弐先ほどまで歩いていた江戸の町にいた。 おそらくは同じ場所だ。 おそらく、と思うのは、確かに知った場所であるのに、荒れ果てた風景であったからだ。 立ち並んだ建物は煤け、一部崩れ落ちていた。 煙草屋も、居酒屋も、コンビニも、人もいなければ、明かりもついていない。 あれだけ瞬いていた人工灯は消え去り、茜色と藤色の混ざった夕暮れ特有の色のみだ。 溢れていた人の気配も、声も、音もない。 ただ、立ち並んだ看板や辛うじて残った建物の並びで先ほどまで歩いていた江戸の町、 歩いていた道だとわかるだけ。 暗闇から抜ける時間はほんのわずかなものだった。 もしも、この一帯だけ、被害を受けたのならば、土方も何らかの損傷を受けているはずだが、身体に異常はない。 通りから視線を上げ、無意識に江戸であることのシンボルを探した。 ターミナルはそびえたっていた。 沢山の天人の船が訪れ、物資や文化、時に犯罪を持ちこんできた最先端の建物。 江戸であることは間違いがない。 「どうなってるんだ…こりゃ…」 巨大な塔にも光は灯っていなかった。 停電ではない。 大砲でも打ち込まれたのか穴があき、傾き、いつ倒壊してもおかしくはない。 江戸の町は戦火に見舞われ、人々は町を後にした廃墟のような有様だった。 のろのろとポケットから出した携帯は圏外になっている。 「…近藤、さん…」 土方は走り出した。 最初の数歩は筋力の使い方の知らぬ雛の様に覚束ないものであったが、踏み出すたびに身体はスムーズに動きはじめる。 何が起こったにしても、まずは屯所へ。 近藤は、沖田、真選組の皆は無事なのか? 元より、屯所へ戻る途中だったのだ。 通い慣れた道は瓦礫に覆われ、アスファルトがめくれている場所もあったが、迷うことなく屯所を目指すことが出来た。 目指しながら周囲の状況も確認する。 注意深く気配を探れば、一見無人に見えた町も完全にそういうわけではないと知れた。 まだ使えるらしい家屋からは夕餉の支度をしている匂いも微かに漂う。電気も通ってはいるようだ。 ひっそりとした人々の印象とは対照的に野良犬や烏が増え、飢えているのか土方の記憶よりも獰猛な顔つきに見える気がした。 気になったのは、ひた走る土方を見つめる気配の存在だが、気配は窺ってくるだけで、表に出て土方に声をかけるようなことはない。 繁華街を抜けると門が見えてきた。 江戸に出てきてから、この門を、場所を、何度通っただろう。 見間違えるはずがない場所が、目を疑う様な惨状に変わり果てていた。 『特別警察真選組屯所』 そう書かれていた重厚な看板は、割れて地面に転がっていた。 常に門に立っている隊士は見当たらず、白壁には砲弾を受けたかのような穴がいくつも開き、ほこりにまみれていた。 「敵襲、か…?」 しかし、と目を細めて観察をする。 鉄錆のような血の匂いも、硝煙も、怪我人の気配すらない。 廃墟、であって、戦場ではない。 「これじゃ…まるで…」 かつて、戦場であった場所。 もう何年も前に人々に見捨てられ、打ち捨てられた場所。 ここは、『廃墟』だ。 ざわりと、空気が動き、土方は舌打ちする。 街中から、土方を窺う気配はずっとあった。 けして好意的な視線ではなかったが、屯所確認を優先と放っておいたそれらがこの場所に来て動いたのだ。 ゆっくりと土方は振り返る。 「よぉ、お兄ぃさん、こんなところで何してるの?」 「………なんだ?てめェら」 モヒカンが立っていた。 今日は当たりの宝くじを引いたわけではないから、幻ではないと刀に左手をかけて声をかけてきた5人のモヒカンを見つめた。 「何、どこの田舎から出てきたわけ?いまどき、そんなコスプレ流行らねぇよ」 「こ、すぷれ?」 発足当初ならともかくも、今や江戸の誰もがこの隊服を知っている。 畏怖対象でもある真選組の隊服を表通りでコスプレとして使用する馬鹿はみたことがない。 だから聞き間違いかと今度は鼻先に皺を寄せた。 「そそ、真選組なんざ侍連中は、とっくの昔に滅びてたってのに。時代遅れもいいところ…」 「っ!」 瞬間土方は刀を抜いていた。 真っ直ぐに剣先を声高に話す、リーダーだと踏んだ男の一人に突きつける。 「へ、へぇ…おもちゃにしては凝ってんな」 「そんなコケオドシ通じねぇぞ!懐のもん置いてさっさと田舎に帰りな」 「そうそう、怪我しねぇうちに…」 おもちゃだと勘違いしたモヒカンが不用意に剣に触れた。 途端にぴっと血しぶきが飛んで、土方に突きつけていた人差し指が真っ赤に染まる。 「ぎゃああ!本物だ!斬りやがったコイツ!!」 皮一枚。 指を落としたわけでもないというのに、大げさに手を抱え込み、悲鳴を上げ、仲間をヤラレたと一拍遅れて、叫び声と動揺の声が響きわたった。 「コイツ!本物もってやがる!」 「どこで拾ってきた?北辺りか?そいつも渡しやがれ!」 「北?」 「だから、北辰戦争…」 男たちは一歩退いて、長棒やドスを手に取り、土方を円陣状に取り囲んで殺気立った。 穏便に元から話を聞けそうにないのであるから、力づくで。 土方の革靴が砂利を踏みしめて鳴った。 ちりん… 鈴が聞こえた。 「っ!」 土方は顔を音の鳴った方角に向ける。 りりん… 確かに聞こえた。 「この野郎待ちやがれ!」 土方は走り出す。 指先を斬られ、腕を抱え込む男を蹴り倒し、突破口を開いて走り出す。 情報集めは後。まずはあの鈴だと。 ちりりん… 不思議な事であるが、その音が土方をこの不可思議な状況に巻き込んだ要因の一つだと疑いもしていなかった。 土方は走った。 耳に神経を集中し、鈴の音を追おうとすれば、自然とスピードは落ちる。 チンピラたちの怒声はすぐに追いついて、ただでさえ小さな音を聞こえづらくしてしまう。 土方は舌打ちをして、足を止めた。 状況が分らない今、叩き斬ってしまうことはあまりに早計だ。 峰打ち、もしくは死なぬ程度のダメージを与え、振り切る方が良い。 一度は納めた刀に再び、手を掛けた。 「っ!」 だが、不意に第三者の力が土方を暗がりに引きずり込んだ。 路地と呼ぶよりは廃墟の隙間、と言った方が適切であろう場所。 これから交戦しようとしていたのだ。 土方に油断はない。 それでも、腕の主は気配無くやってのけ、しかも、土方を後ろから抱き込む体勢で口元を塞いできた。 かさついた男の手だ。 節くれだった手には剣だこがちょうど土方の唇辺りに触れていた。 噛みつくなり、腕を払うなり、抵抗は可能であったが、ここは一旦様子を見ることにして大人しく、行き過ぎていくチンピラを共に見送る。 十二分に土方を追う気配が離れたところで、拘束していた腕が緩んだ。 土方はすぐに剣が抜けるだけの間合いを取る為に通り側に身体を離す。 「助けてもらっておいて礼の一つ無しかよ。これだから最近の若いもんは…」 暗がりで相手の顔がはっきりとは見えない。 じゃりと草履が石を踏んだ音をさせて、男が一歩踏み出した。 知った声だ。 声はさらに重ねる。 「あんだ?兄ちゃん、どこの田舎から出てきた?んな恰好してりゃ絡まれる…のも…」 互いに一歩通り側に足を動かしたことで土方に、そして、路地に引き込んだ男に西に沈みかけた陽が差し込む。 「万事屋?」 見知った男が見えた。 見知ってはいるけれども、見覚えのない恰好をしていた。 万事屋、そう土方が日ごろ呼んでいる男、坂田銀時は黒い洋装に片袖抜いた流水紋の着流し。 帯とベルトを腰に巻いて洞爺湖と彫った木刀を差しているスタイルだ。 今、目の前にいる男は相変わらず重力に逆らってぴんぴんと好き勝手に跳ねる銀色の天然パーマと木刀は挿して立っているが、半襟を赤の差し色とした黒基調の着流しにやや灰色かかった流水紋柄が入った羽織を纏っていた。 何よりの違和感は、死んだ魚のような目を見開いて、信じられないようなものを見るかのように見つめてくることだった。 「よろずや?」 土方はもう一度、声に出した。 まるで、死んだ人間を、幽霊をみてしまったかのように男は青い顔をしている。 何をそんなに驚いているのか。 この奇天烈な現象に巻き込まれなければ、今晩、居酒屋で席を隣にしていたかもしれない男を見つめ返す。 よくよく見れば、着ているものだけで、他は変わりないように見えていた男が、やや土方よりも年上であるように思えてきた。 目元に浮かんでいる疲れと皺、これまでとは別の意味で全てを受けいれているような雰囲気。 これは坂田の縁者であって、土方の知る坂田銀時ではないのだろうか。 「ひ…じ…かた?」 疑問は名を呼んだ男の声で否定された。 相手は土方を知っている。 土方の知らない坂田銀時ではない。 ちりん… 土方は再び通りに飛び出した。 「どこだ…」 姿は見えない。 さらに追おうとした身体が強い力に再び引き留められた。 「え?」 「行くな…」 強い腕が土方を後ろから再び抱き竦めていた。 先ほどまでの拘束とは種類が違う。 腰を男の腕は絡め取り、胸の前にある手はぎゅっと隊服が皺になるほど握りしめられた ふわふわとした銀髪が頬にあたり、男の額は肩に乗っていた。 拘束ではなく、縋るような抱擁。 「…土方…」 「万事屋?」 土方の耳の奥まで響くような心音が鈴の音を掻き消してしまった。 落ちていく夕日と共に遠くなった音。 もう追えない。 諦めた土方は肩の力を抜き、気持ちを切り替える。 隊服にしがみつくように絡んでいた指が徐々に解かれ、恐る恐るといった動作で腕は緩められた。 「すまねェ…アンタ、土方の、土方十四郎の縁者かなんか?あんまり似てるもんだからよ」 本人だと、返事をすることに躊躇した。 どうにもおかしい。 目の前の男は『土方十四郎』を知っている。 けれども、銀時が知る『土方十四郎』はここにいる土方に似てはいるが別人だと判じた。 土方も、坂田だと名乗った男を、土方の知る坂田銀時によく似ているとは思いはすれど、違和感はぬぐえない。 互いが知る坂田銀時と土方十四郎が異なるらしい。 何より、我に返り、違う人間と判断して、歓喜から絶望へ移り変わった瞬間を思えば迂闊なことは言えなくなった。 「それに、アンタ俺のこと知ってんの?万事屋って呼んだよね?」 土方は迷った。 目の前の『坂田』に全て明かすべきなのか。 目の前の『坂田』が土方の知る坂田にとてもよく似ているからといって信用に値するのか。 そして、土方でない『土方』と目の前の『坂田』の関係。 「アンタのいう、その土方十四郎とやらが俺の縁者かどうかわからねぇ…」 不確定要素があまりに多すぎて、決めるに決められないのだ。 「土方十四郎という男のことも、ここが何処なのかも、俺がどうしてここにいるのかも… わからねぇんだ。気が付いたら、ここにいた。 アンタのことは…やっぱりよく似た人間を知ってて…」 嘘はない。 状況が掴めるまでは最低限のこと、憶測を交えない話しか出来なかった。 「アンタも万事屋やってんのか?だったら、この町のこと、今の幕府、 いや世の中がどうなっているか教えてくれねぇか?報酬は支払う」 「幕府、ねぇ…」 銀時に似た男は耳に突っ込んで掻いていた小指を抜き取って、ふっと息でごみを飛ばす。 そんな動作も、死んだ魚の様な状態にもどってしまった目も、土方の知る坂田と限りなく変わりなくみえた。 「まぁ、客なら仕方ねぇ。そんな右も左もわからねぇ状況なら今夜の宿もねぇんだろ?」 「あ?」 「ここいらは夜、治安が悪ぃんだ。うちに来い」 頷くしかなかった。 この町は間もなく陽が完全に沈む。 「坂田、銀時」 「あ?」 「そっくりさんのことは知らねぇけど、俺は坂田銀時ってんだ」 一方的に名乗って、一足先に歩き出す男の後をついて行くしか土方には選択肢がなくなっていたのだ。 『そして、−弐−』 了 (173/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |