弐「もっと剣先まで意識を集中しろ!」 「「はい!」」 土方十四郎は恒道館にて袴姿で竹刀を握っていた。 真選組副長の土方が他の道場にて指導をする。 本来はイレギュラーな事態ではある。 事の起こりは、志村妙をストーキングしている近藤を探しにこの恒道館にやってきたひと月前。 どうしても本日中に決裁のいる書類を抱えていた土方がこの時間ならここだろうとあたりを付けてやってきた時のことである。 「万事屋?」 万事屋の従業員の家。眼鏡の少年がいるのは分る。 だが、何故だか雇い主の方が道場で竹刀を握っていることに土方は驚いた。 しかも、いつもの洋装に着流しを片袖抜いて着るという風変わりな着方ではなく、ごく普通の袴姿なのだ。 「あれ?土方くんじゃねぇの。ゴリラの回収?」 「あぁ、来てんだろ?」 「なんか庭に打ち捨てられてた気がすっけど」 戸惑っている土方に気が付いた銀時が、抑揚のない口調で声を掛けてきた。 ストーカーという犯罪行為で訴えられても文句の言えない行動を近藤がしていることは明らかであるので、打ち捨てられているのを知ってるなら連絡しろやゴラァとの文句を飲み込み、少しだけ、眉を潜めるにとどめた。 見蕩れてしまっていたことを誤魔化すためではない。断じて。 「あー…お妙さんは?」 土方とて、銀時を見たら所構わず、噛みついているわけではない。 人を食ったような物言いをされなければ、普通に会話できる、筈なのだ。 「のした後、買い物行った」 「じゃあ、回収していく」 玄関からこの道場側に来るまでに転がってはいなかったから、母屋の方の庭なのだろうとふみ、移動しようとすると、思いもかけず銀時らしからぬ、おどおどした声で呼び止めらた。 「あ…あのよ」 「あ?」 「その、実は俺ここの塾頭も一応やってんだけどよ」 「へぇ…俺にも稽古つけてくれるのか?塾頭さん」 一度は真剣を折られた。 もう一度、真剣でも竹刀でもいい。試合をしてみることができたらと思わないはずはない。 期待して、土方は銀時を見る。 自然と緊張と期待に心拍数が上がった。 「どんだけ剣術馬鹿なの、おめェ?誰がてめェ…」 「土方さん!」 剣術馬鹿、は否定しない。 強くなろうと思った。 強くなりたいと思った。 方法を喧嘩に求め、さらに剣の道に進んだ。 否定はしないが、どこか小馬鹿にしたような物言いにむっとした顔をしてしまったのが自分でもわかる。 志村新八の声が割って入らなかったなら、土方はいつも通り銀時の胸ぐらを掴んでいただろう。 後で後悔すると知りつつも、だ。 「あの、実は土方さんにお願いがありまして!」 「俺に?」 「ご覧のとおり、うちは閑古鳥なくさびれた道場ですけれど、 マカデミアンナッツチョコ配ったり、営業努力をしてみてはいるんです。 でも、なかなか復興とまではいかなくて」 「あぁ…」 それは毎度近藤を迎えに来る度に余計なことだとは思いつつ心配にはなっていた。 廃刀令が布かれる中、剣を置く人間は後を絶たない。 柳生のようなセレブ、ネームバリューがあればステイタスを求めて門をたたく人間はまだいるであろうが、通常の道場しかも一度寂れた道場を再興させることは至難だろう。 「あの…銀さんもこうやって技術面では手伝ってくれますし、 剣技になんの問題もないんですけど、運営といいますか…」 「要は経営の方、ってことか…?」 「はい。そっちを教えてくれる大人って実は僕の周りにいなくて。 土方さんなら、勿論腕の方は確かですし、あの…」 視線だけで銀時に土方は問いかけた。 お前は承知なのかと。 「あー…その…俺からも頼むわ」 「てめェは…それでいいのか?」 元々、銀時と新八、そして神楽たち万事屋の面々のきずなは強い。そこにスペックがあるとはいえ、土方が容易に入り込めるとも、入るべきだとも正直なところ思えなかった。 「俺じゃ教えてやれねぇこともあるし。 おめェの時間ある時だけで構わねぇから手ぇ貸してやってくんね?俺は一向に構わねぇ」 「…そうか…」 土方は道場をぐるりと見渡す。 開発がすすむ、この江戸内の閑静な住宅地にこれだけのかまえをもつ道場だ。 元はそれなりに流行っていたのだろう。 道場と、新八、そして、銀時を順に見る。 土方とて、銀時と会えるなら会いたいと思う。 競い合うのも、張り合うのもそれはそれで楽しいと思うが、こうやって穏やかに話す機会が増えればと。 「わかった。相談ぐらいには乗ってやる。いつも近藤さんが迷惑かけてるしな。 でも、毎日はこれねぇぞ?」 「それでもかまいません!」 そういう流れがあって、土方は恒道館で指導と経営を新八に教えるようになった。 本来、少しでも道場の経営自体に携わったことのある近藤の方が適任なのだが、『志村妙』が関わった途端変な方向に飛んで行ってしまう心配は十二分にある。 「足さばき!」 「はい!」 マカデミアンナッツチョコ目的で集まり始めた宿無したち。 彼らとは違う層を集めるために土方はまず『体験入門』の広告を打った。 『寺小屋に通う年頃の子ども達の行儀作法を兼ねて』 『妙齢の女性必見。女性の為の護身術(短期講座)』 流石に今から剣で身をたてようという者はすくないから、土方はそういった者をターゲットに展開することにした。 だから、あまり厳しい指導は出来ない。 基本をまず。 意外なことに、銀時はそれを教える術を持っていた。 これまで現場では縦横無尽の剣さばきや力強さに圧倒されることの方が多かったのだが、改めて道場でみる銀時の太刀筋は実はきちんと基礎をどこかの道場で押さえている風だと気が付いた。 のらりくらりとした口調ではあるが、要領よい解説は初心者にも伝わりやすい。 竹刀を肩に担いで、子どもたちの指導に立つ男の背は伸びている。 面倒見もいい。 手首を捻ったらしい子どもを連れて今も冷やしに行っている。 「銀さんもやる時はやるんです」 横に立っていた新八の存在に我に返った。 「…どうだか…」 まさか心を読まれていたということはさすがにないだろうが、見透かされたようなタイミングに冷や汗がジワリと浮き出る。 「銀さん、滅法強いくせに普段が普段でしょ? でも、ここぞという時には僕たちの期待を絶対に裏切りませんし、頼りになります」 「俺にいわせりゃ、 おめェの方がよっぽどしっかりと万事屋の経営やってるように見えるけどな」 坂田銀時、という男のことを土方が知ってから、それなりの時間がすぎた。 攘夷戦争後半を語る中で必ず出てくる『英雄・白夜叉』。 銀時がその白夜叉であることにもはや疑いようがないが、普段そんな英雄の片鱗も見えはしない。 少年向けの漫画雑誌を発売日には必ず買いに行く、糖尿病一歩手前の糖分好き。 下ネタを息を吐くように紡ぎ、年中やる気のない死んだ魚のような目をした、ドS。 経営している万事屋の経営はいつでも火の車のくせにふらふらとパチンコとギャンブルにも手を出す。 一見、ダメな男の代名詞をこれでもかと並べたかのようにも見えて、途轍もなく太く、強い己の道を、魂を持ち続けていることを、剣の強さを知っている。 土方は銀時に魅かれている自分も知っていた。 近藤ような男気に惚れ込んだのではない。 屋根の上で土方の刀を折った剣の強さにだけ憧れたのではない。 誰もを魅了する銀色の魂の色に、一個の人間・坂田銀時という男に魅せられていた。 それが恋情と呼ぶ感情であることも土方は疾うに気が付いてはいたが、同性、犬猿の仲という大きな壁を乗り越える想像が出来るはずもなく、押し殺すだけの気持ちとしていたのだ。 「とんでもないです!そりゃ給料はまともに出たことありませんけど、 あの神楽ちゃんと定春の胃袋抱えてますからね。 それに家賃の取り立てもきっちりありますし、 いよいよになればなりふり構わず仕事とってもきます」 「あぁ…」 知っているさとは言えない。 押し殺そうとしては、湧いてくる想いは、自然と町ですれ違う銀時を目で追わせた。 陽に長時間あたることの出来ないチャイナ娘には内緒で炎天下の草むしりを引き受けていた背中を見てしまったのはどの夏だったか。 年寄り夫婦の為に雪かきを引き受けた筈であるのに、結局サービスと家じゅうの大工仕事まで請け負ってしまっていたのは一つ前の冬の日だったか。 男を見つけてしまっていた。 「証拠に借金らしい借金はないですから」 「…おめェは、万事屋のことが好きなんだな」 「え?えぇ。不思議なんでけど、もう家族みたいなものです。 いつかこの道場を再興するのが僕の夢ですけど、正直、万事屋から離れた僕って、 もう想像つかないっていうか…あれ?コレ、ただの身内自慢みたいになってますね」 「そうか」 銀時は万事屋の面々を大事にしている。 彼らもまた、銀時のことを大切に思っている。 「土方さんは、その銀さんのこと、本当にお嫌いですか?」 「え?」 それまでと違った問いに、土方は即座に返答することが出来なかった。 「銀さん、口悪いですし、素直とはかけ離れた性格してるんで言いませんけど、 土方さんのこと気にしてるんです」 「いけすかねぇから、の間違いだろ?」 「あ!そういう意味じゃなくてですね!その…」 気にしている、の意味を測り兼ねた。 少しは土方の銀時を想う気持ちとはかけ離れたものであっても、せめて、一人の男として認められたいとは思う。そういう意味で、の気にしていると受け取って良いのか。 「新八!松三、今日は帰すぞ」 けれど、答えを聞き取ることは出来なかった。 「あ!僕送っていきます!すいません、土方さん!あとお願いします」 「あぁ」 バタバタと道場を出て怪我をした子どもを送りにいく新八と入れ違いで銀時が道場に入ってくる。 どうしても構えてしまう自分を内心笑いながら、竹刀の柄をぎゅっと握りしめた。 「何、仲良く話してたの?おめェら」 「別に…てめェの悪口だ」 隣に並んで立った銀時の口調は不機嫌そのもの。 自然と土方にも伝染し、ひねくれた答えしか返せなかった。 「はぁ?ちったぁ隠す気ねぇのかよ?どんだけ性格悪ぃんだか」 「冗談だ。ボケ。メガネがてめェのこと、褒めるの聞いてただけだ」 「新八が?ななななな、なんて?」 タイミングと距離的によほどの地獄耳でなければ、話の内容までは聞こえていないだろう。 ならば、単純に内容が気にかかるのか、新八とあまり近づきすぎることをよく思っていないかのどちらなのかと、これ以上荒立てない程度の答えを返したつもりだった。 だが、思いもかけないほど、うろたえた銀時に土方の方が驚く。 「…てめ…」 「ん?」 「いや、なんでもねぇ。意外に頼りにされてんだな」 「へ?頼り?新八が?んなこと言ってたの?」 「あぁ」 そうか、と天然パーマを掻き毟り、渋面を作ろうとしつつ、どこか失敗している男に土方は目を眇めた。 顔を突き合わせて、喧嘩はしてきた。 意固地になって、屁理屈をこねてきた。 普段から死んだ魚のような目をしている男が、どう見ても、照れているらしい。 そうか、と今度は土方が心の中で呟く。 少年は男を大切に想っている。 男も少年を大事に思っている。 銀時は新八の夢を犬猿の仲である土方の手を借りてでも叶えてやりたいと思い、 新八は夢を叶えたいと願いながら、銀時の側、万事屋を離れがたいと思っている。 「あのさ、今日この後、暇?あー、んーっと…、この道場のこととか?」 「それはメガネも一緒に、か?」 万事屋の中でも、夜兎の少女や白い大きな犬のように明らかに養育する対象ではない少年の未来を案じている。 するりと答えが見えてきた後だけに、新八の名を口にするだけで、胸が痛かった。 「いや、大人二人で呑みにいかね?」 「外でか?俺とてめェ二人で?」 「まぁ…そういうこと、だな。どうよ?」 「うすら寒ぃな」 うすら寒いのは土方自身だ。 こうやって同じ道場で指導をする機会を得て、他愛のない口喧嘩程度が出来たら、嫌われない程度になれたら幸いだと、どこか夢を見ていた自分を突きつけられた。 「お互い様だっつうの!俺は新八の為にだな…」 癖があるとはいえ、銀時の周りには彼を慕う美人がいくらでもいるというのに、そのどの手も取らなかったのは、なんということもない。 男にはすぐ身近に想う人間がいたからではないか。 土方がこの道場に来始めて少し近くなったと思った距離は、あくまで新八の為。 「道場のことなら、メガネ交えねぇとおかしいだろうが。 ……ほら、メガネにいいとこ見せろや」 「っ!」 既定の回数の素振りを終えた門下生(仮)たちに次の指示を出せと銀時を押しやった。 自分も竹刀をぎゅっと握り直す。 そういうことかと、痛み続ける心を押さえつけながら、後半の稽古に頭を切り替えたのだ。 『思い内にあれば−弐−』 了 (165/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |