」
そう言ってベルモットは部屋を出た。
部屋に残された名前はとある絵本を開いた。それは日本の童話。
…そういえば、誰かと約束した。絵本を読んでって。誰だっけ。まあいいや。
そして彼女は絵本を閉じた。
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