参嫌な予感、 虫の知らせ、 言い方はいくらでもある。 そんなものを全面的に信じているわけではないが、剣士として死線をくぐる土方にとってそれは大切な感覚ではある。 あるのではあるが、こんなことで当たっては欲しくはなかった。 すなっく「すまいる」に入ると店員と軽く挨拶をした近藤は振り分けられたソファに押し込むように土方を座らせた。 例によって近藤の指名は志村妙一択であるから、土方にだけ空いていたキャバ嬢が鼻に抜けるような甘い声であいさつしながら付く。 どうやって早くこの場から抜け出すかを考えながら煙草の先から落ちそうになった灰を灰皿に落とそうとした。 そんなほんの数分の出来事だ。 がしゃりと氷の大量に入ったアイスペールが乱暴にテーブルに置かれた。 その気配に土方は身を強張らせる。 誰かなんて灰皿から顔を上げなくても分ってしまった。 明らかに負の感情が渦巻く気配が土方たちのテーブルの前に現れていた。 怒り、 苛立ち、 憤り。 「万事屋!お前も今日は飲みにきていたのか!」 机の向こう側に黒いブーツが見え、近藤のおぉだか、あぁだかと挨拶する声が響いても土方は顔を上げなかった。 いや、上げられなかった。 「ゴリラ、こいつ、ちょっと貰って行くから」 近藤さんはゴリラじゃねぇといつものように返すことも出来ず、そんな土方の様子と立っている男の間を近藤の視線が行ったり来たりするのが感じられた。 「トシ?なんだ!万事屋!トシと飲みたかったのか?ああ良いぞ!ここ座れよ」 「うるせぇよ、ゴリラ聞いてなかったか?」 「ん?」 懐に収めていた腕を引き抜き、跳ねた髪を銀時は掻き回したことが音でわかった。 「貰って行くって言ったんだよ。恋人のこと一か月もガン無視してくれちゃったりする薄情もんをな」 「なっ!?」 そこで土方は初めて顔を上げた。 「やっと顔見せやがったな」 「万事屋…」 「え?トシ恋人いたの?ちょっと!勲聞いてないんだけど!え?どこのお嬢さん?」 「「黙ってろゴリラ」」 「ちょ!トシまでゴリラって言った?」 銀時の苛立ちも土方の戸惑いも理由の根拠を知らない近藤が的外れなことを言い始め、思わず大きな声を出してしまった。 「何が言いたいか分ってるよな?土方?」 「あぁ」 場を変えるべきだと土方は立ち上がる。 「気が変わった。ここでもいいだろ?」 「そんなわけいかねぇだろうが」 「構わねぇよ」 一言で済むということなのだろうか。 それはそれでありうると思った。 『けじめ』という意味で何らかの言葉が必要というのであれば。 「テメーとは…」 「あぁ」 「金輪際、関わらねぇ。一市民と警察だ」 これもまた用意してはいた言葉だ。 「それはこの先二人では会ねぇってことか?」 「そうだ」 銀時の表情はひどくわかりにくい。 もともと死んだ魚のようなやる気のない顔をしているが、けして表情が全くないわけではない。 微かな照れや苛立ち、喜び、 そんなものをこの数年で少しは読み取れる仲になっていたと自負していたというのに今は全く読むことが出来ない。 能面のような顔。 それが一番言い得て妙だった。 耳から店の賑やかな人の声も、遠くでカラオケを歌う酔客の声も、キャバ嬢の甲高い声も遠い。 水中の中から音を聞いているようにくぐもっている。 土方は待った。 待って、ようやく、銀時の声だけがはっきりと鼓膜を打った。 「わかった」 問い詰められることはなかった。 あっさりと、引導を渡してくれた。 「勝手をいう」 自業自得ながら、自然消滅を願うことも出来なかったなと土方は口端を上げる。 恐れていた。 少しは執着の片鱗を見せてくれているのではなどと何故思ったのだろう。 土方はろくに吸いもしないまま、すっかり短くなった煙草を灰皿にねじ込んで、新しいものを取り出した。 浅ましい。 自分で望んだ応えの癖に傷ついた自分が嫌だった。 「で、それだけ?」 「なに…?」 ぽつりと銀時の口から零された音を脳が言葉に変換できずに聞き返す。 「オメーの言い分はそれだけって聞いた」 「それだけって…それで終いだろ?」 「俺、わかったって言ったけど、了承したって言ってないんですけど?」 「あ?」 了承したから「わかった」と言ったのではないのかと意味が解らず目を細めた。 はいちょっとごめんよ席はずしててねと銀時は土方の横についたまま、固まっていたオンナ達を立ち上がらせ押しやって自分がそこに陣取った。 ローテーブルを押しやって、土方の正面に銀時は立って、見下ろしてきた。 「ゴリラ」 「ん?」 「しっかり見とけな」 土方は胸ぐらをつかまれて状態を少し浮かされる。 咄嗟に殴られると、身構え、歯を食いしばった。 食いしばった口元に何かがあたり、土方はこれ以上ないほど目を見開く。 「万事…屋ぁぁぁぁぁ!?」 横で親友の大きな声が聞こえる。 目の前に銀時の赤い目があった。 啄むように唇を刺激され、舌がちろちろと隙間を弄る。 口を吸われているのだと、理解して一気に顔に朱が上ったのが自分でもわかった。 「な…に…んっ」 余興だと思ったのか、他の席の客や女のはやし立てる声が遠く耳に届く。 文句の一つでも紡ごうとして空いた隙間を銀時は逃すことなく、舌を差し入れてきた。 舌は生き物のように土方の口内を動き回る。 性急に宿屋で身体を求められる時のような性感帯を狙った口づけに土方はどんっと銀時の胸を叩いた。 だが、胸ぐらをつかんでいた銀時の手はいつのまにか土方の後頭部を押さえつけ、上半身を密着させるように前のめりにしてきていた。 腰を直撃するような感覚と無理な体勢に土方はソファに腰を降ろす形になる。 それでも、銀時は弄るような口づけを解かなかった。 押し込まれるような唾液が土方の口端から落ち始め、息が上がる。 無理やりあげられていく体温はどうしようもなく、腕は縋る様に銀時の着流しを掴んでしまっていた。 辺りは静まっていた。 店内に流されている有線放送の音だけが辺りを満たしていた。 それが、口づけに翻弄されたために土方の耳が機能しなくなったのではなく、店内にいる全員が余興でも悪ふざけでもないのだと気が付き、息を飲んだための静けさだと気が付く頃、ようやく銀時の顔が離れていった。 「見てた?ゴリラ」 「み、見てました」 「てめ…」 唖然と口元をなぜか両手で押さえながら近藤が返事を返したことで我に返る。 「そういうことなんで」 「そ、そういうことなんでじゃねぇぇぇぇぇ!」 周囲の目をこれ以上気にしていられず、胸ぐらをつかみ返して大声で怒鳴り返した。 「あら?もう正気に戻った?でも、今オメーすっげぇエロい顔してっからね。 今日は特別だけど、明日からは他の人間に見せちゃダメだかんな」 「エロくねぇし!大体どういうつもりでテメーは!」 「言ったじゃねぇか。了承はしねぇって」 急にふざけた口調は収められ、逆に低く唸るような声に変わっていた。 「っ!」 「あのー、銀時くん」 「なんでしょう?ケツ毛ゴリラ」 恐る恐るといった風にこちらも我に返ったらしい上司が手を上げて発言を願いでた。 「トシが放置してた恋人って…その…?」 指さし確認をすれば、それを受けて大きく頷いて己を指示した。 「そうそう、俺のことだから。そういうことで息子さんは俺がいただきます」 「はぁぁぁぁっ?万事屋っ?!と、近藤さん?」 近藤が立ち上がり、銀時も向かい合う。 場がまた静かになった。 静かだが好奇の視線だけは途絶えていない。 「銀時、お前のことは俺は認めているし、いい漢だと思っている」 「そりゃどうも」 「が、しかしだ。トシを悲しませるような事態は俺としては黙って見ている訳にはいかん」 近藤が愛刀に手をかけた。 「俺は生き方を変えられねぇ。けど、悲しませるようなこともするつもりはねぇよ。 大体、そんな弱ぇ奴じゃねぇだろ?コイツも」 平時となんら変わらない口調で、耳に小指を突っ込んで掻きながら応えてはいるが、視線だけは銀時や土方よりも少し高い位置にある近藤にまっすぐ向けられていた。 銀時の言葉の奥、真意を見逃すまいとしているかのように近藤の視線もまっすぐに返していた。 「本気なんだな?」 「んなこと冗談じゃ言えねぇよ」 「本気の本気、なんだな?」 「くどい」 土方は呆気にとられていたが、虎鉄の鯉口がちんと音を立てて収められた様子で我に返る。 そして沸々と徐々に現実が、周囲が見えてくる。 「こ………んの………・」 何故だ 銀時にも知られぬまま朽ち堕ちさせるはずだった想いはいつの間にか掬い取られ、 絡め取られて、 抜け出せなくなる前に、あるべき姿に戻れるように手放そうと決心したというのに。 気を許す身近な人間にさえ察せられることもないまま、自然消滅を願ったというのに。 「恥知らずがぁぁぁっぁぁ!」 勝手に話を進める天然パーマに真上から拳骨を打ち込んだ。 『結ぼる 参』 了 (142/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |