肆「おかえり!トシ!」 2週間の出張を終え、屯所の門をくぐると、近藤がにこやかに迎え出てくれる。 「ただいま、近藤さん」 やはり、己のホームにたどり着き、大将の裏表のない顔を見るとほっとすると、 土方は眉間の皺を緩めた。 坂田と小料理屋で別れた二日後から松平の伴で宇宙に出かけていた。 馴れない宇宙船での生活は何かと息詰まるものだったが、江戸を離れるという行為は、今の土方には大変ありがたいことだった。 「宇宙、大変だったろ?」 「宇宙がつうよりも、とっつあんの話が長くてな…」 「あぁ、そっちな。栗子ちゃんのこととなると目の色変わるからな」 天人の防衛システムだとか、外交だとか、土方には実際関わることがあるかわからない部門だが、戦艦の指揮やシステムの勉強にはなった。 ただし、松平の娘自慢話を四六時中聞かなければならなかったのだが。 「こっちは?」 「小競り合いはあったが特別何もなかったかな」 「なら良かった」 ぐりぐりと頭を撫でられ、くすぐったい気持ちになる。 「まぁ、2、3日は休みにしてゆっくりしてくれ」 「そういう訳にもいかねぇよ。どうせ、俺の机は酷いことになってんだろ?」 「う!それを言われると…で、でも明日ぐらいは…」 「そうだな」 全ては溜まった書類の山と、各種報告書の内容次第だと笑いながら、部屋に戻ろうとした。 「あ、トシ!」 何か言い忘れがあったのか、一つ角を曲がったところで近藤が追いかけてきた。 「銀時が訪ねてきたぞ?」 「あ?万事屋?」 近藤の口から思わぬ名前が飛び出して心臓が止まるかと思う。 「なんか話があったみたいだったからな、今日まで出張だって教えた。 また来るみたいなこと言ってから、電話してやれよ」 「なんで…別に用事なんてねぇ…よ?」 「そういうなって!最近銀時とよく飲みに行ってたじゃないか」 「……」 職権乱用もいいところだと自覚はあったが、腹に背は変えられぬと山崎に死亡説を肯定させるような工作を指示しておいた。 だから、マミが生きていることを調べに来たところで坂田に真実がばれることはない。 (それなのに、屯所にまた来る?自分を訪ねて?) 理由が思い当らない。 あんな別れ方としたし、坂田も土方に関わりたくない筈だ。 自室に荷物を置き、予想通り積まれた書類の山にため息をつく。 「煙草…」 ポケットから取り出した箱には一本、残されているのみだ。 出張に買い置きしていたカートンはすべて持って行ったから、部屋にストックは一つもない。 この後、積もり積もった事務仕事に専念するためにはニコチンは絶対に必要だ。 山崎も潜入捜査中であるから、買いに行かせることもできない。 諦めて舌打ちを一つすると、土方は着流しに着替え、 戻ったばかりの屯所から出かけたのだ。 夜空にはまだ冬の星座が瞬き続けている。 宇宙でみるほど空は近くはなく、それでいて、遠くには感じない。 地球では季節というものがあるからだろうか、理由を見つけようとする自分に気が付き、感じ方は人それぞれだから考えても詮無きことと息をつく。 空には昴がまたたき、天人がおりおんと呼ぶ巨人の星座も見えてはいたが、徐々にその位置を春の星座へ譲るために移動はしていた。 移りゆく季節。 ほんの僅かづつではあるが、時は動き続けていく。 平等に。 (坂田…) 時がたてば忘れられる。 そんな簡単なものではない。 そんな簡単なものであればどんなによかっただろうか。 好きなのだと、気が付いた時には手遅れだったけれど。 こちらに近づいてくる気配に痛みを感じ胸を押さえた。 「土方!」 走ってきたのか、息がはずんだ声。 振り返らずとも、その気配で、その声で誰かなどわかってしまう。 「土方…」 名を呼ばれ、ぎゅっとやはり全身に痛みが走った。 締め付けられるような痛み。 それを何とかやり過ごそうとして、やはり失敗する。 せめて、それを気が付かれないようにと。 相手の想う人を仕事とはいえ手にかけたのだ、と。 勘の良い男に気取られぬように自分はともう一度シナリオを頭に叩き込む。 飲み屋で何でもない穏やかな世間話を絡めながら、旧知の仲のように過ごした日々も、 偶然、一緒になった席でお互いの悪食を罵りながら、飲み比べをすることも、 恐らくもうない。 手を伸ばしそうで、届かない。 そんな痛みは、時は通り越したのだと 何度も何度も言い聞かせた言葉をまた己に言い聞かせ、 買ったばかりの煙草に火をつけながら、ゆっくりと振り返った。 「土方」 振り返った先にあった坂田の顔には蔑みも、怒りも、苛立ちも、恨みも、ない。 ただ、何かに必死なのだということだけは分った。 「今、屯所に行ったら出かけたっていうから…」 「あぁ……煙草を切らしてて」 「そうか…」 「何か用か?」 「あ〜、うん。用っつうか…確認っつうか…」 口から生まれたように言葉巧みな坂田だが言葉というツールに困るとフワフワと跳ねた頭を掻き毟ることに最近気が付いた。 「確認?」 「あぁ。あのさ、オメーやっぱ、マミさん斬ったりしてねぇよな?」 「その事なら、答えたはずだ」 やはり、その話かと腹に力を入れる。 「聞いたけどね?信じてねぇつうか。 もしも斬ったとしてもマミさんが巻き込まれたとか、 脅されて参加してたとかじゃなくて…『犯罪者』として斬ったんじゃねぇの?」 「…そんなこと…」 「俺も…薄々、変だなとは思ってた」 俯き加減になりながら、後頭部を掻き毟っていた手を首筋に移動させ、今度はしきりに擦る。 「あ?」 「あの女な。火薬の匂いが染みついてた。ナースの匂いじゃねぇ」 「それでも、オメーは…」 (犯罪に関わっているかもしれないと気が付きながら、それでも惚れていたのか) 奥歯を噛みしめる。 「それでも、俺自身が彼女に絡むことを止められねぇのは惚れてるからだと思ってた」 「そうだな」 「そう思ってた。でも…なんだかおかしいんだ」 「おかしい?」 話の着地点が読めない。 「あの晩、オメーを殴ったあの晩な、とてつもなく腹がたった。 自分に相談してくれなかったマミに対してでもなく、ただひたすらオメーに」 「そりゃそうだろう…」 怒りを自分に向けることに違和感も、話の流れにも齟齬はないはずだ。 「いや、可笑しいだろ? マミが死んだ事実よりも、オメーの言葉にショックを受けてたんだ」 「気にし過ぎだ。テメーはいきなりのことに混乱してただけだし… もしも俺の言葉が不快だったんなら、謝る。 惚れた腫れたまで持ち出して悪かった。金輪際近づかねぇ」 短くなった煙草をぴんっと指ではじくと、緩やかな弧を描いて地面に落ちていく。 「話はそれだけなら…」 「待てよ。終わってねぇ」 ぐいっと銀時の大きな掌が土方の二の腕を掴んだ。 「ちょっと黙って聞いてろ。あれから、俺も考えたさ。 なんで一人の女に拘って粉をかけるなんて真似を続けようと思ったか。 なんで爛れたことも言わずに清いお付き合いでもいいからなんて殊勝なことができたのか。 なんで、女が死んだことにショックが無かったわけじゃないが、 自分の所為だと無理やり主張するオメーに腹がたったのか。 なんで、オメーが俺に惚れてるとか聞いて怖気が走らなかったのか。 なんで、オメーの顔見なくなっただけでこんなに心許なくなったのか」 「疑問がいっぱいだな…」 苦笑するしかない。 どれも土方には説明が出来そうな気もしたが、坂田は土方が何を言っても納得出来ないのではないかという気がするものばかりだった。 「極めつけは!」 「あ?」 今度は、地面に向かって吐き捨てるように、自棄のように、声が大きくなる。 「今、オメーの顔見てて、なんで俺はムラムラしてんのか」 「は?」 また、言葉の意味を捕らえ損ねた。 坂田の言葉はいつでも土方を翻弄する。 「オメーはマミの件でアドバイスする時に下ネタ的な話を絡めるなと言ったけど! 俺にとっては一つの大きなバロメーターみたいなもんだ。 マミにそれを含めないで、冷静に恋愛ごっこを仕掛けることが出来たのも、 結局本気じゃなかったからなんだ」 「……」 そこまで吐き出して、下を向いていた坂田の視線が、上がってくる。 「でも俺は続けてた、面倒臭いことを飽きもせず。 それは土方、オメーとその『ごっこ』を通じて会う約束をして、飲んで、他愛もないと話して、一緒にいられることの方が重要になってたからだ。 だから、付き合うって返事貰っても喜び勇んでオメーに報告できなかった」 「万事…屋?」 ひとりよがりの思い違いを今してはいけないと、意識して屋号で呼ぶ。 「『女だったら惚れてたかも』…違う!土方、あの時点で既に俺は…」 一呼吸、坂田は開けて、言い放つ。 「オメーに惚れてた」 「え…?」 「男相手でも愚息が反応するのは惚れてる人間だからだ。下ネタ上等。関係ねぇ」 両肩を掴まれて、朱い瞳が真っ直ぐに土方を捕らえる。 「惚れてるよ。間違いなく」 瞼を一度閉じて、言葉の意味を考える。 浸透していく言葉に呼応するように、ゆっくりとまつ毛を引き上げると、頬に何か温かいものが伝い落ちていく。 目の前にはいざという時には煌めくと本人が言った通り、普段からは考えられない強さをもった眼がまだ、土方の前に存在していた。 「泣くな」 そして、坂田の顔が嬉しそうに、照れくさそうに歪んだかと思うと、 土方の目元をぺろりと舐めあげた。 「万事屋…俺は…」 「あれ?なんか、呼び方戻ってるよな。名前で呼べよ」 「さかた?」 「まぁ、それも間違いじゃないけどね」 ぎゅっと身体が体温で包まれる。 「呼べよ。十四郎」 「ぎん…とき?」 身体が一度離され、冗談だったのか、これが坂田の復讐なのかと心臓を鷲掴みにされた痛みに眉を顰めた。 「…泣くなら、別のとこで啼かせてやるから」 「え?」 土方の手を引いて銀時は歩き出す。 「どこへ…」 「そりゃ、愛って名前のついたホテルとか?」 「な?!何、また原始人に戻って…」 「オメーは原始人って知ってるからいいんだよ。 大体、銀さんと、銀さんの銀さんは限界なんです」 それ以上何も言わず、銀時は土方を引っ張っていく。 色々、言いたいことも、尋ねたいこともある気がしたが、銀髪の隙間から見え隠れする耳が赤いから、土方も屯所に戻らなければと思いつつもそれ以上今は何も言えそうになかった。 惚れた腫れただけで通らないこともある。 それでも、それなりの覚悟をもって、この手を銀時は取ってくれた。 だから… 「おい原始人」 「あ?」 「とりあえず、俺は腹減ったんだが…?」 今度は、銀時が土方の言葉を読み込めずぽかんとした顔をしている。 「…ムードもへったくりもねぇな。オイ」 「原始人に言われたくねぇ。 大体、宇宙食最後に食ってから…そうだな12時間は何も食べてねぇんだ」 掴んでいた場所を腕から掌に移し、銀時はまた歩き出す。 「オイ」 「ハイハイ。わかりましたって!惚れた弱みだ。まずはお食事からってか?」 「阿呆」 澄んだ空気は思いのほか強い光で、瞬く星灯りが二人の影を地面に作り出していた。 繋がれたシルエット。 ぶつぶつと、「その後で土方を銀さんが食ってやるんだから」とか何とか、心の声だか独り言だか分からない声が冷たい風に流れて聞こえてくる。 土方は冬の空を再び見上げた。 (痛ぇ) 引かれていない方の手で胸を押さえる。 痛みの種類が変わった。 相変わらずの痛みだけれども、 苦しさはまた続いていくのだろうけれども、 今は、甘い痛みに酔っていたい。 幸せのもたらす痛みにそう、願ったのだ。 『ひとりよがりの空』 了 (44/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #栞を挟む |