【春之肆】―黒漆― 病室の窓から空を眺めていた。 空はいつしか茜色から薄紫色に変化をし、下向きの半月が輝きを増し始めている。 土方は嘆息し、サイドテーブルにおいた2台の携帯を見る。 1台は携帯電話は完全に壊れている。 もう1台は新品。 真新しい携帯から、土方は今朝、銀時に別れを告げる電話をしたのだ。 二日前、土方と近藤はそれぞれ別の要人警護を指揮していた。 普段であれば、近藤に暗殺予告まがいのものが届いている場合、真偽を問わず土方は近藤の傍に付く。 しかし、土方は自分が標的にされているかもしれないという懸念を捨てきれずに沖田に近藤の補佐を任せ、自分は別行動としたのだ。 そうして、懸念は現実のものとなった。 油断をしていたつもりない。 きちんと警護を任された友好使節団は護りきった。 護りきって、散会した後でパトカーに仕掛けられていた爆弾で負傷したのだ。 皆それぞれの車に乗り、引き上げる中、土方も車に乗り込もうとし、震えた携帯電話にその足を止めていた。 ディスプレイには近藤・沖田について行った一番隊の神山の名が表示されていた。 何かあったのかと慌て、通話ボタンを押しながら一度車のドアを閉めたその時だった。 小型ながらそれなりの殺傷能力を有していた爆弾が土方の背後で爆発した。 もしも、完全に乗り込んでドアを閉めていたならば完全に土方も車と共に炎上していたであろう。 幸いなことに、怪我人は土方だけ。 背にかなりの火傷を負い、衝撃で丸二日意識を失ってはいたが命に別状はなかった。 運が良かったとしか言いようがない。 土方はのろのろと手を持ち上げて共に炎を浴びた携帯に触れる。 プラスチックの一部は熱で溶け、変形し、液晶も割れていた。 その画面を指でなぞり、苦笑する。 今回のことを受けて、今朝方、目が覚めて直ぐに銀時に電話をしたのだ。 土方が入院していることは極秘事項であるから、銀時は状況に混乱しただろう。 元々、明日をも知れない仕事。 己一人の身さえ、この様であるのに、自分以外の人間を、 ましてや仲間でもない人間を護れるほどの余力があるとは思えない。 このタイミングを逃せば、きっとまた自分はぐずぐずとしてしまう。 潮時だと思った。 壊れた携帯でやり取りした1年前の会話。 銀時には消したと言っていたが、実際には残していた。 それももう目にすることは出来ない。 記憶させていたデータの類は電磁波と衝撃で完全に破壊されていた。 ちょうど良い機会ではないかと思った。 この一年と少し、 あの掴みどころのない男を束縛させてもらったのだから、もういいではないか。 いつかは手を離さなければならない時が来る。 解放してやれと、己に言い聞かせ、ざわめく胸に携帯を押し付けた。 バサバサと風が階下の常緑樹を揺らしている音が聞こえる。 風が強いのかとまた窓の外に視線を外に向けた。 空の色がまた変わる。 紫の色調から群青色に。 太陽の勢力が遠ざかれば、夜の、月が天を支配する。 突如、不自然にカーテンが大きく揺れ、土方は眼を見開いた。 もともと、窓は開けていた。 しかし、その窓枠にありえない筈の銀色が現れたのだ。 ―銀捌― よっと掛け声をかけて土方の病室に踏み込めば、リノリウムの床が特有のきゅっという音をたててブーツの衝撃を吸収した。 「…テメー…」 「会いに来た」 なんで来たのか、と問いたいのだろうと勝手に予想をつけて返事をした。 会いたかった。 生きているか、その確認をしたかった。 「もうテメーとは会わねぇと言った筈だ」 大やけどをして入院と聞いていたのだが、土方はベッドの上に起き上がり静かに座っていた。キツイ物言いが、視線が健在であることにほっとする。 勝手に見舞い用に置かれたパイプ椅子をベッド脇に運んで、座った。 そうして、土方の手元に壊れた携帯があることに気が付いた。 「携帯、着拒否されたと思ってたけど…壊れてたんだな」 万事屋の黒電話にナンバーディスプレイなどという高等な機能はもちろんついていない。 一方的な別れを告げられた後、数度かけなおしてはみていたのだが、ずっと繋がらなかったのだ。 「もしも…壊れていなくても出ねぇ」 「俺は承諾してねぇよ」 「最初から言っていたはずだ…」 何を言われても応えられるようにシュミレーションしていたのだろうか、明るく白い病室でその面をさらけ出しているのに動揺は見られない。 完全なるポーカーフェイス。 だが、騙されてやるつもりも、放してやるつもりも銀時にはなかった。 「あのよ…まぁ、今回のことでなんとなくオメーが気にしてた理由はわかった」 「あ?」 「オメーがこんな目にあったってことはニュースでも報道されてねぇよな?」 真選組の副長が重症で入院。 そんな話はよほど現場を報道カメラが納めていない限り、表に出されることはない。 真選組の頭脳、中枢にいる『鬼の副長』不在という事実が巷に流れるということはあちらこちらに要らぬ火種を巻き起こしかねないのだ。 今回も一切の報道規制が敷かれている。 にも関わらず、なぜ、『一般市民』の『真選組の副長と犬猿の仲の』銀時が知り得たのか。 「まぁ、ちょっとお行儀の悪いおサムライさんもどきが万事屋にやって来てよ、 聞くわけだ、土方十四郎の居所を知らないか、とかね」 現実にはそんな穏やかなものではなかった。 土方から電話がかかってきた数時間のちの話だ。 荒々しく玄関戸が打ち砕かれ、乱暴に数名の攘夷浪士が押し入ってきた。 返り討ちにし、締め上げてみれば、数日前より浪士たちと同じように土方を付けていた子どもたちがこの万事屋の従業員であると知り、何か情報をもっていないかと押し入ったという。 自分たちが爆破テロで命を狙った土方がまだ生きている様であるから、弱っている『今』を逃したくないと苦肉の策でここを訪れたと。 「実は…付き合う前の段階からウチのガキどもは俺らのこと薄々気づいていたらしい。 最近俺が落ち込んでいるみたいだったから、 なんか…心配されてたらしくてよ…」 神楽たちを問い詰めれば、『だって銀ちゃん、だんだん嬉しそうに出かけなくなってたアル』と頬を膨らまされた。 情けない事に、『表に出せない関係』、距離感に日々精神を疲弊させていっていた銀時を心配し、土方とうまくいっているのか探りに行っていたようなのである。 感情を隠すことがそれなりに得意だと思っていただけに、情けない。 「まぁ、アレだ。心配ねぇから」 「……なにがだ…」 「オメーは自分のこと後回しで人の心配ばかりしてんけどよ、 意外にアイツら皆強ぇし、しっかりしてる。 自分たちに降りかかった火の粉は自分たちで払える奴らばっかりなんだよ。 ウチのガキどもも、俺のことも信じてやってくれや」 全てを威嚇するように生きているように見えて、懐に一度入れた仲間を決して見捨てやしない土方。 銀時は手を伸ばして、擦過傷のついた頬を撫でる。 銀時の護りたいものを土方が作り出す危険に巻き込みたくないという気持ちは嬉しいし、やはりそんなところが『土方十四郎』なのだとも思う。 しかし、本当は銀時は主張したかった。 近藤や沖田たち真選組の人間が見たことのない、銀時だけが見ることを赦された顔があるのだぞと。 自慢したかった。 『副長土方十四郎』は真選組のものだけれども、『土方十四郎』の一部は自分のものだと。 主張することで、空っ風を止めたかった。 けれど、最初に約束した手前、そして子供じみた言葉を吐き出すには既に出来上がってしまった素直ではない性格が手段と時を失わせ続けた。 「痛ぇんだ」 銀時は敢えて口にする。 ざわざわを心の内を、また風が吹き始める。 言わなくては伝わらない。 それは土方の手に握られたままの壊れた携帯で一部は伝えた。 それでも、足りない。 風の音。 木々を鳴らす風のざわめき。 花を一吹きで散らす激しい春の風の音。 荒々しく打ち鳴らされる深緑の葉擦れの音。 それらが代弁する心の音。 擦れて身悶えて、それでも。 「痛ぇんだよ」 腰を椅子から浮かして土方の身体を引き寄せる。 いつもの煙草の匂いは薄れていた。 消毒液と病院特有のリネンの匂い。 それから、僅かな血の香り。 「クソ天パー…『痛ぇ』はこっちの台詞だ」 掌を背に滑らせれば、病衣の下に油紙と包帯の手触りが一面に感じられた。 「また傷増やしちまってよ」 抵抗がないことをいいことに、動物がするように、頬を舌で舐めた。 「これからも増えるさ」 それでもいいのか?と目線だけで問われる。 やはり決定的に言葉が足りない男だと苦笑するしかない。 「まぁ、そこはお互い様だし?言ったろ?銀さんは束縛するタイプだからね、って」 するりと病衣の合わせ目から手を忍び込ませ、肩から滑り落としてしまう。 「ば…」 「傷見るだけ」 笑いながら、傷を舐める作業を続ければ、ふるりと土方の身体が痙攣し眉を寄せるから、銀時の脊髄にも熱が籠りはじめる。 「ところで…テメーが俺が入院してると知った理由は聞いたが、 この場所は誰から聞きだした?」 鎖骨を舐めあげようとして、髪を強く掴まれ、引き剥がされた。 「そ、そそそこは…情報のソースは明かせませんというか…黙秘」 「介錯は俺がしてやる。山崎と一緒に」 廊下でひぃっと小さな悲鳴が聞こえてくる。 「あら?気が付いてたのね」 「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる」 銀時同様、廊下で入るタイミングをすっかり失ってしまった男のことに気が付いていたらしい。 「十四郎…俺がジミーに関係バラしたってわけじゃねぇからな? その攘夷浪士引き取りに来させた時に世間話的なアレだからな?」 「もういい」 インナーの襟が掴まれ、乱暴に引き寄せられる。 かつんと歯があたり、まるで思春期にするような、不器用で物馴れない甘酸っぱいキスが始まった。 「銀さん、ドSだから痛ぇの御免なんだわ」 「奇遇だな、俺も御免だ」 なら、痛くないように、 吹き飛ばされないように気をつけねぇとな。 そう言って、少し離れた口元でお互いに笑う。 病室に生暖かい風が吹き込んできた。 風はこの先も止みそうにはない。 風は相変わらず、音を立てて吹いている。 時にもの悲しく、 時に寂しく、 時に荒々しく、 時に優しく。 違う響きを探し求めるのではなく、 その時、その時の風の色を呼んでいくしかないのかもしれない。 手探りの季節は続く。 そう思った、二度目の春の日だった。 『淅瀝―春―』 了 ここまでお読みいただきありがとうございました。 (89/212) 前へ* 【献上品・企画参加】目次 #栞を挟む |