壱-黒-目の前で鮮血が散る。 土方は舌打ちして、刃を降り下ろした。 ゆっくりと崩れ落ちる暗色のスーツの男と、床に落ち、がらんがしゃんと派手に割れる花瓶の音。 沸き上がる悲鳴。 発火したように熱くなる左脇腹と仲間たちの怒号。 「副長!」 「救急車!封鎖!マスコミもここまでだ!」 血糊で左目がうまく開かず、呼び掛けた人間の顔は見えなかったが構わず怒鳴り返す。 今、大切なのは『護れ』と命の下った学者を『死守』すること。 真選組は土方の指揮の元、警護の任についていた。 警護対象は一人の学者。 その男は最近過激なコメントを出すことで持て囃され、テレビや著書で名前を売っていた。 攘夷浪士を根絶やしに、テロリスト間のネットワークを一網打尽にするための強引な策を提唱する男が周囲の反対を押切、他の星からゲストアドバイザーを呼んで講演会をしようなどと事を始めたのが始まりだった。 売名行為もあってか真偽はともかくも大小様々なテロ組織から脅迫文を送りつけられ、顔の広さを駆使して幕僚の一人に泣きついたらしい。 「テロ」と名がつけば、いかに胡散臭いと土方が感じていようと看過できない。 しかも松平経由で正式に話が入れば、真選組に避けて通る道がある筈もなかった。 当日 文化ホールの警備は万全だった。 徹底的な銃剣器のチェック。 招待状による入場者の制限。 当日スタッフの事前身元調査。 ただ、一点。 チェック出来なかったのは警護対象自身が連れてきた世界的に有名だというアドバイザー(研究者)とその秘書。 そして、現場が講演会のステージであったことが土方の誤算だった。 舞台のそでで待機していた土方たちが気づいた時には一歩遅かった。 学者がゲストであるアドバイザーを紹介するためにマイクを持って演台に立ったところで、アドバイザーの秘書が慌てた様子でメモ用紙を持ってアドバイザーに駆け寄った。 何か原稿にミスでもあったのか、誰もがそう思ったはずだ。 そして、凶刃が振りかざされる。 土方は叫ぶ。 反対の舞台袖にいた隊士がアドバイザーを突き飛ばし、剣先の軌道から逸らした。 けれど、完全には間に合わず舞台に沈んでいく。 秘書だった男は次にマイクを握ったまま固まる学者に短刀は向けた。 土方は走る。 走って『護らなければならない』学者と秘書だった男の間に割って入る。 簡単に取り押さえられるタイミングだった。 にも関わらず、出来なかった。 恐慌状態に陥った学者が後ろから土方にすがり付いたからだ。 まるで背後からしがみつくように。 腹部に熱が襲う。 突き立てられた刀は密着していた学者にも届いてしまったことを、すぐ背後から漏れたひび割れたような喚き声で察することが出来た。 土方は舌打ちする。 無理な体勢から剣先を繰り出す。 刃は浅く頸動脈を切断し、派手に血液が辺りに飛び散った。 「副長!」 「救急車!封鎖!マスコミもここまでだ!」 飛び散ってうっかり入ってしまった血糊で左目がうまく開かず、呼び掛けた人間の顔は見えはしなかったが構わず怒鳴り返した。 (すまねぇ…近藤さん) 実行犯を押さえられたのは不幸中の幸いだが、警護対象が傷を負わせた責を真選組が問われることから逃れようがない。 傷以上の痛みを全身で覚えながら土方は指示のするために、袖で目に入った血を拭ったのだ。 『儘ならぬこと 壱-黒-』 了 (128/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |