壱「坂田さーん」 江戸では中規模ではあるが一応総合病院の看板を掲げている病院の外来に坂田銀時はやって来ていた。 会計の窓口からの声に固いソファから腰を上げる。 「では、今日は痛み止めに化膿止め、胃薬、あと湿布が出てます。 処方箋薬局ならどちらでも構いませんが、一番近いのは出て右側の…」 「はいはい」 いつもの如く、ものの見事にトラブルに巻き込まれて怪我をした。 病院にかかるほどではないと流してもいい程度の怪我だったが、慌てふためいた依頼主に手近な場所にあったこの病院へ運び込まれのだ。 受診を面倒という気持ちもなくはないが、医療費を出してくれて、医師の腕も悪くなく、貰った痛み止めや化膿止めは今回使わずとも常備しておけばいいのだから、大人しく好意に甘えておくかと、領収証を切ってもらう。 「それから、先生からお時間ある時に糖尿の精密検査を受けていただきたいので予約をと 伝言がありますが、いつがご都合よろしいですか?」 「あ〜、ちょっと職場に戻ってスケジュール確認しないとわからないんで、また後日…」 「ではお決まりになりましたら、こちらの糖尿病外来直通にお電話ください」 「ハイハイ」 腕はよくとも、誰がかけるかと内心では舌を出しながら答え、処方箋と検査のチラシを受け取る。 普段掛かり付けにしている大江戸病院では前回ギリギリではあるにしろ、なんとかクリアしていたのだ。 大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる。 気紛れな数値と医者が大袈裟すぎる診断で、糖分を制限されてはたまらない。 ひびの入った左腕を擦りながら、足早に出口に向かいかけた時だ。 視界に何かひっかかるものが映り込んだ気がして首を回す。 平日の総合病院。 待合室はそれなりに賑わっている。 常連らしい年寄りは長い待ち時間を苦にするでもなく、おしゃべりに興じ、急を要する状態の人間は看護師に連れられ処置室に優先的に入っていく。 時折、子どもの泣き声も聞こえはするが、そう長いものでも、悲壮な状況だと思われるようなものは今、この場には見当たらない。 「あれか…」 銀時の意識にひっかかったのは一人の地味な男だった。 真選組監察・山崎退。 本来『地味』であるということを特長と数えてよいのか、という疑問はあるが、男を形容する上で最も適切な言葉はない。 「なんだ?アイツ」 外来の待合室を足早に通り抜けていく男は私服な上に段ボールを抱えていた。 「見舞い…か?」 山崎が歩いていったのは病棟。 しかし、真選組もこの病院を掛かり付けにはしていなかった筈だ。 山崎個人の知り合いにしては見舞いの品というには大きすぎる荷物は入院患者の日用品なのか。 「土方?」 段ボールには赤いキャップの調味料の名前が側面に入っていた。 たまたま、屯所にあった箱を再利用しただけかもしれないが、マヨネーズを代名詞にしかねない男のことが頭に浮かぶ。 土方だとしたら、一体こんなところで何をしているのだろうか、と興味が沸いた。 不本意ながら、よく似ているとも言われるし、好みの店も被る。 土方もまた銀時と同じように、怪我をして運びこまれた上に向こうが入院なら、俺の方が軽傷だし、ちょっと暇潰しにからかってから帰るのも悪くないと思った。 別段急ぎ万事屋に戻る必要もないのだから。 誰に説明する必要もないのだが、銀時は納得できる材料を並べて頷くと、気配を殺して地味な男の後をつけ始めたのだ。 結果、銀時は激しく後悔した。 山崎の尾行に失敗した訳ではない。山崎は優秀な監察のようだが、銀時にとってそれほど難しい作業ではなかった。 入院病棟。 山崎はリノリウムの床を通いなれた様子で迷いなく歩き、異質なほどひっそりとしたフロアの奥の奥に辿り着いた。 地味な男は、丁度、ガラガラと点滴や薬剤の類いをワゴンで運びながら廊下の反対側からやって来た看護士に挨拶をする。 このフロアの病室は特別室なのか、5つほどしかないようだ。 銀時は話し込む山崎に気取られないように、足早にフロアを動いた。 名前の入っていない病室は2つ。 2つのうち、引き戸が閉まっている方を銀時は選び、ニ、三度、辺りに人がいないか見回してから、素早く病室に滑り込む。 個室は静かであった。 備え付けのテレビも蛍光灯も点いていない。 窓から取り込まれる自然光だけだ。 ベッドを囲うカーテンは入り口側半分だけ引かれ、風で揺れる。 かしゃかしゃとその度にカーテンの金具が音をたてた。 「お邪魔しますよ〜」 扉を閉めても、小さく声をかけても反応はない。 眠っているのかと、そっと、銀時はベッドの主を覗いた。 腐れ縁の男は、武装警察・真選組副長・土方十四郎がいた。 男がいたことは予測範囲内だ。 一般人と隔離された病室にいたということも含めて。 テロ対策をメインに活動するチンピラ警官なのだから、いつ命を狙われても、いつ怪我をしてもおかしな点はない。 怪我で入院していたなら、である。 男は腕に点滴の透明のチューブを繋いで眠っていた。 白い。 それが一番最初に感じたことだった。 銀時の中で土方十四郎といえば、普段、真っ黒く、重たい真選組の隊服を着て、銀時とは正反対のまっすぐで、真っ黒な髪を揺らし、肺を真っ黒くしているであろう煙草の煙を巻き上げながら肩を風切って歩くチンピラ警官の姿が浮かぶ。 けれども、今銀時の目の前で横たわる男はやはり目印ともいえるV字の前髪を重力に逆らえず、左右に分散させ、秀でた額をちらりと見せ、薄水色の病衣からはいつもスカーフで隠れている鎖骨をあらわにし、むき出しの腕には針が撃ち込まれている。 白い。 黒い隊服の下は日に当たらぬためか、元の肌も白いようだが、更に透けるような病的な青白さがそこにある。 綴じた睫毛は長く、白い顔によく映える一方、唇の色は青く血行がよいとはとても言えない。 「ひ…じかた…?」 疑問形で名を口にしてしまっていた。 これは土方なのか、それとも、よく似た別人なのか。 それほどまでに、今眼前に在る人物は銀時の知る男とイメージを異としていたのだ。 「……せわになります」 廊下から聞こえてきた声に銀時は我に返った。 どうやら、看護士と話を終えたらしい山崎が、この病室に向かってきているようだ。 直ぐに廊下に出ると鉢合わせ。 別段、疾しいことをしているわけではないのだし、顔見知りでもあるのだから、正直にからかってやろうと思って後をつけてきたと言えばいい。 だが、咄嗟に銀時はカーテンと部屋の角、見舞客が入ってきても直ぐには見えそうにない位置に隠れた。 きゅっきゅっと草履が床を進む音の後に、ひょこりと地味な男は土方の休む部屋に入ってくる。 続いて、段ボールを床に置く音。 備え付けのロッカーに荷物をいれる音。 がたんとパイプ椅子を引っ張り出す音が聞こえ、カーテンが揺れた。 どうやら、カーテンの引かれていない窓側にまっすぐ向かったようだと銀時は隠れているというにはあまりにお粗末な隠れ場所で安堵した。 「副長…」 遠慮がちに声がかかる。 「や…まざきか…」 「はい。あ、身体、そのままでいいです。副作用で眩暈が酷いそうですね」 今、山本看護士に聞きましたと目を覚まし身体を起こそうとした土方を制する。 部下に気遣われ、逆切れするかとおもったが、土方はそんな気力もないのか、おとなしくベッドに再び沈んだ。 やはりおかしい。土方らしくない。 銀時は下唇を噛む。 「すいません。3点、指示だけ下さい」 「あぁ」 カサリと手帳なのか。ページをめくる音がした。 「1点目、沖田隊長が桂追跡中にパトカーでいとう屋の看板を吹き飛ばしまして…」 「それ、俺に対する嫌がらせの他のなにものでもねぇな… 仕立てた羽織をやたらと褒めてくるたぁ思っていたが…。後日侘びにいく。 取りあえず、てめェの方で修理代の見積もり預かっとけ」 「了解。2点目。吉村から報告上がりました。黒も真っ黒だそうです」 「引き続き、様子を見るように伝えろ。 ただし、裏とれたなら無茶をせず、必ず退路は確保させとけ」 「3点目。近藤局長と一緒に、明々後日、酒井様主催の茶会の警護の件で 松平のとっつぁんのところに呼ばれています」 そこで、カレンダーを頭に思い浮かべて、算段を付けているのか少し間があった。 「何時だ?」 「19時からです」 「わかった。それまでに退院する」 「また、勝手なことを」 退院する、言い切る土方の物言いに違和感を覚えた。 決めるのは医者で土方ではない。 銀時も大抵無理をするようだが、たかが会議だか打ち合わせでそこまで無理をする必要があるのか。 「近藤さん一人で行かせるわけにゃいかねぇのがわかってるから報告したんだろうが? たぶんそんな時間から開始なら、とっつぁんも近藤さんも打ち合わせ終わり次第、 すまいる直行のコースだ。そう時間かからねぇ。大丈夫だ」 「しかし…」 「うるせぇ」 言葉には掠れているだけではなく、いつものような力強さもない。 「………副長」 「あ?」 「いい加減、局長に副長の体調不良、話しちゃいけませんか?」 「駄目にきまってんだろうが」 「明らかに、悪化してますよ?担ぎ込まれる頻度、増してます」 話しの流れから、これが初めての入院ではないらしいことが知れる。 それから、地味なイメージしかない男の意外に強い口調に銀時は少なからず驚いた。 「山崎のくせにごちゃごちゃ指図すんな。俺が大丈夫っつってんだから大丈夫なんだよ。 かぁちゃんか。てめェは。さっさと現場戻れや」 「戻りますけどね!仕事に!副長!今のアンタは休むことが仕事だと心得て下さいよ!痛!」 山崎の捨て台詞をティッシュボックスを投げつけることで仕返しをしたらしい。 ばこっと慌てて閉められる引き戸にぶつかる音と、その後落下して、2面ばかり床を転がった音がした後、土方の舌うちが病室に響いた。 それを最後にまた病室は静かになる。 点滴の液体が落ちる微かな音さえ拾えそうなほど静かだった。 「くそ…」 自ら投げつけたティッシュボックスを拾いに立ち上がる気配はない。 くしゃりと軽い音。 真っ直ぐな髪は掻き混ぜる音も天パと異なるらしい。 どこか遠い出来事のように銀時はカーテンの陰に立ち尽くす。 ざざざっと、風が病室に吹き込んだ。 音程は強くない。けれど、カーテンを揺らすには十分な風量。 はらりと、横たわったまま外を見る顔が視界に入る。 しまった。 そう思った。 白い顔。 憂う表情。 日常からうかがい知ることのない儚げな印象。 風に攫われる。 そんな錯覚に陥って、手をのばしかける。 風は直ぐに止んだ。 同時にカーテンに姿が隠される。 「休むのは俺の今の仕事。わかってんだよ…」 土方の呟きに銀時は我に返った。 ここにいたらおかしくなりそうだと、じりじりと出口に慎重に気配を殺して進んだ。 進んで、これ以上ないほど慎重に引き戸を開き、後は後ろを振り返ることなく、病院の出口へと駆けたのだった。 『ヒトはこれを戀と呼ぶのでしょうか―壱―』 了 (157/212) 栞を挟む |