弐小料理屋で坂田と同席をした1週間後のことだ。 「あ」 土方は坂田の姿を見かけることになる。 万事屋は珍しく仕事をしているようだった。 雇われなのか、建築屋の社名の入った法被を着て街中を歩いている。 現場の買い出しなのか、レジ袋に入った大量のペットボトル飲料がその手元にはあった。 一人ではない。 いつものように、チャイナ娘と、メガネの少年もいる。 ただし、もう一人、見慣れない女が同行していた。 綺麗な女だった。 坂田の話の女なのだろうと一目でわかるような、綺麗な女性らしい女性。 顔立ちは坂田がファンだというお天気アナに似ている気がするが、黒髪の長い髪の、 清潔感のある女だと思った。 四人と一匹は和やかな空気で巡察中の土方の視界からやがて消えていく。 (うまく…いったのか…) 姿が見えなくなって、初めて呼吸が出来たかのように空気が肺に入ってきた。 感情があふれそうだ。 今が、巡察中で、隣に原田が歩いていていなければ、すぐにその場に座り込んでしまいそうだった。 (いつから…俺はこんなに女々しくなっちまった…?) 煙草のフィルターを噛みしめると、特有の苦みと香りが口内に溢れる。 それは、鼻腔の方にも自然と上ってきて、慣れ親しんだものであるのに、今日はどうにも気持ちが悪くなってきた。 まだ、長さは十分であったが、それ以上咥えている気にもならず、携帯灰皿に押し込む。 隣ではそんな土方の様子に気が付かない原田は映画の話をしながらも、街に異変がないかに気を配っているようだった。 有難い。 自分には、真選組がある。 近藤がいる。 恋だ、愛だとかは無縁の世界を自分で選んだ。 それなのに、こんなことで惑うことはあってはならない。 まして、相手は男で、元攘夷浪士で、どうしようもないマダオで、天然パーマだ。 (自分で天然パーマ関係ねぇとかいいながらな) あの晩、土方は特段坂田を持ち上げたつもりはなかった。 ただ、急速に回った酒の勢いと、 『恋』の相談を受けることへのプレッシャーと 条件反射のようなフォロー体質が素直なところを吐き出させただけだ。 良い男だ。 掴み所のない部分も多いが一度わかってもらえれば、皆が好感をもつ。 良い男なのだ。 だから、彼が幸せになれば良いと。 「副長?」 「あ?」 「なんか来ますけど…」 「なんかって何が…」 ぼんやりとしていたらしい土方は原田の促す方向を見る。 『なにか』と指したのは『坂田』だった。 真っ直ぐにこちらに向かって走ってくる。 奇妙だと思うのは、犬猿の仲であるはずの土方の名をにこやかに呼びながらやって来ることだった。 「ひっじかったくーん!」 「なななな」 勢いよく走り寄り、急ブレーキをたてると手を取って上下にぶんぶんと振り回される。 「この間はあんがとな」 「あ、あぁ」 「あれから、まぁちょっと頑張ってんだわ。 その…アレだ。礼も兼ねて一度飲みにいかねぇかな…とか」 「………」 3人を待たせているのか、チラチラと後ろを気にしながら口早にそんなことを切り出した。 「あ!礼だから、俺が奢るから!高けぇとこは無理だけど、最近仕事入ったから」 「いや…そこじゃなくて…」 握られた手に心臓が移ったように脈が速くなる気がして、軽く振りほどけば、呆気なく手放される。 「あ?」 「俺とテメーの…二人で?」 土方が、指さし確認をする。 「そうそう、俺とオメー」 すると、同じように坂田も指でお互いを交互に指し示した。 「サシで?」 「サシで。今晩とかどう?」 「急…だな」 「いやさ、早い方がいいと思って」 嫌な感じがする。 そわそわとする坂田の様子に似たものをすごく身近で頻繁にみたことがある気がする。 (あ、近藤さん…) 志村妙に関する相談をする大将がこんな風な様子ではなかったか。 「な!話したいこともあるし!ホラ、銀さん、シャイボーイだから」 「自分でいうな自分で」 「副長、アンタ明日非番だろ?いってくりゃいいじゃないですか」 話が呑み込めたのか、妙な気を利かせて、原田まで口を挟んできてしまった。 「お!ハゲ!良いこというな!この間の店でいいな?」 「何時に…行けるかわかんねぇ」 「それでもいいから。来れたら来いよ?」 「……あぁ、わかった」 「よし!あんがとな!」 再び、手を取られ上下にブンブンと握手を振ると、また勢いよく走り去っていった。 「賑やかですねぇ」 「あぁ」 確かに、ひゅんと巻き起こり、枯葉をまき散らして去っていく木枯らしのようだった。 「いつの間に万事屋の旦那と仲でよくなったんですか?」 「仲は良くねぇ」 「でも何か旦那楽しそうでしたよ」 「俺は楽しくねぇ…って!テメー!俺の非番!勝手に教えやがって!?」 「いてっ!今頃そこ反応しないで下さいよ」 「うるせぇっ」 軽くおしゃれスキンヘッドだと言い張る頭を叩くと巡察に歩みを戻した。 (痛い) 刀で斬られた傷ならば、肉体が負ったダメージであれば、完治までの具合がわかる。 でも、今、土方を蝕む痛みはどうしたら良いのだろうか。 空を見上げる。 冬の夜空を。 凍てつく寒さで星は澄んだ光を真っ直ぐに降ろしてきていた。 土方の予測通り、坂田は先日の礼とは言ってはいたが、 やはり今後の展開について相談を持ちかけてきた。 それ以来、すっかり坂田は土方をアドバイザーと認識してしまったらしく、進展が、迷いが出るたびに呼び出すようになっている。 坂田の周りには人があふれている。 しかし、同世代の同性は意外に少ないのかもしれない。 だから、土方を頼ってくる。 張り合ってばかりだった坂田がまるで旧知の間柄のように。 それが、坂田の懐に入り込めたような、 坂田の秘密事を共有しているような、 『特別』になったかのような甘い痛みをもたらす。 錯覚だとわかってはいる。 女は名をマミというらしい。 坂田が最初に出会った時にマミに絡んでいたのは借金取りだったそうだ。 兄が江戸で開業するときに借りた金がまだ返しきれておらず、難儀しているようだ。 違法な金貸しであれば土方の方からそれとなく手を回せるかと思ったのだが、利息等にとりたてて悪徳な点は見つからず、地道に返済するしかない。 坂田は土方の忠告を多少ふてくされたりすることもあったが、概ねよく聞いていた。 下ネタに走らない。 性交を思わせる直接的な言葉で自分の気持ちを伝えない。 本気なら普通に付き合いを申し出ろと。 そうして坂田が受け取ったのは今は診療所を軌道にのせることで頭がいっぱいだから、まずはお友だちからというテンプレートじみたものだった。 一喜一憂する男を宥め、持ち上げ、真面目に働いてデート資金ぐらいはひねり出せと背をおしてやる。 おしたら、成功したか否かの報告をするために、また呼び出されることを繰り返している。 相手から思う様な反応を引き出せず、落ち込んでいれば励まし、 うまくいけば油断するなよ腐れ天パと気持ちを引き締めさせてやる日々。 焦るなという言葉通り、手すら握っていない状態だが、兄にも紹介してもらったらしいから、相手も憎からず想ってくれているのだろう。 いつか、坂田が女と結び付けば、こうやって約束をした上で二人で飲むこともなくなる。 もしも、所帯でも持つようになればなおのこと。 そんな時、ぽつりと小料理屋で溢された。 「土方って…あれだよね。誤解されやすいタイプだよな」 「なんだよ。藪から棒に…」 「いやさ。こう見栄え良いんだけど、悪食だし、瞳孔ガン開きだし、口は悪いし」 「喧嘩売ってんのか?テメーは」 手酌で熱燗を継ぎ足しながら、眉を顰めた。 「でも、近藤とか沖田とか上にも下にも問題児にも抱えてても、苦にするでもなくフォローしてまわってさ、こう仲悪い俺の相談親身になってくれてさ、いい奴だなぁって」 「テメーに褒められると気持ちが悪ぃ」 坂田の褒め言葉がくすぐったく、そう思わせている己の言動がもたらす痛みにいつまでたったもなれない。 「オメーが女だったら、惚れてたかもしれねぇなぁ」 半分酔っぱらいのセリフだった。 零された短い、本人に他意はない。 いや、逆に褒めたつもりでさえあったのかもしれない。 ただ、坂田自身に惚れて、それをひた隠しにして、 そのうえで、人の良い振りをしている土方にとってその言葉は思いのほか衝撃を与えてきた。 (痛ぇ) 時が経てば、いずれは消え去る痛みなのか。 元から、真選組に命を捧げる土方には新しい恋でまぎらわすという発想はない。 ただ、胸をぎゅっと抑え、静かに己れの中の渦をやり過ごすことしか、どうしようもない。 それでも、坂田が待ち合わせ場所に現れた土方を見て、ほんの少しでも嬉しそうに目を細める姿をみたくて、土方は出向いて行くのだった。 懸念を一つ、胸に。 『ひとりよがりの空 弐』 了 (42/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |