参「十四郎…」 囁きが土方の耳朶をくすぐる。 応えたいのに声が出ない。 口を塞がれ、手足を拘束され、思うように体を動かせない。 後ろ手に縛られた手がかすかに触れるのは畳と背を預けた壁のクロスの感触。 午後になってからだ。 奉行所から指名手配中の攘夷浪士らしい人間を捕まえたと連絡があり、土方は巡察の予定を変更して手が空いていると名乗り出た隊士と外出した。 まさか、だった。 この春、入隊したばかりの三番隊隊士。 パトカーの運転手を請け負った男と直接話すのは面接時以来だった。 普段から剣の腕はそこそこ、人当たりも悪くはないが、これ、といった特徴のない隊士。 その程度の認識しか正直土方にはなかった。 長々と奉行所で引き渡し手続きをした挙句、実は全く攘夷活動とは関係のない人間であったと知れて、二日酔いの頭を更に重くした。 気分転換に、屯所へ戻る途中でファミレスにより、隊士にも冷たい飲み物をおごってやることにした。 ファミレスの窓から眺める町はなんの問題ないように見えた。 不審な人間も見かけず、町の喧騒に真選組が口をはさむような事件もなく。 問題が起きたのは土方の体調の方だった。 徐々に朦朧としてくる意識。 今朝まで体調は二日酔い以外に異変はなかった。 厠に行き、胃のモノを吐きだそうとしたが、それも出来ず洗面台で顔を洗ったのだ。 その後だ。 鏡に隊士の姿が映ったかと思った次の瞬間、当身を喰らい、気が付けば見慣れぬ部屋に連れ込まれて、 今に至る。 隊士の身辺調査は入隊時に念密に行われる。 怪しいところはなかったはずだが、途中主旨を変更する輩もいるにはいる。 だから、攘夷浪士に転身して土方を捕えられた可能性を考えたのだが、直ぐに命を奪うでも、真選組に脅迫文を送り付けた様子もない。 腰の物も自由も奪われてはいても、触れ方はいたって穏やかだ。 むしろ恭しいまでの触れ方は背筋が寒くなるばかりで、判断に困る。 視覚から得られる情報から、ここは南向きの日当たりの良い部屋。 それなりに新しいようだが、家具などは最低限の物しかないように思われる。 外はけして静かではない。 それなりの人通りと喧騒。 隣の部屋の住人は不在のようだが、薄そうな壁は叫んだり暴れたりすればすぐに気が付かれそうな感じがする。 「会いたいって言ってくれて嬉しい」 「…っ…」 汗ばんだ指に頬をなぞられ、悪寒に唇をかんだ。 失態だと、せめてもの抵抗とばかりに睨み付けるが、効果はもちろんない。 「だから、願いをかなえてあげたんだからそんな顔をしないで」 眉間によった皺を引き延ばすかのような動作が繰り返されるが土方の機嫌がよくなる筈もないことは、男はよくわかっているはずだ。 願い、会いたいそんな単語に思い当たるは空色の雲龍紙。 土方が書いた最後の手紙は鉄之助に郵便を使わず午前中、直接持たせた。 部屋には表札もなく、電気のメーターも動いていなかったらしい。 さらには共同の郵便受けのみ真新しい『坂口』のプレートが張られていたと鉄之助は確認してきていた。 郵便を受け取るだけに部屋を借りていたのだとしたら大層な手のかけようだと攘夷組織の線で探る方向で考えていたのだが、どうにも違う気がする。 「ずっと十四郎を見ていたんだ。十四郎も僕を見ていてくれたんだろ?」 違うと目で訴えてもどこか遠くをみるような目つきの男に通じるはずもなく、ただ猿轡をかみしめる。 「あぁ、そんなに噛みしめないで、綺麗な唇に傷ついてしまう。 騒がないって約束してくれたら取ってあげるから」 こくりと一つ頷けば、にこりと無邪気とも見える笑顔をして後頭部で縛られていた結び目を解いた。 「…何が目的だ?」 「目的?やだな。十四郎。僕と十四郎の仲じゃない? 想いが通じ合った相手同士で敵同士じゃないんだからそんな怖い顔しないで」 「想い…?」 どうやら、『真選組副長』としてではなく、『土方』個人とのことを指していると確定した。 「そう今日から晴れて恋人同士でしょ?何回も恋文くれたじゃない」 「恋文?」 「あれは恋文でしょ?繰り返し繰り返し読んだんだから、わかる。 忍ぶ恋情を抑えきれてないんだもの」 「違う。あれは…」 「違わない!照れ屋さんだな。十四郎は」 恋文だと思われるような直接的な言葉は書いたことはない。 けれど、こころの何処かでそうであればいいと思う人間のことを思い浮かべていなかったとは言い切れない。 相手を今怒らせても、なんの利がないことが解かっていたが、一方通行な会話にいらだちを隠せない。 落ち着けと自分に言い聞かせ悪態を飲み込んだ。 「ちょっと予定より早かったから、家具の準備が整ってないんだけど、屯所にも程よい距離だしこの部屋いいでしょ?僕たちの新居だよ?」 土方の視線に気が付いたのか、男は両手を広げて紹介するような動作をする。 「あいつも僕の十四郎にちょっかいかけたことにお仕置きしておいたから もう大丈夫だとは思うけど。もう、僕がいるんだから、 万事屋とかいうあんな社会的不適合者となれ合ったりしたら駄目だよ?」 「万事屋に何をしやがった?」 「十四郎は優しすぎる。大丈夫。 ちょっと偽の依頼で呼び出して、事故にあってもらっただけ」 「てめっ」 思わず、身体を乗り出そうとするが、しびれたような感覚が手足をむしばんでおり思うように動かず、身体が倒れかけ、男の手によって支えられた。 「コーヒーに入れた薬、量を間違えちゃったみたいだね。 もうそんなに動けるなんて。あ、身体に害のない成分だから安心して」 ね?と寄せられる顔をどうにか避けようと今度は後ろに体をのけぞらせようとするが後頭部を抑えられ、それはかなわない。 顔を背けた代わりに差し出した首元に男の生暖かい息を感じて、更に必死に身を捩る。 それを許すまいとばかりに動かした男の爪が首元を引っ掻き、ちりりと痛みが走った。 「やめろっ!こんなことしてタダで済むと思ってんのか!?」 揃えて結ばれた足をミノムシのように前後させて、男の下から抜け出そうと努力した。 「十四郎は僕のなんだから合意の上だろ」 「ふざけんなっ!文はお前を想って書いたものじゃねぇ」 鈍い平手の音が響き、体が横に引き倒され、そのまま馬乗りにされていた。 「十四郎。ツンデレもいい加減にしないと怒るよ?」 左右に隊服が割られ、スカーフが抜き取られる。 ベストのファスナーに指がかかり、ここにきて初めて自分の置かれた危機に意味を認識した。 手の拘束を力づくでどうにかしようと、力が入らないながらも、引きちぎらんばかりに動かせば、少しだけ緩んだ気がした。 「くそっ!」 その間にも男の手はシャツのボタンを開け終わり、胸骨を撫で上げられ、その気持ち悪さに身を捩って逃れようと足掻いた。 「何してやがる!」 玄関扉が勢いよく吹き飛んで、怒声と共に土方の上から重さが消え去った。 「副長!ご無事ですかっ!」 駆け寄り拘束を外す鉄之助をぼんやりと認識しながら。 そうして目の前に広がる白い着流しに唖然としていた。 「よろ…ずや?」 坂口なのか、田中なのか、本名すらわからない男が坂田によって殴られ、床に転がっていた。 男の胸ぐらをつかみあげたのを見とめ、痺れる手を軽く振って、流水紋の袖を引いた。 「そこからはこっちの仕事だ。まだそいつからは聞き出さねぇとならねぇことが… 山ほどある。鉄、状況」 「は、はいっ!副長に言われた通り、旦那のところに身辺で変わったことがなかったか 聞きに行きましたら! 旦那が工事現場で鉄柱が落ちてくるという事故に巻き込まれたとのことでしたので! 副長にお電話!電源が切れてしまってましたので奉行所に連絡。 すでに帰られた後でしたので山崎さんに電話をしましたところ! 直前までのGPSを追うように指示されまして、 このあたりにたどり着いたところで旦那が追いつかれました!」 「で、このあたりで土方に関連しそうな場所ってこのエセラッパーに聞いたらよ、 このアパートに使い出されたっていうから、強行突破した」 どさりと男を床に投げ捨てると、鉄之助の言葉を引き継ぐように坂田が言葉をはさんだ。 「鉄、テメー単独か?」 「原田隊長達が隊をいつでも動かせるように待機しているはずです」 「上出来だ。携帯貸せ」 自分の携帯を奪った男は気を失っているので、手っ取り早く鉄之助の携帯から原田に電話をする。 「?」 するりと、坂田の手が伸びてきて土方のシャツを掻き合わせた。 襲われましたと言わんばかりの状況を慮ってくれたのだと気が付き、顔が朱に染まる。 電話を片手に、反対の手でボタンを留めようとしたが、今だ薬の効いた指先はうまく動かず、つるりつるりとボタンホールを滑って行く。 それに気が付いたのか、坂田が代わりにと一つ一つ下からボタンを留めてくれた。 とんだ醜態をさらしてしまったことになのか、子どものようにボタンを留めてもらうという状況のせいなのか、むずむずと羞恥心はこれ以上ないほど煽られ、ようやく携帯に出た原田に怒鳴りつけるように住所を告げパトカーを回す様に告げた。 坂田の手がまだ全て留め終わらぬうちに止まり、なにやら凝視されていることに気が付いてそれまで合わせていなかった目をようやく向ける。 「な…んだ?」 「これ…あのストーカーにつけられたのか?」 「あ?あぁ…」 首に付けられた爪痕のことを言っているのだと気が付き、居た堪れなくなってまた目をそらす。 「ぼ、僕はストーカーじゃない!僕の送った8通に十四郎が応えてくれたんだ!」 「ストーカーはみんなそういうんだよ。だいたいよぉ」 坂田が呆れた口調で告げる。 それよりも、男の吐きだした言葉に引っ掛かった。 「ちょっと待て。8通?今朝のを含めて10通じゃないのか?」 「今朝のを含めたら9通!白紙は僕じゃない! 十四郎が珍しく大切に机にしまっていたから便箋をまねただけだ!」 「まねた…ってテメー、白紙で出してしまったみてぇなこと書いてたじゃねぇか!」 「そ、それはその方が目に留めてもらえるかと…それはきっかけに過ぎないだろ? 十四郎の気持ちは返信されてきた手紙にあふれて…」 思い込み、というには激しすぎる。 少しずつ戻ってきた力を確かめるように、手のひらを握って開いてしながら唸る様に反論した。 「溢れてねぇ。きっかけじゃなくて成りすましって言うんだよ。」 「そ…そんな!十四郎は僕のこと愛してるんだよ!気が付いてないだけで!」 「だから!文はお前を想って書いたものじゃねぇ」 「嘘だ!じゃあ誰のこと?」 「そ、それは…」 藪蛇だったと口をつぐむ。 まさか直ぐ隣に立つ男だと言えるはずもない。 「ほら!やっぱり僕の宛てじゃないか!」 「ち、違ぇ!」 「副長!」 土方にとっては有難いことに原田達十番隊が到着した。 「こいつを真選組副長拉致監禁の容疑で取り調べしろ。 背後に攘夷浪士どもが付いてねぇかもな」 「そんな!十四郎!」 ストーカー容疑よりも、その方が厳しい取り調べが待っている。 数か月とはいえ、真選組に籍を置いた人間ならば容易に想像がついたのだろう。 真っ青になって震え始めていた。 「あ?コイツ三番隊の田中じゃないですか?隊に潜り込んでたってことですか?」 「そういうこった。身元保証人も合わせて調べろ」 「承知。副長も一度屯所に戻りますか?」 「あぁ、そうする…え?」 腕を坂田に捕まれ、振り返った。 いつもの死んだ魚のような目つきではない。 「ハゲ」 ぞくりとするような強い視線は土方ではなく原田に向っていた。 「万事屋の旦那!これハゲじゃなくて、おしゃれスキンヘッドね!」 「あ〜、どっちにしてもハゲはハゲだろ?副長さん、薬盛られてるみたいだし? 内通者とかまだいたら危ねぇんじゃね?ちっと話があるし、万事屋で預かっとくから」 原田を始め、部屋にいた隊士たちの目が一斉に土方に向けられた。 「え?薬?アンタ大丈夫なのか?」 「大分動かせるようになってる。ちっと力が入りにくいだけで大事ない…」 「じゃ、旦那、頼んます。局長には俺から伝えときますし。車で送ります?」 手を握ったり開いたりさせてみせ、大丈夫だと主張する言葉はあっさりとスルーされてしまった。 「いやバイクで来てるし、パトカー乗り付けると、 下のババアがまた何したんだってうるせぇから、いらね」 「テメーら!俺の話聞け!大丈夫だから屯所に」 「じゃ、お願いしまーす」 ぞろぞろと撤収する波に土方の紛れてしまおうと足を踏み出そうとしたが、それはかなわない。 掴まれたままの腕を引かれ、半ば引き摺られるようにバイクの後部座席まで連れて行かれてしまった。 そのまま、あっという間にかぶき町の万事屋へと連れ込まれたのである。 『恋文 参』 了 (118/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |