参殺風景な病室だ。 土方はこの部屋に来るたび思う。 けれど、それも致し方ないことだと、ため息を一人つくのはいつものことなのであるが、今日ばかりは様子が違っていた。 ベッドの横にあるパイプ椅子に一人の男が座っている。 いつもそこに座るのは直属の部下、もしくは担当医。 それ以外の人間が座ったことなど、はて、あっただろうかと、イレギュラーな存在を眺めながらどこか他人事のように考える。 洋装に着流しを組み合わせ、廃刀令がでているこの時代に腰には木刀を履きつづける元攘夷志士・白夜叉。 大層な二つ名を持っているくせに、死んだ魚のような目をして、閑古鳥鳴くなんでも屋で生計をたてている奇妙な男。 腐れ縁。 いつか男が自分たちの関係をそう言い表したことがある。 言い得て妙だ。 指名手配されてはいないとはいえ元攘夷志士と攘夷志士と名乗るテロを取り締まる武装警察。 慣れ合うことなどありえない立ち位置にありながら、気が付けばいくつかのトラブルと周囲の縁でつながっている。 土方は自分の横で頭を掻き毟り、トレードマークともいえる銀色の天然パーマを更に跳ねさせている坂田銀時という男を認めてはいる。 自分の剣を圧倒的な力で叩き折った剣技も、揺るぎない武士道も。 土方とて、プライドもあるが、自分が完敗した相手にいつまでも突っかかっていくほど、子どもでも、意固地でもない。 なのに、近藤や沖田達のように親しみをもって接することが出来ずにいる。 どうにも坂田という男に対しては意地を張ってしまうのだ。 それは、坂田の方も同様なのか口も、手も、剣も繰り出し、意地の張り合い、大立ち回りを仕掛けてくる。 火事と喧嘩は江戸の華とはいえ、容赦ない。 相性の悪い人間、どうしても好きになれない人間、なのだろう。 その坂田が、二つ隣の病室の老女に押しやられる様にこの部屋に入ってきて、看護士の薦めるままに椅子に座ったまま。 口から生まれてきたのかと口達者な男が何も言わず、居心地悪そうにしているのに、看護士が立ち去っても、帰ろうとしない。 「オイ」 仕方なく、土方から声をかけると坂田は必要以上にびくりと身体を強張らせた。 病衣を着ているが、入院ではなさそうであるし、第一ここは心臓バイパス手術のオペ待ちや予後用のフロア。 「てめェ、んなとこで何してやがった?」 心臓に毛の生えていそうな坂田が入院しそうな場所ではない。 病衣を着てはいるが、坂田が着ているのは浅黄色、大して土方はうすい空色と色味も違う。 「おめェこそ、んなとこまできて職質ですか、コノヤロー。俺ぁ、その、検診にきて…」 「検診だぁ?天パは病院じゃどうしようもねぇぞ?」 「うっせぇ。糖尿だよ。経営者たるものなぁ、体調管理を…」 ガタンガタンと廊下をワゴンが通る音がして、坂田は言葉を切り、おもむろに話の方向を変えてきた。 「ここじゃ、多串くんだっけ?」 「…あぁ…他に迷惑かけたくねぇからな」 「へぇ」 考えてみれば、偽名を考えるのも面倒だったからといって、何故自分は坂田が以前あてずっぽで一度だけ言った名前を使ったのだろうと初めて疑問に思う。 けれど、そこに突っ込むでもなく坂田はきょろきょろと部屋中を遠慮なく見渡した。 「なーんにもねぇのな」 「まぁ、2,3日の検査入院の予定だし…」 本当に偶然、やって来たならば、誤魔化せるはずだ。 実際医者の見立ては兎も角もそれくらいの日数で出るつもりで土方はいる。 「ふぅん、でも、暇だろ?」 「まぁ…寝るしかするこたぁねぇな」 「羨ましいこった。三食昼寝付」 枕元にある日用品は必要最低限だ。 マヨ柄のマグカップに、歯ブラシ、タオル、ティッシュの箱。 それから、隅に袋に入れて立てかけた剣。 「てめェはいつもそんな生活だろうが」 「いんや。昼寝してりゃ、給料払えってヘビー級のパンチが飛んでくっし、 当番制だけどよ、三食きっちり作らにゃならねぇし、 大食い娘のせいで飯も作っても作っても足りねぇし。大変なのよ?これでも」 「真面目に仕事すりゃ、いいだろうが。ニート」 「ニートじゃありませんー。社長さんですぅ」 この間、山崎に投げつけて角の凹んだティッシュの箱を指で形成して大仰に坂田は話す。 「働けよ。あー、くっそ、俺もさっさと屯所帰らねぇとまた書類山積みになってんだろうな…」 「書類仕事ならここに持ってきたりとかしねぇの?」 「あー…山崎がな…」 「ジミー?」 「疲れるからって仕事も、マガジンや雑誌すら持ってこねぇんだよ」 気負いがない。 この場所に来ると、医者も看護士も山崎も、身体を気遣う話ばかりだ。 男にはそれがない。 江戸の街中で顔を突き合わせた時のような辛辣さは言葉にないが、日常の延長、世間話の域を出ない。ついついぼやきのようなものが口から零れる。 「大事にされてんねぇ」 「大げさなんだよ。すぐに出るってのに。 ここにいることは内密にしてっから、売店に自分でいくことすら出来やしねぇ」 「それで、偽名とこんな端っこの病室ね」 「あ!だから言いふらすなよ?組の奴らにもな」 土方にも気負いはなかった。 相手は弱みを見せたくない筆頭だというのに、不思議と自分が調子を崩して入院していることを負けだとは思わなかった。 心のどこかで、坂田を認めているから。 知られたならば、仕方がない。仕方がないが、ルールは守ってもらわねばとの念押しだ。 「ゴリラにも?」 「近藤さんはゴリラじゃねぇけど、そのゴリラにも」 「ゴリラ自分で言ってるし」 「言ったら、叩き斬る」 「わーった、わーった」 諸手を挙げてふざける男に念押ししようとしたところで、病室の戸がノックされた。 「あの、もしかして、坂田さん?検診に来てる?」 「そうですけど?」 坂田の返事に看護士はほっとした顔で時計を指さした。 「二回目の採血の時間」 「あ!すぐ戻ります」 ガタガタとパイプ椅子が鳴り、慌ただしく立ちあがる。 見上げる形になった坂田を土方は目を細めてみた。 「本当に検診だったんだな」 「本当に検診だって。ここ知っちまったのは偶然だかんな。別に誰にもいいやしねぇよ」 「坂田さん!」 「じゃあ、俺行くわ」 病室だというのに走っていってしまった。 大きな音と立てないように設計された病院のドアはゆっくりとレールを辿り、閉ざされていく。 「慌ただしい奴」 病室に静寂が戻る。 パイプ椅子がぽつりとベッド脇に残されていた。 山崎は自分で、医師も看護士がすぐに元の位置に戻す。 それ以外の存在が、今までそこにいた証明のようだった。 発作で朦朧としていた間の幻でないと裏付ける椅子が妙にくすぐったい気持ちに土方をさせ、やりきれないまま、どさりといつもの自己嫌悪ともどかしさとは少し異なる気持ちで身をベッドに沈めたのだった。 「病院って結構需要あんのよ。万事屋さんって」 あの日から、坂田が仕事のついでだと土方の病室をのぞくようになっていた。 動けない入院患者の買い出しに行ったり、見舞いに来ることのできない家族のところに着替えを取りに行ったり、時には荒れ果てた庭の手入れも引き受けるのだという。 「胡散臭ぇ人間によく頼む人間がいるな」 とからかい混じりに言えば、そんだけ皆こまってんだろうよと怒るでもなく返された。 穏やかに返されれば、土方とて噛みつくこともできない。 そうかよと返すしかなかった。 荒くれどもの手綱をしめる、という意味だけでなく、運営についても、真選組を実際動かしているのは土方だ。 通常業務の割り振り、無骨者がしでかすトラブルの折衝。 ストーカーを本職だと思っているのではないかと常々から思っている近藤の仕事を最終決済以外をすべて引き受け、合間に沖田の執拗な嫌がらせとさぼりに神経を張る。 そういうわけで、屯所を長期間あけるということは真選組の機能を停止させかねないのだ。 土方の病の根源は過労だ。 過労が、強いはずの土方の心臓をむしばみ、ストレスが心拍を不規則にさせているのだ。 食事や睡眠の時間を切り詰め、かろうじてマヨネーズという高カロリー食品に支えられて動かしている身体。 医師からは再三、長期の療養を進められていた。 さらには、今のような生活を続けているならば、心臓発作を起こし倒れる可能性まで突きつけられている。 それは、困ると土方も頭を抱えた。 抱えた結果、土方は加療何日といった医師の診断の範囲外ではあるが、可能な限りの時間を使って入院していたのだ。 ようは、医師を振り切って勝手に退院しては、過労と疲弊した心臓を抱えて戻る。 隊士にも、近藤にも打ち明けることなく。 で、あるから土方の予定や体調によって、院内にいる日数は毎回異なる。 それなのに、坂田はかなりの頻度で土方の病室に顔を出すから不思議だ。 見舞いもない。 訪れるのは唯一、土方の健康状態を知る山崎と病院関係者のみという土方の静かだった時間に差し入れられた鮮やかな銀色。 ある日は、暇つぶしになんだろと読み古したジャンプを病室に持ってきた。 「俺はマガジン派だ、見舞いならマガジンにしろ」 とつき返せば、 「ジャンプに宗旨替えしろってことで見舞いじゃねぇよ。なんでおめェに新しい本買ってやんなきゃなんないの」 といいながら、笑う。 そのくせ、次に来た時には、 病院食を完食するまでだめですと山崎に取り上げられたマヨネーズをこっそり差し入れてくれた。 「マヨネーズのねぇおめェなんざ、ただの目つきの悪いX字モブだろうが」 でも、ばれっから少しずつなと言い添えられては何も言えなくなる。 奇妙な感覚だった。 坂田と土方は見舞い、見舞われる関係ではない。 ついでがあるとはいえ、ずっと入院しているわけではない土方をわざわざ訪ねてくる必要も本当はない。 何日かに数回は市中に出回り、坂田が根城にするかぶき町にも仕事で足を運ぶのだから。 ただ、土方にもひとつだけ、わかることがある。 土方の病室に誰も来ないことが当たり前だった。 それが、いつの間にか坂田が来ることが当たり前になりつつある。 そして、坂田銀時という男の来訪を自分でも気がつかぬうちに受け入れている自分がいること。 それだけは理解し、そして戸惑い始めていた。 『ヒトはこれを戀と呼ぶのでしょうか―参―』 了 (159/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |