肆静かに夜は明けた。 煎餅布団の上で土方は目を覚ます。 目を覚ますと言っても、うつらうつらする程度の睡眠しかとれなかった。 それでも、浅い眠りの中で夢を見た。 ミツバの夢。 為五郎の夢。 母の夢。 死者となった人たちの夢、思い出。 夢の中で出会った人たちは静かに笑っていた。 何を言うでもない。 無音の夢。 そして、最後に現れた2年後の土方自身の夢。 捕縛から自力で逃れ、攘夷浪士から刀を奪い逃走を図った。 手入れのされていない刀は重く、キレ味が悪すぎて手間取った。 ようやく、全員叩き臥せることが出来たと思った矢先、飛んできた銃弾に胸を焼かれた。 着いた膝。 反射的に投げた刀は狙撃手の喉に刺さったものの、土方の胸部からは血液が留まることなく流れ続けていた。 一変して、場面は刑場。 曝されていた近藤の首が土方の顔に変化した。 それから、顔のない、のっぺらぼうの男が差し出してくる手。 背筋がぞわりぞわりと冷え、土方はこの夢から醒めなくてはと、もがいた。 そこでまた鈴が鳴る。 音を探せば、鈴を持っていたのはミツバではなく、前髪を上げたスタイルの土方だった。 2年後の土方が鈴を土方に差し出す。 受け取ると、手の中で洞爺湖とふざけた銘を刻んだ木刀一振りに変わった。 そこで、夢は途切れ、薄紫色の光が瞼を照らしていた。 完全に引いていった眠気と明るさに、夜が明けたことを知ったのだ。 布団から出ると、土方は床の間に立てかけられた5年後も変わらない木刀を手に取り、夢の中で受け取ったものと頭の中で比べる。 記憶にあるものよりも、ずっと使い込まれ、汚れ、けれども、黒光りしている様は名刀に劣ること無い美しさをもっている気がしてならない。 隣で背を向けて眠っている5年後の銀時の間には特段、会話らしい会話はあれ以上ないままだ。 夢のなか、近藤のさらされた首は土方のものに変わった。 鈴が木刀に変わった。 それが何を指し示すのか。 冬の空は薄く雲を空いっぱいに敷き詰め、光を通しはしているが、全てではない。 空気は冷たく、今日も寒い一日になることが予測された。 万事屋が用意した見覚えのある黒の着流しに浴衣から着替え、帯をぎゅっと締める。 「オイ」 「起きてっよ」 疾うに目が覚めていたものの、身体を起こしていなかっただけらしい男が呼びかけに応えた。 「行くんだろ」 「あぁ…」 板橋刑場に。 それしか今は進む道がないのだから。 出勤してきた神楽と新八には留守番を頼み、スクーターで板橋に向った。 近藤の処刑にはそれなりの人が集まっていた。 人垣の中に、沖田や山崎の姿を探すが生憎と見つけることができない。 沖田に関しては武州に戻っているとのことであるから、情報が届いていない可能性もあった。 そうであればいい。 知っていて来ることが出来ないほどの重症ではないと思いたかった。 北に向かった隊士。 蟄居を命じられた松平と将軍。 この場にいないのは、なんらかの理由があるからで、生きていてくれていると思いたかった。 「来たぞ…」 隣に立つ男が静かにそれだけを言った。 無駄に弁が立つ人間だが、その実、無駄話は意外にしない。 「ずいぶんと…」 「あぁ…野次馬のわりに警護が甘いな」 「あぁ」 既に倒れた幕府とは関係なく、ただの見せしめの色合いが強いとしてもあまりに刑場に配置されている役人は少なかった。野次馬を整理するための竹製の仕切りが据えられ、そこに形ばかり等間隔に並んでいるだけだ。 たった今着いた護送車にも付き従う車はバン二台。 茂々失脚の後、2年たち、既に反政府勢力も、新政権も勢いを失っているとはいえあまりに杜撰だ。 土方自身、池田朝右衛門が万事屋を処刑する場を形ばかりの整えたことがあったが、まるであの時とさして変わりないとさえ思える。 「罠…」 思い付くのはそんな言葉だった。 容易に少人数でも近藤を奪還できるぞと、言わんばかりの。 「だな」 5年後の坂田も同意と、顎を擦り、指先にあたったらしい髭を指先で引き抜いた。 定刻になると役人が護送車のハッチを開け、罪人がじゃりじゃりと河原の砂利踏みながら出てきた。 間違いない。 土方が近藤を見間違うはずがない。 長い投獄生活で頬は痩け、精悍だった体躯は一回り小さくなったが、前につけられていた手枷を後ろに再装着されている男は、土方が大将と決めた男だ。 「どうするよ?」 「どうするもなにも…」 土方は愛刀に触れた。 不可思議な世界であり、時代だ。 何のための罠かわかるはずもなく、逆をいえば『敵』が見えなければ用心しようもない。 けれども、みすみす目の前で近藤を死なせるわけにはいかなかった。 「これしか知らねぇ」 柄をしっかり握り、感触を確かめながら、鞘から引き抜く。 「……だろうな」 顔は向けずとも、銀時がゆるく笑ったのがわかった。 誰が、何故、ここに土方を呼び、何をさせたいのか。 知るためには、のるしかない。 「負けるつもりはねぇってか?」 「あぁ、ねぇな」 抜いた刀に曇天が映り込んだ。 のるからにはただで負けるつもりもない。 土方は踏み切って刑場に躍り出たのだ。 竹の柵まで土手の上から一気に駆け下りる。 抜刀して走ってくる人間を見た人々はすぐさま悲鳴を上げて、左右に割れた。 騒ぎが耳に入ったのか、近藤の顔があがる。 トシ、と何度呼ばれたかわからない名が大将の口から零れたのが聴こえた気がした。 「どけぇぇぇ!」 囲いを蹴り倒し、まっすぐに走る。 近藤の首に真剣を当てている首切り役人をまず斬り伏せた。 「近藤さん!」 罪状を読み上げようとしていた役人が呆気にとられている間に土方の剣は近藤の戒めを断ち切り、名を呼ぶ。 それまで静かだったバンから役人がバラバラと姿を見せた。 土方一人でも切り抜けられない人数ではない。 「立てるか?」 「トシ…お前生きて…」 「その話は後だ」 長い時間牢に拘束されていた近藤がどれほど走れるのか、そこが逃げ切れるかどうかの大きな問題だった。 土方は腕を掴んで立ち上がらせ、護身用にと首切り役人の持っていた刀を押し付ける。 逃走手段がいる。 手っ取り早いのは役人の乗ってきた車を強奪することだ。 「土方さん?!」 「近藤さん、こっちでさぁ!」 聞きなれた声が聴こえた。 自分の名を呼ぶ声は役人の出てきたバンの運転席から聞こえた。 近藤の名を呼ぶ声は駆け寄ってくる声。 どちらも嫌というほど聞き覚えのある声であり、慣れ親しんだ気配だ。 「行け!総悟!近藤さんを頼む」 任せたと土方は一人目と一合目を打ち合い始めた。 「土方さん、アンタ…」 「俺はまだ行けねぇ」 生きていた。 土方が行方をくらませても、真選組が解体されても、沖田も山崎も近藤を助けにはせ参じた。 それでいい。 希望は失われていなかった。 「それで、いいんだよな?未来の俺…」 走り、また一人また一人と切り伏せながら、いつの間にか参戦していた銀色の剣筋を感じる。 呼吸をするように自然に、無意識のうちに男がどう動くのかわかる。 元から闘う場を同じくする時には、そういう感覚があった。 土方がどう走り、銀時がどう飛ぶのか。 銀時の剣先がどの敵を屠り、土方が代わりにその後ろを突く。 これまで以上にしっくりとくる土方と銀時の「やり取り」はこれから2年、土方が行方をくらますまでに縮めた心の距離の為なのか。 重ねた年齢のせいなのか。 兎にも角にも気持ちよく剣が振える。 だが、ちりりと土方の感覚を異音が刺激し、楽しい喧嘩を妨害した。 りん! 鈴が鳴った。 「おい!ぼうっとしてんじゃねぇぞ!」 意識が引っ張られ、自分に振り下ろされた剣を避けるのがぎりぎりのタイミングになる。 細く微かに土方の左腕から血煙が飛んだ。 更に深く切り裂かれることを厭わず、土方は一歩前に出ながら、刀を振るう。 「オイオイオイ!土方に何かあったらどうしてくれるんですかコノヤロー!」 「あ゛ぁ?」 「停められねぇのはわかってら!おめェも土方十四郎だ。 けどよ!考えろ!おめェになんかあってみろ。 俺の土方も消えちまうかもしれねぇんだろうが!何が何でも無事に帰ってもらうからな」 「ざっけんな!誰がてめェのだ!ゴラぁ!」 突っ込みはもはや条件反射の域だ。 相手の言葉が深く染み渡る前に口を突いて悪態が吹き出す。 「あー、言いそう…それ」 「ったりめぇだ!俺は変わらねぇ!」 自分は自分。 5年後の銀時の言葉にぎゅっと身を引き絞られ、次の相手の胴を狙いにいく。 ここで、自分が万が一死んだとしたら。 その想定が頭に浮かんだことがないとは言わない。 あの晩、飲みに行って距離を縮める予定だった銀時との関係は進まない。 ただの腐れ縁が失踪した現実だけ残るだろう。 銀時にとってはその方が心安らかだったのかもしれない。 誰か、銀時を慕う別の誰かを銀時は選んでいたかもしれない。 それでも、男は土方に、5年前の土方に負けるなと言った。 帰れと言った。 消すなと。 「上等だ…」 土方は目の前の敵を打倒し、鈴の音を追う。 同時にすっと役人の一人がその場を離れるのが見えた。 実戦が恐ろしくなって逃げた、そんな風には見えない。 意志を持った離脱であり、誰も呼び止めるでも叱責するでもない。 土方は直感のままに地面を蹴る。 役人の足は速かった。 速いが、けして大幅に置いていかれるほどの速度でもない。 土方を誘い出している意志をまざまざと肌で感じ取りながら、それでも土方は追いかけた。 5年後の近藤は大丈夫だ。 沖田が来た。 山崎も来た。 きっと、まだ他にも近藤のために一振りの剣になる覚悟をした人間が残っている。 土方がいなくても。 ぞわりとその考えがひっかかる。 先ほどの5年後の銀時の言葉もある。 2年後、土方は銀時の手を借りて死を隠した。 『誰から』死を隠したのか。 世間から? 真選組から? 体制から? そして、3年後、世はどうなった? 土方一人の死が世に与える影響などさしてあるはずも無い。 いつだって近藤と共に走ることが最優先だと思ってきた。 近藤に万が一を救えるならば、土方の命などは迷いなく差し出す。 間違ってはいない。 それで、いいはずだ。 けれど、何かが引っ掛かるのだ。 『そして、−肆−』 了 (175/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |