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「…毛利さん、ありがとう。」


名前は紙袋に入った蘭の服を返した。勿論、洗ってある。蘭はそれを受け取ると「デート、どうだった?」と聞いてきた。その質問に名前はうーん…と考える。
楽しかったといえば、クマのぬいぐるみを買ってくれたから嬉しかった。デートなんかしたことがない。…手を繋ごうと言われた時、思わずジンがよく腕を引っ張っていたことを思い出して無理だった。怖かった。でも熱を出してしまってその後のことはよく覚えていない。
…誰かに優しく手を握ってもらっていた気がする。
黙ってしまった名前に蘭は苦笑いして言った。


「楽しくなかった?」
「そ、それは…。」
「それは?」
「ぬ、ぬいぐるみ買ってくれた。」
「よかったね!」


しかし蘭は正直あまり楽しくなかったのかな?と思っていた。安室さんは名前ちゃんのことを何となく気にかけてる感じはするんだけどなあ、と。
「ね、ねえ、毛利さん、」と名前は口を開く。


「ん?」
「…。」
「?どうしたの?」


黙ってしまった名前に蘭は首を傾げる。何か言いたいことであるのだろうか。


「えと…その、」
「うん。」
「……安室さんに、迷惑かけちゃったからお礼がしたい…。」


その言葉に蘭は一瞬きょとんとしたが、優しく微笑んだ。



その日の放課後、名前はスーパーにいた。スーパーなんて滅多に来ない名前は難しい表情をしていた。
卵…なんで白いのと茶色のがあるんだろう…。何が違うんだろ。
卵売り場にいて30分、名前は疲れてはあとため息をついた。やっぱりだめだ、と。
蘭は「じゃあ、手料理とかどう?」と言ってくれたが、名前は料理をしたことがない。
何を買わず名前はスーパーを出る。慣れないことはするもんじゃないな。
熱を出して看病してもらった。いつもなら誰かが薬を飲ませてくれていた。…誰だっけ。まあいいや。
だからお礼しないと。…嬉しかったから。
マンションに着いて、部屋の鍵を開け…て閉めた。名前はてくてくと安室の部屋の前まで来て周りをキョロキョロした。そして深呼吸して恐る恐るインターフォンを鳴らした。が、出ない。留守らしい。安室の部屋から「アン!」と犬の鳴き声がした。
待ってよう…名前は安室の部屋の前で座っていた。なかなか帰ってこない安室に夜はすっかり真っ暗になっていた。次第に眠くなって名前は眠ってしまった。


「…ん、」


暖かくて目を覚ますとそこはソファの上だった。はっとして名前は体を起こす。「わ、」と安室の声がした。ぱちくりを目を瞬きする名前は安室を見た。安室の部屋だ。


「あ、安室さん。」
「びっくりしました。僕の部屋の前で寝てるので。どうしたんですか?」


病み上がりなのに、と安室は言った。なんで私寝てたんだっけ…と理解するのに数秒かかった名前は思い出して「あ、」と声を出した。
また迷惑をかけてしまった…。
名前は小さくなって申し訳なさそうに言った。


「す、すみません。」
「大丈夫ですよ、風邪引いてませんか?寒くないですか?」


こくこくと名前は頷く。


「え?お礼がしたい?」
安室はぽかんとした。真っ赤になって熱の看病をしてくれた安室に名前はお礼がしたいと言った。名前は恐る恐るじっと安室を見る。自分では何も思いつかなくて結局聞いてしまった。安室は口元に手を置いてうーん、と考えている。そして何か思いついたのか、ぱっと微笑んだ。名前の隣に座って彼女の腰に手を添えた。密着する体。


「じゃあ、僕の質問に答えて下さい。」
「?」


質問に答えるだけでいいのだろうか?名前は頷いた。


「焼き魚は美味しかったですか?」
「は、はい。」
「また作りますので、食べに来てくれますか?」


こくり、と頷く。よかった、ありふれた質問だ。
と安心したのも束の間、ぐっと腰に回る安室の手が強くなって引き寄せられる。しかし名前は何とも思わない。


「名前さん、出身はどこですか?」
「…?」


出身…?生まれたところ…?名前は考えたこともなかった。そういえば気づいたらあの部屋にいた。物心ついた頃からずっとあの組織の部屋に。だけどそんなことは言えない。…わからない。私はどこで生まれた?


「わ、わからないです。」


その台詞を言うと安室はじっと名前を見つめた。暫く見つめて「…わかりました。じゃあ、最後の質問です。」どきどきと何を聞かれるのか緊張していた名前はまだあるのか…と思っていた。


「誕生日は?」
「…へ?」
「誕生日です。」


誕生日…誕生日?誕生日っていつだっけ。そういえば先週、ベルモットに高級レストランで「誕生日プレゼントよ。」とクマのぬいぐるみを貰ったお願いの代わりに。"目"を酷使し過ぎた。だからデートの日は熱を出した。


「せ、先週…。」


!と安室は少し目を見開いた。しかし名前に悟られないようにニコリとすぐに微笑んだ。腰に回していた手を離して、体を引いた。


「以上です!ありがとうございます!」


な、なんだったんだろう…と脱力する名前は呆気としていた。これでお礼が出来たのならこれでいいだろう。
「これから夕飯作るんですけど…焼き魚です。食べて行きます?」
パアと顔を明るくして名前は思いっきり頷いた。





「にゃあ。」


幼い頃、組織に軟禁されていた幼い名前は仕事でとあるホテルに泊まっていた。ホテルの敷地内にあるレストランで紛れ込んだ白い子猫がいた。名前はその子猫についていった。人気のない裏庭。子猫は寂しそうに名前の足にすりすりと頬擦りをした。名前は嬉しくなってその時持っていたパンをあげた。次の日もその次の日も。一緒にいたメンバーの目を盗んで。


「ふふ、可愛い…でも飼えない…。」


子猫は名前に懐いた。名前は小さなで手で子猫を撫でる。


「明日でお別れだなあ…。」


明日でこのホテルを去るのだ。ダメ元で一緒にいるメンバーにお願いしてみようかな。でも…やっぱりだめだ。わがままを言ってはいけない。
次の日、名前はいつも通り子猫にパンをあげようと裏庭に行った。しかしそこにいたのは同じくこのホテルに泊まっていたジンだった。手には拳銃、そしてその側には血を流した子猫の姿。とさり、と名前はパンを落とした。


「こいつ、お前の猫だな。」
「…。」
「お気に入りか?」


名前は答えなかった。怒られる、そう思っていた。ジンは名前に近づいた。


「お前にそんなもの必要ない。」


猫は、お前が…。



はっとして目を覚ます。真夜中だった。部屋に電気は付いていない。夢か…と名前は顔に手を当てる。気づけば手は震えていた。
ジンに幾度となく壊されたお気に入り、大切なもの。だからまた作れば壊される。
違う、あの子猫は…。ジンの言葉が脳裏に過ぎる。


「…私が壊した。」


だからもう作ってはいけない。自分の意思も心も無くさないとまた作ってしまう。
名前の頭には蘭や園子…そして安室の顔が思い浮かぶ。
……というか私なんで寝てるんだろう。安室さんとご飯を食べてお風呂も借りて…そのまま……あ。寝てしまったんだ。
すー、と寝息が聞こえてそちらを向くと安室が寝ていた。


「…ああ、そうだ…明日は仕事…。」


寝ないと。透き通る瞳が鈍く光る。
名前はベットから出て寝室を出た。そのまま安室に何も言わず彼の部屋を去った。
ガシャン、と玄関のドアの閉まる音がしたと同時に安室は目を開けた。体を起こして彼女が寝ていた場所を見る。


「…仕事か。」





次の日の夜、名前は繁華街にいた。黒いパーカーを着て帽子を深く被る。着いた先は宝石店の裏口の離れたところに隠れる。20秒後の未来を見る。それはトラックが到着するイメージ。ベルモットに電話して、トラックが来ることを連絡する。
今日の仕事は宝石店の金の略奪。名前の役目は未来を見てメンバーの補佐。


『分かったわ。後で私と合流して。トラックが人気のない場所に行くまで未来が見てて。』
「う、うん。」


…いつまで見ればいいのだろうか。未来は無理やり持続的に見るには限界がある。先週、ベルモットのお願いを聞いた時にも酷使して熱を出した。
……嫌な予感がする。



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