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思い出させてはいけない。
それは開けてはいけないパンドラの箱。誰にも見つかってはいけない領域。
名前さんの母親は組織に洗脳され、殺され、目を売られた。
父親も兄弟達も殺されているだろう。けど、調べなければ。
しかし、当の本人は何も知らない。知らないままでいい。
いつか自分で、ゆっくりと思い出すのを待たなければ。
第三者が無理やりこじ開けてはいけない。
そんなことをすれば心が壊れてしまう。
「降谷さん、この資料なのですが…。」
「ああ、目を通した。」
彼女はまだ組織の存在に疑問を持っていない。自分の家は、居場所はそこにあるものだと思い込んでいる。
"人形"の常識は常人には分からない。
でも、温もりも暖かさも、少しづつ分かって来てくれている。それはとても嬉しい。
このまま、幸せになってくれるといいが…。
パリン!
デスクに置いていたマグカップが落ちて割れた。幸い、飲み干した後だからこぼれはしなかった。周りがなんだろう、とこちらを見る。ああ、すまない、と僕は割れたマグカップを拾う。
きっとこの音はあの時の彼女の心の音にぴったりだ、と思ってしまった。
僕が、降谷が彼女を傷つけ心の壊してしまったあの音に。
思い出すのは"人形"が降谷を追ってこの本庁にやってきた時のこと。
ふう、とため息をついて前髪をかき上げる。時計を見るとまだ16時。…頑張らないと。
*
「な、何を…。」
名前は灰原の言葉に目を見開いた。あり得ない、と。しかし灰原は表情を変えずじっと名前を見る。
握られている手が暖かい。
シェリー…思い出した。綺麗な茶髪の女の子。組織のラボにいて私と背丈もそんなに変わらない女の子だった。確かに彼女は組織を裏切り逃げ出した。
…裏切り者だ。殺さないと。
名前は俯いた。何も話さない。カタカタと手が震える。
大切な人は、ものは、殺してはいけない。
守らないと。死んでも、何を犠牲にしてでも守らないと。
透き通る目が濁る。
裏切り者は殺さないと、大切な人は守らないと。
どうすればいい?私はどっちを守ればいい?
わからない、わからないよ。安室さん、助けてと叫びたくても彼は側にいない。
自分では、何も決められない。
「……私のこと、思い出した?」
シェリーはそう言った。恐る恐る彼女から手を離した。怖いのだ。
『お前は組織の大切な物だ。感情も意思も、記憶も全てお前には要らない。』
分かるな?…ジンの言葉がこだまする。
そうだ、私は世界の為に生きている、余計なことを考えるのはやめろ。皆、"目"を欲している。
"人形"に大切なものなんて必要ない。
口の中が何も食べてないのに吐き気がする程甘い。
名前は呼吸を整えて、俯いたまま静かにゆっくりとシェリーに両手を伸ばした。
パンドラの箱は開きかける。
「…シェリー。」
シェリーの心臓がドクドクと気持ち悪く鳴り響く。今、彼女に"人形"から逃げる術はない。
このまま首を絞められる?殴られる?殺される?
いや、死にたくない…!
シェリーは思わず一歩下がった。
その様子に離れたところから目を開いて窺う赤井秀一。
彼女に何かあったら守ると決めている。
「ひっ、」
前髪の間から見えた名前の射抜くような鋭い眼差しにシェリーは青ざめた。
名前の両手が更に近づいてくる。
そして、"人形"はシェリーを暖かく抱きしめた。
甘い甘いチョコレートの味。
とても優しく、ガラス細工に触れるように手は震えていた。
「…わからない。」
「…。」
「どうすればいいのか。でも、シェリーは…哀ちゃんは私の大切な人だから壊したくない…。」
甘いものは嫌いだ。気持ち悪くて、酷く吐き気がする。
でも、心が満たされる。ぽかぽかして、ずっとこうしていたい。
名前は幸せそうに目を閉じた。とくんとくんとどちらの心臓の音かわからないが、その音はとても気持ちいい。
その様子を見た赤井は小さく微笑んでその場を去った。
パンドラの箱の中はお菓子でいっぱいだった。チョコレート、ドーナツ、フルーツケーキ。
それは胸焼けするほどとても甘い。"人形"は甘いものが苦手だ。けど、少しずつ食べられるようになり、"人形"は戸惑いながらも受け入れた。
「名前さんは灰原さんととても仲がいいですね。」
お化け屋敷を出て、沖矢は手を繋ぐ名前と灰原を見て言った。名前は嬉しそうにその小さな手を握る手を優しく、そして強くして笑顔で返事をした。
「はい!」
空は暗くなった。19時だ。最後は観覧車に乗ろうという話になり、列に並んだ。同じことを考えている人は大勢いるらしく、名前達は楽しく会話しながら待った。9人と大人数な彼女達は誰と乗ろうか座ろうか話し合っていた。
「名前さん。」
「は、はい!」
突然、沖矢に話しかけられた名前は驚いて声が裏返った。だらだらと汗が流れ、顔が熱くなる。「な、なんですか?」と平然と装う名前だったが周りは彼女を見てえ、まさか…と勘づいていた。とてもわかりやすい。
(安室さんが知ったら怒るだろうなあ…。)と時すでに遅しなことを蘭は思っていた。
「私と一緒に乗りません?」
「え!?えーと、」
名前は未だ手を握っている灰原を見た。彼女の視線に気づいた灰原は手を離して「私は吉田さんと乗るわ。」と歩美のところへ行った。
…と無言になってしまった名前の手を沖矢は優しく握って「行きましょうか。」も連れ出した。あわあわと慌てる名前はどうしたらいいのか分からない。
「夜の遊園地は綺麗ですね。」
観覧車に乗って沖矢は高く登った観覧車から装飾が宝石のように輝く遊園地を眺めていた。それどころではない名前はドキドキと緊張していた。
な、なんでこんな時蘭や園子は一緒に乗ってくれないんだろ…!
皆、お二人は先に乗ってください〜!と背中を押した。嬉しいような嬉しくないような、いや嬉しい。
「今日は楽しかったですか?」
「え?」
名前は顔を上げて沖矢を見た。彼は視線を名前の方に移して再び言った。楽しかったですか?と。
「はい!楽しかったです!また来たいです!」
「それはよかったです。」
にこ、と沖矢は微笑んだ。そんな彼の一つ一つの表情に目を奪われてしまう。
おかしい、自分はどうしてしまったのだろう。心臓がドキドキと煩い。
安室さんといる時みたいにドキドキする。
…これは、不整脈?
そういえば、ライと一緒にいた時もこんなことが起こった。
楽しかった。一緒にご飯を食べている時。ずっと側にいて欲しかった。一緒に寝ている時。
でももうそれは叶わない。
そんな寂しそうな名前を沖矢は静かに見つめていた。
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