壱その日は朝から晴れたり曇ったりと変わりやすい空だった。 天気予報は無難な曇りマークで一日を示し、雨は予想されていなかった。 けれど、季節を無視した急な土砂降りの雨が江戸の人々の上に降り注いだのだ。 横殴りの風が、ただでさえ冷たい冬の水気を屋根やガラス窓に叩きつけ、傘を持っていなかった人間たちを軒先へと追い立てる。 坂田銀時も追われた一人だった。 兎にも角にもと、コンビニに飛び込んではみたが、ビニール傘をわざわざ買うのももったいないと暫く、雨脚の様子を見ることにして、雑誌コーナーに立つ。 地鳴りのような音が響いた途端、雷がどこかに落ちた。 次の瞬間、コンビニ内で赤子の鳴き声が響き渡り、皆が一斉に振り返った。 すでにかなり濡れた状態の親子が一組。 母親が店の隅で乳母車から赤子を抱き上げ、懸命にあやしているが一向に啼きやむ気配は見られない。 まだ幼い姉も母の着物の裾をぐっと握って、妹の癇癪が伝染したかのように顔を歪めた。 しかも、姉の顔は赤く、けほんけほんと時折咳をする。 客もさることながら、カウンターにいる気難しそうな店主が床を濡らす母子を忌々しそうに睨んでいる。 居た堪れない面持ちの母は買ったばかりの傘を差して早く店を出たいのだろうが雨の中に踏み出せずにいた。 コンビニの傘はどれも大人用だ。 幼子、しかも風邪を引いている姉に一人傘をもたせてもフラフラとかえって危ない。 また、雷鳴に子どもたちが怯えていることもある。 それを気にしているのだろう。 気の毒に思いはすれど、銀時にどうにかしてやれることはない。 できるとすれば、自分が上の娘を抱いて傘を差し、送っていくことぐらいか。 稲光が再度東の空で光り、一瞬だけ、店内の照明がちらついた。 とうとう、姉まで泣き始めてしまった。 それを機に母はコンビニの玄関を出る。 出て、軒のある場所で一つ傘を開き、しゃがみ込みながら上の娘に持たせた。 けれど、意地の悪い風が予想通り、大きな傘を吹き上げようとする。 母はしかたなく、乳母車の中からひざ掛けを取出し、ほっかむりのように姉に撒きつけ、自分は乳飲み子を抱き直して、傘を持ち上げた。 余計なことかもしれないが、やはり声をかけるか。 銀時も店を出ようと雑誌を棚に戻した時だ。 パトカーがコンビニの前を通り過ぎかけ、急に停止した。 しばしの間を置いた後、真っ黒い隊服に真っ黒い傘を差した小柄な男が降りてきた。 銀時にとっては見覚えがあり過ぎるほどあり過ぎる警察組織の一員。 幹部が着用するものではない簡易な襟もとのデザインをした隊服を着た地味な男―山崎退―は不思議と人を警戒させないへらりとした笑みで母子に声を掛ける。 コンビニに流れる有線放送と店内のCMで土砂降りの外で交わされる会話は銀時の耳に届かない。 けれども、地味な特別警察は事情を聞きとっているようだと想像できた。 山崎は手振りで少し待てと母親に伝えたようではあるが、普段テロ対策をメインの仕事とする組織の人間に声を掛けられるような生活をしていない女はきょとんと胸に抱いた赤子と男が戻っていったパトカーを見比べる。 パワーウィンドウを開けてた後部座席の人物に山崎はつたえているようだった。 おもむろにドアが開いた。 黒い頭と長い足が車内から出てくる。 銀時は知らずと息を飲んだ。 こちらも知らない人間ではない。 ニコチン中毒。 マヨネーズ馬鹿。 そして、鬼の副長と呼ばれる特別警察真選組の副局長・土方十四郎、その人だった。 土方は山崎から傘を奪うように取り上げると、コンビニの入り口で立ち尽くす親子の元へと近づいてきた。 土方の顔はマスコミにもよく映される。 チンピラ警官、そのボスとも世間的には見える男に母子は青くなった。 −送って行かせる− 煙草を離して、動かした口元はそう言ったように銀時には見えた。 きょとんとする母子をどうぞどうぞと山崎が低い腰でパトカーへと誘導した。 母子は後部座席に、乳母車はトランクに。 山崎は助手席に乗り込むとパトカーはサイレンを鳴らすでもなく走り出した。 一方で、見送った土方は母子が立っていた場所に立ち、新しい煙草を咥え直す。 一連の出来事を見ていた銀時に気が付いたのか、土方の視線が店内に向いた。 当たり前のことであるが、土方と目が合う。 フォローの鬼に善行をしようなどという意識はなかったに違いない。 雨に濡れて、途方に暮れていた母子をたまたま見つけた。 パトカーには無骨な警官が3人。 コンビニは、屯所へ歩いても15分ほどの場所。 自分が歩けば、怖がらせることもなく、また、広いスペースで温かく母子を自宅へと送ることが出来るだろう。 きっと、彼は銀時にそんな照れ臭い行動を見られたくはなかったはずだが、一度合ってしまった視線をなかったことにするにはあまりに遅すぎた。 仕方なしによぅと手を上げると、眉間に皺を寄せてふいっと顔を逸らされた。 そして、そのまま土方は、土砂降りの雨の道を歩き出す。 微かに紅い耳に銀時は小さく笑う。 男前だ。 けして、土方という男は恰好をつけようとしなくとも、恰好が良い。 無意識のレベルで、無造作にすることが一々様になる。 物騒な瞳孔の開いた瞳と気配に隠されて、彼の魅力を正確に知る者は少ないが。 妬けちまう。 銀時は、くしゃりと己の髪を掻き混ぜて、自分の惚れた男の姿が完全に見えなくなるまで店内から見送り続ける。 意識の何処かで、誰かの携帯がかしゃりと撮影する音が小さくなった気がした。 そして、狂想曲は流れ始めた。 出だしは、ぽつりと落とされたSNSへの呟き一つ。 『@lowconLov 今日、真選組の副長さんに助けてもらっている人、見かけました。 テレビなんかと大違い。すっごくかっこよかった!』 コンビニの内部から撮影されたらしい、母親の後ろ姿と、傘を差して立つ土方の画像。 小さな呟きは拡散と追記によって、思わぬ反響を全江戸に呼ぶこととなったのだ。 『火の無い所に、とは申しますけれど−壱−』 了 (178/212) 栞を挟む |