弐二通目が届いたのは、土方が返事を投函してから5日後のこと。 また封筒が届いた。 まったく同じ封筒。 まったく同じ便箋。 前回よりも綴られている文の長さは長くなっている。 手紙の礼と喜び。 『個人的な想いが届かないのはわかっている。 自分はただ見つめる一人でよい』 『土方にも自分にも守らなくてはならない大切なものがあり それを貫く姿勢までを含めて好ましく想っているから、 土方の邪魔をしたいわけでもない』 『走っている姿を見つめているだけで、健やかでいてくれることだけで良い』 そして、土方のままならない心のうちを写し取ったような気持ち。 読み進めながら、土方は下唇を噛む。 土方が坂田に文を書いたことはない。 これまでもこの先もないだろう。 『それでも、こうして手紙のやり取りをしてもらえるだけで、 その瞬間だけ、叶ったような気持ちを手に入れることが出来る』 相手に言葉に迷う。 今まで、返す返事はあくまで儀礼的な文しか考えたことがなかった。 相手を傷つけないためだけの手紙。 円滑に状況を進めるための手紙。 己に突きつけられる言葉に、返事を書きたいと思ったことはなかった。 通例では2度目は書かない。 引き出しから、前回の2通も取出し、今回の物と合わせて並べる。 それでも、今回ばかりは、土方を理解するような言葉を綴る、 否、綴ってくれたことに対する『礼』を書きたいと思うのだ。 土方は硯に墨を乗せ、ゆっくりと摺り始めた。 そうやって、始まった文のやり取りは、かれこれ3か月ほど続いている。 気が付けば、土方が返事をすることがごく自然なことになりつつあった。 紙問屋で最初に買い求めた雲龍紙も使い果たし、すでに2度買い足している。 その日は非番が昼過ぎから翌日の昼まで非番であったから、明るいうちに書き上げた手紙を投函しがてら飲みに出かけた。 歩きながら、土方は考える。 なぜ、この手紙の主には返事を書いてしまうのか。 土方の想い人もまた男性であり、想いを到底伝えることのできない相手であるから、 同情や傷の舐めあいであることも心の何処かで知っている。 しかし、それだけであれば、きっと土方はこれほど何度も繰り返さないと分析する。 ぽつりと土方の頬を水分が濡らした。 見上げれば、大きな雲が急速に天を覆い始めている。 一雨くる。 台風が西の方から上ってきている影響ではまだないから風は強くないとは思うが、それでも強い雨が間もなく降り始めるだろう。 傘はもちろん持ってきていたが、ポストよりは馴染みの飲み屋の方が距離は短い。 走って投函してから店に入ることも一瞬頭に過ぎりはしたが、今日の集荷はどうせ終わっているだろうから、あと数時間遅れたとて大した違いはあるまいと暖簾を選んだ。 暖簾をくぐり、カウンター席に突出しと生ビールが置かれる頃には激しい雨音が響き土方は自分の選択が正しかったのだと小さく嗤った。 (あとは、手紙を出すのを忘れねぇように気をつけねぇと) 枝豆をぷちりと取出し、小皿に絞り出したマヨネーズに絡めて口に運ぶ。 ちょうどよい塩加減で茹で上げられた豆とマヨネーズの酸味が口に広がり、少し得をした気分になっていれば、がらがらと賑やかに店の扉が開いて雨に濡れたらしい客がばたばたと店内に入ってきた。 女将がグループ客にはテーブル席や座敷をあてがいながら、タオルを慌てて貸してやっている。一人客は常連なのかタオルを受け取ると案内もなくごく自然に土方の隣、一つ席を空けて腰を下ろしかけた。 下ろしかけて動きを止めたことに気が付き、何事かと、顔を上げて相手を確認すれば見覚えのある顔がにやにやと土方を見下ろしている。 「万事屋?」 「今日は雨に降られて災難って思っていたけど、 いいところに財布が落ちてたからラッキーの間違いだったわ」 空けるつもりだったはずの椅子に腰かけなおし、受け取ったタオルで豪快に濡れた天然パーマをかき回す。 タオルを離せば、完全には取りきれない水分がパーマの具合をさらに凄まじい状態にしてしまっており、思わず土方は吹き出してしまった。 「な…んだよ?」 「だって…テメー、その頭はねぇだろう?爆発…して…ぐっ!」 止まらない笑い声で言葉がとぎれとぎれになりながら、ビールに口を付ければ、気管に入って少々噎せてしまった。 「オイオイ、なにやってんだ。オメーは… あ、俺にも生中二つと…今日は何がおすすめ?茄子の煮びたし? じゃあ、それと…串を適当に。あ、伝票一緒にして」 背をさすりながらオーダーをする男の手がひどく熱く感じて、また息が詰まり喉からいつまでも違和感が取れない。 「てめ…ドサクサに紛れて…なに…」 「ほら、まだ喋んな」 こういうところが、この男の困るところだと喉を抑えるふりをしながら胸を抑える。 普段、あれだけ関わりたくないという態度をとっている相手でも、こういった優しさは惜しむことなく発揮する。 基本的に人が良いのだ。 だらしない態度を普段はみせているが、根底は揺るがない。 「ほら、落ち着いたんなら、生、オメーのも追加したから」 「てめ…何勝手に…」 「まま、そこは置いておいて、ほら」 坂田は乾杯なとグラスを勝手に合わせ、一気に生ビールを煽る。 ごくりごくりと冷たい液体が流れていく喉元につい見入ってしまったことに気が付いて、土方も自分のジョッキに口を付けた。 「で?その後、どうよ?文通」 「あ?文通?」 「あれ?ちげぇの?この間便箋買ってた相手とやり取り続いてんだろうが?」 「なんで、テメーがそれ知ってんだよ?」 沖田あたりが、面白半分に耳に入れたのたのかもしれないと土方は口をへの字に結ぶ。 重ねて問われ、ついつい土方はビールを一気に飲み干して、お代わりを頼む。 突出し程度しか入っていない胃に炭酸が少し痛みをもたらした気がしたが、動揺する心を抑えるにはアルコールを摂取するのが一番手っ取り早く思えたのだ。 「ん〜、まぁちょっと聞きかじってよ。 礼状って言ってた割にそんな続いてるとかご執心じゃねぇの?」 坂田の問いは、まさに土方が道中考えていたことでもある。 なぜ、この手紙の主には返事を書いてしまうのか。 この文の相手が横に座る男であればよいと思ってしまったことが大きいのかもしれない。 「どんな女なわけ?んなに惚れこんでいるとかさ。デートぐらいしたのかよ?」 「馬鹿か、手紙は確かにちょっと続いてはいるが、顔見たこともねぇし。 正直あんま相手のことは知らねぇ…」 名無しの手紙。 呼び方すらわからない相手とのやりとり。 宛先だけで土方に届くふみと住所だけで届けられるふみ。 「知らない?恋文とかファンレターの類なら自己紹介とか書いてねぇの?」 「それはねぇな。なんか俺なんかの何処がそんなにお気に召してんのかってぐれぇ 馬鹿丁寧な文と気遣いを送ってくるだけだな。 まぁ男同士だから俺に退かれたくねぇってのもあるのかもしれねぇが」 「え?オメー男もありなわけ?」 素っ頓狂な声を上げられ、慌てて周囲を見渡すが、方々でそれなりに盛り上がっている酔客は誰も気にした風はない。 「え?いやいやいや!俺は相手をそんな風に見てるとかじゃねぇし!」 「だよな!こんな強面の副長さんをどうにかしようなんて強者そうそういねぇよな!」 「うるせぇよ」 お代わりをまた口に運びながら、ビールの苦みと炭酸がもたらす刺激に少し眉を顰めるフルをする。 坂田の言葉を逆に返せば、同じような体格をした男に思われるなど想像がつかないという風にも取れる。 元より、女好きを隠しもしない男であるから当たり前といえば当たり前のことなのだが、痛みがないはずもない。 「で、そのつもりもねえ相手にオメーは何いつも書いてんの?」 「別に…心配した風な言葉が書かれてることが多いから、 気遣いに対しての礼がほとんどだな。 あとは季節のこととかぐれぇか。隊務のことは書けねぇし」 最初、中身白紙で送ってきやがった慌て者かと思えば、よく見てる…というか なんというか…とにかく捉えどころがねぇ相手だから書きようが他にない」 相手のことは具体的に書かれていないものの、手紙のやり取りを続けるたびに、少しずつ相手のイメージは変わっていく。 正直な所、一通目、白紙の手紙の方がよほど相手の『像』が明確に見えていた気さえするのだ。 言葉が増えていけばいくほど、 土方を案ずる言葉や想う言葉を匂わせる単語を目にすればするほど、 砂を噛んだようなざらりと嫌なものを最近は感じ始めていた。 例えば、巡察中の土方を見かけ、ペアで回っていた隊士の腕では土方を守りきれないのではないか、あんな慌ただしい食事では体調を崩すからやめてほしいといったことまで、細かい描写が書き連ねられるようになったことだ。 「白紙…?そういえば、相手に合わせて紙選んだって言ってたっけか?」 「よく覚えてたな…鳥の巣みてぇな頭しやがってるくせに…」 「鳥の巣と、鳥頭、どっちも違うから!そこじゃなくてよ、紙って雲龍紙?」 「そうだ雲龍紙の…あわい青だな…青と浅黄の中間ぐれぇの」 「お待たせしました」 女将が小エビのかき揚げを置き、それがマヨネーズで埋まる様子を見つめながら答え、頭の中では別のことを考え始めていた。 相手のことをよく知りもせず、相手のことを聞きもせず、やり取りを続けていたのは無意識に土方が相手のことを知りたくなかったからに違いない。 文の主が、坂田であったならば。 そんなありもしない仮定を最初に思いついてしまったからこその。 先ほどからの坂田の様子をみていても、破片すらそんな要素を見出せはしないというのに愚かなことだと、酔いの回り始めた頭はどこか他人事のように冷静に見下せた。 そして、改めて考えてみれば、面と向かい合うことをする気もないのに、まるで期待させるような行動は自分らしくない上に、相手に対して失礼にあたる。 「白紙…雲龍紙…?」 何故か言葉を詰まらせた坂田に気が付かぬほど、ジョッキの表面に着いた水滴がゆっくりと流れ落ち、コースターに水たまりを作っていくのを見つめた。 「帰る」 「へ?」 だが、立ち上がった体がぐらりと傾いだ。 咄嗟にカウンターに手を着いて、倒れることだけは回避できたが、酔いが思いのほか早く回っていることを否定できない。 「大丈夫か?」 ゆっくりと腰をもう一度降ろせば、女将から受け取ったらしい冷たいおしぼりが坂田の手によって頬に充てられた。 火照った顔からおしぼりに徐々に熱が移って行く。 少しだけ酔いの方が足を遠のかせ、その代わりに今の状況を脳が認識し、別の意味で心拍数が上がり始めた。 「よ…ろずや?」 「なんからしくねぇ飲み方してんなとは思ってたんだけどよ。送って行くわ」 「いや…」 思いもよらない申し出に拒否の言葉を述べようとするが、それ以上に滅多にない穏やかなやり取りに言葉がうまく紡げない。 その間にも坂田は勘定を頼み、ちゃっかりと二人分の会計を土方に渡してくる。 にこにこと笑う女将の顔を見れば今更別にしてくれとも言いづらく、財布を開き、今度はうまく立ち上がることが出来た。 けれど、坂田の手は腰に回され、土方を支えるようにくれる。 「何のまねだ?」 「まぁまぁ。御馳走さんの礼、ってことで」 そのまま、二人で暖簾をくぐって、店を後にした。 雨は既にやみ、地面からは冷気が這っていた。 秋も深まり、ぐっと下がった気温は酔いのまわった身体でも肌寒い。 「歩ける」 だから、離せと伝えるが、相変わらず回された腕は離れていく気配がない。 密着した肩と背に着いた腕が熱い。 相手もそれなりに酔っているとしか考えられない。 そうでなければ、今の状態に説明がつかないと、土方は少しわざとらしいため息をついて見せる。 「歩きにくい」 「あ、悪ぃ。なら、こっちな」 ようやく離した体を半歩前に踏み出して、今度は手を掴まれる。 「テメーこそ、酔ってんだろうが…酔っ払いに手を引かれるほど正体失っちゃいねぇよ」 「ん〜?俺そんなに飲んでねぇし?何?土方くんは銀さん怖い?」 少し振り返った顔ににやにやと性質の悪い笑みを見つけ、食って掛かろうとした途端、 また前を向いて表情を窺えなくなる。 「大丈夫だって!別にホテルにこのまま連れ込むなんてこたぁしねぇから」 「は?」 冗談冗談、難しく考えんなというニュアンスの言葉が小さく耳を打ち、土方は諦めたようなふりをして、酔っ払いめと下を向く。 男同士で何をやっているのか。 傍から見れば、坂田からしてみれば、酔っ払いの奇行。 けれど、土方にとっては居た堪れないながらも、二度とないだろう幸運に笑みをもらす。 懐にしまったままの手紙はその晩、投函されることなく、最後の手紙に書きかえるために屯所へと持ち帰ったのだ。 やや二日酔いで朝を迎え、文机に土方は向かう。 夕べ出せなかった封筒をながめて、ふと、思いつくままに、改めてこれまで送られてきた手紙を並べてみた。 この3か月で9通。 カレンダーと封筒の消印を見比べ、眉を寄せた。 「あ?」 青の雲龍紙が入っていた封筒の消印。 それはどれも土方の非番の2日前となっているのだ。 江戸内であれば、流通の発展で翌日内には届けられる。 つまりは非番の前の日に届くように。 これまでは、緊急性のない土方個人宛てと分類された手紙は、文箱に他の手紙と合わせて保管され、非番にまとめて書き綴ってきた。 それは青の雲龍紙の主へのものも変わりない。 他の文と同じ日に纏めて書いていたから、届いているペースなど気に留めたことはなかったのだが、何かがおかしいと警鐘が鳴り始める。 前回の消印は7日前。 確かにその2日後、つまりは5日前が本来土方の休みであったが、怪我をした隊士の補佐をするために緊急に立ち消えた。 だから、今回は5日前に処理することが出来ず、隊務後に例外に少しずつ書いていたのだ。 「副長、お休みのところすいません」 「緊急か?」 掴みかけた違和感を逃したくない土方はやや硬い調子で廊下に座す鉄之助に視線を向けないまま尋ねる。 「お手紙が届いてましたので、おもちしました」 「手紙?」 ゆるゆると顔を向ければ、小姓の手にあるのはまさに今土方が並べていたものと同じものに見える。 「今朝、屯所の郵便受けに直接入れられていたようなんですが…」 「よこせ」 手に取れば、やはり予想通りの封筒であり、急ぎ封を開けた。 時候の挨拶、 返信の遅さに、土方の忙しさを案じたこと。 シフトの交代など他の隊士に任せ、土方は定期的に休みを取るように勧める内容。 シフトの交代のことなど、なぜ相手は知りえたのか。 やはり、消印の日付は土方の非番を把握したうえでの所業だと考えるのが自然なのではないか。 さらに、前文よりも少し乱れた字で続けられている文章にざわりと背筋に何かが走った。 『お忙しいかとは存じますが、深酒はお体に障ります。 また、御身を軽々しくあのような男に委ねられることは好ましい行為ではありません』 夕べ呑みに出たことを指すような手紙。 たまたま、坂田に送られるところを見られた、というには文が早すぎる。 深夜の出来事を本当に『偶々』相手はその様子をみつけ、すぐに文を書き、屯所に届けたのか。 「鉄、山崎を呼べ」 「あ、山崎さんは…」 「チッ…そうだったな…使えねぇ」 潜入捜査の裏付けを取るために、川崎に向かわせていたのだったと思いだし、舌打ちを盛大にする。 内部の情報が流れている可能性を否定できない案件に関して、他の監察を使う気は土方にはなかった。 どちらにしても、土方個人に対する怨嗟の類であればまだ良いが、真選組に対して害をなす行為であれば慎重にならざるを得ない。 「鉄、30分後にまた来い。使いがある」 「承知しました」 一旦下がらせ、筆を取る。 『ぜひ、貴殿と一度お会いしてみたいものです』 最期の文ではなく、おびき出すための文を。 そうして、封筒に収めると、鉄之助に直接届けるよう指示を出した。 『恋文 弐』 了 (117/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #次へ栞を挟む |