04

名前はクマのぬいぐるみが濡れないように袋に入れた。
相変わらず雨は降っている。
「この辺でお父さんは落として…。」加藤は言う。横断歩道の近く、車が水たまりを踏んで雨が跳ねている。人通りが多く、皆、前を向いて歩いている。あはは、と笑い声が聞こえる。女子高生の声だ。
「あの人達に落とし物が無かったか聞いて見ましょうか。」
安室と加藤は近くにいた帝丹高校の女子高生に話しかけた。それを後ろで見ていた名前は薄暗い空を見て思う。
ああ、あの日もこんな天気だったと。


その日は雨で、任務でベルモットと日本に来ていた。黒い車の中、名前は綿の出たぬいぐるみを腕に座っていた。
未だに感じない。悲しみ、嬉しさも。ただ、あの小さな部屋から出してもらえるようになって外の世界が少しだけ分かった。
「あはは」「ふふふ」少し開いた車の窓から笑い声が聞こえる。名前はちらりと外を見ると高校の制服を着た男女が楽しそうに話している。
あれが、幸せ…?
その瞬間ズキリと頭が痛む。
『…、とても幸せね。』と女の人の声。とても優しい声。


「名前。」
「!…何。」


ベルモットは運転席から彼女の方を向かず、煙草を吸っている。車内に蔓延する副流煙。それに何とも思わず、名前は女の人の声を頭の中で消した。


「学校、行ってみたい?」
「…私に選択肢があるの?」


そんなものない。というより、私に存在するのだろうか。組織の為だけに動いていた私に。
名前は興味がないので「別に。」と答えた。
「まあいいわ。」とベルモットは車を走らせる。「新一ってば…」「なんだよ、蘭。」と会話が聞こえる。名前は遮るように車の窓を閉めた。
車の窓から外を見ているとある光景が頭に入ってきた。「ベルモット。」と彼女を呼ぶ。あと20秒後に猫が車道に飛び出てくるよ。と言う前にベルモットが「あら。」と声を漏らした。


「猫、轢き殺しちゃったわ。」


でも私は悪くないわ、とベルモットは笑った。


「し、知らないですか…。」加藤の声で名前は現実に意識を戻した。雨は降っている。どうやら女子高生達は形見について知らなかったみたいだ。顔を暗くする加藤に安室は励ました。するとすぐにハートを飛ばす彼女。コロコロと表情が変わる彼女と正反対な名前。しかし名前は羨ましいともいいなとも思わなかった。これが普通だから。


「名前さん、他行きましょう。」


じ、と名前はある方向を見て安室の方を向かない。どうしたんだろう、と安室は再び彼女を呼ぶ。すると名前はす、と前を指差す。


「巾着。」


前を歩いていた女子高生の鞄についていた小さな巾着。それを見た加藤は「あ!」と声を出して傘から出て走って行った。


「あのあの!」
「…?」
「その巾着!」


女子高生は眉をしかめて迷惑そうだった。しかしその巾着は狸柄ではなく猫柄だった。それに気づいた加藤は「あ…な、何でもないです…。」と顔を暗くした。
ポタポタと雨が加藤にかかる。そんな彼女に安室は傘を差し出して「大丈夫ですよ。」と先程の女子高生に話しかけた。


「その巾着見せてもらってもいいですか?」


女子高生は頷いて巾着を鞄から外した。巾着は濡れていて汚れていた。どうやら落としてしまったらしい。「開けてもいいですか?」と安室は言うと巾着を開け始めた。そこには黒いプラスチックの…USBが入っていた。


「そ、それ!お父さんの…!」
「巾着、濡れて柄が消えていたみたいなので。まさか、と思ってたのですが、当たってよかったです。」


加藤は泣きながら「ありがとうございます!」と巾着を握り締めた。
巾着は濡れて汚れて色が変わり柄も消えてまるで狸は猫のように変わっていた。それに気づいた安室は女子高生に何故持っていたか聞いた。
最初、自分のお守りを落として拾ったものの、自分のではないと気づいた。しかし、気づいた時は拾った場所から離れていて戻っても探している人はいなかった。だから鞄につけていたら見つけてくれると思っていた。


「これで一件落着ですね。」
「はい!」


加藤は嬉しそうに微笑んだ。安室と名前にさよならして小走りにその場を去った。それを離れたところからジンが見ているとは気づかずに。ジンが見ていたところからは安室も名前は見えなかった。


「じゃあ、僕達も帰りましょうか。送りますよ。」


にこにこと微笑んでいる安室に名前はどうしよう、と悩んでいた。
安室さんの言うことを聞くべき?でも組織の言うこと以外は聞かないように言われている。でも、でも問題は起こすなとも言われている。でも…。
ぐるぐると頭を回す。でも、だって、と。


「傘持ってないんですよね?」
「ま、まあ…。」
「じゃあ送られて下さい。」


半ば無理やり安室は名前が持ってた彼の傘を掴んだ。そして一歩、歩こうとして止まった。歩かない名前を見て首を傾げた。
この子は自分の意思がない、と。普通の女子高生みたいにはしゃがず、話さず、ずっと何かに囚われている。
しかし、僕がそれを聞く資格はない。


「名前さん、家はどこですか?」
「…。」


まだ、組織にいた時、部屋でぬいぐるみを弄っていると部屋の外からベルモットとジンの声がする。また言い合ってるのかな。私には関係ない、と思って私はぬいぐるみの手足を動かしていた。するとドアが開いた。ジンだ。なんだか不機嫌そう。そういう時はいつも私のぬいぐるみを壊す。だから思わず持っていたぬいぐるみを抱きしめた。その様子を見て眉間にシワを寄せるジンは舌打ちして部屋から出て行った。…何だったんだろ。代わりにベルモットが入ってきた。


「名前、プレゼントよ。」


とペラリ、とベルモットが渡してきたのは一枚の紙。私はそれに首を傾げつつ受け取る。いつもはぬいぐるみなのに、なんだろう…。
そこには「入学願書」と書かれてあった。私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだった。


「日本に来ていた時、高校生を見て羨ましそうだったでしょ。」
「そうだったんだ。」
「だから、これはプレゼント。」


私に選択肢なんてない。これも運命。私はそう思ってこの帝丹高校に入学した。


だから、安室さんもジンみたいに答えなかったら苛立ってぬいぐるみを壊すと思った。
ぎゅ、と名前は袋に入ったクマのぬいぐるみを強く抱きしめた。
自分がどうしたいのか、どうすればいいのか、彼女にはわからなかった。ただ耐えるしかなかった。
そんな彼女の心情を知ってから知らずか安室は彼女の頭を撫でた。予想外の彼の行動に名前は目を瞬かせた。どうして?と。


「帰りましょう。名前さん。」


優しく落ち着かせるように安室は言った。名前はすとんと不安な気持ちがなくなった。
なんだろう、今の。安心?落ち着く?わからない。
いつの間にか名前は抱きしめてきた力を弱めていた。ぬいぐるみを優しく抱きしめる。
そんな彼女の鞄に入っていたスマホが震える。メールだ。しかし、彼女は気づいていない。メールはジンからだ。こう書かれてあった。


『裏切り者のUSBを見つけた。』



[*prev] [next#]