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同時刻、赤井秀一は工藤邸でコーヒーを飲みながらスマホを操作していた。写し出されるのはコナンが撮った名前の写真。その写真を見ると赤井は目を細めた。

これは2年前の話。


「じゃあ、"人形"の世話役。よろしくね。」


ベルモットはそう言って部屋を出た。がしゃん、部屋のドアの鍵を閉められる。
"人形"の噂は前々から聞いていたが、本当にいたとは。俺は目の前にいる少女の前に腰掛けた。少女はクマのぬいぐるみを持ちながら俺の顔をじっと見る。


「よろしく。俺はライだ。」
「…名前。」


少女は小さく返事した。

"人形"はこの部屋で軟禁され、コードネーム持ちの一部の人間に世話されているらしい。組織によって感情も意思も、家族の記憶も無くされている"人形"。
組織のいうことしか聞かず、個人のいうことは聞いてくれない。
しかし、ベルモットが言うには彼女の好きなものをあげるとお願いを聞いてくれる。


その日は彼女と共に日本で仕事があった。昼の東京の街中を歩いている時、"人形"は綿の出たクマのぬいぐるみを抱き抱えながらとある雑貨屋のショーケースをじっと見ていた。そこにはクマのぬいぐるみがあった。


「欲しいのか?」
「!…い、いや…。」


もごもごと口を濁らす彼女の様子を見て俺は構わず雑貨屋に入った。「え?え?」と困惑した様子で彼女は俺についてきた。


「はい。」
「…あ、ありがとう。」


少女はぎゅっとクマのぬいぐるみを抱きしめる。そして、嬉しそうに頬を赤く染めて言った。さぞ、当たり前のように。


「お願いは?」
「…。」
「お願い一つ聞いてあげる。」


"人形"はお願いを待っていた。
…どうしたものか。お願いをするつもりであげたわけではない。しかし、それが当たり前となっている彼女にはそれがわからないだろう。
ふう、とため息をついた。そして俺は彼女の頬に触れて言った。


「笑え。」


少しくらい笑ったって、大丈夫だろう。お前くらいの年頃の娘ならよく笑う筈だ。

予想外のお願いに名前はきょとんと目を瞬かせた。
笑う…?笑うって何?

黙りこくってしまった名前を見て赤井は「何でもない。」と再び歩き出した。

お願い失敗である。初めてのことだった。


仕事が終わった帰り、彼女は熱を出した。"目"を酷使し過ぎると熱を出すのはベルモットから聞いていた。…やり過ぎたか。
意識が朦朧としている彼女をホテルのベットに寝かせて…薬は…そうだ、ぬいぐるみの中に入っていた筈。ぬいぐるみの中に手を伸ばすと毒薬と一緒に解熱剤も出てきた。それと共に一枚の写真が出てきた。笑顔の5人の子供達と女性と男性。女性の腕の中には赤ん坊がいた。所々焦げており、女性と男性、赤ん坊の顔は隠れていた。…家族写真か。組織の人間に見つかったら処分されるな。俺は再びぬいぐるみの中に隠した。


「名前、薬飲めるか?」
「ん…、」
「飲めないか…。」


名前は汗を流して嫌がった。しかし、薬を早く飲ませないと。
仕方ないな…。
赤井は薬を口に含んで、名前の顔の横に手をついた。口移しで飲ませようとしていたのだ。
しかし、名前は小さな声で言った。


「……お母さん。」


"人形"には家族がいない。生きているのか、それとも死んでいるのか。あの写真から推測するに兄弟もいた。
知り合ったばかりの俺がそれを知る方法は一つもなかった。
赤井は離れて口から薬を取り出して、そのまま名前の口奥に入れ込んだ。
「んっ、う」と彼女は苦しそうにしたが、そのままごくりと無理やり薬を飲まされた。


次の日の夕方、"人形"は起きた。ホテルにはクマのぬいぐるみが二つあった。隣のベットではライが寝ている。そういえば、今日はあのいつもの部屋に帰る日では…?と思っていた。


「起きたか。」
「!う、うん。」
「体調は?」
「だ、大丈夫…。」


体調を聞かれたのはそれまでで初めてだった。熱も下がったし、だるくもない。
「じゃあ、行くか。」とライは起き上がった。彼はすたすたとドアに向かったので、名前もついていく。


「ど、どこに行くの?」
「?腹が減っただろう。飯を食べにいこう。」


名前は黙った。でも世話役の言うことは聞かないといけない。
二人で街中の歩いて、どこのレストランにいこうか話していた。しかし食に興味のない名前はどこでもよかった。


「食べたいものはあるか?」
「…。」
「好きなものは?」
「…。」
「名前?」
「な、何でもいい。」
「そうか。」


ライは構わず、近くにあった個人経営のレストランに入った。老夫婦が営んでいる小さな店。「あら、いらっしゃい。」と老婆が迎え入れる。
メニューを渡されて名前はじっとそれを見つめる。どれにすればいいのかわからない…。


「…ねえ、ライ。」
「なんだ。」
「今日は飛行機に乗って帰る予定じゃなかったの…?」
「ああ。」


お前の具合が悪いからキャンセルした、とライは迷いなく言った。その言葉に名前は、さあと青ざめた。自分の体調が悪いせいで気を使わせてしまった、怒られる、壊される。
その様子を見たライは言った。


「安心しろ。組織には俺の気まぐれだと言っておいた。」
「…え?」
「それよりどれを頼むか決まったか?」
「え、えーと、」


ど、どうしよう、と名前は急いでメニュー表を見る。えーとえーと。
「女将さん。お勧めは?」とライは近くにいた老婆に話しかけた。
数分後出てきたのは焼き魚定食。暖かいのかご飯から湯気が出ている。名前はじっとそれを見つめる。食べてもいいのか、と。それに気づいたライは冷めるぞ、と言った。名前は箸を持って焼き魚を口に入れる。暖かいそれに名前は小さな声で「…美味しい。」と言った。ぱくぱくと食べる彼女を見てライは微笑んだ。


「やっと笑ったな。」
「え?」


そして、ライは名前の髪に触れながら言った。


「笑った顔も可愛いな。」


…。暫くの沈黙の後、理解した名前は顔を真っ赤にした。隣に置いてあったぬいぐるみを素早く手に取って顔を隠した。
そんなこと言われたのは初めてだ。
ドキドキの心臓が高鳴る。なんだろう、こんなの初めて…!
しかし、そんな名前の気持ちに全く気づかないライ。


「どうした?」
「あ、う…えと、」
「食べないのか?」
「た、食べるけど…。」


"人形"の世話役として一緒にいたのは二週間程だけだった。
ライはあの部屋で名前に別れを告げた。名前は目を伏せて悲しそうにした。
結局、ライは彼女を組織の鎖から解き放つことは出来なかった。しかし、名前の心は暖かかった。彼女は小さく微笑みながら言った。


「また会えるよね?」
「ああ。」
「私、ずっと待ってる。そしたら、一緒に遊んでくれる?」
「ああ。」


彼女は小指を出した。指切りしよう、と。

彼女が今どうしているのか、知らない。組織の中で"目"を使われているのか、否か。
でもまさか、米花町にいるとは思いもよらなかった。ボウヤが言っていた。彼と仲がいいと。きっと今の世話役は彼。

一つ、噂を聞いたことがある。"人形"には5人の兄弟がおり、そして彼らを殺したのは…。

そして、赤井はスマホの画面を消した。



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