うれゐや

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【献上品・企画参加】 | ナノ

参−2月13日午後−




全く手を付けていなかったグラタンのセットはすっかり冷めてしまっていた。
表面の焦げ目をフォークでつついては見るが、食欲はわいてはこない。
ならばとコーヒーを引き寄せるが、こちらも冷たくなっていて、喉を冷やすばかりだった。

諦め気味にもう一度煙草を引き寄せて、ここまでの出来事を思い出してみる。

どの女も調べ事の進捗を確認に来た、というよりも土方自身の様子を見に来た風に思えてならない。
その意味が解らない。

温度の下がったコーヒーの水面にマヨネーズはなかなか融けないまま氷山のごとくそこに浮かび続けている。
直接スプーンで掬って口に運ぶ。
マヨの味が口いっぱいに拡がるが、気分は高揚しなかった。

「奇妙だな…」
「奇妙なのはオメェだって」
「ぶっっ!」

いつの間にか、先ほどまで月詠の座っていた場所に銀時がいた。
油断していた。
焼き鳥屋の時といい、どうにも何処か自分の螺子は緩んでいるらしい。
これが攘夷浪士相手であったらどんなに危険なことか。
吹いてしまったマヨネーズを紙ナプキンで拭いながら、舌打ちする。

「な、なんでてめェがここにいるんだ?」
「なんでここに、じゃねぇだろ?
 あのさぁ、普段、副長さんは尾行とか張り込みとかしないわけ?
 あんな見つけてくださいーっていわんばかりについて来られた日にゃ、
 銀さん、心配になるわ」
「マジでか…」

螺子が緩んでいるどころか、外れて床に落ちてしまっていたらしい。
天井を見上げれば、チェーン店特有の安っぽい梁が目にはいり、アレを斬ったら店が倒壊して逃げられるだろうかなどと出来もしない逃避をしてしまう。

「ま、事前に新八にゲロさせてたからってのもあるんだろうけどな」
「メガネ?」
「こっちの緊張もふっとんじまうぐらい、そわっそわしまくりな顔で毎日見られてみ?
 誰だってこりゃ何か企んでやがんのか?って思うじゃん」
がっくりと土方は項垂れた。
銀時はフォローのつもりだろうが、フォローになっていない。

最初からバレていたのであれば、この10日余りの土方の心労はなんだったというのか。
まったくもって無駄もいいところだ。

「じゃあ、俺の要件はわかってんだな?」
「まぁね」

そして、銀時に知られてしまった以上、早くケリをつけてこの場から、この忌々しい事態から抜け出したくて堪らなくなっていた。

「吐け」

吐けといって素直に吐くような男でないことは土方も承知である。
拷問で攘夷浪士の口を割らせるよりも困難だ。
それでも、今はそんな科白ぐらいしか思い浮かばなかった。

正面に座る男は何も言わず、じっと土方を見た。
真っ直ぐな視線を土方も受け止める。
真剣勝負の間にも似た緊張感に背筋がぴりりと張りつめる。
一方で、心臓は命のやり取りをする時よりも脈動を増やし、 しきりに全身へ血液を循環させようとしていた。

「いいよ」

にかりと笑われた。

「なに?」

あまりに予想外の言葉に半音高い声が出て、慌てて唾を飲み込んだ。

「だから、いいよ。教えてやる」
「いい…のか?」
「いいも悪いもねぇよ。明日になりゃ、嫌でも知ることになるかなと思ってたけど、
 予定変更。ただし、今から万事屋に戻ってからな」

天然パーマをかき混ぜながら、周囲に目を向ける。
この場で名前をあげにくい相手なのか、はたまた、勝算のない相手だと思っているのか。
それに、明日になればわかる筈だった相手とは一体。

疑問は尽きなかったが、一先ず、話すと言った言葉を信じることにした。

「さっそく、でいいか?」
「いいけど、おめェ、これいいの?」

ほとんど手をつけていなかった昼食を指さされたが、首を横に振る。
食事など喉を通りそうにない。
店には申し訳ないが、処分してもらうしかない。

銀時は勿体ないと眉を少し潜めたが、土方が伝票を持つと己もソファから立ち上がった。

そうして、二人はかぶき町に、『万事屋銀ちゃん』へと向かったのだ。





「ババァ!もうスポンジ、冷めてんだろ?持っていくぜ」

真っ直ぐ二階に向かうかと思いきや、銀時はスナックの戸を引き上げ、声を掛ける。
営業時間にはまだまだ余裕がある時間帯だが、女将はきちんと髪を結いあげ、カウンターの中で煙草をふかしながら仕込みをしているようだった。

「なんだい。もう捕まえてきたのかい?」

今朝方のカラクリ家政婦との会話を思い出して、土方は聞き出すことに失敗したこと以上に、居た堪れない心持になった。
ところが返事をしたのは銀時の方だった。

「うんにゃ、まだ」
「何ぐずぐず、やってんだい!このヘタレが!シャキッとおし!」
「うっせぇよ!心の準備つうもんが必要なんだよ!まるっと一日早まったんだよ?
 銀さん!繊細なんです!」
「どこがだい!家賃3か月も4か月も滞納するような厚い面の皮した奴が良く言うよ!
 副長さん、引き返すんなら今のうちだからね!」
「あの…?」

土方を置いて、躱され続ける会話に戸惑った。
お登勢も銀時が土方のことを調べていることに気が付いていることを知っていたらしい。
その上で、たまに伝言もさせた。
深意が見えなかった。

「ちょっとちょっとちょっと!勘弁して!まだ、何も始まってないうちから
 ババアのおせっかいでぶち壊すの勘弁して!ほら!土方、上行くぞ上!
 話は上でゆっくりな!」
「オイ!万事屋っ!」

銀時は片手にこげ茶色をしたスポンジ台、片手に土方の襟を掴んで、強引にお登勢を出た。
遠ざかっていくお登勢が煙草を持った手をひらひらと振り、カラクリ家政婦は深々と礼をする。

土方の邪な想いに気が付いていて、さりげなく諦めさせようとしていたのではないのか。
お登勢の態度はどうにも違う気がする。

「オイ!万事屋!あぶねぇから離せ!」
「あ、悪ぃ。でも、ここまで来て逃げるなよ」
「…逃げねぇよ」

着物の襟を掴んだまま、階段を上がろうとする男に怒鳴ると、また奇妙なやり取りが交わされた。
どうにも調子が狂う。

チョコレートの贈り先を銀時が知られたくなくて、逃げるのではなく、なぜ土方が逃げる心配をするのか。

カラリと戸締りをしていない不用心な扉は軽い音を立てて開かれた。



「はい、これ洗って」
銀時は引き入れた土方を応接室ではなく、台所に連れていった。
ビニールハウスから持ち帰ってきた紙袋から箱を取出し、差し出された。
中には真っ赤な苺が丁寧に並べられていた。

「見事だな」

意識して、苺を見たことのない土方でもわかる。艶も色も明らかに、粒が揃っていなくても食べ頃であり、手間をかけて作られた作物だ。

「だろ?あ、ザル、これな」

自慢げに返事を返しながら銀時はスポンジを包丁でスライスし始める。
仕方なしに、土方は水を張ったたらいに箱からそっと苺を浸す。
ころころと水の中を泳ぐ赤い果物を傷つけないように気を付けながら、一粒一粒、指示されたザルに引き上げる。
慣れない手つきで土方が作業をしてる間に、銀時はスーパーで買ってきた生クリームと刻んだチョコレートを鍋に入れ、火をつける。

「そこの布巾で水気とったら、切って」
「…どれくらいの厚さにすればいいんだ?」
「どれくらいって、適当?ケーキの間に挟む奴だから、それくらい」
「具体的に何ミリだよ」

土方とて、包丁ぐらい握ったことはある。
近藤の道場に転がり込んでいる頃は似たような環境の者たちと当番制で煮炊きをしていたのだから。
だが、まじまじと見たことのない菓子の材料等、想像がつかない。
素直に尋ねれば、男は困ったような、はにかんだような、見ているこちらが落ち着かなくなるような顔をして、鍋を掻き混ぜる手を止めた。

「あー…くっそ…ミリ指定とか!なにそれ…
 3、4ミリ?クリームで調整できるから大体でいいんだよ」
「そうなのか?」
「そうなの」

ふつりふつりと鍋の表面が動き、慌てて銀時は意識をそちらに戻す。
土方もまた作業を再開した。

「さて、んなもんでしょう」

鍋底を氷水でさますと、クリームはやや固さを帯びてきた。
それを切り分けたスポンジに一度平たく塗り、土方が切った苺を並べていく。
さらにクリームを乗せて、スポンジを、同じ作業を繰り返し、上や側面にも器用に塗りつけていった。


楽しそうに男が作ったケーキを、誰が受け取るのか。

ほんのわずかな時間だけ、忘れてしまっていたが手持無沙汰となって、銀時の節ばった手が繊細な作業をこなしていく様を眺めるうちに思い出してしまった。

「土方」

ココアを茶こしでふりかける手を休めることなく、声をかけられ、憂鬱の淵からびくりと身を飛び跳ねさせた。

「冷蔵庫からマヨネーズとって」
「マヨ?」

銀時がマヨネーズの素晴らしさを認識したとは聞いたことがない。
意味が解らないまま、言われた通り持ってきて手渡す。

「おい?」

切っていない苺を二つ載せ、マヨネーズの細い口の部分を開いて、文字を書き始めた。

「一日、早ぇけど」
「は?」
「いや、おめェ明日も休みだって沖田くんから聞いていたから、当日屯所に乗りこみゃいいかと思ってたんだけどよ」

紛れもなく、今銀時が作り上げたケーキと銀時の顔を何度も何度も往復させて確認するが、一向に変わる様子はない。

『土方くんゑ』

マヨネーズで書かれた名前と高速で己の後ろ頭を掻き毟る天然パーマ。

「なんの…」
「冗談でもなんでもねぇよ」
「ぎ…」
「義理チョコ、やるぐらいなら銀さん、自分で食う」

逃げ道をふさがれて、また言葉を失う。

「返事はホワイトデーでもいいけど、出来たら早いとこ頼むわ」
「………ドSは打たれ弱いからな…」
じわりじわりと現状が読めてきたけれども、それを素直に口に出来るかといえば別の話だ。

「へ?ちょっと待て!何?俺、ここまでやってフラれる可能性あんの?
 待つってのは、土方くんの気持ちが落ち着くまでって意味でお断りは全く
 想定してなかったんですけどぉぉ!だって、土方くん、銀さんのこと、大好きでしょ?」
「っ?!」
「ババァに頼まれた、お妙達に流された、ってだけで、ここまで大人しくついてくるような
 土方十四郎じゃないでしょ?」

ばくばく、首の後ろの太い血管が脈打つ。
しかも、お登勢という人生の大先輩でも、男の周囲に人間ではなく、当の本人に言い当てられた。口から生まれてきたような銀時のハッタリの可能性も消されていく。

「十四郎が知りたかったんでしょ?」
「…卑怯者…」
「打たれ弱いんで、負ける勝負には手をださねぇの」
「…ギャンブル大好きなくせに…」
「それとこれは別の問題でしょうが」
パチンコも競馬も賭場も元手さえ都合があれば、リベンジできるが、人と人の繋がりはそうはいかない。打たれ弱いドS体質がいうだけに、勝算の捻出には余念がない。

「で、受け取ってくれんの?」

チラリとまだクーラーも上にのったままで、ラッピングどころか皿にすらのっていないチョコレートケーキを見る。

「マヨネーズ、かけていいならな」 

そりゃ、と言いかけて、ふと思いついたようにボウルに少し残っていたクリームへと銀時は手をのばした。
指で掬い取ったチョコクリームをおもむろに土方の唇に塗りつける。

「なっ」
「味見して、それから…」

クリームが口の中に押し込まれる。
ただし、指ではなく、銀時自身の舌だった。

「決めろ」

チョコレートの香り。
甘さと、苦さと。
両立しないようで、している感覚。


大事にしたくて、でも出来なくて、苦しいけれど、それだけでもにない。
護りたいわけでもなければ、ずっと一緒にと約束したわけでもない。

持て余し、打ち捨てるべきものを拾い上げて、全てをいとおしむ覚悟。
土方も、銀時も、明日のことなど知れない生き方だ。

それでも、いとおしいのではなく、いとおしむ。

主体はあくまで己だと。
愛しさも、厭わしさも。


「しかし、一体、彼女たちになんて報告すりゃいいんだよ…」
「なぁに、大丈夫でしょ」

一度離れた隙間でそう途方にくれて呟けば、あっけらかんと返された。

その後、続けられた言葉はかしりと耳全体を口に含まれ、くぐもった音となって、土方には聞き取ることができなかった。
あとで、何を言われたのか確認せねば。
熱で溶けていく意識の隅っこでそんなことを考えはしたが、慌ただしく奥の間へと引きずり込まれ、有耶無耶になっていく。


それから、屋根裏でトンッと誰かが出ていく音だけ耳を霞めた。

−たぶん、今から、女子会、お疲れ様会、やるんだろうから−

恐らく、彼女たちは知っている。
知っていて、遠巻きに、素直でない方法で囲い込んだ。

様々な「いとおしさ」をもって。





そして、万事屋の台所でチョコレートケーキは待ち続けた。
14日の日付を超える頃まで静かに、二人を待ち続けたのだ。




『愛(いと)ほし』 了 


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