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「そろそろ時間ですね。」メイドが時計を見た。時計の針は夜の21時を指していた。「じゃあ、よろしくね。」と男が言うとメイドと名前はお辞儀をして部屋を出た。一人、部屋に残された男はうーんと顎に手を置いて呟いた。


「あの目、どうしても欲しいなあ。」




ざわざわと大広間が賑やかになる。玄関の大きなドアが開き、スーツやドレスといった金と暇を持て余した金持ちが入ってくる。メイド達は彼らを迎え入れる。荷物を預かったり、挨拶したり。名前も他のメイドの真似をしようとにこりと笑顔で「お客様、お荷物お持ちしま…。」す、と言おうとして固まった。


「…あ。」


スーツを着こなした降谷が入ってきた。名前を見つけるなり、足を止めてじーと見ている。
白いフリルのついたカチューシャにエプロン、黒いワンピース。
な、なんで安室さんがここに…。と名前は青ざめていた。この格好はやばい。私もこんな格好するとは思わなかったし。
すると降谷はにこ、と微笑んで言った。


「可愛いメイドさんですね。」


周りのメイド達はきゃー!イケメン!と顔を赤くした。しかし、降谷はすたすたと会場に向かった。
え、え?と戸惑う名前。せ、せーふ…と額の汗を拭く。そ、そうだよね!前なんてウェイターの格好してたしね!大丈夫か!と安心していると、ピキと冷たい視線感じた。や、やばい、と名前は恐る恐る視線がした方を向く。降谷が足を止めてこっちを見ていた。
降谷は口パクで言っていた。


「この後が楽しみですね。」


め、めっちゃ怒ってる…。



『2億!3億!さあさあ、皆様、欲しい方は手を上げて下さい!』
司会の女の声が響き渡る。オークションが始まった。今出品されているのはミイラの髪の毛。参加者の人間が落札しようと大きな声で値段を言い、手をあげる。くだらないな、と名前はその様子を会場のドアの隙間がら見ていた。あんなもの、なんで欲しいんだろう、と。すると、ふっと暗くなった。後ろから覆い被さるようにドアに手を置かれた。


「随分と可愛い格好してますね。」
「!あ、安室さん…。」


な、なんで、会場にいるんじゃ…と名前は青ざめて降谷の方に向いた。降谷はニコニコしていた。その笑顔が怖い。


「ど、どうしてここに…。」
「…ベルモットから急遽、名前さんのサポートをするように言われたんですよ。」


嘘だ。そんなことは言われてはない。降谷は嘘をついた。公安として来たのだ。
そんなことより、名前は逃げることしか考えてなかった。だらだらと汗が止まらない。「じゃ、じゃあ私、仕事してきま…。」す、と足をそろーと動かそうとすると腕を掴まれた。


「お客さんの相手をするのも仕事ですよ、メイドさん。」
「んっ、う、」


降谷は名前の頬に手を添えて逃げられないようにした。触れるだけのキスを何度もした後、舌で彼女の唇をこじ開けた。降谷は味わうかのように目を瞑る。舌を絡めて、ぐっと体重をかける。名前は顔を真っ赤にして背中を反らす。


「く、くるし、」
「だめ。もっとキスしたい。」


離れようとした名前だが、降谷は再び深いキスをした。目を細く開けて、恥ずかしさに耐える名前を見る。
早くここから連れ去りたい。そしてそのまま閉じ込めたい。誰も見つからないように。
ああ、でも今は仕事中だ。降谷は名残惜しそうに名前から離れた。はあはあ、と息を整える名前は濡れた唇を袖で拭こうとした。


「だめですよ、ハンカチで拭かないと。」
「ん、」


降谷はハンカチを取り出して彼女の唇を拭いた。そして耳元で「続きはこれが終わった後で…やりましょうか。」と囁いた。
「え、え?」と混乱する名前に降谷は満足そうに離れ、会場に戻った。降谷のスマホには後30秒の文字が表示されている。
ポツンと残された名前はぽけーとしていた。あ!仕事!と現実に意識を戻す。
再びドアを開いて様子を見ようとする。そんな時、名前を雇っている先程の男が笑顔でやってきた。


「やあ、オークションは楽しんでるかい?」
「はい。とても。」
「それは良かった。よかったら、一つ欲しいものをあげるよ。」
「…?」


どんな風の吹き回しだろうか。金に物を言わせている大富豪が。でも、ここで眼球を手に入れればすんなりと仕事が終わる。
そう考えた名前はいいですよ!と笑顔で言った。
「なら、少し外で話そうか。」と男は名前をテラスへと連れ出した。
降谷のスマホには後25秒の文字。
テラスには冷たい風が吹いていた。夜空が綺麗だ。
「お話ってなんですか?」「それはねー…、」と話す二人。男は楽しそうだ。

それを離れたところでライフルのスコープから村井が見ていた。
本庁で名前に恨んでいると言った男だ。村井は名前の頭を狙う。目を細め呼吸を整える。

(…この距離なら未来は見えない筈。後20秒でこの辺りは銃撃戦になる。どさくさに紛れてあいつを殺す。)

彼は名前を最初から殺す気だった。公安は組織がこのオークションに関係していると知っていた。
スマホに後10秒と写し出される。
そして9.8…と時間は刻々と過ぎていく。そして後1秒と表示された時、名前がぎろりと村井を見た。


「なっ、」


動揺した村井は構えていたライフルをずらし、引き金を引いた。
名前は素早くを顔を逸らして銃弾を避ける。ぴ、と頬に掠る。血が流れる。村井が打った銃弾は名前と男の後ろのガラスに当たり、砕け散った。その音が引き金となり、公安は銃を構えて関係者を捕まえようとした。「大人しくしろ!」「警察だ!」と叫ぶ。参加者達の悲鳴が聞こえる。
名前は騒ぎに便乗して、"目"を使って眼球を走って探す。視界の左半分は未来の映像へと切り替わる。視界に入らなくても見えるようになった未来。別荘の中は一通り見ている。後は想像するだけ。
名前は逃げ惑う参加者の間を潜り抜ける。眼球は小さな控え室にあった。
息が切れる。はあはあ、と呼吸を乱しながら眼球が入っている箱に手を伸ばす。


「…あった。これを持って帰るだけ…。」


こんなもの、誰が欲しがるのだろう。名前は気持ち悪いな…と眼球を見る。その眼球はじっと彼女を見ているようだった。
その時、ドクンと心臓が大きくなる。
名前は目を見開いて胸を押さえる。

(な、何…今の…。いや、何でもない、早く帰ろう…。)

名前は眼球の入った箱を持つ。そしてそのまま後ろにある部屋のドアに向こうとすると男の声が聞こえた。


「お前!その品を持ってどこにいくつもりだ!!」


男は震えながら銃を構えた。そんな様子を名前は冷たく見据える。
未来を見なくてもわかる。銃を撃つ勇気もない雑魚だ。
名前は一歩、また一歩と男に近づく。ひいっ、と怯える男。


「わ、分かった!お前…警察だな…!くそっ、騙しやがって…!」
「…。」
「お前なんかし、死んでしま、」


その瞬間、男の頭が弾けた。血飛沫が名前の顔や服にかかる。キャンティとコルンだ。二人もやってきていた。彼女達は離れたところから男を狙う。男は一発二発と銃弾を食らう。びしゃ、と血が部屋中に散乱する。部屋の外はまだ悲鳴で煩い。コツコツと名前は男に近づいて手から銃を取る。


「そろそろ逃げなきゃ。」


名前は死んだ男の死体に銃を向けた。撃とうとしたのだ。
しかし再びドクンと心臓が高鳴る。
ドクン、ドクン。
がしゃんと眼球の入った箱を落とす。胸を押さえて蹲った名前は苦しそうに呼吸する。
な、何…!?"目"はそれほど使ってないはず…!


『名前、いい子ね。』


ふとベルモットの声が頭の中で響く。
脳裏に浮かぶのはこの部屋と同じように真っ赤に染まった知らない部屋…。キッチン、テーブル、倒れた沢山の椅子。テーブルの上にはお菓子が沢山あった。

そして生暖かい血の感触と鉄の匂い。

ドクン、と心臓が煩いくらい鳴る。


「し、知らない…!こんなの…!」
名前は頭を抑えた。ずきずきと頭が痛い。名前の記憶にない事だった。

…ぐずぐずしてられない、警察がいる。早く逃げないと。

名前は立ち直して、眼球の入った箱と拳銃を手に取った。
するとバタバタと足音が聞こえた。
参加者か警察か?まあどっちでもいい、邪魔なら殺すだけだ。銃を構える。
しかし、出てきたのは、


「名前さん!」


降谷だった。降谷は名前の姿を見て目を見開いた。血塗れの彼女と真っ赤に染まる部屋、そして足元にある男の死体…と名前が持っている拳銃。


「(まさか、人を殺した…!?)名前さん、これは一体…!」
「…。」


名前は黙ったまま持っていた拳銃で窓ガラスを割った。そしてそのまま外に出た。ここは二階だ。ガサガサと木がクッションになって名前はそのまま森の中へと消えた。


「名前さん…。」


降谷は彼女の行った方向をずっと見ていた。







「あら、お帰り。」
「…ただいま。」
「やだ、血塗れじゃない。撃たれたの?」


ベルモットのいるホテルの一室。名前はオークションからそのままやってきた。手にはちゃんと眼球の箱がある。それを見るとベルモットは「名前、いい子ね。」と言った。…どこかで聞いたな。どこだっけ。


「これで仕事完了。お疲れ様。」
「…お風呂借りる。」
「どうぞ。」


名前はシャワー室に入った。血塗れの服を脱ぎ捨てて血をシャワーのお湯で落とす。「っ、」頬が傷んだ。そういえば村井の銃弾を避けた時掠ったんだった。お湯が目を伝って涙のように流れる。

(あの時の安室さんの表情…。)

凄く傷ついていた。どうして?血塗れの私に驚いた?怪我したと思って?…それとも拳銃で人を殺したと思った?
それくらいでなんで傷つくの?

その頃、ベルモットは箱に入っている眼球を眺めて、目を細めていた。


「ふふ、おかえりなさい。」


それは眼球に言ったのか、名前に言ったのか。
「ベルモットー!シャンプーなーい!どこー?」シャワー室で名前が叫ぶ。はいはい、とベルモットは立ち上がる。


「はい、これよ。」
「ありがとう。」


ベルモットは名前に替えのシャンプーを渡した。名前はくるり、とベルモットに背を向けた時「あら、」と名前の首後ろに触れた。びっくりした名前は「ひゃっ!」と肩を跳ねさせる。


「名前、彼氏でもいたの?」
「…は?」
「ここ、キスマークついてる。」
「…?……あ!」


あ、安室さんだ…!思い当たる人は安室さんしかいない…!
「む、虫刺され!」と名前は顔を赤くしてドアを思い切り閉めた。
うーん、と口元に細長い指を当てるベルモットは少し考えていた。

(そろそろかしら。)

と。



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