うれゐや

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【献上品・企画参加】 | ナノ

『Contractor―Border of the water―』




「うわ…」

巨大なアクアリウムを前に土方十四郎は立ちすくんだ。

一面の青、蒼、紺。

いくつかの小さな魚の群が隊列を組んで右へ左へ交差し、
中型の魚がその間を縫っていく。
大きな魚は堂々とした風情で存在感を主張していた。

多数の岩や海藻が敷き詰められた底にも、何種類もの生き物が身を隠し、もしくは身体を休め、揺蕩っている。

足元がまるで地についている感覚がない。
まるで、海の底にいるような不思議な浮遊感に魅入られる。

きろりと一際大きなクエと目があったかと思えば、
ひらりひらりとエイが笑った顔のようなユーモラスな腹をみせながら、まるで挨拶するかのように泳いでいった。

瞬きすら忘れた。
周囲の喧騒も耳から遠のいた。
ぐらりと落下するような感覚に逆らうことなく、ただ眼前の景色に吸い寄せられる。


「十四郎」


ぽんっと背後から肩に両手が乗せられ土方十四郎は我に返った。

青から銀。

「ぎん…とき?」

自由奔放に跳ね返った銀髪は人目を引くが、他は変わりない二十代後半の男性。
だが、その頭の上に本来存在している同色の狐の耳はきれいに隠れているもののヒトではない。

急速に現実へと引き戻される。
自分はこの銀色の狐とテスト明けの一日を利用して水族館に来たのだったと。

かつて白夜叉と呼ばれていた八つの尾を持つ大妖・銀時。
土方家の土蔵に封じられていた銀時を土方が解き放って、もうそれなりの時が経っている。

何だかんだと十四郎が贄になるという契約は履行されていない。

護り刀・村麻紗が妨害している、というだけでは既にない。

そこに横たわるは、暗黙の了解。



「連れていかれんぞ」
「……なんか、いるのか?」

銀時と巡りあって以来、遭遇することが増えたあやかしの数々。
十四郎は自分の獲物だからとある時は恩着せがましく、ある時は密やかに銀時はそれらを排除してきた。

十四郎の問いはそれを踏まえてのものだった。

「居るっていや居るし、居ないっていや居ない。
 あやかしっていや、あやかしだし、違うっていや、違うんだよ」

銀時の視線は水槽の何処を、という一点に絞ることなく全体を掴んでいるように見える。
十四郎は水槽を同じように眺め直した。

「じゃあ、なんなんだよ?」
「んー、ざっくり言うと、十四郎の苦手な類い、みたいな?」
「ににに、にが…てなもんなんざ…」
「そう言いながら人の後ろに隠れんのやめてくんない?」
「べべべべ、別にっ」

身を捩り、銀時の背後に移動しようとした十四郎に苦笑する。
が、苦笑するだけでそれを許さず、正面に抱き込むような形にして、あくまで銀時の前に立たせた。

「なんだ、十四郎が銀さんに引っ付きたかっただけ?
 それならそれで言ってくれたら良かったのに。銀さんはいつでも大歓迎ですよ〜」
「ひっ!やめろっ!人前でっ!」
「やだ、早く二人きりになって、俺に喰われたいって?積極的だな」

鼻を首筋に擦りつけられた上に、ちろちろと舐められて少年の青くなっていた顔が赤く変化する。調子に乗った狐に軽く犬歯の先で擽られ、思わず十四郎は声を荒げた。

「ちがっ!」
「ほらほら!十四郎が騒ぐから目立っちまったじゃねぇの」

銀時の言葉に慌てて十四郎は周囲に意識を向けた。

「え?」

誰もいなくなっていた。

水族館と秋の行楽とは関係ないように思えるが、利用者はけして少なくなかった。
都市部で気軽に海底散策の気分を味わえる巨大アクアリウムは特に賑わっていたはずだ。
十四郎自身、水槽を目の前に出来る位置へくるまでに何度も人に押され、流されしてながら辿り着いたのだ。

しかし、今は誰もいない。

十四郎と、
そして、銀時。

ヒトの喧騒は遠く、
かといって無音ではない。

ごぽりごぽりと
水音と生き物の気配だけは場を満たしている。

「銀時…?」
「俺じゃねぇよ?」
「じゃあ…」

アクアリウムが、
いや、海と土方たちと隔てている仕切りが揺れた。


「こ、こここここれゆゆゆゆゆ…う?!」
「落ち着けよ。十四郎。相変わらずあやかし怖くないのに幽霊は怖いな」
「うっせ!刀でどうにもならねぇモンはどうしようもねぇんだから仕方ねぇだろっ!
 これはどっちの仕業だよっ?!」
「だーかーらー、あやかしであって、あやかしじゃなくて、
 幽霊であって幽霊でないモン」
「どっちだよっ?!」
「それは…」

銀時はすいっと片腕を伸ばして、指示す。

「それはヒトが決めること」
「え?」

指の先にはやはり特定のモノは見当たらない。
魚が行き交うのみ。

「ヒトが幽霊だ怨念だと名づけたなら、アレは幽霊にも怨念にも。
 ヒトがあやかしだと何かしらも名をつけたなら、アレはあやかしにも。
 ヒトが何もない、気のせいだと、どんなに言い切ってしまえば、ただの水の塊だ」

ずぞぞ…

不自然に水が蠢いた。
まるで、銀時の言葉にざわめくように。

「足がうすらぼんやり消えて暗がりで、じとっとした目で立ってる幽霊像ってのは
 たぶん徳川の御代あたりからだ。
 幽霊画なんてもんが流行って、強い念が意味を、形を持つようになった。奇妙な話さ」
「?」
「ヒトは自分たちが可視可できねぇもんを形にしたがる」

言葉、姿、名。

ヒトの子は言葉を違え、違える故に本質を見誤る。
あやかしは言葉を違えない、違えない故に、本質が明確でない場合、名に本質を伴わせることがある。

土方はなるほどと心の中で頷く。

「この海の箱庭もそうだ」
「箱庭…」
「精密に再現して、名を付けて納得して支配下に置いたつもりだろうが、
 予定外のものはどうしようもねぇよな」

水族館の人間はまさか、その場所から図鑑に載っているような、目に見える生物以外のものを運んできたつもりはない。

ずぞぞぞぞぞ…
明確な姿は見えない。
水が『歪んで』みえる、ただそれだけ。

「じゃあ…アレはなんだったモノなんだ?」
「元は『遺された側』の思念かな。
 多分この辺りの海で死んだニンゲンへの想いを具現できるようなモンが
 作る時に紛れたんだろ」
「わかりにくい…」
「あー、ヒトってよ。死んだ場所に供養だ、思い出だ、つって参りに来んだろ?
 残ってるヒトの方が大抵後悔、未練、懺悔、大抵どろどろ残してる。
 ソレに同調した他のニンゲンの思念も混ざって、わけわからんモンになって漂ってる」

自分が代わってやれたらどんなに。
自分だけが何故こんな目に。

銀時の声にいくつかの男女の声が重なる。

自分を怨んで手招きしているのか。
自分はなぜ。

怨嗟。
途惑い。
混乱。

一緒に沈んで。
一緒に落ちて。


「害はねぇのか?」
「…だから、連れていかれる」

サミシイ。
クルシイ。
クライ。
サムイ。

一人にしないで。

それは遺された者、遺す者どちらも同じ。

「銀時…」

思念は疑似の海に溶けて。
海底よりも沢山のヒトの感情を受けとめ、成長する。

生きているもの
生きていないもの。


ヒトと
けものと
あやかしと。

「なぜ…」
「十四郎、名前を付けるか?オメェが」


十四郎はきゅっと銀時のシャツを握った。

「けど…きっと、箱庭には既に箱庭の理(ルール)があるよな?」
「まぁ、そうだな」

こぽっ

2人の、床であった場所から大きな気泡が上がる。

こぽっ

ゆっくりと上昇していく様子を目で追った。

「なら…銀時」

海に直接繋がっていた時には、遺されたモノと遺したモノは繋がっていた。
けれど、ここには歪んだ名もつけられぬモノしかない。

村麻紗を振れば、解放は可能なのかもしれないが、それが全てでもない気が十四郎にはしてならなかった。

「俺がここで出来ることはねぇ」

十四郎はシャツから手を一度離し、銀時の腕を引く。

「無い、それでいいのか?」

銀時の赤い目が十四郎を試すかのように眇められた。

「何が言いてぇんだ?」
「いや、オメェのことだから、てっきり祓っちまうとか
 ぶっ壊すとかいうかと思っていたからよ」
「害があるかと俺が聞いたからか?」
「そんなとこかな…」

ここに切り取って運び込んだはヒト。
ここの在るのは『想い』のみ。
切り取られて、誰に見られることもなく、誰に求められない一方通行の残骸。

「いいんじゃねぇの?連れて行かれる奴にゃ、連れて行かれる『理由』がある。
 それに…」

静かに銀時は少年の言葉を待った。
証拠にいつのまにやら現れていた三角の耳がひくりと蠢く。

空気が、
一面の海水が、
魚が、
微生物が、
『ソレ』が、
光が、
影が、
聞き耳をたてた。

「それに、ずっとのことじゃねぇ」

少年は口に言の葉を乗せる。

ずっとではない。
全ての存在が、全ての事象が、
永遠には続かないと。

「十四郎…オメ…」

銀色の大妖は何かを言いかけ、小さく唸りを上げながら己の髪を掻きまわす。

「行こうぜ。俺たちの居場所じゃない」

急に、足が地面に付いた。
そして、わんっと十四郎の耳に館内の様々な音が戻り、溢れる。




十四郎は目の前に広がるアクリルの壁を一瞥してから、その場を後にする。


まっすぐに出口に向かった十四郎は知らなかった。



直後、大量発生した長い髪の毛。
縺れる様に、水槽内を真っ暗にし、魚たちの姿を隠す。

悲鳴、怒声。

カシャ
カシャ
カシャ
客によって切られるシャッターの音。

ずぞぞぞぞぞ…

ほんの数十秒の時間。

そして、現れた時と同じように、まばたき一つ分の時間で霧散した。

代わりに何処からともなく現れた小指が水中を舞い、
それを、ぱくりと大きな魚がひとのみ。

ごぽり
ごぽり

巨大な泡と
大量の水と
整備された人工の箱。

ぷっと魚の口から吐き出された破片。

白いカルシウムの塊がゆっくりと魚群と泡に翻弄されながら落ちてゆく。

こつん。

小さな小さな音が鳴った。

一瞬で消えた髪の幻影を追う人々の目に小さな小さな現象は映らない。

だれも気が付かない。
だれも気に留めない。

小指の骨は一度、小さく跳ねて、

それから、アクアリウムの底に横たわる。

自分たちの作り出したステレオタイプに惑わされ、
ヒトには見えない。
ヒトは見つけない。



静かに見守るのは同じ箱に囚われた魚と、水草と、岩と、水と。
骨になって沈んだ誰かの約束。

彼らを取り囲む分厚いアクリルの板。


それだけになった。



「ずっとのことじゃない、か…」

そんな様子を背後で感じ取りながら、銀時は呟く。
先ほどの十四郎の答えは予想外だった。

他に犠牲が出るなら、消すことを望むかと思っていた。
ヒトであるからこそ。
十四郎であるからこそ。

歪みは生じるであろうが、彼が望むならバランスを崩しても良いかと思っていた。


けれども、箱庭は有限だと言い切った。


それは永劫とも思える長い長い時を渡るあやかしの考え方を踏まえてのことだと。

ヒトとあやかし。
生者と死者。

対価と報酬。
契約という約束事。

ヒトはあやかしの理を知り、
あやかしはヒトの理を知る。

平行線であるはずの理が方向をほんの僅か違えた。


銀時の隠している尻尾の付け根が少し逆毛立った気がして思わず、腰を擦ってやり過ごす。

変化。
銀時をも巻き込んでいくであろう嵐が来る。


建物から出ると、大きくて分厚い、それでいて深く雲が点在する秋の空が広がっていた。
眩しさに目を細め、湿度と気温を肌で感じ取る。

夏も終わった。
まもなく、秋の盛りもやってくる。

ゆるりゆるりと銀時は首を振り、帰るぞと当たり前に言うようになった少年の後を追って、歩き出したのだった。




『Contractor―Border of the water 水の境界―』 了




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