壱Side H この秋。 江戸の町で新型のウィルスが猛威を振るった。 新型といっても、命に別状があるようなウィルスではない。 症状はこれまで江戸でも流行したことのあるインフルエンザのような症状に過ぎない。 天人が持ち込んだウィルスが、江戸の風土の合わせて変質、変異したのだろうと言われている。 元々のウィルスのDNAも分っており、専用の抗生剤も既に開発されているのだ。 新型新型とは言っていたが、全くの未知のものではなく、高価ではあるが予防接種も既に存在している。 ただ問題となったのは、その症状があまりに在来の風邪と似通った症状であることだった。 高熱と咳が続く。 風邪と似通ってはいるが市販薬では全く通用しない。 風邪のように体力や免疫力の回復と共に回復もしない。 専用の抗生剤を服用しない限り治癒に向かうことがなく、高熱は続く。 長引けば熱で体力を奪われ、別の感染症との合併症を引き起こす可能性もある。 その点が厄介な病だった 素人判断で市販薬を飲み、こじらせないよう幕府は通達を出し、早めの検査を喚起していたが、そのために各医療機関は連日大混雑をしており、待合室にいるうちに更に症状を悪化させることも珍しくない状態が続いていた。 そういった病が江戸の町に広がっていた時期の話である。 武装警察真選組も現在進行形でその流行病のあおりを受けていた。 次々に高熱を出して寝込む隊士たち。 かかりつけ医の松本も連日屯所に詰めている状況だった。 気合が足りない、精神がたるんでいる証拠だと土方は何度も怒鳴りつけたくて堪らなかったのだが、真選組内で一番最初にウィルスに倒れたのは局長近藤勲であったためにそれは叶わないままだ。 抗生剤さえ服用すればウィルスは解熱後、五日ほどで完全に死滅する。 近藤の熱が下がり始めたのが三日前からであるから、あと丸二日は使い物にならない。 追うように熱を出している隊士たちをそれぞれの割り当てられた部屋ではなく、大広間に布団を敷いて隔離しているが、じわじわと広まりつつある罹患者はそれでは足りなくなりつつあった。 これだけ蔓延した後では今更予防接種を受けようと、抗体が出来上がるまでに流行は去ってしまっていると予測され手の打ちようがない。 流行が落ち着くそれまでの間、足りない人員をどう配置すべきか。 真選組の頭脳ともよばれる土方十四郎はそのことで頭を悩ませながら自ら一人で巡察に出ていた。 今は出来るだけパトカーでの巡察や一組当たりの担当地区を増やし、犯罪の多発地域にはそれなりの精鋭が回る様に割り当て、なんとか数を誤魔化している。 普段であれば2人一組の警邏体勢を組むのであるが、今はそんなことを言っている余裕がない。 今日一人で見廻っているのは、少しでも現場で有効に隊士を分配する為の苦肉の策でもあった。 煙草の煙が空に昇って行く様子を眺めながら思案しつつ歩く。 やがて、まだはるか先ではあるが巨大な犬を散歩しているのか引き釣られているのかわからないような状態の白い毛玉と駄菓子を銜えたチャイナ服の少女が見えてきた。 賑やかすぎるほど賑やかではあるが、平和な光景だと新しい煙草を口に咥え、違和感に手を止めた。 口にくわえるだけで香る筈の煙草の香りがしないのだ。 それに、今日はやけに寒い。 「?」 鼻が詰まっている、という風はない。 朝から身体が怠いことは怠いのだが、人手不足からくる過労だと判断していた。 火をつけても煙草の味がやはり薄くなった気がして吸った気分にならない。 一度口から離して、こくりと唾液を飲んでみた。 (気のせい…か?) 少し痰が絡んでいるような気もしないこともないと一度咳払いをして、再び煙草を口元に戻した。 唯の風邪なら良い。 万が一、医者に新型に罹患していると診断されてしまえば、感染を広げないために隔離されて身動きが取れなくなる。 近藤不在の今、少なくともあと二日、長くて三日、土方が前線から離れるわけにはいかない。 かといって、誰にも知られず新型かどうか調べることもに対抗できる抗生剤を手に入れることは不可能に近い。 「あ!銀ちゃん!汚職警官アル!」 あれだけ距離があったと思っていた万事屋一行が気が付けば近くまでやってきていた。 「俺たちから巻き上げた税金を還元させてやろうぜ。神楽」 死んだ魚の様にやる気のない天然パーマが出会いがしらにどこのチンピラの言いがかりかと思える発言で絡んできた。 「テメーはまともに税金なんか支払ってねぇだろうが!むしろ俺の方が払ってるからな? 俺の払った税金だ!訂正しろ!このニート天パ!」 「あぁ?何言ってくれちゃってんの?銀さん、社長さんよ? 勿論漏れなく支払ってますぅ」 いつもは片袖抜いている着流しを今日はきちんと着ている様子にやはり土方の気のせいではなく今日は寒いのかと反論しながら奇妙なところで納得した。 「どうだかな!テメーはこのガキどもにもまともな給料支払ってねぇだろうが! …と、そういえば、今日は眼鏡は一緒じゃねぇんだな?」 「新八はサボりネ! 今頃お粥たらふく食べて、ひえぴた、ぴたんこしてもらって天国アル!」 「ひえぴた?新型にやられたクチか?」 「そうみてーだなぁ…お妙はピンピンしてんだけどよ。スマイルもキャバ嬢やら客やらみんな感染しちまってるらしいから持ち帰ったんだろうな」 少女から保護者に視線を戻して確認すれば、面倒臭そうに鼻をほじりながら答えられた。 「近藤さんも…そこでもらってきたのか…」 「あ?ゴリラも一丁前に人間様のウィルスに感染してんの?」 「近藤さんはゴリラじゃねぇ。ゴリラにものすごく近いけれど、ギリギリ人間だ」 「雌ゴリラはピンピンしてるってのに不思議だよな」 「なんかちげーだろ、それも…」 徐々に今している意味のない会話に疲れてきて、重くため息をついていた。 別段深い意味はなかったのだが、銀時が首を傾げて懐に入れていた右腕を引っ張り出して手を伸ばしてくる。 条件反射で後ずさって、その手から逃れた。 「そんなにおもむろに拒否られると銀さん傷つくんですけど?」 「びっくりしただけだろうが!ビビったわけじゃねぇから」 「やっぱオメー変だわ」 変、と言われる覚えがない。 多少疲れてはいるが、別段機嫌が悪いつもりもない。 「あぁぁぁ?今の流れでどうやったらそんな話になんだよ?変じゃねぇよ!驚いただけだ!危険回避能力といえ!大体変なのは年中跳ねっぱなしのテメーの頭とその頭ん中だろうが!」 「ちょ!別に変じゃねぇだろ?おしゃれパーマじゃねぇか天然の!」 「失敗パーマの間違いだろ!」 いつものように怒鳴り返したが、少し声がかすれたのが自分でもわかった。 「銀さんは傷つきました!慰謝料を請求します!」 「何が慰謝料だ!俺は忙しいんだ!もう行くぞ!」 足を踏み出そうとしたが、今度は振り払うことに失敗して腕を掴まれてしまった。 厚い生地で出来ている隊服の上から握られたというのに銀時の手がとても暖かく感じ眉間に皺を寄せる。 「忙しいっていつごろまで?」 「おい!」 今までの口調を違い、耳元で内緒話をするように囁かれ慌てた周りを見回した。 いつのまにかチャイナ娘は白い犬と共に先にある駄菓子屋に進んでしまったらしく近くにはいない。 また、別段銀時と土方を気にかける様子の人間も周囲には見当たらなかった。 「いい加減、休みとれよ?もう一月も銀さん放置プレイされてるんですけど?」 「しばらく、無理だ…人手不足で休めねぇ」 それだけで色々察したのか、腕を振ればすんなりと銀時の手のひらは離れていった。 暖かかった体温が消えてしまったことに寂しさを感じ、自分から振りほどいておいて何を言っているのやらと土方は心の中だけでため息をつく。 「人手不足?」 「あぁ、情けねぇことにな」 かぶき町で万事屋を営む坂田銀時と土方は肌を重ね合う仲にある。 同性同士であるから人目を忍ぶ間柄ではあるし、親しい者たちへも公言もしていない。 顔を突き合わせれば言い争いばかりしている二人がまさか二人だけで夜を過ごすなど勘の良いごくごく一部の人間しか察してもいない。 それでも、性欲を吐きだすための所謂セックスフレンドと呼ばれる関係と名付けるには既に結んだ情は深くなりすぎていたし、恋仲と呼ぶにはそれなりにいい年をした体つきのけして細いとは言えない男二人が、気恥ずかしい限りではあるけれど、つまりは、そういった仲なのだろうと互いに声に出したことはないが了承している。 少なくとも土方はそんな風に思っている。 そうでなければ、土方十四郎ともあろう男が認めてもいない、情もない男相手に女役を買うわけはない。 ただ、認めている男であるが為に、対等でありたい。 銀時に護りたいものがある。 土方にも守らなければならないものがある。 その互いの矜持を侵すことなく、対等でいたいと思う。 だからだろうか。 土方は銀時に気遣われるという行為を恐れていた。 今も、目の前の男は「放置プレイ」だお預けだなどという言葉を使いながらも休暇を取れない土方の現状を正確に読み取って気にしてくれている。 一見、何事にも頓着のないようで細かく人を観察している風にある。 そのことが心の奥を苦さだけでない落ち着かなさで満たし、 そして悔しさを前面に出す。 「そろそろ行くぞ」 「あ、あぁ」 何か言いたそうにしていることには気が付いていたが、気が付かないふりをしてその場を離れた。 再び悪寒を襲ってくる。 部屋に屯所の常備薬を頭に思い浮かべながら、足早に巡察のコースに戻ったのだった。 『心奥 壱』 了 (134/212) 栞を挟む |