ベルモットの約束

これは名前が組織を抜けた数日後の話。
バーボンはベルモットに呼ばれ、ホテルに来ていた。何を言われるかは予想はついていた。


「"人形"は殺せた?」
「はい、殺しましたよ。」


ベルモットはタバコを吸いながらバーボンを見た。バーボンは心の中を悟られないようにニコリと微笑んだ。
もし生きていると知ってしまえば、組織は血眼になって彼女を殺しにくるだろう。なのに、何故あの時彼女の父親のみに殺害を命じたのだろう。それだけが気がかりだった。
いや、愚問だった。最後の最後に"人形"を無理やり組織に連れていこうとしたのだろう。家族は一緒にいたいものだ。


「そう、それは安心したわ。あの子はもう存在してはいけない子だからね。」


ふふ、とベルモットは微笑んだ。
バーボンは早く帰りたかった。この苦しい空気から。なんでだろう、ベルモットとは何度も会っているのに。
あのマンション帰っても彼女はもういないのに。


「何故、"人形"を帝丹高校に通わせたんですか?」


全てはそこから始まった。


「あの子が行きたそうにしてたからよ。」
「ぬいぐるみ以外興味のない"人形"が?」


するとベルモットは黙った。すう、とタバコの副流煙が部屋を充満する。


「…私はただ言う通りにしただけよ。」


あの女のね。



未来が見える"目"を持って生まれた名前を祝って家族を部屋の外に出したのはベルモットだった。ジンは余計なことをするな、と言っていたが、彼女は「これくらいしてあげないと組織に不信感を抱くわ。」と言った。
現に名前の母親が組織を少しづつ疑っていた。頭が悪いのに、そういうことだけは敏感だった。

広い原っぱに高く聳え立つ大きな木の下にその家族は遊んでいた。ボール遊びをする子供達。母親の腕の中で眠る赤ん坊の名前。そんな赤ん坊を優しく撫でる父親。
一見幸せそうな家族だ。この後の赤い世界なんて想像出来ない。


「写真撮るわよ。はい、チーズ!」


パシャ、とシャッター音が鳴る。ベルモットは写真を撮った。
どうせだ、"人形"が増えるのだから、信用させないと。


「ありがとう。ベルモット。」
「いいのよ。」


娘はベルモットからカメラを受け取るとどんなふうに撮れたのか確認していた。
娘は幸せそうに微笑んだ。ほら見てパパ、可愛く撮れてるわ、と言った。
ベルモットはその様子を見て、馬鹿な子…と心の片隅で思っていた。


「ねえ、ベルモット。」
「何?」
「私ね、何となくだけど長く生きてられないと思うの。」


すやすやと腕の中で眠る名前を撫で、側でボール遊びをする子供達を見ながら娘は言った。
ベルモットは何も応えなかった。


「夢があるの。この子達と一緒に日本に住みたい。勿論、組織のことは好きよ?でもね、この子達はもっと広い世界を見て欲しいの。」


それは叶わぬ夢だった。しかし娘の瞳はまるでその夢を見ていた。


「学校に行って友達を沢山作って、恋人を作って…やだ、パパ。そんな怖い顔しないの。」


ふふ、と娘は笑う。父親はむむ…と顔をしかめていた。まるで本当の"夫婦"だった。
その男が自分を本当に愛してるかなんて、疑いもしないで。


「幸せに生きてほしいな。」


だから、私が死んだらベルモットがお母さん役をしてね。ベルモットは私の親友なのだから。

そう言って娘は赤ん坊をぎゅっと抱きしめた。

しかし、娘は3歳の名前を連れて組織を出た。
名前を組織に連れ戻して、一番最初の世話役はベルモットになった。
名前の記憶から家族の事は全て消えていた。目の前で殺された殺してしまったショックからなのかどうかは分からないが、組織にとっては好都合だった。


「さあ、"人形"。欲しいものはある?」
「…。」


その殺風景な部屋には何もなかった。"人形"と名付けたのはベルモットだった。まるで"人形"ような少女だったから。
"人形"は意志も感情、記憶も無くしていた。
家族と過ごしていた時の笑顔はもうなかった。


「組織には貴方の"目"が必要なの。」
「…。」
「欲しいものはある?」
「…。」


子供らしくクレヨンや積み木だろうか。懐かせないと、組織の為に。ベルモットはそう思っていた。
"人形"は欲しいものがなかった。だからどう答えればいいのか分からなかった。でも自然と口が開いた。


「クマのぬいぐるみ。」


それは兄姉が作ってくれた歪なクマのぬいぐるみを指していた。しかしベルモットはそんな事勿論知らなかった。当の本人も自分でも理解してなかった。
次の日、ベルモットは真新しいクマのぬいぐるみを持ってきた。"人形"はこれだっけ?と首を傾げたが、可愛いクマのぬいぐるみに満足した。

そして部屋はクマのぬいぐるみでいっぱいになった。
だけど、"人形"はクマのぬいぐるみを求め続けた。いくらもらっても集めても心は満たされなかった。お願いを聞いてあげるから欲しいものをくれ、と。

お兄ちゃんとお姉ちゃんが作ってくれたあのクマのぬいぐるみが欲しい。

そんなこと、誰も知る由はなかった。


バーボンは帰っていった。組織から疑われることもなかった。
しかし、ベルモットはワインの入ったグラスをゆらゆらと回して眺めていた。その表情は少し悲しくて。


「馬鹿な子…。」


…大人しく"人形"のふりをしておけばよかったのに。
別にあの女の言うことを聞いたつもりはなかった。偶然、"人形"と日本にきていて、高校生を見ていたから、だから彼女を帝丹高校に入学させた。

でもまさか、意志も感情、記憶を取り戻すなんて思ってもみなかった。


"人形"の部屋はクマのぬいぐるみで埋め尽くされた。流石に何年間も集めてきて部屋は窮屈になっていった。見かねたベルモットは"人形"が寝ている間に捨ててしまおうと思って汚れたぬいぐるみを手に取った。
ぬいぐるみの破れた背中からひらりと写真が一枚落ちてきた。
拾うとそれは家族写真だった。

これは"人形"には必要ないもの。

捨ててしまおう。そう思った時、"人形"の母親の言葉を思い出した。


"だから、私が死んだらベルモットがお母さん役をしてね。ベルモットは私の親友なのだから。"


そして、ベルモットは写真をぬいぐるみの中に隠した。



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