V10月10日(木) 「まさか、アレを銀時が覚えていたとはな」 マンションの駐車場に愛車を停車させ、フロントガラスから上を見上げながら、土方は小さく笑う。 2年Z組の机に置いてはみたものの、その後の慌ただしさもあって、食べてもらえたのかどうかすら確認できていなかったというのに、よりによって、本人がそれを探していたとは。 マンションの部屋には既に電気が付いている。 副担任としての域からはやや外れているとは思いつつ気にし始めた2年の10月。 三年の担任に抜擢され、もう少し踏み出して「泣きたきゃ泣けばいい」と言った一学期。 ミツバの墓に連れて行った夏休み。 坂田を担うどころか、徐々に救われているのは自分の方だと自覚した二学期。 本格的な受験追い込みに入り、駆け抜けるように過ごした三学期。 卒業生になって、手を離してやれると思っていた。 逃げられると。 広い世界で、彼が新しいものを見て感じて、見て、一教師としての役割を終える。 それがどうだ。 手を離してやれないのは今では自分の方だなんて。 そして、寺田理事長もあの頃、どこまでを予測していたのだろうか。 在学中の銀時の土方へのアプローチも勿論耳に入っていたであろうし、そのために就職志望を進学に変えたことも知っていた筈だ。 しかし、土方と同棲することについて問いただされたこともない。 あの女傑は身内贔屓を経営に持ち込むような人間ではない。 それでも、銀時を採用した。 男女ならぬ、同性同士のパートナーをすでに選んだ者を雇用するというリスクを承知のうえで。 今のところ、隠せ、とも言われてはいないが、おおっぴらにしないことが望ましいのも大人のマナーだ。 存外、色々な所で、色々な人々に護られているものだな。 2人分のクリーニングを抱え、愛車から降りながら、土方はもう一度笑った。 エンジン音なのか、施錠する電子音でなのか、 土方が帰ってきたことに気が付いたらしい跳ね返った天然パーマがベランダに勢いよく飛び出して見下ろしてくる。 「せんせっ!」 「ウルセぇ」 ジェスチャーで上がると伝え、エントランスに入った。 あの様子では、きっと彼は見つけたのだろう。 一度、銀時よりも一足先に帰った土方が冷蔵庫に入れておいたものに。 ここ数年頼んでいるケーキ屋の箱ではない。 真っ白いケーキ用の箱に、日付スタンプを押したシールがあけくちのところに貼っているだけ。 銀時がこの箱を見るのは2回目だ。 高校二年の時に、学校に行ったら、机の上に乗せられていた箱。 リボンもない。 箱をあければごく普通のチョコレートケーキが記憶に違わずそこにあるはずだ。 珍しいのは店頭でよく見かける最小サイズの12センチよりさらに小さい9センチサイズだということ。 小さなホールケーキの上に乗せることのできなかった「生まれてきてくれてありがとう」のプレートはサイドに置いてもらった。 玄関のカギを開けるか開けないかというタイミングで内側から開かれ、土方は反射的にバックした。 「せんせっ!」 愛犬が主人を迎えるような勢いで抱きつかれた。 「ちょ!スーツが皺にっ!」 「あれ!先生だったの?」 抗議は無視され、腕を引いて強引に玄関先に引き込まれ、またぎゅうぎゅうと抱き締められる。 「誰からでもよかったんじゃねぇのかよ?」 「先生にはあぁ言ったけど、探したのは探した。 サイズが珍しいから誰かの手作りかとも思ったけど美味すぎたし! でも、まさか先生からだったとか」 肩口で「ナイナイナイ」と首を振られるとくすぐったくてたまらない。 「何かねぇんだよ?」 「先生からだってわかってたら、 もう半年早く先生追いかけ始めるの早かったってことだろ?」 勿体ねぇとまた回された腕の力が強まって、身体と身体の間に挟まれたクリーニングのビニールが音を立てる。 「ありがと、先生」 「おう」 こちらこそ、生まれてきてくれてありがとう。 未発達だったシーズン。 一生徒、一教師としてもまだそれほど、結びついていなかった季節。 あの頃、ほっこりと暖かい気持ちにしてあげられた、すこし苦めのビターテイストを今年は一緒に。 ちゅっというリップ音と共にかちゃりと背後で鍵がかかる音がした。 『Never stop -earlydays- 』 了 (111/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #栞を挟む |