うれゐや

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【献上品・企画参加】 | ナノ

『沫−前篇−』




風が強い夜だった。
重たい雲を吹き払い、空に星を見せてくれる代わりに海を大きくうねらせている。
けれども、大型のクルーズ船はその影響をさほど受けずに静かに航路を進んでいた。

『全員配置につきました』

インカム越しに部下の声が土方十四郎の耳に届く。

「近藤さん」

そばに立つ近藤が頷いて、腰のものを引き抜いた。
すっと刀を前に突き出せば、武装警察真選組であると一目でわかる揃いの隊服が一斉に己の持ち場へと駆け始めた。
土方もまた走り始める。

今晩の捕り物は違法薬物の取引現場を押さえることが目的だった。
一般客も乗り込んでいる客船であるから、あまり派手に火器は使用できない。
近藤と一番隊は取引を行っている攘夷浪士と天人が予約を取っている客室へ。
土方と山崎、三番隊の斉藤は証拠物品を乗せている貨物室へ。
少人数ではあるが、精鋭を選び、事前の情報収集にも念には念を入れさせての現場だ。
万に一つも失敗はない。その筈であった。

「副長」

先行していた山崎が足を止め、眉を寄せて土方を振り返る。
足を止めた理由はすぐにわかった。
目的としていた貨物室から、木箱を抱えたウエイター姿の男と客らしい男が何やら言い争いながら出てきたのだ。

「それはお前の探してるものではない!さっさと渡せ!」
「お客さぁん、そうは言われてもさぁ。
 第3倉庫の大江戸ワイナリーの木箱を持って来いって俺も言われているわけ?
 わかる?これ、持っていかねぇと俺がどやされるの。
 つうか、一般客がこんなとこウロウロされても困るんだよねー」
「馬鹿者!お前が今持って出たのは第3貨物室だ!」

どうやら、ウエイターが指示された倉庫と客用の貨物室を誤ったらしい。
が、誤りを認めようとも、確認しようともしないウエイターは一向に木箱を渡そうとしない。
ウエイターの顔は見覚えがあった。
見覚えどころではない。
土方も深いため息をついた。
ワックスで気持ち押さえているのではあろうが、重量に逆らった銀色の天然パーマ、死んだ魚のような目。
江戸はかぶき町で何でも屋の看板を掲げる『万事屋銀ちゃん』の主人、坂田銀時。
時に競い、ぶつかり、時に助け、助けられる腐れ縁。

「副長…」
 
『万事屋さんですね』と書いた斉藤のスケッチブックと山崎の弱り切った顔が目に入る。

「まさかとは思うが…」
「そのまさか、です」
「マジでか…」

坂田たちが取り合いをしている件の木箱、それが今回土方たちが回収に来た証拠品らしい。
客として乗り込んでいる攘夷浪士は帯刀してこそしていないが、どこかに小刀の一本か、拳銃の一丁を隠し持っていてもおかしくはない。

「どうします?」
「持ってろ」

土方は隊服の上着とスカーフを山崎に持たせる。刀が無ければ、完璧だが、それでも重たい上着がなくなれば、洋装とはいえ、一瞥ぐらいでは真選組とはわかりづらくなる。
その間にも坂田と攘夷浪士は足早に進んでいった。

「万事屋の持っている分は俺がどうにかする。お前と終は貨物室の残りを押さえろ」
「…無茶せんで下さいよ」

二手に分かれ、土方は坂田たちの後を追って、階段を駆け上がった。





「おい!」

競うように歩く坂田と攘夷浪士に追いつく頃には二人は繋がる階段を登り切り、甲板へと出るところまで来ていた。

「おい!そこのウエイター」

土方の声は言い争いながら歩く二人に向かって、もう一度声を張り上げる。

「おい!そこの銀髪!クソ天パ!」
「あ゛ぁ?!」

ようやく振り返った、と土方は小さく息を吐き、追いつく。
坂田の眉間にいつも街中で土方と顔を突き合わす時と同じだけの皺が寄り、それから、土方がこの場にいる違和感を察したのか、すぐに、何を考えているのか察しにくいやる気のない表情に戻った。

「遅いぞ!バイト!」
「ほら、やっぱり俺が怒られたじゃねぇか!
 これでバイト料削られたらアンタのせいだからね?請求書送るぞコノヤロー!」

聡い男は土方の格好を見て、厄介事らしいと判断したようだった。
小さく咳ばらいをして、物言いが慇懃無礼に聞こえないように気をつけながら土方は二人に更に近づく。

「お客様、申し訳ございません。この従業員が何かご無礼をいたしましたでしょうか?」
「拙者が貨物室に預け置いた木箱をこの従業員が持ち出したのだ!即刻返せ!」
「左様でございましたか。
 ですが、確かにこのワインの木箱は当船が予めご用意しておりますものと同じもの。
 どうぞ、貨物室に戻りまして当船のものかお客様からお預かりしましたものか
 確認させて下さい。こんなところではなんですので、どうぞ、こちらへ…」
「いや…その…」

土方は船内に案内する風を装って、客室入り口の戸を開けて促す。
 
「バイト、その木箱は貨物室にいる地味なのかアフロな警備担当に…」
「土方!」

坂田の声に土方は咄嗟に逃亡を阻止しようと腕を伸ばした。
刀か、銃か。
武器の所持自体は予想していた。
腕をひねり上げようと掴んだ手の感触に土方は目を見開く。
ざらりと、でも、ぬめりもある手触り。
吐く息の生臭さ。

「てめっ」

しっかりと握った筈の手がぬめりのせいで、すり抜けていく。
浪士は腕に現れたヒレによく似た部位で土方を殴り、間髪入れず、坂田の持つ木箱へと向きを変えた。

「渡せ!」
「誰が!」

坂田に真選組を助ける義理はない。
しかし、ここで大人しく渡すことにも躊躇いがあったのか、坂田は木箱を持ったまま蹴りを繰り出した。
渾身の力とは言えずとも、振りかぶった足は十分な力を持っていた。
一度は後ろへ後退した浪士ではあったが、すぐに勢いをつけて坂田に突進する。

「土方!パース!」
「ば、馬鹿野郎!」

木箱が宙を舞った。
割れ物注意の文字を無視した行動に悪態を付きながら、土方はキャッチするためにデッキを走る。

「うおっ!!」

木箱に気を取られて、数秒、坂田たちを見ていなかった。
坂田の声と土方の腕に木箱が乗ったのはほぼ同時だった。

「万事屋!」

風が強い夜だった。
空は月と星で明るかったが、海は機嫌が悪かった。
波が大きく船体に打ち付け、揺れた。
木箱の中身が腕の中でがしゃんと鳴る音。
それから、大きなものが水に落ちる音。

土方は慌てて、海面を覗き込む。
突進された勢いと揺れで船の縁から二人そろって落ちたのだ。

「万事屋ぁぁ!」

真っ黒い波間にウエイターの白いシャツと大きな魚のような影が見えて、縺れながら、もがいている。

「まさか…」

カナヅチという言葉が土方の中に浮かび上がる。
万事屋などという生業からも察せるようになんでも器用にこなせるイメージが先行しているが、実は泳げないとは夢にも想像していなかった。
土方は泳ぐことは出来る。
出来るが、夜の海、しかも進行する船の近くでは波の動きが読みにくい。
救助に向かった者が逆に帰らぬ人となったり、共に沈んだりすることはよくあることだ。

しかしながら、迷っている時間はなかった。
足元に転がった木箱をこじ開け、中に入っていたドリンク剤ほどの大きさの瓶を取り出す。
シンプルに魚のシルエットだけが印刷された証拠品。

「ままよ!」

瓶の中身を呷る。
寒いわけではないのに、体温が一気に下がったことが自分でもわかった。

証拠物品だ。
なんの薬なのか、土方にはわかっている。
『人魚薬』
名前そのままの効用を持つ薬。
元々は国土の80パーセントを水で覆われた星の天人が自国外に出る時に二本足と肺呼吸を手に入れるために使用していた薬だ。
地球人が服用すれば、逆に魚の尾と水中での呼吸を得られるようになるため、幕府は海難救助の為の試薬として輸入を許可したが、後日、副作用が見つかり禁止になった代物なのである。
しかし、人の欲は計り知れない。
副作用に目をつぶってでも、使用を続けようとする人間は絶えなかった。
主に、地球で海賊行為を働く人間や、美しい女をさらって観賞用の『人魚』に仕立て売買する輩だ。
今回はそういった相手を顧客に人魚薬の密輸で資金源にしている攘夷浪士の摘発だった。

土方は調査書で読んでいたよりも急速な身体の変化に慌てて、靴を脱いだ。
つま先がすでに玉虫色に変わり始めている。
先ほどの攘夷浪士のように和装であれば、下帯を緩めるだけでもどうにかなるのだろうが、隊服ではそうはいかない。
思い切って、シャツ以外の服すべてを脱ぎ去り、木箱を覆うようにデッキの隅に置く。
同時に山崎宛に携帯を発信した。

そして、おもむろに暗い海中へと飛び込んだのだ。





夜の海は予想以上に暗く、あっという間に眼前が黒緑色一色となった。
けれども、水に入ってから本格的に薬の影響を受け始めた土方にとって苦になる暗さではない。
土方の両の足には鱗が生え、揃えて水を蹴るとまさに人魚の尾のように変わっていた。
二の腕にも、うっすらとした鱗とヒレがたなびく。
土方は、坂田が沈んだと見当をつけた辺りを隈なく見渡した。

(いた!)

船上から届く光が辛うじて届く位置で銀色が反射した。
ぐんっと身体を前に動かせば、それだけで土方はイルカのように加速する。
水の流れにそって、なぜだか伸びてしまった黒髪が後方へと流れた。

坂田銀時という男は胡散臭い男だ。
土方とはそりの合わない、犬猿の仲だ。
ただの腐れ縁だ。
土方の中でどれも正しい。
正しいが、全てではない。

こんなところで沈んで逝ってはいけない男だ。
わざと偽悪的に自分を見せるところがあるが、深い傷を抱えているくせに、どこまでもお人好しで、まっすぐな武士道を持った男だ。

それから、

(万事屋っ!)

届かぬ声で呼んだ。
微かに坂田の瞼が持ち上がったように見えた。
追いついて、その腕をつかむ。

それから、
土方が惚れた男だった。
屋号でしか呼べない。
想いを告げることも生涯ない。
嫌われている自分がこんな風に助けたとして、好感度が上がるわけでもない。
それでも、惚れた人間には幸せであって欲しい。

ごぼっと坂田の口から大きな空気の塊が零れた。

早く海上へ。
腕のうちに坂田を抱え込み、少しでも水の抵抗が減ることを祈りながら、真上へ一気に駆け上がった。





海面へと上がると、すでに船の姿は遥か遠くとなってしまっていた。
坂田に意識はないものの、水面に顔が出ると同時に数度咳き込んだ後は静かに呼吸を繰り返している。
土方は頭の中で、地図を広げ、日が昇りさえすれば人が確実に通りそうな浜まで少し距離があるが坂田を運ぶことにした。

問題は波打ち際から先である。
同じような体格の成人男性をヒレの着いた足で引き上げることは難しい。
かといって、坂田を起こすという選択肢は不格好な人魚の姿を見られたくない土方にはない。
両手を使い、鱗が剥がれ、焼けるような痛みに歯を食いしばり、浜を使い這うようにして可能な限り波にさらわれない位置にまで引きずり上げる。
夜明けまではまだ時間があったが、もう夏も間近な季節であるから、凍え死ぬということはないだろう。

「万事屋…」

土方は額にひっついている銀の前髪を払った。
くすぐったかったのか、煩わしかったのか、眉が少し寄せられる。
目が覚める前に立ち去らねばならない。

「そろそろ、こっちもやべぇ…か」

陸で過ごせる時間も限界にきていた。
全身の痛みと呼吸困難。
緩やかな傾斜を今度は一人で這い、海へと戻る。

『人魚薬』は人を魚に近い体に一時の間、変えてくれる。
但し、元に戻るスピードには個人差があり、30分ほどしか効かない者もいれば、3日効く者もいる。
そのことを知らず、もしくは過信して、半魚の状態で沖に出たものの、途中人の形状に戻り、溺れてしまった例は一例や二例ではない。
逆に、元に戻りきれぬままでも、地上で呼吸できるようになったからと油断して、無理やり陸で生活しようとして干からびかけた例もある。
(取り逃がした浪士は二本足ではあったが、服用の形跡が見て取れた。まだ、回復途中での取引ならば、一刻も早く木箱奪還し、水に戻りたかったであろう)
直接ではないが、命にかかわる問題が少なからずあるために、この星では禁止になった薬。
ただ、幸いなことに戻らなかった症例は今まで一つも報告されていない。
その部分だけを信用して土方は服用したのだ。

ばしゃんと身が海水に浸った。
途端に呼吸が楽になっていく。
一度だけ、土方は振り返り、坂田が起き上がりかけていることを確認してから、大きな水音を立てて、海中へと潜ったのだった。





『沫−前篇−』 了







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