『水馴れ 前篇 』かぶき町で万事屋を営む坂田銀時はため息を盛大についた。 年中閑古鳥が鳴いている万事屋に依頼人が訪れていた。 それ自体は有難いことだ。 そろそろ、4か月目滞納記録を更新中の家賃に、 そろそろ痺れを切らしたお登勢がたまかキャサリンを差し向けてくることも予想されていたし、 ブラックホール的な胃袋を持つ少女と、子犬のくせにやたらデカい犬の同居人お蔭でエンゲル係数は相変わらずのうなぎのぼりなのだ。 本当は仕事を選んでいられるはずがないのは分っている。 理解はしてるのだが、その依頼人も、その依頼の内容も気にくわないのだ。 「旦那」 「なんで、その話を俺んとこに持ってくるわけ? オメーんとこの副長さんと相性悪い俺んとこにさ」 ソファに肩身狭そうに座っていたのは、特別武装警察真選組の監察だ。 銀時は鼻をほじって、その成果をフッと息で飛ばす。 山崎の依頼は、明日から二日間非番に入る副長・土方十四郎をなんとか仕事から引きはがしてほしいという内容だった。 「俺だって、組内でなんとかできるもんなら、そうしますがね。 なんていっても、ああいう人なんで」 「だからってさぁ…」 「俺なんかが言ったって聞く筈もありませんし、 沖田隊長当たりだと休ませるどころか、加減を知りませんから、 旦那ならほら…安心して…」 なにが安心なんだ?と問いたい気持ちは横に置き、 手の平を山崎に向け、待てと話を止める。 「ゴリラは?」 「局長はもちろん休暇中は仕事を取り上げるつもりですけどね…」 「隠れてでもするってか?」 「お察しの通りで。かといって四六時中見張ってる人員今割けないんですよ」 「やっぱ。嫌だね」 渋る。 これは、演技でも、依頼料を釣り上げる為の工作でもなんでもない。 「嫌…ですか?」 「あぁ、嫌だね」 「無理、じゃなくて嫌なんですね」 わかりましたと山崎は立ち上がった。 あっさりと、それ以上食い下がるでもなく。 それが、また腹立たしい。 「…オメーいやな奴だな。チェリーのくせに」 「そこ!関係ないでしょうが!放っておいてください!」 勝手に帰っていく男を見送るつもりもなく、手元のジャンプを再度広げる。 「あ、旦那。土方さん今日の巡察5時に終わったら終いです」 これは、万事屋さんじゃなくて、坂田さんへの情報ってことで。 玄関から、再びへろりとのたまわった男へ、 ダッシュで走って行き、殴って蹴りだしたのだ。 「あ〜ムカつく!」 日が落ちるのもすっかり早くなった初冬の夜。 バイクのハンドルを握る手はさして長い時間走っていなくとも、悴んできていた。 色々と腹に据えかねていることはたくさんと有る。 銀時と土方の間柄に勘づいたうえで、依頼という形で情報を持ってきた山崎も。 自分はストーカーばっかりしていて、仕事を土方に任せっきりにしている近藤にも。 鬼だ鬼だと恐れているふりをしながら、結局のところ、土方を頼り、慕う隊士達も。 5時に終わったはずなのに、6時半の生中継でニュースに映っていた土方にも。 そして、その現場にバイクを走らせている自分に一番腹が立つ。 坂田銀時と土方十四郎は極々個人的な逢瀬を重ねる仲であった。 そんな関係になってもう2年になるだろうか。 始まりは何だかんだと意地を張合い、喧嘩をしながらもお互いの事を認め合っていた所だったと思う。 それが、いつの間にか銀時の内側に住み着き、魅かれていることに気が付いた。 お互い、護るモノも、護る場所も違う。 それを認めながら、同時にそれらに嫉妬する。 アンバランスな心の揺れを振り払うべく手を最初に伸ばしたのは銀時の方だった。 「オメーのこと、見てんとムラムラしてくんだけど」 いつものように、待ち合わせをするでもなく、たまたま居合わせた居酒屋で。 新八あたりから言わせれば、最低だの、デリカシーがない台詞に異ならないらしいが、さらりと土方は答えた。 「それは本気の勝負をしてみてぇってことか?」と。 だから、そうだと答えて、腕を引いた。 「もちろん下の棒でな」と耳元で囁けば、 ひどく驚いて、いつも以上に瞳孔を開かせて真っ赤になった顔を忘れない。 (後日、土方に実はあの時の最初の返事はいつぞやの屋根の上でのリベンジのことだと思っての返答だったと教えられた。よくそんな行き違いがありながらもそういう仲になってくれたものだと縁の不思議さには首をかしげるしかない。) そうして、お付き合いなるものをひっそりと始めて知った『土方十四郎』の新しい一面。 真選組を大事にして、 己のことは二の次で、馬車馬のように倒れる寸前まで働く姿を。 天人と、幕僚と、幕府自身と、 政治の波を読み、真選組にとって負の要素を出来るだけ作らないように画策する姿を。 『お付き合い』をしている相手に対しても、急な仕事で約束を反故するしてしまう可能性を恐れ、約束をけして口にしない性格を。 気を使ってくれるのは嬉しいと思う。 基本的には真選組のことに、 土方の働き方の事に口も、手も出すつもりない。 ただ、 ただ、本当に疲れた時には、 突っ張っていられなくなった時の仮の宿ぐらいにはなってやりたいと。 そんなことを自分が誰かに思う日がくるとは思いもしなかった。 今回、山崎がここに直に話に来るほどだ。 ギリギリのところまで摩耗しているに違いない。 「あ〜ムカつく!」 もう一度、銀時は悪態を己につき、バイクを速報で映っていた土地へと走らせたのだ。 到着した頃には、現場はすでに落ち着き始めていた。 天人の要人宅に押し込んだ浪士たちは無事に捕獲、もしくは討ち取られたらしい。 複数のパトカーと救急車が赤いライトを回転させ、辺りを照らしだしていた。 「おい」 すでに部外者を拒絶する黄色いテープも外されていたから、 気配を消しもせずバイクは押して、目的の人物に近づく。 「あ?なんでテメーがここに…」 煙草を咥えたままの口元から毀れる声色に覇気がない。 「ひっでー顔」 開口一番、銀時の口から毀れたのはそんな感想だった。 「テメーにいわれたくないっつうの」 「今のオメーには言われたくないね。男前通り越して、凶悪な面になってる」 パトカーに寄りかかる土方は、ビルの隙間から見える空を眺めているようにも見えた。 半分だけ満ちた月の光と、 人工灯の下に見える土方の顔色は明らかに良いとは言えない。 幽鬼の如きという表現がまさにふさわしいような。 「この後、休みなんだって?」 下から覗き込むように尋ねれば、すいっと視線が流れていく。 どうやら事後処理が気になっているから返上するつもりなのだなと分かりたくもないことがわかってしまうほどには、彼を見てきた。 「いいって、偶には近藤とか、沖田君とか働いてもらいなさいよ」 それでも土方の瞳は銀時の方へと戻って来ない。 もどかしくもあり、 くやしくもあり、 けれども、今回はドロドロした感情に今飲まれるわけにはいかないと口は瞑る。 「なぁ、十四郎?」 滅多に呼ばない名前を呼んで、 彼の性格を逆手にとって、 「折角、2か月ぶりの休暇、偶には俺のために使ってくんない?」 本来感じてほしくない彼の負い目ような感情をも利用して、 「ね?」 もう一押しとばかりに、土方の指先をきゅっと掴んでみる。 甘えることより、甘えられることの方が彼には馴染んでいるから。 甘えるふりをして、今日は甘やかしてみよう。 少しずつでいい。 水に浸された身が徐々に馴れていくように。 「ズルいな、テメーは…」 土方は一気に肺に煙を吸い込み、煙草を短く燃やしてしまった。 そして、それをピッと路面に投げて、近くの隊士を呼びつけ、バイクの後ろに跨ってくれたのだ。 『水馴れ 前篇 』 了 (27/212) 栞を挟む |