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名前さんからあの後、話を聞いた。
オークションのあの日、あの男性を殺したのはキャンティとコルンだった。でも自分も殺そうとした、と正直に言った。

そして言ったんだ。冷や汗を流し、心臓がある左胸を押さえながら、


「あのオークションに出る少女の目を見たら心臓が痛くなって…自分でもよく分からなくて…。」


知らない部屋で真っ赤に広がる血の光景が頭に浮かんだ、と。

それを聞いた時、僕は失った記憶だと確信した。
彼女は思い出してきている。
あの少女の目は必ず彼女に関係ある。どう関係するのか分からないが、ベルモットは「テスト」と言っていた。
しかし、この事を組織の人間に言える訳もない。
僕は彼女にその事は誰にも言わないように言った。


数日後、バーボンは黒いネクタイを締めて、高級ホテルの最上階にあるレストランを目指す。これからベルモットに会うのだ。食事に誘われた。きっと"人形"の近情が気になるとのだろう。余計なことを教えていないかと。
レストランに着くとベルモットは椅子に座って待っていた。


「レディを待たせるなんていい度胸ね。」
「貴方が早すぎるんですよ。」
「まあ、人のせいにするのね。」
「…。」


椅子に座ると既に料理が用意されてあった。赤ワインにサラダ、スープ、パンにステーキ。…怪しいものはなさそうだな。バーボンは赤ワインを一口飲む。その様子を見たベルモットは少し目を細めた。


「ねえ、あの子。何か言ってない?」
「何かとは?」
「…記憶を思い出した、とか。」
「いいえ、何も。」


さらっと嘘をついた。いや、本人もそれが自分の記憶だとはわかっていないだろう。
ベルモットは「そう。」とバーボンの心情には気付いていない。
悟られてはいけない、そうすれば彼女も僕も危ない。
それより、


「テスト、と言ってましたが、もしかして…。」
「そ、そのもしかして。あの子の記憶が戻っていないかの確認。でも戻ってなくて安心したわ。」
「…あの少女の目は誰の物ですか?」


彼女に奪ってこさせたあの目は。
するとベルモットはふふ、と怪しく微笑んだ。知らない方がいいわよ、と。
ドクン、と心臓が嫌な方向に鳴った。


「あの子も母親もね、未来が見える"目"だったのよ。」
「…。」
「組織でその家族ごと管理してたんだけど、逃げられちゃってね。当時3歳だった"人形"は可能性があると再び組織に連れ戻したんだけど…母親の方は酷い有様。」


組織の事を酷い!ありえない!と罵った。それまでは良いところだと思っていたのに、と。
だから、殺した。
その話を聞いて、やはり殺されていたか…そして、家族ぐるみで洗脳されていた。組織は味方だ、と。なら、他の兄弟も父親も殺されているだろう。組織の人間に。
待て、もしかしてその少女の目は…。思わず顔が青ざめ、口元に手を当てた。


「そうよ、あの少女の目は名前の母親の目。」


吐き気がする。組織に洗脳され、殺され、"目"は売られた。なんて酷いことを…。
だから、テストと称して彼女に大切なもの取ってこさせた。母親の目を見て思い出さないかどうかテストした。
まあ、でも何事もなくてよかったわ。これでまた母親の目を闇の世界に売りに出せる、とベルモットは言った。
バーボンは狂っている、と思った。
こんなこと、あの子が知ったらどうなってしまうか。想像したくもない。


「ねえ、ところで。」
「?はい。」
「名前に彼氏出来たの?」
「……は?」


突然、何を言い出すのだろうか。彼氏?何故?
ベルモットはにこにこと微笑んでいる。


「あら、それともあれはバーボンが付けたのかしら。」
「…何の話ですか?」
「まあいいわ。私、そろそろ名前の子供が欲しいわ。」


それはきっと世話役としての母性からくるものではなく、組織の為。きっと"目"が欲しいのだろう。新しい"人形"が。そんなことさせてたまるか。
「彼女はまだ17歳ですよ。」と僕は赤ワインを飲みきった。


「やあね、年齢なんて関係ないわ。」
「…そもそもなんでその話を僕に…けほ、」


…?なんだ?突然体が熱くなった。咳が出てきた。「すみません、」と僕は口元に手を当ててこほこほと咳をした。熱か…?こんな時に…。


「もう効いてきたのね。」
「…は?」
「先に来て赤ワインを薬を入れといて良かったわ。」
「な、何を…、」
「ふふ。」


そしてベルモットは言った。別にあの子の相手は誰でもいいんだけどね、と。
嫌な予感しかしない。熱のせいか額から汗が流れる。ドクンと心臓が鳴り始める。うっ、と思わず左胸あたりの服を掴む。呼吸も乱れ始める。
するとベルモットはどこかに電話をかけた。数コールの後、出てきたのは、


「あ、名前?バーボンが具合悪いみたいだから迎えにきて。ええ、いつものレストランにいるわ。」
「ちょ、何して…、」


ベルモットは通話を切った。そして、はい、と薬をテーブルに置いた。…?とバーボンは眉を顰めた。


「まだ気づかない?貴方が飲んだワインの中には媚薬が入ってたのよ。」
「!?」
「まさか全部飲んでくれるとは思わなかったけど。このまま名前と合流したら…分かってるわよね?」
「…。」


これは追加の媚薬よ、とベルモットは言った。擦れる声で「いりません…。」とだけ言うとバーボンは椅子から立ち上がった。
…早く、ここから立ち去らないと。彼女に会ってはいけない。
「まあ、いいけど。」とベルモットは薬を手にした。


「そしたら名前に次会った時、彼女に飲ませるだけだよ。」
「!…貰います。」
「はい、どうぞ。」


バーボンは「…それでは。」とふらつく足でレストランを出た。それを見ていたベルモットは楽しみね、と呟いた。
エレベーターに乗って壁にもたれかかる。力が抜けていく。体も先程より熱くなってきた。一階に着いて、足を動かした。
早くここから去らないと、彼女が来る前に…!
するとコツコツと向かってくる足音が聞こえた。


「安室さん…?」
「!、名前さん…。」
「だ、大丈夫ですか?凄く具合悪そう…。」


黒いパーカー姿の名前は心配そうにバーボンに近づいた。彼の額に手を当てようとした時、バーボンの心臓がドクンと大きく高鳴る。思わず、彼は顔を逸らした。触られてはまずい、と。その行動に驚いた名前は彼の名前を呼んだ。


「す、すみません。今は…触らないで下さい…。」
「で、でも…あ!ホテル行きましょう!ベルモットが近くのホテルを借りてるって言ってました!」


まずい、このまま一緒にいては…。
顔が焼けるように熱い。目も虚になってきた。
はあはあと息が切れる。媚薬を飲んでしまったなんて彼女には言えない。いや、言ってしまった方が僕から離れていってくれるかもしれない。…でも、どうしても一緒にいたいと思ってしまうのは本心かそれとも薬のせいか。

ホテルに入るとベットは運良く二つあった。バーボンは名前に背を向けて横になった。顔を赤くして息を切らす彼に名前は心配になって側に座る。いつも自分が看病されているから。しかし肝心の本人は触るなと拒否している。


「…う、はあっ…名前さん、」
「!なんですか?」
「…僕は大丈夫ですから、寝ていて下さい…、」
「で、でも、」
「いいから…!近づくな…!」


バーボンは精一杯、名前を睨んだ。びく、と怯んだ彼女は「は、はい…。」と電気を消して、片方のベットに横になった。
でも名前はバーボンが気になって寝ることは出来なかった。未だに苦しそうに呼吸する彼をちらちらと見ていた。
音を立てず起き上がって背を向けている彼に近づくと何かを踏んだ。なんだろ、と思って見ると足元に薬があった。

(そういえば、ベルモットが具合が良くなるようにって安室さんに薬持たせたんだった。)

でもなんで安室さんは飲まないんだろ?と疑問に思った名前だったが、具合の悪い彼を見てそんな事考える必要ないか、と薬を持ってバーボンと向かい合わせになって座った。


「安室さん、薬…。」


しかし、彼は強く目を瞑って左胸を押さえている。
…私に気付いてないのかな…?
どうしよう、と名前は考えて…そうだ!と薬を口に入れた。
あ、安室さんも同じことしたし、大丈夫だよね…。
名前は口移しで無理やり飲ませようと思っていた。彼の顔を横に手をついて身を乗り出すとぎしりとベットが沈んだ。ドキドキと心臓が鳴る。
なんで、自分からする分には恥ずかしくないのに。
後数センチ、というところで勢いよく腕が掴まれた。


「わ、」


驚いた名前は目を見開いた。覆い被さる彼は未だ頬を高揚させていて肩を震わせながら呼吸していた。「あ、安室さん…?」と名前は恐る恐る彼の頬に手を伸ばす。しかし、バーボンは苦しそうに彼女を睨む。思わずぴたりと伸ばしていた手を止めた。


「…近づくなって言ったのに、」
「え?っ、んう、」


噛みつくように深いキスをされて名前はびっくりして目を見開いた。
こんなキスはされたことがない。いつも優しさが詰まっていた。けど今は…。
無理やり熱い舌が入ってきて口内を動き回る。苦しい、と名前は彼の服を掴んで、足をばたつかせる度にベットは何度も音を立てて軋む。しかしそんなことお構いなしな彼は両手で名前の顔を力づくで固定する。
彼は彼女の口内から薬を奪いとると、そのままごくりと飲んだ。
一体どれだけの薬を飲んだのだろうか。意識は朦朧としていた。けど、彼女に触れたくてしょうがない。でもダメだ、耐えないと。組織の思い通りになってはいけない。


「はあ、はあ…、名前さん、もう、帰って下さい、」
「で、でも、安室さんが、」
「早く…!」


精一杯彼女を睨むが、名前は首を横に振った。具合の悪い大切な人を放っとけないと。


「じゃないと、僕、耐えられない…!」


これ以上触れてしまったら一線を超えてしまう。それは何としてでも阻止しなくては。彼女を壊したくない。嫌われたくない。
しかし、そんな彼の心情を知ってか知らずか名前はにこりと微笑んで頬に触れた。


「大丈夫ですよ、私はずっと安室さんの側にいますから。」


顔が熱いのは薬のせいか、それとも彼女のせいか。



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