肆坂田は深呼吸をするように大きく息を吐き出して、トントンと紙を叩き話し始める。 それでも苛立ちは完全には消し去ることが出来てはいないようだった。 「源さんが…年齢的にも、人柄的にも…ってこの間言っていただろう?」 「まぁ、そうなんだがな。テメーもすっかり副長職に慣れたことでもあるし、俺が動いても…」 「…めだ」 「現地で採用も、勘定方のことも取り仕切るとなるとやはり俺が行くのが一番早ぇ」 坂田が何か呟いたようにも思ったが、構わず続ける。 これは、山崎にも言った通り、『隊務』なのだ。 「…ダメだ…行かせられねぇ…」 「坂田?」 今度ははっきりと声に出され、聞き返す。 「テメーは俺の恋人だろうが?許可できねぇ」 「坂田、その件なんだが…」 坂田の視線は紙挟みから上がってこない。 俯いた顔は長めの前髪に隠されて読むことが出来なかった。 「聞こえねぇ」 「坂田」 まるで、子どもが駄々をこねているようだと感じはしたが、ここで引くわけにもいかなかった。 先程、坂田の手元にある稟議書とは別の紙束を手渡す。 それは山崎の報告書だった。 「あ?な…んだ?これ?」 「テメーが懇意にしてるっていう茶屋のオンナやなんかの資料だ」 君菊の一件以前から、山崎に探らせていた調査。 副長ともあろう人間が、オンナのことでもめ事を自体を起こされても困るが、それ以前に色街のオンナは攘夷浪士と何処かでつながっている可能性を否定できない。 「な…」 「今のところ、商売女がほとんどのようだし、火事起こしそうな相手もいねぇようだが、これからは江戸本部の副長として気をつけてくれ」 恐らく、坂田程の力量であれば、尾行が自分に付いていたことは分かっていただろう。 けれど、敢えて隠そうとしていなかった。 今坂田が驚愕する理由は恐らく土方が坂田に『嫉妬』が理由で監察を動かしていたわけでもなく、『文書』として坂田に突き付けてきたことかもしれない。 「な…に言って…」 「あぁ…そうか…テメーがいう恋人云々っていう茶番に乗るならな…」 最後ぐらい、『恋人』として振る舞わせてもらおうとその言葉を口にした。 恐らく、坂田が待っていたであろう言葉を。 「別れよう」 己の言葉が、確かに己の口から発したはずの言葉が水中で聞く音のように遠い。 でも、確かに言えた。 一歩踏み出さねば。 ふざけた『契約』はここでお終いなのだと。 確かにこんな三十路前の、けして線の細いとは言えない男を抱いてきたくらいだ。 土方に対して、情がないわけではないだろう。 しかし、頭を冷やしたかった。 何だかんだと言って、坂田が優しい男であることを知っている。 きっと、自分で持ちかけた『契約』を破棄することで、土方が傷つくことを躊躇しているのだ。 もっと早く、気が付くべきだった。 女の匂いがするようになったのは、土方の方から三行半を突きつけろとそういう意味が込められていたのかもしれないことに。 『オンナ』を外で抱いてこようと、この真選組に戻って来てくれるなら良いと思っていたのは、土方の甘えだ。 そして、有態に言えば、土方は疲れていた。 「だめだ…」 「解放してやるっていってんだよ。異動して、距離作れば隊内にも変な空気を…」 「だめだ!」 ヒステリーを起こした子供のように、紙挟みから稟議書を引き抜くと真っ二つに破り捨てた。 「何しやがる!」 「これも駄目だ!違う!」 続けて、山崎の報告書を破ってしまった。 「坂田!」 「違うんだって!」 報告書を文字通り握り潰し、土方の方へ膝立ちで身を寄せてきた。 本能的に土方は後ずさるが、後ろには文机が置かれていて、少し身体をのけぞらせる程度にしか動くことが出来なかった。 坂田の様子にぎょっとする。 入ってきた時のようなの底冷えを齎す怒りは消えていた。 そこに垣間見える一番強い感情は焦燥。 (それに…これは自己嫌悪…か?) 元々、感情が読みにくい坂田がこれだけの感情をむき出しにしてくるのは珍しい。 「何が…違う?組の事で小言われなくていいだろうが? テメーも俺に気にせずオンナを…あぁ、いやそこは俺がいても関係ね…」 「そこが違う!俺は!」 首を横に振り、また下を向いた。 まるで何かに耐えるかのように。 一呼吸坂田は入れて、次の言葉を吐きだし始めた。 「俺は…俺は嫉妬させたかったんだ」 それは分かっている。 監察を敢えて撒くでもない。 オンナの匂いを纏わりつかせて、土方の閨に忍んで来ていたのだ。 「『契約』なんてもんでオメーと縛りつけて始まった関係だから… 俺はいつでも不安だった。 オメーは組の為だからってそんなに簡単に股開くような男じゃねぇことは分かってるから、ちっとは俺に好意持ってくれてるんだと思ってた。 だから、そのうちに本気で俺の事好きになってくれりゃいいって… でも、いつまでたってもオメーの態度変わんねぇし…」 そこまで一気に捲し立てるように畳に向かって言葉は吐き出された。 「こりゃ、本当に組の為ってだけで見込みねぇのかなって諦めかけた。 だけど、去年の暮の宴会で芸者に甘えてる俺を見てオメーが…」 「俺がなんだよ?」 暮の宴会といえば、あの時も幕僚相手の接待だった気がする。 「自分では気が付いてねぇのかもしれねぇけど、 すごく切なそうな泣きそうな顔して見てたんだよ」 「な…」 自覚はあった。 それをネタに揶揄れたこともある。 今更なことを何故、今持ち出すのが分らなかった。 「泣きそうな土方見てたら、なんだか…嬉しくなってさ…」 まだ、顔は上がらない。 「嫉妬してくれるってことが、嬉しくて、 泣きそうな、悔しそうな顔が可愛くて…そしたら、止まんなくって」 「だから…オンナ遊びしてたと?」 口から生まれたと隊士たちに呼ばれる坂田だ。 思いつきの言葉でないとは言い切れない。 「回数重ねるたびに、だんだんオメーの顔から表情が消えちまって、 それがまた焦りに変わって、エスカレートしてんのは分かってた。 最近じゃ、女と宿入ったってオメーの顔ばっかり思い浮かんで、 女ほったらかして寝ちまうことの方が多かった」 「…んなこと…信じられっかよ…」 あまりに、すらすらと淀みなく紡がれる言葉と、 握りつぶした坂田の手元の稟議書に惑わされそうになる。 土方がそれを、その言い訳を信じたいと思うが故なのか。 「わかってる。全部俺が始めたことなのは!でもな!」 言葉をきった。 そうして、面がようやくあげられた。 「オメーが、土方が欲しいって所だけは変わらねぇ。京都なんていくな! 離れたら俺…おかしくなっちまう…」 「…おかしく…って…テメー…」 どくりと坂田の面に心臓が跳ねた。 いつもの余裕はそこには見いだせなかった。 「京都の色男に、京美人にオメーがいつ靡いちまうかって! 色気ダダ漏れのオメーが祇園なんて行った日にはすぐに喰われちまう! 大体、これまでもオメー狙いのお姉ちゃんをこっち無理横取りして食っちまってたんだし… それが実際の距離ができて、毎日確認出来なくなったら…」 「あ?んなことしてやがったのか…」 情けない顔だと思った。 泣きそうな顔だと思った。 そのくせ、妙に男臭い顔だとも思った。 「仕方ねぇだろうが…わかんねぇんだよ。人の愛し方なんて、愛され方なんて…」 「坂田…テメ…」 坂田の拳はまだ、膝の上で硬く紙を握ったまま痙攣するように震えていた。 「わかんねぇんだよ…こんなに…誰かに固執したことなんざなかったんだ」 「坂田…」 吐き出される言葉にやはり呼吸が出来ているのかわからないほど、息苦しい。 「なぁ、俺のこと、やっぱり嫌いだったか? この2年苦痛な思いしかさせてなかったのか?」 土方は、坂田の手を取り上げ指を一本一本と伸ばして、稟議書を取り除きながら、息をする努力した。 「…苦しくなかった…といえば嘘になる…」 「!」 どうするべきなのか、土方にはもう正しい行動が分らなくなっていた。 わからなくなったから、己の力で生きることを選んだ君菊の声に従った。 ―一度…、お話された方が良いですよ。― 「けど…それはテメーの『真』が何処にあるかわからなかったからだ。 普段、ドSを公言しているやつの行動なんて信じられるか。 本当に嫌って、嫌がらせしてるだけかもしれねぇと思うだろうが…」 ―弦が切れるだけではなくて…本体に軋みが生じる前に― 「土方…それは…」 「テメーは…俺の事が好きなのか、嫌いなのか。なぜ俺は…」 いま張っている弦は本当に正しく張れていたのか、 そして、正しく音階を奏でることが出来ていたのか。 「なぁ…もう浮気はしない…その代わりに求めてもいいか…オメーを」 まだ、痙攣する坂田の掌を伸ばす土方に男が酷く頼りない調子で言の葉を零す。 「馬鹿だな…」 「否定しようがねぇ」 「違う。テメーが馬鹿なのは知ってる。今のは俺のことだ」 もう一度だけ、 最初に契約等ふざけたことを持ち出した時に見た顔を。 嬉しそうな、 悔しそうな、 苦しそうで、 それでいて、泣きそうな顔。 それが土方を純粋に求めていた『真』の坂田の顔だったのだと信じてみようと思った。 「ひじ…かた?」 「もう少し様子見てみるかとか思っちまった自分が馬鹿だと思ったんだ 京都行きはどちらにしても俺が行かないわけにはいかねぇ」 溜息をつきながら、坂田の手を放し、稟議書のなれの果てを手に取る。 再生は不可能だ。 一からやり直しだが、一度は作ったものだからまぁ直ぐに出来上がるだろうと口端を持ち上げた。 「ちょ!持ち上げて落とすの勘弁してくれよ…」 「俺が完全にあっちを取り仕切るかどうかは保留にする… けど、どちらにしても下準備にひと月はあっちにいかねぇ訳にはいかねぇ」 慌てる坂田は新鮮だった。 「そのあと…は?」 「組織を実際に走らせてみて必要があれば、やはり俺は残ることになるだろう。 問題なければ、江戸にもどる」 わざと仕事の話ばかりしてやると、だんだんと拗ねた様な顔になっていく。 こんなに表情豊かな男だっただろうかと思う一方、 付き合う云々なく衝突ばかりしていた時分はもっと感情的にぶつかっていた気もしないではない。お互いに。 「じゃなくて!」 「色恋と仕事混同できるかよ。 別れるか否かっていう意味では…その… 遠距離っていう問題も込みでお互い考え直すってのが妥協線だな」 「わかった。要はオメーが俺の事、見てくれるように頑張りゃいいんだろ?」 土方は苦く笑う。 離れていれば、またどうなるかわからない。 近くにいても確認することなど難しかった。 けれど、ゼロから弦を張り直して。 「さぁて…どうなることやら…」 ぎゅっと、自分を抱きしめる不器用な男の背を撫ぜ、また苦笑したのだ。 『愛を乞う・愛に恋う 肆 』 了 (59/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |