うれゐや

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【献上品・企画参加】 | ナノ

『やわらかい檻−後篇−』




唐突に土方は目を覚ました。
ぱちりと開いた視界にすっかり見慣れてしまった木目が入ってくる。

仕事が一つの山を超え、久々の休みを取れることになった。
土方の業務上、シフト通りに休みに出来るかどうかはギリギリになるまで分らない。
夕べも、深夜と呼べる時間まで書類を片付け、それから、世間一般的に恋人、と恐らく呼ばれるのであろう男の元へ電話をしたのだ。

自分がどこにいるのかを把握して、携帯で時間を確認すれば、6時を回ったところ。
アラーム機能は作動していなくとも、習慣で目が覚めてしまったようだ。

ひとつ深い深い溜息をついて、枕元に携帯を放り投げる。

「ため息、か」

たまたま居合わせた居酒屋。
たまたま見られてしまった溜息に銀時が「ため息だって、そんなに悪いもんばかりじゃない」と言葉をかけてきたのはずいぶん前のようで、極々最近のようにも思われる。
あの晩以来、坂田銀時は土方のため息を言葉通りに吸い上げて、浄化させようとするようになった。

寝返りを打つ。
隣の空間はまだ温かいものの、銀色の跳ね返った頭はない。
普段は寝汚い男も、土方が泊まった朝に限り早起きだ。
怠惰な通常の態度からは想像もつかない細やかさで銀時は土方の世話をする。
夜のうちに布団を汚した筈の二人分の色々な体液は跡形もなかった。
おそらく、土方が意識を飛ばしてしまった後、身体を清め、シーツを変えた。
夜明け近くのことであろうに、もう男は台所に立っている。

香ってくる出汁の香り。
粉末の出汁ではない、一から手間を惜しまず取った出汁で作る味噌汁。

想像するだけで、土方の身体は空腹を訴えてきたが、それ以上にまだ眠たい。

瞼を降ろせば、自然と意識はふわりふわりと揺蕩っていく。

「土方?ってあれ、また寝ちゃった?」
「………起きたくねぇ…」

襖の向こう側から銀時が、近づいてくる気配がある。
くぐもった声で答えると、追うように掛布団が少し捲られて、3月になったばかりの冷たい空気と共に銀時が滑り込んできた。
下ごしらえだけ済ませて二度寝を共にするつもりらしい。

「暖けぇ…」
「俺は冷てぇ」

それほど多くを知っているわけではないが、眠たい時の生き物の体温は高くなっている気がする。
土方を抱き込んだ男もそれを堪能しているのか、冷たい鼻先を頭にすり寄せているようだった。

「今日は一日休みなんだから、寝てたら?」
「ん…」

少しずつ土方の体温が銀時に移り、銀時の体温が土方と同じになっていく。
目が覚めたら、出汁巻を作らせよう。
薄れていく意識の中、ぼんやりと考えた。



次に目が覚めたのは、太陽が天頂に昇りかける時分だった。
身体を起こせば、あれほど疲弊していた身体はずいぶんと調子を取り戻していた。

隣でまだ寝ている銀時を見る。

確かに、このところにないほどの睡眠時間を摂るには摂ったが、月単位で酷使してきた身体を十分に休めるほどの時間が経過したとはいえない。

それでも、銀時とゆるやかに身を結んだ次の朝は重たく澱んでいたものがすっきりとして、回復したような気分になるから不思議だ。

本来、銀時と身体を結ぶことは土方の身体に大層な負担がかかる行為なのだ。
濡れもしなければ狭すぎる場所に、受け入れる。
どんなに出来るだけの準備をしても、快感を拾うことが出来ても自然な交わいではない。

付き合い始めて、それなりの時を過ごし、それなりの回数、つながってきた。
逢瀬の時間が取れず、互いの欲を吐き出すことを優先させて、慌ただしく繋がったこともある。
小さな喧嘩の延長で、乱暴に仕掛け、または仕掛けられ貫かれたこともある。
言葉で煽り、煽られ、恥ずかしい想いをさせられたこともある。
その度に、あらぬところが痛んだり、日ごろ使わぬ筋力が悲鳴をあげたり、仕事に差し支えが出るほどでははないにせよ、唇を噛んできた。

けれど、土方が本当に疲弊した時だけは、違う。


「ひじかた?」

銀時が掛けてくれた着流しまで煙草を取りに行こうとしたが、腰に絡まった腕に阻止される。

「煙草」
「んー…待って…」

引き寄せられて、口を吸われた。
浅く深く。
角度を変え、舌を絡めあう心地よさ。

「ふ…」

鼻に抜けるような声が口と口の隙間から零れ、羞恥に耳を染めた。
歯茎の裏を丁寧になぞり、官能を引き出していくのに、どこか動物同士の慰撫にも似ていた。土方が疲れ切った時に限って交わす情はふわふわした髪に指を絡めるなら、本当に毛づくろいをし合っている気分にすらなってくる。

甘やかせてと銀時は嘯き、土方を甘やかす。
甘えるなと言うけれど、銀時の体温が欲しくないわけではない。

銀時の欲を満たすことは二の次で、土方が欲しいものを与えてくる。

甘えたくはない。
でも、甘やかされている。

へそまがりが二人。
譲れないモノが二振り。

話せないことも、話していないことも沢山ある。

依存は出来ないと知っている。
共存は出来ると知ってしまった。

ぎゅっと抱きしめられても、同じ体格であるからどうしてもはみ出してしまう己の身体を見下ろす。

軟らかな檻。

唇を離して、流し込まれた銀時の唾液を嚥下した。
こくりと動く喉元に銀時の視線が向いたことを知りつつ、言い放つ。

「…出汁巻卵」
「……ハイハイ…」

名残惜しそうに腕が離れていく様子に土方は小さく笑う。

いつでも逃げられるようにあって、心の真を捕えられ、逃げられない檻。
この同じ体温でいられる檻の中だけだときっと男は思っているだろうが、とうの昔に手遅れだ。

檻は身を離しても、土方を囲い続ける。

スキダ。
アイシテル。
ホレテイル。

言葉はどうにも上滑りしていく気がして口には出来ない。
言葉のうちに収まらないのであるから仕方がない。

銀時の土方を時折預け、
土方の銀時を貰い受ける。

掛布団を大きく跳ね上げて、土方は顔を洗いに動き出した。




応接室に戻ると、きちんと朝食が出来上がっていた。

リクエスト通り、ふっくらと焦げ目なく焼かれた出汁巻卵。
大根おろしが添えられた焼シャケ。
胡瓜と白菜の浅漬け。
そこに盆に載せた玉ねぎとわかめの味噌汁と白米を運んできて配膳する。

一つ一つの量は多くはない。
けれど、見るからに朝ごはんらしい朝ごはんだ。

手をあわせて、戴きますと挨拶してからマヨネーズを掴んで彩る。
銀時が目を逸らしていたが、マヨの至高性がわからない人間がおかしいのだと知らんぷりをして、口に運んだ。

「漬物、気に入った?柚子入れてみたんだけど」
「まぁ…そうだな、美味い」

土方が小皿におかわりをよそった様子を見て、銀時が目を細めた。
普通の浅漬けだと思っていたが、昆布の風味の他に軽く柑橘系が香る。
マヨネーズともマッチして、漬物としてではなく単品でも箸が進んだ。

「あら、素直」
「うるせぇ。美味いときには美味いって言う」

銀時は茶々を入れずに、シャケの皮を少しだけ引き上げた口へと運ぶ。
居た堪れない。
軽口を、嫌味の一つも言われた方がいい。
言い返す気力は戻って来たのだから。

「飯が終わったら…」
「ん?」

珍しい切り出しに今日はプランがあるのかと、底の見え始めた味噌汁椀から目を離したが、すぐにその視線は銀時にではなく、机の上に置いていた携帯の呼び出し音に移動した。

呼び出しの名前を見て、一気に味噌汁を飲み込んで、即座に通話ボタンを押した。
一方で銀時は茶を飲み干すと、無言で手を合わせて立ち上がる。

『副長、お休みの日にすみません』
「かまわねぇ。どうした?」
『奉行所より戌威星大使館職員を人質にした立てこもりがあったとの…』
「近藤さんは?」
目で立てかけている刀を探し、茶を一口だけ飲んでから、土方も立ち上がった。

『すでに六番隊と現場です』
「わかった。30分で戻…う、ぉ!」

銀時が投げてきたヘルメットを辛うじて携帯を持っていない方の手で受け止める。

「…10分で戻る。九番隊用意させとけ」
『了解です』

回線を切断し、改めて、銀時を見た。

朝食が終わったら、何か予定を立てているようであったけれど、もう今日は叶わないだろう。
何一つ、銀時の役にたっているとは思えない。
日頃、言いたいことを言い、身体を互いに貪るような交わりをする時には考えないが、こうやって甘やかされてばかりいる朝には心配になる。
銀時の心の空洞と、押さえつけている沢山の悲しみと、後悔。
口にせずとも伝わってくるそれらを補完することは自分には出来ない。
いくら、銀時が誰かに求めるつもりがないからといって、よりよって自分のようなものと一緒におらずとも、別の人間とともに時間を使う方が和らぐのではないだろうかと。

銀時を甘やかせることは土方には出来ないのだ。

「土方をな」
「あ…?」

赤みかかった瞳が土方を捕えていた。
その奥に小さな炎を見つける。
先ほど停まった話の続きだと知れた。

「飯の後、おかわりしてぇけど、神楽戻ってくっから外に行かねぇかなって思ってた」

また、今度な。
そう続けて、羽織を手渡された。
口八丁の男の言葉は土方の思考の先を読んで、変えた可能性が容易に透けて見える。

謝罪の言葉も、遠慮の言葉も言わせない男に噛んだ下唇を指の腹で撫でられた。

銀時にしか出来ないこと。
銀時以外にはさせはしないこと。

「朝っぱらから、盛るな」

せめて、夜にしろ。
ならば、土方も軽口を受けて、そう答えるしかない。
銀時が、また、と言うならば。

「あ、時間大丈夫か?」
「くっそ!てめェがつまんねぇこと言い出すからだろうが。さっさと送れ」

扉はいつも開いている、やわらかい檻。
閉じ込めて、閉じ込められて。

意地を張って生きていく。

二人は夕べやってきた道と同じ道を。
星ではなく、朝日の照らす春の道を軽快なバイクの音と共に戻って行ったのだ。





土方は、こうやって万事屋から朝方送られる場合、通常であれば屯所の裏門側で降りる。
だが、銀時は制止する間も無く、表門近くにスクーターを乗り付けた。

「土方」

ヘルメットを取って、手櫛で髪を整える土方に銀時は静かに声を掛けた。

「おめェの生き様ぁ、俺が見届けてやっから」

男の視線は土方を、土方の後ろに見える真選組、そのものを見ていた。

「余計なお世話だ。てめェこそ…」

互いに内部不干渉。
言いつつも、数えきれぬほどの腐れ縁を結び続けてきた真選組と万事屋一行だ。
これからも、何かとぶつかることもあれば、関わることもあろう。

「てめェこそ、どっかに勝手に野垂れ死ぬんじゃねぇぞ」
「あー…まぁ、大丈夫なんじゃね?」
「嘘臭ぇ」
「…俺はオメェを甘やかすために戻ってこなきゃなんねぇって思えるし、
 オメェは次走る為に俺んとこで甘やかされる。それでお互いフィフティだろ?」
「…甘えねぇよ」

いつも通り答えたつもりであったが、声が掠れてしまった。
恰好がつかないと渋面を作るが、タイミングよく携帯が再び鳴った。
10分を疾うに過ぎて、しびれを切らしたらしい九番隊の二木の番号だ。

「ほらほら、副長さん。お仕事お仕事!」

土方は、己の居場所へと走り始める。
同時にスクーターも走りだす音が背後でした。

時に交り合り
時に反発し合い、
時に叱り合い、
時に甘やかせ合う。

いつか話そう。
睦言でもなく、事実として。
やわらかい檻はその腕の中に土方が疲れ切って身を委ねている時だけ出来るものではないことを。
甘やかしたい男に甘やかされたくない男がいつか。

その時、男がどんな顔をするか。
想像して、笑った。



「今、着いた。準備は出来てるな?」

携帯電話の通話ボタンを押しつつ、土方は屯所の門をくぐったのだ。




『やわらかい檻』 了




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