肆「誰が誰を憎からず?」 静止の声の後にかけられた問いはそれほど大きな音量ではなかったが、静かな夜の道によく響いた。 眼前にある銀時の表情にはいつものような緩さをどこかに忘れてきたかのような切羽詰まった色がある。 「だから…テメーが、メガネを」 「メガネって…新八?」 「他に誰がいるかよ?!」 道場のこと、新八のこと。 銀時は自分でも頼んできたというのに時折睨みつけるような視線を土方に向けるようになっていた。 その瞳は新八の将来を案じるばかりに土方が妙なことを教え込まないように見張っているだけには土方にはみえなかった。 どちらかというならば、ヤキモチ。 最初は弟分を取られた類のヤキモチで、もやもやしているのかと微笑ましくさえ感じていた。 だが、徐々に気になり始めた。 弟分として、ではなかったら。 もしかすると新八と恋仲なのか、互いに想い合っているのかもしれないと。 それならば、思い当たる出来事もあった。 新八は常に銀時を擁護していた。 どうしようもないマダオだけれども、頼りがいがあって、自分にとって見習うべきところはたくさんあると。 誉めていた。 銀時もまた、同様だ。 道場で土方に話す内容は、己のことではなく新八と神楽のことばかりだ。 そして、重ねる。 新八のために。 新八が望んだから。 あれだけ土方を好いてはいない男が、一度は恒道館に足を踏み入れることを許した理由。 「…そんなに心配なら、もういかねぇし、誰かに言い触らしたりもしねぇよ」 黙りこんだ銀時に告げる。 土方に知られて、動揺をしているのだと思ったのだ。 証拠に酔いで多少は赤かった顔が更に赤い。 それ以上、見たくなく、肯定の言葉も聞きたくなく土方はその場を離れようとした。 「ぶっぶーーーー」 「あぁ?」 間抜けな音に思わず振り返ってしまった。 「残念不正解!勘弁しろよ!俺が新八を?天地がひっくり返ったってありえねぇよ」 「しらばっくれても無駄だ。さっきメガネと話してるだけで睨みつけてきてただろうが。 あんだけ苛々した感情ぶつけてきておいてよく言うぜ」 「あー、銀さん睨んでた?」 口をかすかに尖らせたまま、落ち着かなく首の後ろをしきりに揉んだり、銀髪を掻き毟っていた手が止まった。 「無意識かよ」 「睨んでた、かもしんねぇ。けど理由が違ぇ。 つうか、何、何なのこの話の流れ…予想外なんですけど」 「知るか!話は終いだ」 ばれないと思っていたのかと舌打ちが零れる。 確かに常日頃から下ネタを織り込んでくる銀時とアイドルオタクの新八だ。 土方が思い至ってしまったのは、まさに自分が同性に魅かれてやまないというその心持を知るからであるだけで、普通の人間は誰も男に懸想しているなどという発想に至らないのかもしれない。 『色眼鏡』をかけているのは自分も同じだ。 言葉がそのままバットで打ち返されてくることに今更ながら気が付いて、居た堪れなくなる。 銀時に気が付かれる前に立ち去りたかった。 「まぁ、待ちなさいって。そろそろわかってくんない?」 「何が?」 「何が…って、だからこの話の流れ、みたいな?」 掴まれた腕と銀時を見比べて、話を振り返る。 あぁ、と納得した。 両想いであろうと、片恋だと互いに思い込んでいるのだとしても、周囲には知られて歪められるかもしれない新八の将来を心配しているのかと苦く笑う。 「いや、だから別に他言したりしねぇよ。馬に蹴られてなんとやらになりたくねぇし? ただ、あんな穏やかな顔晒してたら、俺じゃなくとも気が付いてる奴いると思…」 「オメーだってゴリラとかゴリラとかゴリラとかドS王子だとか見るときゃ…」 「近藤さんはゴリラじゃねぇ!」 「通じてんなら、どっちでもいいけどよ。 飼育員がこれ以上ねぇってぐらい優しい顔してんのはまさか恋仲だとかいうわけ?」 銀時の声が低く、唸るようなものに変わる。 何に怒っているのか、何を気にしているのか一気にわからなくなって土方は動揺し黙り込んだ。 「同じことだろう。それよりおめェの新八への肩入れの仕方普通じゃねぇよ? 土方こそ、新八のこと…」 「だから、違ぇってさっきから…」 銀時は新八に土方が近づくのが気に食わない。 しかし、新八と恋仲、もしくは想い合っていることを否定はしたい。 なら、土方には自分と新八はなんでもないと否定する以上、もうこれ以上話せることはない。 好きな人間は別にいるとは告げられないのだから。 「本当だな?」 「また話ループしてんじゃねぇか!この酔っぱらい!」 会話の行きつく先が見えず、土方は途方に暮れる。 「酔っぱらいはお互いさまだっつうの」 「俺は飲んでねぇ!」 荒げた声がまた通るものの少ない路上に響いた。 秋も深まり、夜ともなると空気は冷たい。 避けるもののない住宅地の隙間を風が吹き抜ける。 虫の声はもうまばらで、かさかさと枯葉が吹き飛び、転がっていった。 「なぁ、もう、わかれよ」 なにを、とは聞き返せなかった。 目の前にいる男は今まで見たことがないほど、途方にくれていた。 鏡を目の前に置かれたかのように、おそらく土方と同じようなどうしていいのか、わからない顔をしていた。 「万事屋?」 白壁の塀にどんっと銀時が拳を打ち付ける。 「だから俺が睨んでたってのは、その、おめェのこと… あーだから、その、なんて言やいいんだコレ…」 二度目を打ち付けるとほぼ同時に囁くような声が耳に入ってきた。 『好きなんで(さ)』 「そうそう、好き…え?」 「え?」 思わず相槌を打った銀時とそれを聞き返す土方は同じような顔をしていた。 「ちょっと!今の無し無しだ!いや、違わねぇけど!無し無し!」 「あ?どっちだコラ」 互いに辺りを見渡しながら声の主を探すが、人影は見当たらない。 気を取り直したのか、こほんと咳払いすると銀時は話を続けた。 「あのね、そういうおめェこそ、どうなのよ?」 『好きネ?』 「あ、あぁ、好き…」 今度は別の声がジャリっと一歩踏み込んで近づいてきた銀時と共に聞こえ、釣られたように答えてしまっていた。 「好きなの?俺のこと」 「っ?!」 『好きに決まってますよねぇ…どう見ても』 三度目は見つけた。 恒道館の白塀の上に並んだ顔。見知った顔。 無言で土方はライターを投げつけた。 「テメェらなに出歯亀してやがるっ?!」 マヨライターは綺麗に三番目の声の主の顔面にヒットし、塀の上から、地味な監察の顔は悲鳴と共に消えた。 「あの、あのこれには理由がっ!」 「銀ちゃん、やったネ!」 「ホモはもう屯所に帰ってこなくていいって局中法度に追加していいですかい?近藤さん」 今度は煙草の箱を沖田に投げつけるがそちらはひょいと躱されてしまう。 「まぁまぁ、総悟。目出度いことじゃないか。トシ!明日は賄さんに赤飯焚いてもらおうな」 「あら、ホモもどうでもいいですけど、ゴリラはちゃんと引き取って下さいね」 「土方、そのバベルの塔が要らないなら僕がもらってあげてもいい」 「銀さん!そんな男選んでも本命は私って信じてる!いいわ!もっと見せつけなさいよ!」 「ほら、アンタたち、いい加減におし!」 姿は見えないが、お登勢であろう声が塀の向こう側から聞こえ、大人しく鈴なりになっていた顔が消えていく。 「あー、土方くん…?」 頭に血をのぼらせ、ぜいぜいと肩で息をする土方に対し、呆気にとられたままの固まっていた銀時が声をかけた。 「…あんだよ…?」 土方は自分の足元をみつめたまま返した。 煙草が吸いたい。 煙草程度で今、現在進行形の動揺を落ち着かせることは出来ないのだろうが、欲しい。 それなのに、ライターも煙草も恒道館の敷地の内側に投げ入れたまま。 かといって、取りにいくのも嫌だ。 辺りが静寂を再び取り戻すと同時に土方の冷静な部分も戻ってくるからなおさら面倒ではなく、嫌だった。 「場所、変えようぜ」 他に選択肢はない。 銀時の申し出に大人しく従うことにして、土方は歩き始めたのだ。 徐々に住宅街の静かな道を抜け、店舗の多い地区へと変化していく。 歩調は共に速くはないが、遅くもない。 野次馬が後をつけてくる様子のないことを十分確認できたであろう距離を歩いたところで、銀時は口を開いた。 「結局さ…どうなのよ?」 「…どうにもこうにもねぇよ。そのまんまだ」 「なにそれ?さっきの言葉通りとっちゃっていいってこと?」 「聞くな………テメェこそ、さっきの本当かよ?…」 競うわけでも、行く宛てがあるわけでもなく、ただそぞろ歩き続けていた足を一歩前に進め、土方の正面に銀時は廻り込んで立った。 「本気も本気。罰ゲームでも鬼の副長さん相手にこんなフザケタこといわねぇよ?」 「存在からして、てめェはふざけてるかんな」 「おうおう、言ってくれんな。似てるって言われるでしょうが?俺たちゃ」 街燈の灯だけではなく、ネオンが瞬く地区を背にした男は銀色にカラフルな光を反射させていたが、それらの光よりも強い意志をもった瞳がまっすぐに土方を見つめていた。 「俺はおめェしかみてねぇよ!」 一息に言葉が吐き出された。 新八と並んで立っていた時に絡んできた、強い光に今は苛立ちではなく、熱と確かな本気を持って。 「わかった…」 「わかった?」 「あぁ…」 差し出された手は握れという意味だと分かったが、土方はその手を軽く叩き落とした。 苦笑して、銀時はまた歩き出す。 土方が着いてくることを疑いもしていない。 似ていると言ったが、土方と銀時は似ているようで似ていない、けれども、理解は出来る、だから、疑わないのだろう。 焦がれていた背が目の前にある。 遠いと思っていた想いがすぐそこにある。 少しだけ、迷い、それから土方は銀時の横に並んだ。 「おい?どこ行くんだ?」 「想いが通じました、はい繋がりましょうってのもいいけどよ。 まぁ色々急展開だし、今日はオツキアイ記念日っつうことで無難に飲みにしようや」 「あ、あぁ」 「何?期待した?」 銀時の目が暗に男女で入るようなホテルの看板を示し、にやりと笑う。 「期待もしてねぇ」 「即答かよ!そこは次回期待してろよ?銀さんのバズーカーが火を噴くからね。 そう簡単に打ち止めにはならないからな。コレ」 「てめェは…っとに…」 呆れて前髪をくしゃりと掻き混ぜると、隣ではぁと大きく吐く息が零れる。 「おめェの中に入りてぇのは山々だけどよ。色々行き違いあったみてぇだし。 その場のノリだとか、酔った勢いって思われたくねぇんだよ」 お互いが叶わないと思い込んで、先入観から自分に対して向けられる好意を素直に受け止めることが出来ていなかった。 先ほどの皆の様子から察する限り、周囲は気が付いていたのにから回っていたのは当人たちのみだったのかもしれない。 取りあえず、照れ隠しも込めて、隣の銀髪を軽く小突いた。 かぶき町に続く道は賑やかで明るかった。 その道をゆっくり、ゆっくりと進むと今日は臨時休業と明かりの落とされたスナックと二階にかかる万事屋の看板が見えてくる。 大した会話もなくここまで歩いてきた。 快いけれど、落ち着かない。 喧嘩をしている方が楽だとは思い、喧嘩を本当にしたいかと問われるならば違うのだから、やっぱり、この無言の状態がベストなのだ。 外階段を登りきって、鍵のかかっていないガラス戸が古びた引き開けられる。 「あ!言っとくけど、銀さん亭主関白だからな!嫁さん束縛するからな! これからは真選組だけじゃなくて、銀さんも大事にするように!」 「はぁぁぁぁぁあ?誰が嫁だっ誰がっ!こんの…」 文句は、万事屋の玄関に引き込まれた身体とぴしゃりと閉められた扉によって遮られたのだ。 ドン! ガタガタガタ… ガシャン! 盛大に何かが倒れる音や破壊される音が響いた。 「なにやってるんでぃ…土方の野郎。さっさと押し倒されちまえ。 それにしても、さすが旦那。 勢いでホテルに連れ込んじまうかと思いきや、いきなり自宅の玄関ですかぃ」 「銀ちゃんは、あれで虎の皮を被ったヘタレアル。ちゅーの一個できれば快挙ネ」 「神楽ちゃん…沖田さん」 皆が皆呆れた顔をして『万事屋銀ちゃん』の看板を見上げる人影が六つ現れていた。 神楽の誕生日が目的とされた宴会ではあったが、もだもだした二人がようやく一歩踏み出したことでお開きとなり、別ルートで戻って来たのだ。 よもや、二人も真っ直ぐこの場所に戻ってくるとはつゆほどにも思いもせずにの結果である。 沖田や近藤も流れでここまでの道行を共にしていた。 「そうだねぇ。アイツら本当に馬鹿で、餓鬼だね」 己の店に入るでもなく、二階を見上げるお登勢も煙草の煙を口から吐き出しながら、苦笑いしかでてこない。 「あ、静かになりましたよ」 「ザキ、ちっと屋根裏から忍び込んでみてこい」 「えぇぇぇ!俺ですか?」 「山崎さん、ならば私が中をこの場所からスキャンいたしますが?」 たまの目が光り、人感センサーを起動させた。 「お二人はソファに座っておいでのようです。今、銀時さまが立ち上がりました」 ガタン! ガシャン! 「どうやら、ソファごとひっくり返ったようです。勢いでテーブルも倒れました」 たまの実況に顔を見合わせる。 「「「………………………」」」 銀時が土方に寄ろうとしたところ、照れ隠しで突き飛ばされたのか、片方に寄り過ぎて、ソファがシーソーのように傾いたのか。 どちらにしても、先が思いやられる。 それがその場にいた者の一致した見解だった。 「神楽ちゃん、ウチに今晩は泊まろうね」 「何もなさそうだけど…そうするネ」 「ほら、総悟も帰ろう」 「へぇい」 新八が送ってきた道を再び戻る様に促し、近藤も沖田の方を叩く。 「帰るよ、たま」 「はい、お登勢さま」 家主も己の居住部分へと足を向けた。 皆が今か今かと見守っていた二人のことだ。 あっという間に明日の午前中のうちに、万事屋の主と真選組の副長の話は全かぶき町に響き渡るだろう。 「やれやれ。思い内にあれば色外に現るってのに、ずいぶんと遠回りするもんだ」 らしいっちゃらしいのかねぇ…と、お登勢は増えた息子の顔を思い描き、静かに笑ったのだ。 『思い内にあれば色外に現る』 了 (167/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #栞を挟む |