『悪戯の先に 前篇 』幕府特別武装警察真選組。 江戸の治安を守る為に設立された特殊警察である。 主な仕事は攘夷浪士の捕縛や将軍の護衛。 そして、創設者であり、彼らの上司・警察庁長官松平片栗虎は公と私を分けるタイプではなかった。 「トシ…」 真選組の局長室に向かい合って部屋の主は居心地悪そうに副局長の名を呼ぶ。 先ほど、城から戻ってきて紙を見せてから土方十四郎はずっと無言だった。 ただ、手元を睨み付けたまま。 「仕方ねぇだろ?とっつぁんが言い出したことなんだよ」 「そりゃ、わかってる。しかしな…どうすんだよ…近藤さんコレ」 パサリと畳の上に置かれたのは将軍警護の任についての連絡事項だった。 ホテルを貸し切って行われる『はろうぃんぱーてぃ』の将軍を警備する通達。 通常の業務範囲内ではある。 別段、松平の愛娘のデートを邪魔しろだとか、彼氏の素行調査をしろだとか、そんな個人的なものではない。 「どうすんだよ…」 それでも問題は山積みで。 今回は内々だとはいえ、将軍家の面々や関連の幕僚が参加すること。 彼らも、将軍にならって恐らく仮装するであろうから、テロリストからの警護の現場としてはこの上なく困難なものになるであろう。 開催日まで日数がない事だから、今晩あたりから徹夜で警備計画を練らねばならないこと。 そして一番の問題は 『『はろうぃんぱーてぃ』において警備の者もみな仮装すべし』 この一文だったのだ。 断ることなど、出来ないことは重々承知だ。 ただただ、もう一度重苦しいため息を吐き出すしかなかった。 パーティ当日のことだ。 本来、いるはずのない男を目の前にして、盛大に土方は唸った。 「あ?」 「だから、これフクチョーさんの衣装」 通常の巡察に数隊を配置しているから全員ではないとはいえ、真選組隊士は少ないとはけしていえない人数だ。 タイトなスケジュールの中で、全員分の仮装衣装を用意することは難しい。 それでもと、潜入捜査や尾行といった隠密活動に通じている山崎に命じて何とか当日格好がつく程度のモノを調達する努力はしていた。 ところが、今、本部と定めた一室に現れ紙袋を押し付けてきたのは、地味な監察ではなく、銀髪天然パーマの男。 「ほれ」 相変わらずやる気のない顔つきでまた紙袋を渡そうとする。 「ほれ…じゃねぇ!何でテメーがここに!」 「あ?おたくの地味なのに依頼されてよ。仮装用の衣装の調達頼まれたんだよ」 「あんの野郎!何か当てがあるみたいなこと言ってやがったと思ったら…」 よりによって、真選組とは因縁というべきか腐れ縁というべきなのか今一つ表現に困る人間を頼ったらしい。 「そういうなよ。この時期大変なんだぜ?レンタルは何処も予約でいっぱいだしよ。 俺だって、あちこちツテ頼りまくったっての」 「…テメーがまともなもん、持ってくるとも思えねぇ…」 紙袋を漸く手に取り、中を覗くと、黒くてふわふわしたぬいぐるみのようなものが見えた。 「ひでぇな!万事屋銀ちゃんは、ちゃんと金払ってくれるオキャクサマにはちゃんとニーズと誠意あるフォローでご依頼にこたえしますぅ」 嫌な予感しかしない。 ずるずると紙袋から引き釣り出したその衣装にやはり眩暈がした。 「万事屋…」 どう見ても黒い猫の着ぐるみだった。 「な?オメーにお似合いだろ?」 「んなもん着れるかぁあぁ?!」 鼻をほじいりながら言われても、腹の底から湧きあがるのは感謝の念で有るはずもなく…ばしぃっと床に叩きつけた。 「まぁまぁ、そう言わずに…」 珍しいほど穏やかな対応に逆に悪寒が走ってしまう。 本来、土方と万事屋坂田銀時は仲が良いとは決して言えない。 土方の方は、実は坂田の事を憎からず思っているのだけれども、従来の意地っ張りであまのじゃくな性格が色々と邪魔をしてすぐ低レベルの言い争い、意地の張り合いを引き起こし、穏やかな時間を過ごしたことがないのだ。 これも嫌がらせの一環に違いないと思えば、ぎしりと胸骨が軋んだ。 「もう他の奴らにも配り終わってるからその着ぐるみか、ゴスロリの魔女っ娘の衣装しか残ってないよ?」 今日ハロウィンの仮装必須アイテムなんだって?とあまり性質の良くない笑みがそこにあった。 腹が立つことこの上ないがやむを得ずと再び衣装を手にする。 「…せめて…吸血鬼とかみたいなシンプルなのはねぇのかよ?」 着替えてみて、諦めきれずに尋ねる。 「…可愛いから…いいじゃん…」 押さえきれないらしい笑いを、噛みしめられてこめかみに欠陥が浮きそうだ。 いや、既に浮いているに違いない。 鏡に映った自分の姿に気が抜けてしまう。 着ぐるみ。 まさに目の前にクロネコの着ぐるみが映っている。 ご丁寧に首元には鈴のついた赤いリボン。 手の平にはピンク色の肉球。 「…こんなんで指揮とれねぇ…」 第一、こんなぬいぐるみの頭部で顔を覆ってしまえば指示の声が届かない。 着ぐるみの頭部分を睨み付けていると節ばった指が伸びてきて頭に何がのせられた。 「んなこともあろうかと代替案〜」 鏡に映っていたのは黒い三角のネコ耳。 「やっぱ、似合ってるし、その恰好なら刀も衣装の中に仕込めるんじゃね?」 「…こんな肉球な手で刀握れるか!」 「グローブだからすぐ外れるって。コレ」 大丈夫大丈夫と頭を撫でていた手が背に回り引き寄せられる。 「な…な…?」 「もふもふしてて気持ちいいんだよ。この着ぐるみ…」 動物になつくようにふんわりと抱き締められ、肩口に額を押し付けられるようにされた。 動揺が土方の声を震わせる。 「よ、万事屋?」 ぱっと、頭を起こして、へらりと笑われる。 「ま、気ぃ抜くんじゃねぇぞ?その瞳孔かっ開いた眼で睨み付けて変なムシ近づけんな」 「なんだそりゃ!」 「いやいや、ネコ耳に萌え属性ない俺でもアレがアレしちゃうくらいだからね。何が起こるかわからねぇよ?」 「んなワケわからん注意事項並べんなら他のもん持ってこい」 (何がアレでどれがアレなのかさえ、こっちはわかんねぇよ!)と内心反撃したいが、その時は動揺が心臓を圧迫させるばかりで言葉にならなかった。 「あ〜、もしかして動きにくいこと気にしてる?俺なら何着ても卒なくこせるけど土方君は意外に不器用だしねぇ」 「だ〜れ〜が!不器用だ!ごらぁ!」 ホテルの内線が鳴る。 隊士ならインカムを使うであろうから、松平かホテル側からの苦情だと推測できる。 「んじゃ、毎度ありっ。ほらほら!可愛いクロネコ副長さん!お仕事お仕事!」 言いたいことだけ言って、坂田は控室を出て行ってしまった。 「なんなんだ。アイツはいったい…」 額が押し付けられた肩辺りをつい掌で擦ってしまった自分の行動に気が付く。 「本部!あぁ、その件なら…」 予想通り、ホテル側からのクレームだった。 納品業者のチェックが思いの外、時間がかかっているらしい。 そちらに応援を向かわせることを伝え、建物の図面と配置図を机に拡げたのだ。 こうして、長い一日は幕開けたのだ。 『悪戯の先に 前篇』了 (6/212) 栞を挟む |