肆ファミレスを出ると外気はすっかり最低気温に近くなっていた。 その証拠とばかりに路面は氷ではなく、雪で覆われている。 厚い雲からはさらに白いものが舞い降り続けていた。 傘に積もりゆくそれらは静かで微かな音しかたてはしない。 地面を踏みしめるブーツと、遠くで騒ぐ酔客の声と、走り去る車の音だけが銀時の耳を打っていた。 足元から深深と冷気が昇り急速に体温を奪っていっていく。 万事屋に歩みを進めながら片手はジャンパーのポケットに突っこんだまま、吐息で傘を持っていた方の手を温めてみるが直ぐにまた冷えてしまう。 あと、数十メーターで塒に着く。 そんな場所だった。 スナックお登勢の電光看板も暖簾も仕舞われているというのに、店の前に人影があった。 白い雪の道にポツリと黒い人影。 どれくらいその男はそこに立っていたのだろう。男の肩には遠目にも判るほどの雪が積もっていた。 そして、何故そこにたっているのだろう。 視線はどうみても2階部分を見上げていた。 サクサクと、十分に高さを増した雪が銀時のブーツの音を拾う。 ばくばくと、心臓が血液を送り出す音が銀時の耳を打つ。 考えていた。 目の前の孤高と立つ男・土方十四郎を支えるのは何だろう? 山崎の話と、銀時が見聞きした情報から察することができるのは、 一人で抱え込もうとする『鬼の副長』は任務で命を落としたにも関わらず、組で葬式を挙げることさえできない部下を悼み、 その家族に疎まれ 隊に無用の波紋を投げ掛けないために内通者を攘夷浪士の仕業に見せかけて葬式を上げ、 土方自身を囮に内通者とその組織の仲間を共に切り伏せた。 その行動のどれもが、近藤を、真選組を護るためでありながら、 どれ一つとして表には出ない事柄だ。 全ては土方十四郎の闇の中の出来事。 「土方…」 ポケットに入っていた布の手触りを確認する。 名前も顔も知らない真選組監察方から預かった、土方のスカーフ。 指で梅の刺繍をなぞり、もう一度呼ぶ。 「土方」 誰にも寄りかかることのない鬼が。 ゆらりと土方の面がこちらを向いた。 「よろ…ずや?」 銀時は屋内にいるとでも思っていたのだろうか。 土方の動きは固く、ひどく驚いているようだった。 土方は強い。 剣の腕が、ということではない。 そういうことではなく、ただ在り方が強い。 それでも、いつかぽっきりと折れてしまいそうだと、男を支えたいと最初は思った。 しかし、最期の時でさえ、莞爾として笑うであろう男に対して それはあまりに傲慢だと知った。 護るのではない。 共に戦うのではない。 肩を並べて生きていくわけでもない。 傘を差し伸べる。 今日は差し伸べる。 それは銀時が覚悟を決めたから。 相手が強い男だからこそ。 ひと時羽を休める傘であれば良いと。 そして雲間が見えた時に、 彼が思うままに走っていけるように背を押してやるのだと。 男が持つ闇の内容を共に抱えてはやれない。 だから、いっそのこと全部ひっくるめたところで抱え込んでやると。 覚悟を決めたのは、今この場に土方が立っていたから。 銀時の土方に対する感情とは違うかもしれない。 けれども、根底で何かを自分に求めてくれているならば。 「寄っていけよ」 土方の青灰色の瞳が揺れている。 「何も変わらねぇよ」 白くなった肩をはたけば、しっとりと水気を含んで冷たくなっていた。 そのまま、手の平をのせていることで、少しでも体温が伝わればいいと思う。 「何も変わらねぇ…か?」 自分に差しのべられた傘と、銀時の手を見比べ、小さく土方は呟いた。 よく似た二人だとよく言われる。 よく似た二人だからこそ、同族嫌悪もし、対等でありたいと願うのかもしれない。 「オメーは土方十四郎だろ?」 それは唯一絶対の事。 なんでも一人で抱え込むのも、強がりも。 全部ひっくるめて。 手を肩から、金色のモールの襟をたどらせ頬へと移動させる。 土方の頬は冷え切っていた。 「だから、何も変わらねぇ」 銀時は真選組ではない。 ただの一市民だ。 ただ、『土方十四郎』という惚れた男の内側に入りたいだけの人間。 だからこそ、真選組の隊士には、 土方が親友と、大将だと認める近藤には出来ないことが出来るはずだ。 「…そうか…」 しばしの間、少し漆黒のまつ毛を臥せて、土方は地面を見つめていた。 ぱさり。 雪が傘の傾斜をなぞって、地面に一塊落ちてゆく。 ゆるりと面を上げた時。 そこには揺らぎは無くなっていた。 「邪魔したら…斬る」 銀時は眼を眇めて、その獰猛な瞳を観察し、にぃと口の端を持ち上げた。 「斬らせねぇさ」 頬に置いたままだった手をまた滑らせてスカーフに触れる。 上着の内側に潜らせた布を引出し、その端に唇を寄せる。 やはりひっそりと梅の刺繍がかさついた銀時の唇に存在を教えてくれた。 これは誓い。 名も知らない隊士への。 今現在も土方を案じている山崎への。 土方の闇を知らずとも、彼を慕い頼る真選組の人間への。 そして、銀時自身の譲らない誓い。 ぱさり。 再び、雪が傘の傾斜をなぞって、音をたてて地面に落ちた。 「寄っていけよ」 そう言って、銀時は土方の腕を掴み、万事屋への階段を登る。 銀時は何も聞かないし、 土方も何も話さない。 それでいい。 それしか出来ないことを歯痒く思う時もあるだろう。 真選組に土方を帰したくないこともあるだろう。 氷雨と、雪と、雨と。 それ以外のすべての冷たく凍えさせるものから 護るのではなく、 ともに凍えればいい。 そう思い、鬼の腕を掴む掌に力を込めたのだった。 『氷雨と』 了 (54/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #栞を挟む |