参「副長」 自室の文机に積み上げられた紙の山に溜め息をついていると、廊下から山崎が声をかかけ、障子を開ける。 「今、いいですか?」 返事はしないが、身体をごとそちらに向き直れば、部下は静かに腰を降ろす。 「…どうだ?」 「副長のご心配の通りでしたよ」 差し出される紙を受け取る。 机の上のもののような公式な文書ではない、非公式に直属の監察に調べさせたそれに素早く目を通す。 土方が予測を裏付ける内容がそこには記されていた。 泳がせていた武器密売組織が、土方の非番に重なって大きな取り引きを行っているということが続いていた。 三回に二回の割合。 偶然にしては出来すぎな率。 内偵に入っていた山崎に確認させれば、背後に一件の金融業者と診療所が浮かび上がってきたのだ。 坂田の口から聞いていたマミが兄と営む診療所と診療所が借金をしている金融業者の名。 「副長…」 山崎の視線が痛い。 「餌は…蒔いてきた」 借金取りに絡まれていたという『マミ』。 絡まれていたのではなく、元々つながりがあったと仮定するならば。 大きな捕物の際に土方が欠けるということはまずない。 土方の休暇=真選組が動く予定がないという図式。 脅されて、坂田を通じて土方の休みの情報を組織に流していたのであれば、まだ釈明の余地があっただろう。 「それでいいんですか?」 「いいも悪いもねぇ」 手元の顔写真を眺める。 兄ということになっている男は前科5犯の爆弾魔だ。 医者の資格も持っていない。 そして『マミ』自身もつれあいとして、無差別爆弾犯として写真がのせられているのだ。 「そうじゃなくて…ここのところ、眠れてないんじゃないんですか?」 「大丈夫だ」 「鏡、最近見ました?隈ひどいですよ」 「毎朝、見てる」 暇さえあればミントンやガバディをしてサボる山崎だが、何だかんだといって仕事ができることは認めている。 監察になくてはならない観察眼を持つ彼から見れば一目瞭然だったのかもしれないが、今何とか保っている気力を崩してほしくはなかった。 「……俺は…アンタに着いていく人間なんで、倒れられたら困るんですが?」 「くどい」 「わかりました。では明日の晩」 「あぁ」 新しい煙草に火をつけて、肺を煙で満たした。 「馬鹿ですよ、アンタ。旦那にはどうせ話すつもりないんでしょ?」 立ち上がった山崎は静かに、彼にしては低すぎる声色で吐き出す。 「あぁ」 土方が悪役になるのはかまわない。 逮捕して、正体を知らしめることも簡単だ。 けれども、あれほど、惚れたのだと理想なのだと、日ごろ屍のようにやる気のない男が動いていた。 仕事を真面目にこなし、メガネの少年に土方がわざわざ礼を言われたほどに。 嬉しそうに『マミ』のことを語っていたあの顔を曇らせたくはない。 「やっぱり馬鹿ですよ」 それ以上、山崎は何も言わず退出していった。 「おい!」 カウンターにぼんやりと座る男を呼ぶ。 銀髪の羽散らかった頭がゆらゆらと動いた。 赤い顔はやはりかなりの酒量を摂取しているようだった。 店の女将が苦笑いする。 それだけ見れば、まるで数ヵ月前、この小料理屋で坂田の話を聞かされた日に戻ったかのようだと土方も苦く笑った。 あの日と異なるのは、坂田の顔に陰が落ちていることと今日は偶然ではなく女将が連絡をしてきたから出向いて来た点だった。 この店でよく相談相手をしていた。 気をきかせた女将は店の奥へと引き上げていく。 「笑っちまうよなぁ。突然だぜ?訳あって江戸を離れることになったとかさ」 「余程の事情があったんだろう」 「しかし、おかしいんだよな…」 「何が?」 かさりとテーブルの上に1枚の便箋が拡げられた。 土方は煙草を挟んだ指を強張らせる。 それは、土方が『マミ』の筆跡をまねて書いたものだった。 実際には、3日前。 銀時には非番だと伝えた日曜日に、取引を行おうとした夫婦をまんまと確保。 すでに書類送検まで終えている。 隠れ蓑にしていた診療所もあたかも慌ただしく引っ越ししたように工作を山崎が行っていた。 そのうえで、土方が用意したものだ。 つらつらと銀時と過ごした期間が楽しかった等の礼と江戸を離れるのでお付き合いは出来ないとしたためておいた。 「なにが…おかしい?」 便箋を手に取り、土方は首を傾げる。 「この間オメーに会った時に言い損ねたんだけどさ。 金曜の晩にマミさんが、診療所も目途が付いたからって、 お付き合いのこと了承してくれてたんだわ」 「………」 「それなのに、この他人行儀な文面。んで診療所を引き払う?おかしくねぇ?」 「どうだろうな…」 坂田はもともと勘の良い男だ。 下手な工作はいたずらに事態をややこしくしたかもしれないと今更ながらに土方は後悔を始めていた。 「何か…事情が。つうか、事件に巻き込まれたって考える方が自然じゃねぇか?これ」 「まさか…テメー」 「うん。未練がましいかもしれねぇけどよ。ちょっと調べてみようかと思って。 土方も何か知ってることねぇか?」 「……」 「土方?」 嘘はやはりつけないのだと。 目の前の男に小手先の技は通じないのだと。 奥歯を噛みしめる。 ならばどうするのか? 『マミ』という女に惚れこんでいる男に現実を突きつけるべきなのか。 突きつけたとして、彼は諦められるだろうか。 終身刑が確定し、流刑に回されたという事実を。 実は内縁とはいえ、決まった男がいたことを。 嘘の上の嘘は気がつかれる。 だが、たった一つならば。 情の深い男の、 実は感性の鋭い男を騙すことができるかもしれない。 真実をある程度晒し、そのうえでたった一つならば。 喉は乾ききっていた。 そして、胸の痛みも激しさを増していたが、土方は腹をくくった。 「坂田」 「あ?」 「本当のことを知りたいのか?」 「なんか知ってんのか?やっぱり犯罪に巻き込まれて…」 息を整えた。 自分に言い聞かせる。 鬼とよばれる真選組の副長だろうと。 「あぁ、そうだ。あの女は、あの兄妹は武器の密売組織に関わっていた」 「脅されて…?」 その坂田の問いには答えない。 「日曜日に大きな取引があって、捕り物があった」 「あぁ…」 「そこに兄妹は現れて…」 嘘はついていない。 「まさか…なぁ?」 「俺が…」 「土方!」 坂田の顔から一気にアルコールが抜けていくのがよくわかった。 「斬ったよ」 唯一の嘘。 「嘘だ!」 「嘘じゃねぇ。テメーも知ってんだろ?俺は真選組の為ならどんな泥だって被る」 「それとこれとは!」 「現場にいた。そして、こちらに刀をむけた」 これも嘘ではない。 「土方!」 「それで十分じゃねぇか?」 坂田の視線が痛い。 だが、もう引くわけにはいかない。 「オメーに女は斬れねぇ!九兵衛の時だってあんなにボロボロになっても…」 「それとこれとは話が違う。あれは腐っても柳生家の跡継ぎで、しかも私闘だ」 そんなことを覚えていてくれたのかと、少しだけ救われた気がする。 「違う」 「違わねぇ」 「オメーは!んな奴じゃ…」 「俺のこと、どれくらい知ってるっていうんだ?」 「あ?」 面白いほど坂田の顔がこわばった。 痛みを押し殺し、嫌われついでにと更に言葉を紡ぐ。 『マミ』は巻き込まれて死んだのだという嘘一つ。 これだけを肯定するために、手札はすべて使う。 「最初の日。テメーは言ったよな?俺は坂田、テメーが好きなのかと。 あぁ、そうだ。惚れてるよ。 女だったら惚れてたかも?ふざけんな。 こっちはな、男に惚れた事実に打ちのめされてたよ。 しかも、女とひっつく手伝いをしろ?ハッ!俺の何を知っている? もしかしたら、剣を止められなかったんじゃなくて、 俺は止めなかったのかもしれねぇぞ?無意識にな。 可愛そうな女だよな。『マミ』ってのも」 「やめろ!」 一気に捲し立ててやる。 顎に衝撃が走り、土方の身体は床にたたきつけられた。 見上げれば、殴った坂田の方が、泣きそうな顔をしていた。 ひどく幼く、頼りない顔に。 そんな顔をさせたいわけじゃない。 それでも、土方に怒りの矛先をむけることで、次が迎えられるならそれでいい。 切れた口元を手の甲で拭いながら、土方はよろよろと立ち上がる。 「まぁ、そういうことだ」 「どこ行く?!話はまだ!」 「終わったさ。テメーもこれ以上惚れた女手にかけた人間と一緒にいたくねぇだろ?」 それだけ、言い終わると、店をでた。 空を見上げ、煙草に火を灯した。 まだだ。 屯所に帰るまでは。 この嘘を本当にできたとは言えない。 冬の星座が随分と移動してきた空をにらみ、土方は足を屯所へと踏み出したのだ。 『ひとりよがりの空 参』 了 (43/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |