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「なっ…!」


感情を露わにした名前に風見はたじろいだ。
彼女は必死だった。

名前は降谷に会う為にここに来た。会いたかった。
朝起きて、夜一緒にいてくれたのは降谷だとわかったから。
暖かい手も優しい声も全て。
戻りたい、あの人のところへ。帰りたい、あの家に。


「ふ、降谷さんは今日はポアロに…。」
「!!」


名前は目を見開いた。ここには来ないと。

「ちょっと、何してるの!?」
太田が後ろから名前に手を伸ばす。それを名前は前を向きながら手で弾く。キッと太田を睨むと名前はそのまま本庁の外へと走り出した。


「その子を捕まえて!」


太田が追いかけて叫ぶ。未来を見ている時、現実に起こっていることは見えない、それは太田も名前もわかっていた。隙ができる、と。

(左目だけで見るんだ…!視界は両方とも狭くなるかもしれないけど、動ける…!)

少し休んだお陰で目は完全ではないが回復していた。
ぐ、と目に力を入れる。前にいる名前を捕まえようとする警察の動きを読む。その隙間を名前は掻い潜る。

「ま、まって下さいー!」と田所は慌てて追いかける。

名前は街中に消えていった。その様子を見ていた風見は慌ててポアロにいる降谷に電話した。


「ふ、降谷さん!苗字さんが逃げました!」
『!わ、分かった、どこに向かったか分かるか?』
「多分、降谷さんのところに…。ポアロに向かったんだけど思います。」
『…分かった、僕も彼女を探す。』


ぷつん、と通話が切れる。なんでこんなことに…!風見は大急ぎで車に乗り込んだ。

名前は走っていた。左目のみで未来を見る。視界の左半分は未来の映像へと変わっていた。
普段、両方の目で未来を見ているので負担は勿論両目にかかる。しかし、今は片方の目のみで未来を見ている為、負担は左目のみ。
が、その場合二倍の負担が左目にかかる。
しかも今は無理やり未来を持続的に見ている。その負担は計り知れない。
太田と田所に追われていた時の負担と昨日の負担がまだ残っている。
しかし、名前は未来を見続けていた。降谷に会う為に。

人の気配が去ったのを確認すると、名前は路地裏で座り込んだ。はあはあ、と息が切れる。ズキズキと痛む左目に名前は手で押さえた。


「…安室さん、会いたい……。」


涙は出なかった。
寂しい、辛いという感情が入り乱れる。ぐずぐずしていられない、警察が来てしまうかもしれない。と立ち上がろうとして、止まった。
…安室さんも警察の人だ。私を捕まえたら、どうするのか…。
ベルモットに連絡を…と名前はぬいぐるみの中に隠していたスマホを取り出した。震える手でスマホを操作する。そしてベルモットを電話番号にタップしようとしてやめた。
安室さんが殺されるのは嫌だ…。


「名前ちゃん?」
「!!!」


後ろから田所の声がした。名前は振り向かず、走り去った。
しまった…!後ろにいられては未来が見えない…!


「…。」
「田所!見つけた!?」


走り去る名前の背中を田所は黙って見つめていた。離れた所にいた太田が駆け寄る。田所は眉を下げて小さな声「い、いいえ…。」と言った。名前の姿はもうなかった。


「…他の公安の職員にも連絡するわ。」
「だ、だめです!上にバレたら怒られちゃいます!」




その頃、ポアロにて。梓は一人で仕事をしていた。お客さんもいない。手が空いている時だった。ふふーん、と鼻歌を歌いながら掃除している。

(安室さん、急に飛び出してどこ行っちゃったんだろう。)

数分前、降谷は血相を変えて出ていった。
忙しい人だなあ、と思っていた。

カランカランとドアのベルが鳴った。梓はお客さんかと思って笑顔で「いらっしゃいませ!」と言おうと振り向いた。しかし、そこにいたのはスーツを着た男三人。鋭い目つきで店内を見る。
こ、こわ…と梓は固まる。


「…ここに苗字名前は来てますか?」
「?名前ちゃん?来てないですけど…。」
「探せ。」
「ちょ、」


男達は梓の返事を待たず、店内を探し回った。トイレ、スタッフルーム、裏口。しかし名前はどこにもいなかった。
男達は勿論公安の人間。しかしそんなこと知る由もない梓は何がなんだか分からずにいた。その内、男達は店を出て行った。


「何だったんだろ…。」



名前は全速力で走っていた。未来を見ながら走ること40分以上が経った。限界が来ていた。「こっちだ、待て!」と男二人に追いかけられる。後ろを視界に入れながら未来を見て行動を読み取る。

(落ち着け…!左目を集中させて、見える範囲を広げる…!)

名前は死に物狂いだった。捕まる訳にはいかない。
想像できる背景、光景ならそこをイメージして後ろの未来を前を向いていても、視界に入っていなくても未来が見えるようにした。
薄々名前は気付いていた。未来が見える範囲が広がっていると。
しかし、その代償、負担は大きい。

(あの通りには警察はいない…!)

名前は少し大きな通りに路地裏から出た。構わず、歩道から車道に出る。車は走っていた。今、左側視界は後ろの男達の動く未来、それを見た名前はギリギリ車に轢かれないように車道を抜けた。男達は車によって足止めされた。再び、名前は路地裏に入っていった。

重たい足を引きずるように歩く。…追いかけてこない。キインと耳鳴りがする。頭も割れる程痛い、左目はもう未来は見えなかった。積りに積もった負担が名前を押し寄せる。左側の視界も殆ど見えない。辛うじて右側の視界が見えていただけ。限界だ。
まだ逃げなければ、名前は右側で未来に見ようとした、その時、


「よっこいしょ。」


目の前の扉が開いて梓が現れる。裏口にあるゴミ箱にゴミを捨てに来たのだ。
いつの間にかポアロのすぐ近くまでやってきていた。
「あら、名前ちゃん?」と梓は彼女に気付いた。ボロボロの名前の姿を見て驚いた。


「どうしたの?そのすが、」
「梓さん!」


名前は梓にしがみついた。あまりに必死な彼女の様子に梓は黙った。何があったんだろう、と。


「安室さんはどこ!?」
「あ、安室さんなら数分前に出かけて…。」


名前は青ざめた。いない、どうして。もう会えない、手が震える。体力の限界だ、走れない。それに気づいた梓は名前を抱きしめた。


「…安室さんに…会いたい…!」
「何が起きたのか分からないけど、取り敢えずポアロで休もう?話聞くから。」


梓は心配になって裏口のドアを開こうとした。すると名前の後ろからじゃり、と足音が聞こえた。名前は警察…!と思って振り向くことが出来ず更に震えた。怖い、殺される…!


「名前さん。」


降谷の声だった。名前は目を見開いて振り返った。そこには汗を流して息を切らしている降谷がいた。
名前は彼の姿を目に入れると緊張の糸がぷつりと切れた。
涙が頬を伝う。
会いたかった、ずっと会いたかった。
名前はもたつく足で降谷に抱きついた。


「うわああ!安室さん!安室さん!」
「…すみません、名前さん。」


降谷は優しく、でも強く名前を抱きしめた。目を瞑って辛い表情をした。
離れたくない、ずっと一緒にいたい、名前は声を上げて泣いた。
梓はどうしよう、と立っていた。こんなに取り乱す名前ちゃんは見たことがない。
こんなことなら、無理やりにでも彼女を側に置いておけばよかった。彼女達に引き渡すんじゃなかった。降谷はずっと後悔していた。


「いやだ…!もう帰りたい!安室さんのところに帰りたい!」
「…帰りましょう。僕も…、」


名前さんと一緒にいたい、と言おうとした瞬間、降谷は足音に気づいた。コツコツと音がする。思わず名前の頭に手を置いてぎゅ、抱きしめた。


「話は終わったかしら。」


太田だ。太田は相変わらず冷たく言葉を口を出した。名前は強く降谷の服を掴む。太田を見ることが出来なかった。
太田は梓を見ると「離れたところで話しましょう。」とその場を去った。


「あの、安室さん、何が…。」
「…。」


おろおろする梓は降谷に話しかけたが、彼は返事をしなかった。
降谷は抱きつく名前を少し離した。「!」名前は嫌だ、と降谷に抱きつこうとする。離れたくないと。そんな彼女を降谷は優しく言った。


「…大丈夫です。必ず僕が守りますから。」


しかし、名前は不安な表情だった。



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