壱みぞれ混じりの雨がバラバラを屯所の屋根を叩く。 そのくせ、四角い窓に切り取られた空は、湿度を含んだ重たい雲が半分と煌々と煌めく冬の星座が共存している。 「おかしな天気だ…」 土方はつぶやく。 その声に被さるように、がふがふと水が粟立つ音が室内に響き渡った。 滑車のついた綱を引けば、逆さ吊りにされたまま水に顔だけを漬けられていた男が引き上げられ大きく咳込む。 「吐く気になったか?」 「き、貴様…ら、幕府の狗…に同士の名をおいそれと語るものかっ!」 「意外に根性あるんだな」 口の端だけ、しかも片方だけを僅かにあげる。 「どちらがいい?」 捕らえられた男は何を選択されているのか分らず、黙り込む。 「生爪と指、一本一本剥ぐのと、一本一本折っていくのと…」 「どちらがいい?」 選ばせてやる。 鬼は嗤った。 その数日後、大規模なご用改めが真選組によって行われることとなる。 過激派と分類されるその攘夷一派の殲滅の折り、 真選組も重軽傷隊士十名、死者一名の被害を受けたと江戸のマスメディアは一斉に報道したのだ。 久々に『万事屋銀ちゃん』に入った仕事は古ぼけたアパートの片付けだった。 大家の話では借りていた男から、急に江戸を離れることになったから契約を解除したいと電話があったらしい。 言い値を支払ってもいいから家財の処分も、と言ってきた為に、銀時に声がかかったのだ。 「よいっせっ」 小型の水屋を拭きあげ、部屋の外に運び出す。 使えそうなものはリサイクルショップに回すから、あとで軽4がやってくる手筈になっていた。 しかし、と万事屋の経営者・坂田銀時は荷物を見渡す。 本当にここに住んでいたのだろうかという荷物の量だった。 テレビもなく、家電と言えば単身者用の冷蔵庫ぐらい。 それも中にはペットボトルのお茶が申し訳程度に入っているだけだった。 小さな卓袱台。 台所には薬罐と小鍋。 一組の煎餅布団。 そして、唯一充実しているのが救急箱。 「銀さ〜ん!これどうしましょう?」 押し入れを整理していた新八が古びた行李を持ってきた。 余り大きなものではない。 「衣類…は衣類なんですけど…」 男物の下着が数組と寝間着。 「行李…ぐらいは質屋が買い取るかもしれねぇが、今時使うやつもいねぇだろうしな。 着替えは捨てるしか…」 「そうじゃなくて、コレですね」 1枚のスカーフ。 白い、一見なんの変哲もない首に巻く布切れ。 ただ、ひと角にひっそりと施された刺繍に見覚えがあった。 「これ、土方さんの…ですよね?」 銀糸で描かれた梅の花。 妖刀騒ぎの時に見た。 幹部である証とも言えるそれに土方は柄にもなく花をあしらっていた。 きちんと巻き、隊服の内側に挟んでしまえば見えない部分。 外からは見えないところへの『粋』 武骨な田舎侍と思っていたのに、意外に洒落者だったのだなと新八と話した記憶がある。 真っ黒な髪と瞳孔を開いた武装警察真選組の副長土方十四郎。 「どうしましょう?」 「どうしましょう…っつってもなぁ…」 この部屋の主がどんな人物であったのか知る材料はあまりない。 真選組関係者かもわからない。 依頼通り、廃棄するか、土方に知らせるべきだろう。 この部屋の借り主がどういった経由で手に入れたものからはわからないが、それが一番正攻法だ。 (土方…) 何かが銀時の六感を刺激する。 土方十四郎。 近藤勲を長として、対攘夷(テロ)活動取締の為に設立された警察機関の副局長。 『真選組の頭脳』。 『鬼の副長』。 厳つい異名を冠し、瞳孔を嬉々と開いて、刀を振り回す武骨な性質。 涼しげな目元。 すらりとバランスのよい姿態。 けして、女性的ではないが、男も女も引き寄せる艶がそこにはある。 銀時は最初のうちは気にくわない男だとカテゴライズしていた。 認識が変わったのは花見の時だろう。 きっちりとした隊服ではない着流しと、 意外にのせられやすい性格と自分とも共通する意地っ張り度。 どこか隙だらけな男を嫌いではないと思った。 あれから、『腐れ縁』は続いている。 不器用な男だ。 惚れていた女の幸せを願いながら、その手をとることはせず、 上にも下にも問題児を抱えて、荊道を傷だらけになっても進む。 近藤を、真選組を護る一振りであろうとするが故に。 では『土方十四郎』は誰が護るのか。 時折、銀時は考える。 本来であれば、土方が護ろうとしている真選組がすべきことだろう。 銀時が新八や神楽を護ると同時に支えられているように。 けれど、銀時と土方の間には大きな隔たりがある。 銀時はすでに戦場を退いた。 夜叉は確かに内側に潜んでいるが、銀時の『武士道』を食い破ってまで表にでてくることはない。 一方、土方は現役の鬼だ。 しかも、銀時の時のように、仲間を護るという一つの目標を持って刀を振るうのではなく、『真選組』という組織のために息づかせて、飼い馴らしている鬼だ。 それが、最近、とても気になるのだ。 腐れ縁と呼ばれる結びつきでもなく、喧嘩相手という間柄でなく、 違う距離感で銀時は土方に近づきたいと最近になって思うのだ。 不思議なことに。 「銀さん?」 押し黙る銀時に新八が声を再びかけてくる。 「あ〜、それ沖田君辺りなら高値で買い取ってくれっかなとか」 「いくらなんでも」 「そうネ。アイツならきっと自分で盗んで五寸釘打ってるアル」 「んなことやってんの?あのドえす王子」 乗ってきた神楽の問いにこれ幸いと銀時は更に冗談めかして誤魔化した。 「銀さんも真に受けないで!流石に丑の刻参りはないでしょう。切りつけてるとか、燃やしてるとか…」 「うわ…なんか新八…ソッチの方がリアルでキモいアル」 「ちょっ!キモいとかいうなっ」 「ほら、神楽仕方ねぇよ。眼鏡だし?きっと自分がされたことあっからリアルなん…」 「眼鏡関係ねぇし!そんな陰湿ないじめ受けてませんって!あ!」 新八の手からスカーフをビッと取り上げて懐にしまう。 「銀さん?」 「一応な大家に借主のとこに送り返すなり、処分するなり相談しとくわ」 後で妙な言いがかりつけられても嫌だから。 言い訳しながら、片付けを再開させる。 「ほら!日がくれる前に終いにして、飯食いにいくんだろうが!」 本当は、色々言い訳をしてはいるが心のどこかで銀時は知っていた。 土方十四郎が気になる理由を。 その感情の名前を。 懐の布切れ一枚がやけに重く感じられたのだ。 『氷雨と 壱』 了 (51/212) 栞を挟む |