四方梅手帳を持って、公園に行く。 紅梅の木の下で転寝しながら、梅の花を眺める。 それが銀時の日課になった。 徐々に暖かくなり、花をつけた木も合せて増えてくる。 そのあいだにも、土方の顔は街中で見かけてはいたが、何やら大規模な春の祭典だかがあるようで、忙しそうに走り回っているようだった。 わざわざ呼び止めてまで、手帳の事は聞きはしない。 はらりはらりと白と紅と、花びらが風に舞う。 桜のような鬱蒼と迫るような迫力ではない。 静かに、一枚一枚を惜しむかのように、ゆるやかなペースで花を落としていく。 その代わり、香りがやはり強いのだなと銀時は改めて感じていた。 この場所で土方を見かけたのは一度だけ。 見知らぬ土方を意識した。 まさか、それが己の内側を揺さぶり起こすものになろうとは最初気が付かなかった。 梅を眺め、あの男は何を思うのか。 意識するようになって、『そういった目』で遠目から眺めているものの、 土方に女の影は見当たらない。 いつも通り、怒鳴り散らし、現場に飛び込み、走っている。 「梅…」 あの時、電話が鳴らなければ、なんと続けるつもりだったのか。 考えまいと、 望みがないなら、考えまいと、 そう思うのに、どうしても春のぬるま湯のような空気に浸って、流してしまおうとして失敗し、そこに立ち戻ってしまう。 「春だねぇ…」 春とは冬の間に潜伏していたあらゆる力が沸き出でるもの。 それでいて、春とは眠りを誘うもの。 一段と気温が上がり、睡魔が銀時を襲う。 心地の良い風。 強烈すぎない梅の香。 銀時は素直に目を閉じる。 今日あたりが盛りだろうかと感じながらその場所に向かった。 かさり 己の立ち止まったブーツの音が耳に大きく響いた。 今日はこのところの銀時の定位置に先客がいた。 まだ、遠目にしか見えないが、黒っぽい服を着た男だった。 銀時がここにいた時間に限りはするが、 この数日、これだけ四方を綺麗に梅で囲まれたベンチの付近で人影をみたことがない。 気配を殺して歩み寄る。 男は眠っていた。 黒に白抜きの着流しを着て、足を投げ出し無防備に。 少し上向き加減なのは、また梅を眺めていた名残かもしれない。 僅かに開いた口元が普段は銀時の見ることの出来ない幼い顔だ。 (土方…) 声を掛けずに、ただ、見守る。 梅が咲き始めたあの日のように。 現役の二本差しがこんなところで、 対テロ組織のナンバー2が口を開けて昼寝など、不用心にもほどがあると今日も思う。 そして、それは言い訳だと己を笑った。 銀時とて、戦争中は眠ることができるならば何処ででも眠っていた。 そうでなければ、身体も精神も持たないことを経験上知っていたからだ。 敵意があるか、殺気があるか。 意識は半分夢の中に足を突っ込みつつも、耳だけは起動させておく。 そうすれば、見張りがいなくともまず、遅れを取ることはなかった。 嫌な習慣だとも思う。 今も銀時は土方の存在に驚きはするものの、殺気も敵意も出していないから起きようとしないだけだ。 やはり言い訳だ。 これを他の誰にも見せたくないという独占欲のようなものを感じて、 己のものでさえない相手に対して感じた自分を笑ったのだ。 「土方…」 発した声は情けないほどの掠れて小さい。 けれど、目を開けない。 細かく瞼が動いたようにはあるから、脳に全く届いていないわけではないらしい。 (土方…!) 次の瞬間、土方の身体がびくりと跳ね、抜刀した。 声にではない。 明らかな殺気をあてたからだ。 覚醒した青灰色の瞳が銀時を射抜く。 テロリストと間違われて初めて出会ったあの日と同じ。 同じようで、同じでない。 「万事屋?」 射抜きながら、すでに見知った相手だからか、動揺がありありと窺え、銀時が避けるまでもなく、刃は制御された。 「起きた?」 「テメ…物騒な起こし方してんじゃねぇぞ」 両手を上げてへらりと笑えば、刀が鞘に戻された。 「なんのことやら。イチシミンの銀さんは何もしてないってば。呼んだだけだってば」 「ふん!一般市民はそんな物騒な殺気なんざ、まき散らさねぇし。 大体何の用…」 黙って銀時は懐から手帳を出して、表紙を見せる。 直ぐに、苛立ちから困惑へと表情が変化した。 「なんで…テメーが人の手帳持ってやがんだ?」 「コレ、土方くんなの?ここで拾ったんだけれども?」 「…俺のだ返せ」 「本当に?」 我ながら、意地が悪いと思う。 土方のモノである可能性を知りつつ、尋ねるのは。 いや、意地が悪いのではなく、意気地がないのだろうか。 中味を確認することもできず、ただここで惰眠を貪り日延ばししていたのだ。 「裏表紙に『豊玉』と書いてあるだろ?」 「それ、持ち主の名前じゃねぇの?」 それには土方は答えない。 悔しそうに眉間に皺をよせ銀時を見ている。 「とにかく!俺のだ。中身みたか?」 「見た」 「中…『梅は梅』しか書いて無かったろうだろうが…」 「へ?」 慌てて、ページをめくって確認する。 ぱらぱらと乾燥した空気が紙をめくる作業を邪魔していたが、ほぼ白紙だった。 罫線だけが引かれた何も書かれていないページがただただ続き、 ぽつりと最後の方に設けられた無地のページに達筆で 『梅は梅』とだけ見つけることが出来る。 「その事、知ってんだから、俺のだ。返せ」 「いやいやいや…」 「なんだよ?」 では『豊玉』とはなんなのか。 惚れた女の名前を表に書くような真似は男の性格上するはずがない。 手帳に伸ばされた手を思わず捕らえた。 「なんだよ?」 再度、土方は問う。 「梅は梅って…何?」 一気に土方の日焼けしていない顔が朱に染まった。 「あれ…は…書きかけで…」 「へぇ?モテモテのフクチョーさんも恋文の下書きとかするんだ?」 止めておけばいいのに、一度開けば口は止まらない。 逢いたくて、逢いたくない理由。 「あ?なんだそりゃ?」 ところが、土方は何を言われたか見当がつかないと言った風に色気も何もない顔に戻る。 「いや…だから、沖田君が言ってた…」 一拍置いて、土方は大笑いを始めた。 掴まれた腕をそのままに身体を捩って笑う。 「あ!あぁ、何だテメー本気にしてたのか?あんな戯言?」 「へ?沖田君のフカシなの?あれ?じゃあ、コレ何?」 「いや、思いついた言葉を書いただけで…」 「思い付きだぁ?この『豊玉』ってなんだよ!?」 嘘をついているようには見えない。 女の名前でないなら、他におもいあたらない。 手帳は市販の品で、どこかの店が年末、年度末に配ったものではなさそうだ。 では何だ? 「う!それ…は…」 「なんだよ?」 「なんでテメーそんな必死なんだよ?」 余程自分も余裕のない顔をしていたのか、朱い顔で逆に問いただされる。 「質問を質問で返すな!敵前逃亡とみなすぞコノヤロウ―」 「てて敵前逃亡だぁ?んな…」 「ほらみろ!好きな女の名前とか、暗号だとか!そんなんじゃねぇのかよ!」 「だから!何でそんな小さなこと…」 「小さくねぇ!違うなら言えんだろうが!」 手帳の文字を指さしながら、突きつければ言葉が滞った。 漸く観念したのか、唇をぎゅっと噛みしめるから傷にならないかと余計な心配をしてしまう。 「…笑うな…よ?」 「わかった…」 嗤わないけれども、ムカつくかもしれないとはさすがに言えない。 ここまで来て聞きださないという選択肢は銀時の中には残っていなかった。 「俳句…」 「ハイク?はい…俳句?575ってあの?」 こくりと土方に頷かれ、どっと銀時の全身の力が抜けた。 そのまましゃがみ込む。 『豊玉』が雅号であれば納得だ。 手帳は手帳でも、『句帳』だったのだ。 「…恋煩いってわけじゃねぇのか…」 「おい!万事屋一体どういうつもりだ?」 「あ〜、まぁ、座んなさい」 ずりずりと移動して、先ほどの土方のように梅の木に凭れ掛かる。 そして、ぽんぽんと隣を叩いて示した。 「あんだ?」 「あれだ。銀さんもこう見えて、悪路木夢粋つぅペンネームもった作家の端くれだったりすんだよ。推敲手伝ってやんよ」 「ざけんな!テメーより俺一人の方が良い句が捻り出せらぁ」 「へぇ…じゃあ勝負しようぜ」 横に勢いよく座った土方に笑みを浮かべ、花を見上げる。 今日は一段と暖かい。 「梅…」 「梅…梅の木に…」 「うぐいすの…」 「鶯、鳴いてねぇよ」 「うっせ、気分だ気分」 お互いに言葉を探す。 この春に、 この花に、 この風に、 この香に、 相応しい言葉を。 しかし、言霊の代わりに堕ちてくるのは睡魔ばかり。 「梅、好きなのか?」 眠気に襲われながら、聞くともなしに聞いてみる。 「あぁ…すき…だ…」 単語にドキリと鼓動が鳴るが、土方を覗きみれば、やはり睡魔に襲われ始めているようだった。 「俺も好き…かな」 銀時もそっと口にしてみる。 「テメー…と…似た配…色」 「へ?」 かくりと土方の首が落ちる。 「寝ちまった?」 規則正しい寝息が真横で聞こえる。 長い睫毛が微かにゆれ、ゆっくりと舞い落ちた花びらが黒髪を飾っていく。 銀時も大きく延びをした。 「春だねぇ…」 土方の膝にのせた句帳を彼の指に触れないようになぞる。 ポカポカとした日差しが表面をも既に温めていた。 (あ、やば…俺も落ちる…) 桜も良いが、春一番を知らせるこの花も嫌いではない。 眠りに落ちる間際の土方の言葉については、追々尋ねることとして 抗いがたい春の眠りに銀時も身を委ねたのだった。 『春暁』 了 おまけもしくは蛇足的な話 ⇒ 『梅香』 (68/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |