うれゐや

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『水馴れ 後篇 』




銀時が土方を連れてきたのは万事屋ではなく、こじんまりとした宿だった。


川のほとりにあるその昔ながらの旅籠にバイクを乗り付けると、
事前に連絡を入れていたのか、銀時は迷いなく入っていく。

土方は慌ててその後を追った。


「急にわるいな」
「なんの、銀さんの頼みとあっちゃ断れねぇよ」
出迎えた老人は機嫌よく銀時を迎え入れ、そうして土方にもにこやかに礼をした。

「古いばっかりの宿屋ですが、どうぞごゆっくりなさってください」
何と答えていいのかわからず、一礼をして返すことしか取りあえず出来ない。

「爺さん、一番奥の部屋でいいよな?」
「あぁ、構わねぇぞ。食事はどうするよ?」
「う〜ん…風呂入ってから、軽くな」
「そうだな、お連れさんはお疲れのご様子だからな。その方がいいだろうね」
「じゃ、頼むわ。ほれ!行くぞ」
ぼんやりとしていると、銀時に声を掛けられ、慌てて靴を脱ぐ。

「お世話になります」
話の流れから、ここで多少の時間を過ごすつもりなのだろうと、もう一度頭を下げた。

「いやいや、本当に大したお構いもできませんから」
まぁ、好きになんでも使ってくださいよと老人はカラカラを笑った。

それに何とも言えない感情をふわふわと感じながら、
疲れすぎた脳はこれ以上の思考を拒否しているようだと、諦めて銀時を追い2階へと上ったのだった。


「ほら、いい感じだろ?」
銀時が勝手知ったるという感じで入って行った部屋は素朴ながらも、
手入れの行き届いた客室。

「この部屋だけ、内風呂がついてるんだぜ?」

昨今のホテル、もしくはいわゆる温泉宿では当たり前になった内風呂も、
このような小さな旅籠では珍しい。
かといって、連れ込み茶屋という風でもないのだ。

銀時も同じ感想を持っていたのか、
珍しいよな、旅籠の筈なのによとクツと喉を鳴らして笑う。


「なんで…」

何故、銀時は現場に、そして土方の休みを把握していたのか。
何故、いつものように、安っぽいネオンの瞬いたホテルでも、
万事屋の煎餅布団でもないこんな宿屋を用意していたのか。

「ん〜偶にはね。銀さんも頑張ってみただけ」
窓の桟に軽く腰掛け、銀時が手招きをする。
川が流れている風景を見ることが出来る。

「こんな…」
「ん?別に大丈夫だよ。爺さんには貸しがあるからな」
銀時の、万事屋の懐具合を心配されたと思ったのだろう。
ひらひらと手を振ってそう答えられる。

「じゃなくて、男連れでその知った顔の…」
「あぁ、そっち?うん。別にね」
手を引かれ、腰に腕を回される。
座ったままの銀時の頭が丁度胸部に当たり、その顔は見えなくなった。

「いいじゃん。別にさ。本当は自慢したいだよ?頑張ってる十四郎を」
「…自慢って…別に俺は何も…」
「うん。でもさ、頑張ってんじゃん?こんな細くなるまでさ」
どうやら、腰に回された腕の加減で、減った体重を察知したらしい。

顔をあげ、今度は節ばった手が頬に触れてきた。
いままで、銀時のこんな顔は見たことがない気がした。

一応、お互いを決まった相手だと定めて、
それなりの時間が経つというのに。

いつもの死んだ魚のような眼をしているわけでもなく、
閨で見せるような、貪欲な肉食獣のような顔でもなく、
護るモノのために剣を振るっている時のような煌めきがあるわけでもなく。

まるで…

(愛おしい物を見るみてぇな…って!なんだよ…コレ…)

そんな言葉に行き当たり、動揺する。


「とりあえず、風呂入ってこいよ」
土方が怪訝な顔をしていたことに気が付いたのか、そういって銀時も立ち上がる。

宿が用意したタオルと浴衣を手渡され、奥のスペースに設えられた風呂場に押しやられた。

「溺れんなよ」
「バーカ、誰が風呂で溺れるかよ」

いつも通りの軽口であるはずなのに、
一度意識すると、小っ恥ずかしさが襲ってきて土方はぴしゃりと内風呂への扉を閉めたのだ。







「あ…?」

土方は寝返りをうとうとして、目を覚ました。

記憶の最後で、土方は風呂に入っていたはずだ。
料亭というわけではないのに、続きの間にある風呂はそれなりに立派なものだった。
ひのきで作られているらしい湯船は、けして小さい方ではない土方がゆったりと足を伸ばせるサイズであったし、すぐそばを流れる川の音も悪くなかった。

ゆったりと浸かり、自分は疲れていたのだなと息をついたところまでは記憶にある。


それが、なぜか銀時に抱きこまれて布団の中にいるのだ。


「おい…」
「目ぇ覚めたか?」
低く呼べば、熟睡していたわけではないらしい銀時の声が額辺りに触れてくる。

「溺れんなよっていったのに、ホントに眠りこけてんだから」
呆れたように言われ居た堪れなくなる。
恐らく銀時は自分を風呂から引き揚げ浴衣を着せて布団に運んでくれたのだろう。

「起こせば良かっただろ?」

午後11時。
行燈の抑えられた灯りが柱時計を辛うじて読み取らせてくれた。

食事を用意してくれていたであろう宿屋の主に悪いことをしたと眉間に皺を寄せる。

「腹減ってるようなら、爺さんが握り飯と摘まむもの用意してくれてる」
確かに、部屋の隅に膳が置かれていた。

「心配しなくても、喰わないなら明日の朝飯にさせてもらうっていってるから。どうせ、朝まったりするつもりだったから朝飯わかんねって断ってたんだからよ」

「なんで…」

抱き込まれているから、銀時の顔は見えない。
「メシ、喰わねぇなら寝るぞ」

「…ヤんねぇのか?」
今日は本当に銀時らしくないと感じる。
いつもなら、多少土方が疲れている時に限って、激しかったり、ねちねちと濃いつながりを求めてくるのだ。

「今日は…な。神経高ぶって眠れねぇわけじゃなさそうだから」
それは、逆を言えば、疲れすぎてアドレナリンの分泌が激しい時は、
抱き潰して強制的に眠らせていたということなのかという考えに行き当たる。

「茨道を駆けてるオメーの姿、嫌いじゃねぇけどさ」

疲れてる時には休んで欲しいじゃん?

銀時の顔はやはり見えない。
見えないが、今はそれが有り難かった。

きっと、先程のような甘い顔をしているに違いないし、
相手の顔を見る自分の顔も銀時自身に見られたくなかった。

「それとも、シてほしいの?」
「おやすみ」

明らかに今度の問いはふざけていたが、どちらにしても顔があげられない。

「おやすみ。十四郎」

土方を囲んでいた体温が少しの間離れ、そして行燈の灯りがふっとかき消されたのだ。





次に目を覚ました時には既に、太陽は天高く昇っていた。

「おい!」
すぐ隣に、眠る銀髪の頭に声を掛ける。
朝食は不要と伝えてるとはいえ、昼前には退出すべきだろう。

「ここ、何時までの約束になってんだ?」
「あ…?ん…」
寝ぼけているのか、土方の浴衣の襟をつかんで引き寄せると、胸辺りに顔をすり寄せてきた。
そのまま、銀時の掌がするりと合わせ目から侵入してくる。

「おい!」
「ん〜?大丈夫だって…オメー明日も休みなんだろ?」
「なんで知って…」
ぐいっと引き寄せられ、口を塞がれる。

生暖かい舌が入ってきて、絡め取られた。
歯の裏側を舐められ、思考が攫われる。
しかし、いつものような、じんわりと腰に這い上がってくる衝動とは
また異なる力が抜けるような刺激。

一度、口を離して、土方の唇をやんわりと甘噛みしてくる。
そうして、触れ合ったままの口を開けた。

「銀時」
「ん?」
銀時の眼は細められ、穏やかな顔をしていた。

「腹減ったんだけど?」
「ぶ!オメー、今この雰囲気でそれいうか?!」
予想外だったのか、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしているから、
驚かされてばかりの銀時の行動に一矢報えたような気分になって、喉でわらった。

「俺は昨日朝飯以来何も喰ってねぇンだよ」
「そりゃ悪かった」
調子を取り戻して、悪かったと言いながら、くすくすと笑う男をぽかりと土方にしては軽く叩くと布団から抜け出す。

「あ?どこ行くんだよ?」
「風呂!入ってさっぱりしてくる」
夕べは使っただけであるし、銀時の様子では宿を発つにはまだ時間がありそうだと判断した。

「あ、じゃあ今度は俺も…また溺れたら怖ぇからな!」
「溺れさせんなよ」
「なに?銀さんに溺れてますって、それ遠まわしなデレなの?」
「全然違ぇよ!」
そうは言いつつも、本気で止めていないのを銀時もわかっているのか、
自分用のタオルを持って少し遅れてついてきた。



「これ以上溺れようがねぇんだよ。バーカ」

まさに、水に浸ってその身が馴れ切ってしまうがごとく。


1メートルほどの距離でも聞こえないほどの呟きを零して。

ほんの一時だけ、真選組の副長でない『土方十四郎』として、
銀色の液体に時に甘やかされ、
時に刺激され、
流れていく休暇もいいかもしれない。

そんなことを想い、土方はくつりと笑った。




『水馴れ』 了





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