序−2月3日−節分の晩である。 柳生九兵衛が柳生家特製蟹のほぐし身たっぷり入った恵方巻き、さらに蟹本体を恒道館に持ち込んだことで、急遽節分パーティが開かれることになった。 さすが、セレブ、というだけの量に万事屋一同のみならず、お登勢やキャサリン、たまに加え、日輪、月詠や晴太といった面々まで招かれることと相成って、賑やかな夜を過ごしていたのだ。 宴もたけなわ。 神楽さえ人心地つくほどには腹も満たされ、酒も十分に回ってきた頃、女性陣の間で十日後に迫ったバレンタインの話題が上りはじめた。 銀時をストーカーする為に、呼ばれずともしっかりと紛れ込んでいる猿飛がくねくねと今年は手作りにするわと呟き、それに対抗してお妙が口火を切る。 「バレンタインに贈られたチョコで腹痛、緊急入院だなんて、銀さんも気の毒ね」 「なっ!あの真っ黒でガチガチな墨の塊よりも悪質な物質しか生み出せないアンタに 言われたくないわよ!」 「あら、心外な。私のチョコはみんな喜んで食べてくれるわ。去年も残さず食べてくれたし。 ね?新ちゃん」 「ハイハイっ!お妙さん!この近藤勲にも勿論チョコありますよね! お妙さんの愛を無駄にはけしてしません!ちゃんと完食します!」 「てめェにやるチョコはねぇってんだよ!」 鍋の前に行われた豆まきの豆で一旦気を失っていた近藤がむくりと起き上がって主張に加わる。 それを、妙は再び殴り飛ばして、眉間に青筋を浮かべながら簀巻きにし始めた。 「そうそう、ゴリラはゴリラ同士で仲良くやってなさいよ!銀さん!起きて! 今年こそはチョコレートプレイするのよね?別にバレンタインじゃなくてもいいけど! いつでもさっちゃんは準備万端なんだゾ?」 当初から潰れた方が得策と踏んでいたのか、当の銀時は一通り、腹が満たされるとお登勢が持ち寄った酒をかなりのペースで飲んで座敷の隅で眠り込んでいた。 そこへ猿飛が叫びながら向かっていこうとするところに、妙は近藤を抱えて投げつける。 飛んで行った近藤を後頭部に受けて、二人は隣室まで吹っ飛んでいく。 「妙ちゃんのチョコは世界一だよ」 「そうよね!九ちゃん!」 九兵衛の言葉にやや機嫌を取り直したものの、どこかまだ黒いオーラを醸すお妙に晴太は少し引き気味になりながら、隣に座る月詠の袖を引く。 「月詠ねぇちゃん、おいらも今年寺子屋で幾つ貰えるかなぁ」 「最近はみんな、手作りにするんだねぇ。月詠、アンタも今年はどうするんだい? 吉原一同じゃなくて、アンタからの手作り送っちゃうかい?」 「ひひひひひひ日輪!何言って!」 「ちょっと!なに!ツッキーも手作りするの? わっちは関係ありんせんーってスカした顔してるくせに、抜け駆け!許さないわよ!」 「抜け駆けもなにも…」 めげずに這い戻ってきた猿飛が今度は月詠に絡みに行き、また、それを眺めていたたまがぽつりと疑問を口にした。 「バレンタイン…ですか」 「なんだい、たま?」 「データにあるバレンタインは『愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣』と あるのですが、みなさん銀時様にお贈りになるのですか?」 「「「なっ」」」 それまで、重なったいるようでいて、実はてんでんばらばらに会話をしていた全員が一瞬でその疑問に反応をした。 「違うのよ!たまさん!本命とは限らないの!義理チョコも! 友チョコも自分へのご褒美も今はなんでもあるの!」 「そうだ!ただ、銀時には皆、世話になったことがあるから…礼を兼ねてじゃ! 他意はない!」 「たま、義理でもなんでももらえれば有難いって輩もこの世の中には大勢いるんだ。 察してやんな」 「そこぉぉぉ!なんで、その哀れなもの見るような目で僕見るんですかっ」 お登勢の言葉で全員が納得顔を今度は新八に向けた。 新八はいたたまれず、膝の上で拳をわななかせるが、実の姉にまで同じ目を向けられて、誰も味方をしそうにはない。 「だって…ねぇ?」 「メガネにチョコぶちまけて欲しかったアルカ?勿体ないネ」 「連名ではなく、今年はぬし宛てにもきちんと用意するから安心しなんし」 「月詠さんん!フォローになってませんん!」 「大丈夫!新ちゃんには私から必ず1個は毎年もらえてるじゃない」 「っ!姉上もっ!勘弁してください!そりゃもらえたら嬉しいですけど!僕も銀さんも! 銀さん…あ?」 同じくモテない男の代名詞、マダオの称号を冠している死んだ魚のような目をした男も仲間だと話題に引き摺りこもうとして、ふと新八は言葉を止めた。 「どうしたの?」 「そういえば、銀さんがバレンタインは、男から贈ってもいいんだよなって、 この間ブツブツ言いながら、料理本を立ち読み…」 新八に何か大きな意図があったわけではない。単純に話の流れから思い出しただけの一言だった。 けれども、空気が張りつめる。 坂田銀時は、万事屋などという商売を立ち上がるだけに、器用ではあるし、食事は勿論、菓子も作れることはこの場にいる皆の知る所だ。 糖分好きを常に声を大にしている男が己の食すための菓子ならまだしも、この意味深い季節に「贈る」などという言葉を口にしていたことが動きを止めさせた。 誰のうちにもするりと入り込みながら、誰のところにもとどまらない印象が銀時にはある。 根なし草という意味ではない。 色恋の意味で誰かを引き入れることがない。 そう皆が心のどこかで認識していた。 その男が、「贈る」つもりになったのかと。 しばしの沈黙は新たな来訪者の声によって破られた。 「邪魔するぜ。こっちに近藤さん、来てねぇか?」 「あ…土方さん…」 「なんだ?間が悪いところに来ちまったか…」 水を打ったように静まり返っていた場に土方十四郎は居心地悪そうに肩をすくめてみせた。 「いえ、構いませんよ。 近藤さんなんて立派な名前を持っているかは知りませんが、 野ゴリラならそこで簀巻きになってます」 「………迷惑かけたな…」 菩薩の様に穏やかな笑みを浮かべてはいるが、声は冷ややかなお妙に反論するでもなく、ここは早く大将を引き取って帰るべきだと察し、足早に近藤の元へ歩み寄り、簀巻きのロープを外そうとした。 「そ、そそうだ!土方さん!土方さんはバレンタインどうしてるんです?」 「は?どうしてるって言われてもな…仕事して…」 一刻も早く立ち去りたい土方の希望は、同じく何とか自分が固めてしまった空気を打ち砕きたい新八によって待ったを掛けられた。 「やっぱり沢山チョコ貰うんですよね?」 「いや、貰わねぇよ?何が混ぜられてるかわかんねぇから、申し訳ねぇがうちの組のモンは 誰からも受けとれねぇことになってる」 「そうなんですか?あれ?でも、近藤さんは…」 「…表向きはな。まぁ、相手がいる隊士は男の方から贈るなんてことしたり、 店で一緒にチョコ食ってくるなんてことしてる奴もいる…」 「やっぱり、男性から贈る人もいるんですね!」 「話の方向が見えねぇんだが…」 どう反応していいのやら、皆目見当がつかない土方に助け船を出したのは、スナックお登勢の主であり、かぶき町の顔役でもある寺田綾乃だった。 「すまないね。副長さん。そこに転がってるマダオが誰かに手作りチョコ贈るかもって 話が出ててね。今時はそんなもんなのかねぇ」 「野郎が?」 ひくりと肩頬を痙攣させた土方にお登勢はいいことを思いついたと声を弾ませた。 「そうだ、アンタ、調べてくれないかい?そこで眠るこけてる木偶の坊の相手」 「っ?」 突飛な申し出すぎて、土方は音にならない疑問の声を口から吐き出そうとしたことだけは周囲に伝わる。 「なぁに!探索は忍びである私の本業よ!私がやるわ!」 「でも、ここにいる皆が知りたいことよ。 公平に中立的な立場の方にお願いした方がいいんじゃない?」 「そうじゃな。この場にいる誰かなら、まぁ結果は直ぐに知れようが、 わっちらの知らぬ誰かなら…」 「そんな人いるわけないじゃない!ストーカー舐めないでよ!」 「さっちゃん、自慢できるところじゃないアル」 「ちょっと待て待て待て!アンタら何勝手に…」 反対するのは猿飛だけらしく、あっさりと他の人間まで同意することに、そして、半分以上本決まりであることに土方は慌てた。 「んなこと、一緒に住んでるチャイナかメガネ辺りが知らなきゃ、俺が調べようも…」 「面白そうなことになってるなぁ」 「近藤さん!いつから起きて…」 膝をついた先で意識を失っていた筈の近藤の目がしっかりと開かれていた。 しかも、話の内容を聞いていたらしく、起き上がりポンポンと土方の肩を叩く。 「いましがた、朦朧とした意識の中に女神の声が響いてな。 いいじゃないか。確か、13日と14日、トシ非番だろ? 巡察先で捕まるのが面倒だから屯所に籠るって言ってたじゃない。 さり気に自慢してたじゃない」 「おぃぃぃ!個人的な僻み入ってんですけどぉぉ!」 「じゃあ、決まりですね」 「任せて下さい!お妙さん、きっと調べてご報告いたします!このトシが」 「人の話、聞けやぁぁぁぁぁぁ!」 そうして、トントン拍子のうちに、近藤を探しに来ただけのはずの土方は、犬猿の仲である坂田銀時の想い人を探すことを引き受けざるをおえなくなってしまったのである。 『いとほし−序−』 了 (183/212) 栞を挟む |