壱「っ…」 「ほら…声出せって…」 冗談でもなく、一夜の戯れでもなく、あの日から土方と銀時は褥を共にする仲となった。 指摘された通り、土方十四郎は坂田銀時に焦がれていた。 けれど、土方の中で墓にまで持っていく類の許されざる想いであると諦めのついていたことであった。出来るうる限り、期待という水を与えることなく静かに枯れることを待つだけの感情。 まさか、本人に知れ、拒絶されるなら兎も角も、受け入れられ、こうして定期的に逢瀬を交わすことになるとは天地がひっくりかえってもあり得ないと疑いもしていなかったのだ。 「なぁに考えてんの?」 噛み締めていた唇を坂田の指がなぞり、唇を割って進入してきた。 指は上下合わさった歯を、歯茎を滑る。 非番の度に飲み屋で待ち合わせをし、人目につきにくいホテルや茶屋で時を過ごす。 男同士であっても憚ることのない、気のきく場所。 銀時はそんな場所をよく知っている。 夜の町、かぶき町を根城にする男だから、ですまないほどよく把握しきっていた。 「余裕あるじゃねぇの」 反対の掌が腰骨から臍を擽る。 土方は身を捩った。 刺激はけして、くすぐったいわけではない。 何度も重ねた躯はもはや銀時の掌から官能しか拾えない。 「んぅ…はっ」 ぐりり、と動いた拍子に穿たれた雄が土方の内部を押す。 思わず、唇が開くと待ってましたとばかりに指が進入してきた。 「土方…」 薄目を開けると、ほろりと涙がこぼれた。 「気持ち、いいだろ?」 赤い、劣情に濡れた瞳が土方を支配する。 惚れた男に、 知られることも、 通じることも、 まして、繋がることなんて考えなかった男に、 こうやって求められている。 幸せでないはずがない。 はずがないのに、と土方は目を再び閉じて、口内をなぶっていた指を吸う。 不安だ。 銀時が信用できない、というのとも少し違う。 土方自身がそうであるように銀時は元々性的趣向はノーマルだ。 それを超えて、非番の度にこうして会っているのであるから、多少の情はあるに違いない。 「ゃ…」 「狭くて…熱くて…」 「ぅ…ぁ…」 ハァハァと獣のように荒い呼吸が、くちゅりぺちゅんと粘液が絡む音が、部屋に籠る。 「ひっ」 ずるりと蕾の縁まで一気に引き抜かれ内臓まで一緒に持っていかれそうな錯覚をした後、今度はじわじわとゆっくりとゆっくりと掻き分けるように押し込まれていく。 「女の中とは違う絡みつき方する…土方ん中」 たまんねぇ、そう囁く男の心に偽りはない。 男の身体など、気持ちがいいか、気持ちのいい振りなのか視覚で確認できる。 土方の躰を求めて、欲情していることは疑いようがない。 一方で、土方は知っていた。 土方とこうやって繋がるようになる前、頻繁に銀時は女と寝ていたことを。 モテないモテないと騒ぐが寝る女に困ったことがない男だと。 優しい男だから、本気の心を寄せてくる女には期待をもたせないが、そうでない後腐れのない女とは欲を発散させるために繋がっていた。 それもかなりの頻度で。 理由はわからなくもない。 「万事…屋…」 「もう、イキそう?じゃあ」 「やめ…っ」 土方の根本をぎゅっと捕まれた。本能的な危機を体は覚え、筋組織が緊張する。 「締まったな」 「は…なせ」 「だぁめ。オメェ、あんま先にイッちまうと落ちちまうんだもん」 「こんの…遅漏が…」 がしりと腰を掴まれ、足を左右に更に広げられた。 「遅漏じゃなくて…絶倫って言えよ」 それまでのスローな動きは一転して激しいものに変わった。 土方の前立腺を擦り、こね、最奥を突く。 気持ちが良くて、頭のなかがショートしそうになった。 射精をしたくて、でも出来ない。 既に二度放たれた銀時の欲はコンドームに入って床に落ちている。 三ラウンド目からは、備え付けが無くなったことを言い訳に土方の中に吐き出されていた。 「く…」 小さな呻き声と共にぐじゅりと四回目が更に腹に追加された。拡がる熱に土方もまた浅ましいと泣きたくなりながらも、吐き出したくて堪らなくなる。 『イきたい』 声には出さず、硬く厚い肩に指を食い噛ませることで訴える。 だが、銀時はうっそりと笑った。 「まだまだ、付き合えるよな?」 土方を不安が襲う。 「じょ…うとう」 これだけの性欲を、エネルギーを溜めた男は自分が会えない時、どう『処理』しているのか。年頃の娘がいる万事屋では自分の手だけで、そうそう吐き出せはしないのではないか。 いつでも、銀時を受け入れる女は身の回りにいる。 土方に出来るのは受け入れることだけ。全部を。 「土方…」 腰に回された腕は確かに土方に回されている。 しかし、あまりに心許なくて仕方がなかったのだ。 真選組副局長の仕事は多岐にわたる。 真選組の本機能であるテロの阻止。 それに携わる浪士や承認の捕縛、殲滅。 テロ予告、テロの標的にされるイベント、要人の警護。 攘夷浪士の動向の偵察、監視、 攘夷浪士を語るだけの犯罪者、および犯罪予備軍との見極めと奉行所との連携。 後ろ盾になっている松平片栗虎が持ち込む厄介ごとの処理。 武装警察を運営する上での武器、備品。 隊士達の人事、勤務、福利厚生etc.etc.… 上げればきりのないそれら、真選組という組織が動く為に必要な雑事のほとんどを土方が采配しているといっても過言ではない。 それでも、なんとかこれまでは土方も休みを取っていた。 取る努力をしている。 そうでなければ、頑健な土方とてぽきりと折れてしまう。 知っていたが、偶々重なったいくつかのトラブルと締め切りの為に、この数か月まともな非番を土方は取ることが出来ない日々が続いていた。 勿論、付き合いのある万事屋の主人ともまともに顔を合せることが出来てはいない。 街ですれ違えば、休みをそれとなく聞かれもする。 電話もあった。 けれども、今は時間が取れないとしか言えなかった。 非番が取れるとも決まってもいない日付をおおよそでいうことも出来ない。 武装警察の副長が暇になる=大きな捕り物がないという情報の漏えいになりかねないからだ。 時間を取れないことに関して引け目がなかったわけではないが、土方の性格上、詫びる気持ちを銀時に伝えることは出来なかった。 「あっそ。まぁお仕事頑張れや」 と軽く応えて手をふってもう用はないと離れる、もしくはぷつりと切れる電話。 温度差など元のより承知。 自分が原因なのだから、傷つくことはお門違いだ。 判ってはいても、元から土方の中にあった不安という種はむくりと発芽し、力をもって伸び始めていた。 不安が土方の心の中だけにとどまらず、現実となって現れたのはそんな折だ。 警邏中の花街で銀髪を見かけた。 いつものかぶき町とは少し離れた繁華街。 かぶき町ほどでないにしても、夜の蝶は舞い、男たちの袖を引き、引かれる為に男たちは通う町を襟を大きく抜いた明らかに玄人の女をしな垂れかからせながら歩いていた。 また、ある時は違う場所で、身体のラインを強調させるサテンのドレスを身にまとった女の腰を抱いて路地裏に入って行った。 最初は万事屋、何でも屋なのだから、仕事絡みなのだと己に言い聞かせていた。 もしくは、トラブルに巻き込まれていなければいいと心配のようなことを思いもした。 肯定するかのように、銀時から土方を避ける様子に変わりはなく、土方の非番を待っている素振りを見せていたから。 だから、信じようとしていた。 不安の芽を枯らしてしまおうと、養分も水も与えぬよう、出来るだけ考えないよう、でも、無駄に期待もしないように、十二分に気を付けた。 早く、除草剤をまきたいと必死で仕事を片付け、半日の非番をもぎ取った。 もぎ取って、土方から初めて電話をした。 銀時は携帯を持っていない。 あるのは自宅兼店舗にある固定電話のみ。 メガネやチャイナ娘が出た時の反応を恐れてかけたことはなかった。 電話には誰も出なかった。 留守番電話機能などついていない黒電話はただ呼び出し音を鳴らし続ける。 昼走り回っているチャイナ娘たちと大きな白い犬を散歩させている姿を見かけたから仕事で遠出しているとは考えづらい。 7回コールの後で土方は溜息をつき、出かけることにした。 付き合い始める前もしばしば行きつけの飲み屋や飯屋で出くわすことが多かった。 上手くいけば、かぶき町のどこかで捕まえることができるやもしれない。 外泊届は出していないが、明日午前中いっぱいは休みなのだから、泊まることが決定したなら屯所に連絡を入れたらいい。 偶然会えたなら幸運だ。あくまで探してまで追ってはいけない。 恋に足を取られてはいけない。 己を戒めながら、土方は歩いていたのだ。 坂田銀時という男は良くも悪くもひどく目立つ男だ。 洋装に片袖抜いた着流しを合わせる珍妙な、傾奇者めいた格好もさることながら、銀色の天然パーマは夜のネオンの下でも見間違うことはない。 見間違うことのない男を土方は望み通り、「偶然」見つけることが出来た。 ただし、見つけたくないは場所で。 明らかに1時間○万円各種プレイ要相談と看板にある風俗店の裏口からバスローブの女に見送られながら出てくる姿を。 女は名残惜しそうに、手を振り、男はいつも通りの眠たそうな顔で、口端だけをかすかに持ち上げて別れを告げていた。 仕事ではない。 その場の雰囲気で土方は直感した。 土方とて男だ。 銀時と付き合う前には、玄人に欲を発散させてもらったこともある。 女と銀時の間にはサービスする側される側という特有の空気がなかった。 長く親しい仲、とも言い難いが、確かに情を交わした後の気だるい空気がそこには横たわる。 カッと頭の芯の部分が焼けたかと思った。 嫉妬が、芽吹いたばかりの不安の芽を一気に成長させた。 土方は慌ただしく、その場から立ち去った。 詰る勇気も資格もなかった。 また、詰ったとしても、知っていた筈の温度差を更に突きつけられ酷く惨めになるだけだと手のひらに食い込んだ爪の痛みで言葉全てを飲み込もうとした。 もう帰ろうと客待ちしている駕籠の脇に立ち、ガラスに移りこんだ己の顔をみつけて言葉を失う。 飲み込もうとして、吐き出そうとして、失敗をした情けないとしか言い表しようのない顔がそこには在った。 真選組の鬼の副長、の顔ではなかった。 我武者羅に茨を駆けようとするバラガキの顔でもなかった。 こんな顔を真選組の人間に見せられるはずも無い。 「お客さん?」 運転手が土方に気が付き、後部座席のドアを開けたが乗り込まず、後退りした。 ドライバーの声を無視して土方は歩き始める。 闇雲に速足で行く宛てもなく。 歩いて、歩いて。 草履が地面を蹴り、砂利が鳴り、かしゃかしゃと歩に合わせて腰の刀が揺れる。 組のシフトのこと、潜伏させている監察のこと、勘定方に提出せねばならない見積書のこと。 他愛無い日常を、副長としての仕事を必死で思い浮かべながら、走る様にひた歩いた。 夏はすっかりと去ってしまった。 秋の虫は短い時を惜しみ、ここぞとばかりに鳴いて存在を主張している。 二、三日前であれば汗ばんでいたであろうに、ひんやりとした今宵の風は肌寒ささえ感じたが気にもせず、とにかく歩いた。 どれほど歩いただろうか。 河川敷に一軒の蕎麦屋を見つけた。 ひっそりとたたずむ人力で引く昔ながらのぼんやりとした灯を灯した店では客が一人、背を丸くしてそばをすすっている。 客を待つ店からは出汁のいい香りが漂い、土方は自分が昼から何も腹に入れていないことを思い出す。 煙管をふかしながら座り川を眺めていた親父は、歩を緩めた土方に気が付き、軽く会釈してきた。土方も店主が、以前真選組の関わったテロ騒動の被害者であることを認識した。 爆弾テロで店も家族も焼かれた上に、耳を患ってしまった壮年の蕎麦屋に、格安の長屋を紹介したのは一年も前だ。 その後、屋台に切り替えて細々と蕎麦屋を営んでいるとは聞いていたが、テロを自然と思い起こさせるであろう土方が進んで様子を見に訪れることは憚られ、それっきりになっていた。 目が合ってしまっては、どうにも素通りするにも気まずい。 迷っていると、今度は客の方が蕎麦から顔を上げて、土方に声をかけてきた。 「あれ?土方くんじゃない」 「長谷川、さん?」 夜だというのにサングラスをかけた中年は気さくに手を上げる。 そうなれば、土方に他の選択肢はなかった。 とても胃に何かいれる気分ではなかったが親父に指さしでかけそばを頼み、椅子に座る。 「親父さんの耳が悪いこと知ってるってことは土方くんも常連さん?」 「いえ、そういうわけではないんですが、まぁ、その…」 「あ〜、うん。いいよ。わかった。土方くんのところの仕事も大変だもんね」 「どんな仕事でもきっと一緒です」 長谷川が入国管理局を辞めてから職を転々としていることは土方も知っていたために言葉を濁すにとどめる。 「相変わらず、意外に気ぃ遣いだねぇ」 「意外は余計です」 そっと親父が蕎麦とグラスを二つ土方の前に並べ、清酒をなみなみと注ぐ。 顔を上げるとどうやらサービスのつもりらしい。会釈をしてひとつを長谷川の前に移動させた。 「土方くんのお陰でいい想いさせてもらっちゃって悪いねぇ…で?土方くん」 「で、とは?」 「なんかあったんじゃないの?真選組の副局長さんがこんな時間、盛り場からの離れた何にもない場所をひた歩いてるってさ」 親父さんの顔見に来たってわけじゃないでしょ?と言い当てられ口を閉ざす。 「別に…」 「言いたくない話なら言わなくてもいいんだけどさ、なんていうの? お節介なのはわかってんだけど、斬った張ったじゃない、プライベートの愚痴ぐらい おじさんで良かったら聞いてあげるよ?」 「…ありがとうございます」 「ま、その前にお蕎麦伸びちゃうから食べちゃった方がいいね」 「…そうですね…」 割りばしを割って、先を浸した。マヨネーズは袂に入ってはいるが、かける気分ではなかったから、そのまま蕎麦を箸で持ち上げる。 「俺さ、さっきまでこの後近くのコンビニで深夜バイト行ってたの。 客も色々でさぁ…これだけ世の中人で溢れてるんだから、まぁ色々あるよねぇ」 「長谷川さんは…」 「ん?」 「いえ…」 長谷川と銀時は親しい。 どういった経由かまでは知らないが、何かとパチンコだ、競馬だとギャンブルに手を着け、負けては共に酔いつぶれていると聞く。 長谷川であれば、銀時の女性関係を知っているかもしれない。 けれども、日ごろ犬猿の仲で通っている銀時の話題を自然にこの場に出す口実を土方は持たず、口を閉ざした。 「そういえばね…」 気を使ってくれたのか、長谷川は話題を変えた。 バイト先にきた奇妙な客の話、事故を面白おかしく話してくれ、しばし、土方は酒を口に運びながら聞き役にまわる。 ぽつりぽつりとツッコミをいれているうちに、いつのまにやら食べきれるだろうかと心配してた丼ぶりは綺麗に汁まで飲み干すことが出来ていた。 「土方くん」 「はい?」 「俺、しばらくはこの辺りで多分これくらいの時間、ぶらぶらしてると思うからさ」 声かけてよ。また飲もう。 ポンポンと大きなごつごつとした手のひらが土方の頭に置かれた。 近藤のものとも違う。 記憶の底にある兄のものとも違う手のひら。 気安さがありながら、親友とも家族とも、仕事を介した責任を伴う間柄とも、 閨を共にする銀色とも異なる温かさがとても新鮮で、温かい。 俯いて、小さく礼をいうことしかできない土方の背を最後に軽くまた叩いて元入国管理局の局長は立ち去って行ったのだ。 それからだ。 口を挟まない親父の店は居心地がよかったし、蕎麦が土方の舌にあっていたこともある。 土方は長谷川と時折、蕎麦屋で、長谷川が塒にする公園の近くで、話をするようになった。 銀時と土方の関係は変わらない。 次に銀時と時間を共有したのは銀時からの電話であり、浮気を浮気と思っている風も、気に掛ける様子も見つけることが出来なかった。 それまで通り、遅めの夕食を取った後、宿屋で明け方近く、土方が気を失うまで穿たれる。 本来受け入れる場所で無い場所に熱い楔を打ち込まれ、苦しいと思う一方、無理やり引き出される快感に翻弄された。 気持ちが良くないわけではない。 抱かれることが嫌なわけではない。 まだこの硬い身体に完全に飽きられていない、捨てるには惜しいと思ってくれている。 安堵しつつも、すっかり心の奥に蔓延った種子は棘を持った蔓をのばしていた。 苛み続けられる土方にとって長谷川との時間は徐々に貴重なものとなっていった。 会話を重ねるうちに、どうやら選ぶ言葉や話題から銀時とのことを長谷川が知っているのだと土方が気が付いたということも大きい。 最初こそ羞恥で長谷川と次に出会った時にどんな顔をしたらいいのやらと思いもしたが、長谷川の人柄かいつのまにやら気負いなく接することが出来た。 また、隠すことが当たり前であった土方にとって、秘密の関係を知った上で罵られるわけでもなく、気持ちの悪いものをみる風でもなく、偏見のない目で接してくれるということは気持ちを楽にしてくれる要素ともなり得ていたのである。 「銀さんはさぁ、そりゃ、結構自分本意だし、遠慮のない図々しさみせるくせに、 最後の一線はなかなか自分のこと、見せないよなぁ」 でも、悪い人じゃないんだよとちびりちびりと酒を口に運びながら長谷川は語る。 銀時と何かあったのか、うまくいっていないのかとは聞かない。 相変わらず、言葉尻から想像し、行間を埋めてくれる。 だから、思い切って土方はそれとなく話を振ってみる勇気を得た。 「何だかんだ言ってオンナにもモテますしね」 「まぁ、銀さんも口では下ネタばっかりだけど、リアルは隠す方じゃない。 特定の相手は今まで作らなかったみたいってことぐらいしか知らないけど、 今は違うんでしょ?」 だって、その相手って土方くんでしょ?と視線で言葉を重ねてきた。 土方は、短くなった煙草を灰皿に押しこんで、新しいものを引き抜く。 指先で上下させながら、恐る恐る口を開いた。 「そうなんですか、ね?」 「待って待って待って!不躾な質問になっちゃうけどさ、え?付き合ってるんだよね?」 「正直、わかりません。他がいるみたいではありますが…」 「え?二股?」 「二股なのか、三股なのか、そのカウントに俺が入っているかどうかもわからないんです」 人が良い、ちょっと間も運も悪い元幕臣が慌てふためく様子をみて土方は申し訳なくなる。 「土方くん…」 「はい?」 「一回、ガツンと言った方がいいよ。遠慮とかしないで」 「遠慮…」 遠慮とは少し違うのだが、長谷川のいうこともわからなくはない。 「一度…話してみます」 ありがとうございますと軽く頭をさげると照れてしまったのか面倒見のよい男は空になっていた土方のコップに追加を注ぐ。 惚れた相手がこんな男であったならば、もっと穏やかでいられたのだろうか。 表面張力で盛り上がったように見えるほど並々と注がれた酒を溢さぬように手元に引き寄せながら、土方は少しだけ吐き出して軽くなった心で映り込んだ自分顔を見つめたのだった。 『恋草―壱―』 了 (149/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |