うれゐや

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【献上品・企画参加】 | ナノ




「あ…」

兎にも角にもと、真選組の屯所の前へとやって来たものの、立ちはだかる門番の顔を見て、ようやく銀時は己の迂闊さに気がつき、立ち尽くしていた。
確かに、この場所を土方は住処とも、職場ともしてはいる。
けれども、常に内勤とは限らないのであるから一日中、屯所内にいるわけでもない。
訪ねていく理由も、今いる場所を尋ねる理由ももっていない銀時は、結局のところ、偶然を装って巡察しているところを捕まえるしかなかったのだ。

こんなことであれば、数か月ぶりの幸運を投げ打ってまでやってくるのではなかった。
自分がどれほど動揺したかと思い知り、眩暈で座り込みそうになる。

「おや、旦那」
「あれ、総一郎くん。奇遇だねぇ」

見覚えのある青年がピンク色のチューイングガムを膨らませながら、屯所へと近づいてきた。

「総悟でさ、旦那。奇遇も何も、俺ぁここの人間ですからね。
 見廻りがすみゃ、戻ってきまさぁ」
「そういや、ここって君んちだっけか。どうりで野郎の匂いがプンプンするはずだわ。」
「それで?旦那はその野郎臭ぇ屯所の誰を訪ねてらしたんで?ゴリラ臭ぇのですかい?
 マヨ臭ぇのですかい?」
「へ?」
真選組を面倒臭い集団として距離を置いているスタンスである銀時が誰かを訪ねてくるという不自然な現象を飛び越えて、いきなり本命の人物の名を出されたことに足の裏がむずりとする。

「水臭いですぜ。旦那、うちのゴリラと恋仲になったんでしょ?」
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!誰が誰の恋人だって?!」
むずりとするどころではない。
しもやけが一気に悪化してジンジンと痛みと痒さを同時にもたらすような嫌な感覚に汚染された。

「なんでぇ。近藤さんの後ろの純潔奪った責任取りに来たんじゃないんですか?」
「ゴリラの嫁入りなんぞ知るかっ!一体なんなの!
 え?やっぱ真選組内でそんな話が広まってんの?ちょっと!
 とんでもねぇ誹謗中傷だなオイぃぃぃ!」
「おやおや、近藤さんとは何もなかったと?」
「当たり前だっつうの!変な香に惑わされようと、可能な事と不可能なことがあるの!
 これ、テストに出るからね!って!事実無根だって絶対解かってやってるよな?おめェ」
「確かに悪乗りしたのは認めますがね。旦那が柄にもなく引っ掛かるのが悪いんでさぁ」
黒い笑みを浮かべた後で、どうぞ、と沖田が先に立ち、屯所の中へと手招きした。

「あ?」
「上がって下さい。マヨ臭ぇのなら今いますんで、難癖でも拘束でも誘拐でも辻斬りでも、
 なんでも、アレにしてやって下せぇ。捕縛後、介錯は俺が引き受けます」

平坦な声で物騒なセリフを落としながら、門の内側に入って行く沖田の顔は平素と変わりないように見えるが、腹の中ではきっとほくそ笑んでいるに違いない。
生粋のドSであり、土方に嫌がらせをすることに関しての労力は惜しまない男だ。
銀時が持ち込むであろう話がどんなものであれ、美味しいネタになると踏んでいるに違いない。
それが分っていても、沖田が口にしたような噂が土方の耳にどう伝わっているのか知りたい、申し開きをしたいという焦りの方が上回った。
吉と出るか、凶と出るか。
銀時は舌打ち一つで、沖田の後に続いた。





「…以上です」
「じゃあ、攘夷浪士どもの資金源や悪用の恐れは今のところないんだな?」

沖田先行で目指す障子は締まっていた。
中では聞いたことのある声が二人分漏れ聞こえる。

「はい。その心配はないようです」
「まぁ、吉原の秘薬とやら。問題が出てくるとしたらこれからか…
 今回の騒ぎ、人の噂に戸は立てられねぇ」
「そうですねぇ…香、ひとつで相手を虜にしてしまう。
 愛染明王と名乗った女の効果を調べたかぎり、使い方によっては狂信的な「同志」を
 作り上げることに利用出来ないことはありませんからね」
部屋の主である土方と話しているのは山崎だった。

「吉原の中のことは基本不可侵とはいえ、出入りする人間がいる限り、市中にも全く影響が
 でないわけじゃねぇ。この後も情報に気を付けとけよ」
「はいよ。あと、気になることが1件」
「なんだ?」
ばさりと重たい紙の束が置かれる音がした。
全部が全部、愛染香の一件とは限らないが土方の抱える報告書はそれなりの厚さがあるらしいと知れる。

「午前中に検査に使わなかった愛染香の残りが戻ってきてるはずなんですが、
 副長受け取られました?」
「知らねぇぞ?」
「やっぱり…受け取りのサインは副長にはなってたんですけど…」
「屯所内には届いているのか?」
「はい」
「…総悟、か」
ばきっと筆か、ペンが折れるような音が廊下にまで響き渡った。
口の形だけで持ってるの?と問えば、一番隊の隊長を見れば、ぺろりと舌を出して見せる。
そして、黙って手で拝むポーズをすると、銀時を副長室の前に一人残して立ち去って行ってしまった。


「まぁ、沖田隊長のすることですから、土方さんさえ気をつけていれば…」
「愛染香と愛断香、両方と持っていると考えた方がいいんだな?」
「えぇ、ひとつずつ。惚れ薬とその逆で好いている相手を嫌いになるもの」
「総悟が午後の見まわり戻ってきたら、近藤さんに説教を頼む。
 俺が言っても聞くはずがねぇからな」
「じゃあ、沖田隊長から回収次第、処分の方向で」

沖田が愛染香を手にした。
確かに碌でもないことにしかならないとは銀時も思う。
だが、土方もそのことを知っているならば、本人も言ったように用心しようがあるだろう。
それよりも、沖田が同席することをどう回避するか、そちらの方を問題にしていた銀時としてはあっさりとその難問が解決され、肩すかしされた気分になった。

「それから…局長が起こした騒ぎについてはこっちのファイルです。
 愛染香の効果で姐さんに追い掛け回されたこととか、男と同衾したりとか
 色々あったようですが、命を狙われることも、揉み消すというほどのことも
 見当たらなかったです。
 不幸中の幸いというか皆が皆、酩酊状態みたいな状態だったようですからね」
「は?…男と同衾?」
土方の声に喉だけで悲鳴を上げた。

「しばらく、おねえキャラ引き摺っていたのも、愛染香の効果を打ち消す愛断香の効果が
 強すぎた結果みたいですね。一時的に女嫌いになったというかタマがというか…
 そこはもう報告書読んで下さい」
「…あの人の奇行は今に始まったことじゃねぇが、男相手といえど、賠償もんだ…」
ぱらりと紙がめくられた音がした。

同衾…の相手の名が今まさに土方の目にさらされる。
バクバクと心臓が脈打ち、頭が真っ白になった。

「何もなかったからね!」

気が付けば、銀時は障子を割り開いてしまっていた。





「な!」
「旦那?!」
向かい合って座った二人が銀時を見上げて、目を丸くしていた。
イレギュラーな存在を見間違いでないか確認するかのように、ぱちりぱちりと瞬きを繰り返す。

「確かに同じ布団に入ったけど!ヤッてないからな!」

銀時の言葉の意味が伝わっていないのか。
強く、はっきりと、補足をいれて言い放った。

「…あの…局長が同衾したっていうの…旦那だったんですか?」
「じゃ…その…てめェは近藤さんのこと…が?…」

そろそろと片手を上げて確認する山崎の顔と、瞬きの回数を増やした土方に、銀時はますます混乱した。

「待て待て待て待て待て待て!違うから!香のせいだから!
 ストライクゾーン広げまくって口説きまくったのも!
 ありえねぇばぁさんとかゴリラと床に入ったのも!」
更に硬直する二人に銀時は自分が何か大きな間違いを犯した気がした。
バッと土方の手元からファイルを取り上げると、斜め読みではあるが己に関する情報の部分を探す。

「あれ?」

香の成分らしい化学式と専門家による見解。
被害状況と現在潜伏中の攘夷グループのリスト。
近藤の行動を時系列に並べた資料。

その中における銀時についての記載はわずかだ。
愛染香の作用を受けた被害者の一人であるという事実。
吉原百華統領との連携について。

愛染香の吸い過ぎで女を口説きまくってスケコマシになっていたことも、
愛断香に燻され過ぎて女嫌いと通り越して、瓶底メガネをかけた広辞苑チェリーになっていたことも。

「ない?」

書かれていないのだ。
恐る恐る顔を上げると、なんとも言えない顔で山崎が銀時を見ている。
憐みとも、嘲笑とも見えなくはない微妙すぎる顔を思わず殴りつけた。

「違うんだって…」
殴りながら、泣きたい気分で想い人を盗み見る。

「山崎、てめェ、席外せ」
「は、ハイぃぃぃぃ!」
これ以上八つ当たられてたまるものかと脱兎の勢いで地味な男は銀時の腕から抜け出し、副長室を出て行った。


「万事屋…」
「あー…俺もお暇…」
逃げよう。と思った。

「いいから、座れ」
「ハイ…」
戦略的撤退をここはするべきであるが、相手はそれを許してくれそうにない。
怒っているわけではなさそうだが、機嫌が良いとも思えない苦虫を潰したような顔をして畳を手でたたかれた。

「いいか?これは職務質問みてぇなもんだからな?正直に答えろ」
「はい…」
「まず、だ。てめェが吉原の騒動に一枚噛んでやがったのは事実なんだな?」
「噛んでた…てのは大げさ。巻き込まれただけだっつうの。
 どんな噂が流れてるんだか知らねぇけど」
噂というものは、消えるのも早いが、歪められる早さも早い。そして、本人の耳に入りにくいものだ。
普段であれば自分のことについて何を言われても、多少尾ひれがついていても、それほど気にする性質ではないが、今回ばかりは気にかかる。

「噂のことは俺の耳にも入ってはいる。
 吉原で、その…オンナを口説きまくったとか、子種ばらまいたとか…」
「香のせいであって、口説いたことには申し開きようもねぇが、誰とも寝てねぇ」

事実は事実。
認められる部分は認めたほうが、下手に話を拗らせることはないと判断する。

「近藤さんと、未遂とはいえ、同じ床に入ったことは?」
「…あんときゃ…俺も愛断香の影響で、女嫌い発生されていたから。
 でもヤッちゃいねぇし、ホられてもねぇ。第一、銀さんはオンナの子大好きだから。
 結野アナの大ファンだから!」
ついつい、デフォルトにしていることを並び立ててしまったが、もう一つの気がかりへと地味に跳ね返り、喉を焼いた。

「香のせいで女嫌いになっていたとはいっても、男好きになるとは直結しねぇよな?普通。
 てめェ…まさか、前から近藤さんに懸想してたんじゃ…?」
「まさか!んなわけあるかっ!」

懸想してるのは目の前の男であるのに、それを口にすることはやはり憚られた。
お前こそ、居酒屋で行ってしまった言葉のことを気にしてくれているのか。
いっそ、そう尋ねてしまえばすっきりとするのは分っている。

「近藤さんの香が抜けたのは二日前の午前だ。
 それで、俺も安心して次の日非番にして飲みにでた」
「それが?」
「てめェが香の影響切れたのはいつごろだ?
 居酒屋でかち合った晩、てめェは本当に香が完全に抜けていたのか?」
「俺は三日以上前だっつうの!おめェと飲んだ日にはもう…っ!」
「違う、のか?」

いつもであれば、意地の張り合いをしてもどちらかというと土方の方が先に逆上するのだが、今日に限っては逆転していた。
繰り返される質問に銀時が苛立ち、平静とは言い難い状態になっている。
頭の隅で分析しつつも止まらない。

「銀さんは、もう正常に戻ってました!戻っていましたとも!
 ただ、ありゃ…酔っぱらって…」
「酔っぱらって?てめェで何言ったは覚えているんだな?」

そこで、銀時は己の失言を知った。
覚えていないふりをする、という手もあったのに。
つい、心の何処かで知っていて欲しい、気にかけていて欲しいという欲が無意識のうちに顔を出してしまった。
まっすぐに土方の視線が銀時を捕えている。
強い光が言い逃れは逃さないと。

「っ!けど、あれは…ちょっと気分よく酔っぱらって…酒の席での戯言だろ?」

それでも、銀時は逃げた。

「そうか…」
「土方?」
「もういい。もう全部聞いた」
「おい、おめェ、まだなんか勘違いして…」

逃げたのに。
知られたくなかったのに、元の近くも遠くもない距離に戻りたかったのに。
あっさり引かれたことで、傷ついた自分にまた苛立つ。

「近藤さんが吉原でストーカー中にトラブルに巻き込まれ、愛染香だか、愛断香だかに
 惑わされて、遊女を追いかけたり、お妙さんに追いかけられたり、
 男色に走ったりもしたが、結局、元のストーカーに戻った。
 てめェと閨を共にする、なんてハプニングもてめェから被害届を出す気がないこと。
 この後、その件で近藤さんとてめェがどうかなるつもりがねぇこと。
 それが聞き取れたなら十分だ」
「なんか…」

淡々とまとめる相手の声に、傷ついたという内面の問題以上の違和感を感じて、片目を眇めた。

「なんか、すっげぇひっかかるな。その言い方…」
「俺は真選組の副長として、親友として局長のフォローをしなくちゃなんねぇ立場だ。
 それだけ確認できれば構わねぇ」
「じゃあ、一昨日のことは…?」
「酔っ払いの戯言、それでいいんだろう?」
「…あぁ…」
「話は終いだ。出ていけ」

当初の目的は確かに果たせた。
壊したくないと、逃げたのは銀時だ。逃がしてくれるなら、退くべきだ。

愛染香の影響で数多くの遊女を口説いたことは事実だが、土方に想いの破片を零してしまったわけではない。
惚れた相手の親友兼敬愛する大将と同衾した事実は知られたものの、最後までは致していないし、恋人になったわけでもないと弁明も出来た。
酔って言ってしまった戯言だったとも伝えた。

路上で喧嘩のような、競い合いのようなじゃれ合いが出来ればそれで良かった筈。
本気で土方に懸想しているとばれてしまえば、ドン引きされる。
そういう対象で見られて良い気持ちがするわけがない。
ちょっと近づいた腐れ縁をも断ち切ってしまいかねない。
だから、これで、元の腐れ縁に戻れたはずだ。
己に言い聞かせるように、拳を握る。

満足な結果であるはずであるのに、どうにも土方との間にこれまで以上に高く、けれど、見えない壁が張り巡らされた気がして仕方がなかった。

「出ていけ」

繰り返された言葉に銀時は立ちあがる。
廊下に一歩踏み出て、文机に向かった土方を見るが、もう顔を上げる気配はなかった。

「本当に、何もなかった」

それだけ、ようやく口にすると銀時は静かに障子を閉める。
庭に面した廊下の床板はじわりじわりと裸足の足をむしばむように凍えさせた。

師走の夕暮れは短く、夜の帳と寒気が吐く息を白く色づけていた。

凍えて動かなくなりそうな足の指にぎゅっと力を入れて、出口に向かって歩き出した。




玄関まで戻ると、上がり框に腰を降ろして、沖田がガムを噛んでいた。

「旦那、散々だったようで」
「沖田くん。おめェ…愛染香、持ってんの?」
「へぃ」
何でもないことのように、沖田は頷くとポケットから無地の洋封筒を取り出し、ハート型の固形物をふたつ、手のひらに転がした。

「折角旦那がいらしたんだ。土方さんと一緒に燻してやろうと思っていたんですがね。
 思っていたよりもザキの野郎の戻りが早かったお陰で未遂でさぁ」
「俺を巻き込まないでよね」
「土方さんも俺が持ってるってわかりゃ用心しちまいます。
 不安を煽って遊んでやるのも一興なんですが、それも面倒になってきたんで」
沖田は、ハート型のものと、ハートが真ん中で隔たれたデザインのものを一つずつ取り上げると、銀時に差し出して落とした。

「あ?」

愛染香、そして、愛断香。

「今日、からかったお詫びに差し上げまさぁ」

落下していく香を銀時は思わず手で受け止めてしまった。
全て処分したと思われていた問題の香がひたりと手のひらに乗る。

「…そういや、ジミーはこれ何処で…?」
「蛇の道は蛇。元々、遊女の間「秘薬」として密かに出回っていた代物ですからねぃ。
 別段、今回の騒ぎで大半は処分されたかもしれませんが、簡単にゼロにはなりやせんよ」
「…そりゃそうか」
「まぁ、そいつをどう使うか、処分するか、旦那にお任せします」

じゃあ、今度こそ、俺はこれでと沖田はその場を離れていく。
銀時もまた、屯所の門を出て、釈然としないものを感じつつ、万事屋への岐路についたのだ。




『花にあらず−弐−』 了
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