48

夜23時。
遊園地から帰ってきた名前は音を立てないようにゆーっくりと玄関のドアを開く。
部屋は電気が付いておらず暗かった。寝ているのだろう、安心して溜息をついて名前は静かに玄関を閉めた。

するとぱっと電気がついた。


「名前さん。」


後ろから聞こえた安室の声に名前は冷や汗を流して、振り向くことが出来ない。声のトーンが低い。…めっちゃ怒ってる。
なかなか振り向かない名前を安室はじっと見て痺れを切らしたのか、彼女を後ろから抱きしめた。遊園地で沢山遊んできたのだろう。汗の匂いと知らない人の匂い。


「あの、」
「何か言うことありますよね。」
「お、お土産買ってきました…。」


しどろもどろ。彼女の手には紙袋があった。中はきっとお菓子だろう。そんなことどうでもいい。
お土産のことを聞きたかったんじゃない。それはきっと彼女も察しているだろう。しかし、どう答えればいいのかわからない。
黙ってしまった名前を安室は抱きかかえた。「わ、」と驚いた名前は下ろして下さい、と足をバタつかせる。安室はそのまま、彼女をベットに押し倒した。

好きな女の子には気になる人がいる。それだけでもハラワタが煮えくり返りそうなのに、その気になる人がまさか彼だとは。
神様も性格が悪い。

ばさ、とお土産が入った紙袋がベットから落ちる。


「お、お風呂入る…。」
「そうですね、後で。」


そう、後で。今はそれどころではない。
目を泳がせる彼女の頬に右手を伸ばす。びく、と肩を振るわせる少女は次、自分が何をされるか分かっていた。
ちゅ、ちゅと音を立てて何度もキスする。真っ赤になる彼女からあの男の存在を消すように。
今まで数えきれないくらいキスをしてきた。でも、彼女の心は僕のものにはなってくれなくて。耐えきれなくなって、僕は言った。


「…名前さん、抱きしめて。」
「え?」
「抱きしめて。」


どうしよう、と名前は目を逸らした。しかし、安室は急かすように彼女の名前を呼んだ。「えと、その、」と観念した彼女は安室に首を腕を巻き付けて恐る恐る抱きしめた。しかし、安室は満足しなかった。


「もっと強く。」


強く抱きしめて。わがままな安室に名前はどう答えていいのか分からなかった。
どちらの音だろう、心臓がドキドキと脈打つ。


「強く抱きしめないとこうします。」
「ひゃっ、!」


する、と安室の大きな手が名前のカットソーの中に入る。大きく暖かい手が細いくびれた腰を撫でる。
「わ、わかりました…!」と名前は慌てて抱きしめている腕の力を強くした。
こんな無理やりな関係、それだけでも安室は嬉しかった。
だってそうだろ?本当に嫌だったらこの家にも帰ってきていない。
は、とどちらの吐息か分からなくなるくらい舌を絡める。体温が熱い、脱ぎたい、けど嫌われたくない。

まるでその体温は付き合ってるのではないか、と脳内の浸食してくれる。


「…名前さん、好き、大好き。」
「、んっ、ぅっ…。」


どうしたら彼女は僕のものになってくれる?
どうしたらその身を委ねてくれる?


「…どうしたら僕のこと好きになってくれますか?」


こんなことを言ったら困らせてしまうのはわかっていた。でもその答えが知りたくて仕方がない。
名前はきゅ、と抱きしめる腕の力を強くした。それは安室の言葉に答えるように。
そして、言った。


「私、安室さんのこと大好きです。」


だから、好きなようにしても大丈夫。

彼女は頬を赤く染めて微笑んでいた。触れているところが、心が火傷しそうなくらい熱い。

大好き、好きなように…それの意味は…。


「いいんですか?」


そんなこと言っても。

心臓が煩いほど鳴り響く。
嘘だとは思えなかった。嬉しくて舞い上がってしまいそう。

ぐい、と彼女の腕が強くなって…いや、それ程強くないが僕はそれに抗わず、そのまま彼女に近づいた。

触れるだけのキスをした。

優しい優しいキスをした。



「んっ、あっ…はあ、」
何度も何度もキスをして、深いキスをして。指を絡めて。愛を確かめるように。
それでも飽き足らなくて。


「名前さん…、もう一回言って下さい。」


好きだと、大好きだと言ってほしい。
それに気づいた彼女は「すき、安室さん、だいすき、」と嬉しそうに言った。
たまらなく嬉しくなって僕はにやつく気持ちを隠そうともせず、彼女のスカートの裾に手を伸ばした。


「!」
「してもいいですか?」


流石に抵抗があるのだろう、いや、何をされるのか分からないのだろう。君は。
しかし、彼女はふるふると震えながら僕の服を掴んだ。着ているtシャツにシワがつく。
小さく、こくこくと頷くと小さな声で言ったんだ。


「…だ、大丈夫です。」


まるで付き合ってるみたいだ。いや、僕らは恋人同士だ。

それから暗闇の中何度も体を重ねた。服を脱ぎ捨てて、汗を流して、呼吸を乱して。「すき、だいすき、」と愛を囁く。
もう二度と何処にも行かせない、ずっとここにいて。僕を愛して。

お互い欲を吐き出して、何分、何時間経っただろう。

目が覚めた時は朝の6時。チチチ…と窓から見えた小鳥が鳴く。先に起きた名前はクローゼットから黒いパーカーを取り出して、身に纏った。黒い帽子を深く被る。
まだ安室は寝ている。彼のサラサラとした髪と一緒に頭を撫でる。


「…安室さん、今までありがとう。」


ふっと悲しげに少女は微笑む。
貴方にもらった優しさ、温もり、暖かさは忘れない。
いつだって貴方は私のことを想ってくれた。とても嬉しかった。灰色だった世界に色がついた。

好きだと言ってくれて、ありがとう。

私も安室さんのこと好きだよ、大好きだよ。

でももうさよならだ。

名前はスマホを操作した。その画面には遊園地から帰る途中に送られてきた彼のメールがあった。
ジンからだ。


『次の世話役は俺だ。』


それだけだった。
名前はスマホを閉じて、寝ている安室を抱きしめて頬にキスをした。

本当はさよならなんてしたくないな。ずっと側にいたい、いてほしいな。
でも、そんなこと言えない。私はもう以前の私じゃないから。
大丈夫、安室さんがいなくなっても私は生きていける。

涙は出なかった。悲しい、寂しい、でも暖かい。

そして、名前は安室から離れて、マンションから出ていった。

クマのぬいぐるみを置いて。



外は明るかった。朝日が眩しい。
安室さんが目覚める前に遠くに行かなきゃ。見つからないように。きっと探してしまうから。でも、いつかきっと世話役が変わったと知るだろう。安室さんはどんな表情をするだろう?肩の荷が軽くなって喜ぶだろうか、いきなり消えて悲しむだろうか。想像するのはやめよう…。


「名前お姉ちゃん!」
「…コナン君。」


名前はにこりと微笑んで「おはよう。」と言った。膝を曲げて、目線を低くする。こんな朝早くにどうしたの?と聞く。


「博士の家に遊びに行くんだ!名前お姉ちゃんは?」
「私は…。」


言えない。誤魔化すように名前はコナンの頭を撫でた。
友達も沢山できた。蘭と園子、少年探偵団、沢山の人達。


「私ね、コナン君の事も忘れないよ。ずっと。」
「?」


じゃあね、と手を振ってさよならする。

ジンが泊まっているホテルに向かう途中、歩道で転んだのか膝から血を流して泣いている知らない女の子がいた。私は近寄ってどうしたの?と声をかけた。しかし、女の子は泣いていて答えてくれない。近くのコンビニで絆創膏を買って、女の子の膝に貼る。手を繋いで、お母さんを一緒に探す。
お母さんを見つけた時の女の子は笑顔でありがとう!と言った。

安室さんと会う前の私だったらこんな暖かい事はしなかった。

変わったな…としみじみと思う。


ホテルの指定された部屋に着く。ここにジンはいる。冷や汗が流れる。なんで、今まで何度も会ってきたじゃないか。

嫌だ、あの生活に戻るのは。
あの冷たい生活に戻るは嫌だ。

ふとそう思ってしまった。
脳裏に浮かぶのは安室さんのは暖かい笑顔で。
私は無理やりかき消した。

ピンポーンとインターフォンを押した。



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