うれゐや

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【春之弐】




―黒参―



黒く、重たい真選組の隊服を肩から落とし副長・土方十四郎から、着流し姿になれば、ただの土方十四郎。

(そうであれば…)

夕暮れ時から降り始めた雨が草履を濡らす。
その様子を見るともなしに見ながら、土方はそんな事を考える。

春の雨は霧雨のように柔らかく、静かだ。

傘がなくとも然程濡れないのかもしれないと油断していれば、いつの間にかしっとりと水気が衣服を重たくし、身に纏いついてしまう、そんな雨。

まるで己の今の状態のようだと土方は苦笑する。



巡察途中で、銀時に声をかけられた。
そして、7時に宿にてと約束をした。


万事屋稼業を糧にしている男は先に宿に入っている。

『深川、鷺屋、2階の南端にいる』

そう留守電に入っていたから。


今は、午後8時をあと数分で迎えるという時刻。
遅れたのは、仕事がつまっていたわけでも、突発的な事件が起こったからでもない。

意図的に時間をずらしているのだ。


秘密の逢瀬。
誰にも知られてはならない関係。

『表には決して関係を匂わせるな』
『バレた時には別れる』

それが土方が銀時に最初にさせた『約束』。

男同士であること。
土方が幕臣であるということ。
銀時が思春期の子どもたちと暮らしているということ。
土方がさせた約束を銀時がどの理由で持ちかけたものだと理解したのかまでは分らない。
表向きの理由はそのどれでも大差ない。

それでもいいと、へらりと笑った男。


「いくぞ」

手を引かれたあの日。
銀時が本当に自分を受け入れたのだと、
土方は、諦めかけていた心を捨てなくて良いのだと素直に喜びに震えた。

そして、思いもかけない恋の成就は新たな問題を土方に突き付けてきた。

静かに思うだけであれば、何も問題はない。
片恋であれば。

だが、あの日素直に曳かれる手を握り返してしまったことは、早計であったと公開した。

自分は『武装警察真選組・副局長』なのだ。
血肉、骨の一片まで真選組の物であるはずであったのに。

なんのためにミツバを江戸に同行させなかったのか。
なんのためにミツバの手を最後まで取らなかったのか。

それを飛び越えさせてしまったのは『坂田銀時』という男の強さ。
一度握ってしまった手を、背を手放せなかったのは『坂田銀時』だから。

(わかってはいる)


銀色の光を一度手に入れてしまったら。
昼行燈。
明るい平穏な時には、のらりくらりと過ごしているが、暗闇の中では明るく確かな光で人々を惹きつけ、引き上げてくれる。

彼は見捨てない。
一度手の届く内側に入ってきた人間を。
その代わり、滅多に人を求めないのだ。

そんな男が、己を認め、求めてくれると知ってしまったら。
自分から手を振りほどく勇気など土方にはない。

ほんの少しの間でいい。
もう少しの間だけでいい。
周囲に隠し通せる間だけでいい。
土方はただ少しでも長く続いていて欲しいと願いはする。


気が付けば、足は銀時が入っている宿屋の近くまですでに辿り着いていた。

『秘密』にするために時間をずらして入る宿。
受付を通さず、宿を通さず入ることの出来る部屋。
出ていく時にも目につきにくい入り組んだ路地の奥。

木造の宿を下から見上げれば、2階の隅の部屋にほんのりと灯りが灯っている。

自分勝手な、
自分の矜持ばかりを大切にするそんな柔らかくもない身体の自分を
待っていてくれることに、感謝をしつつ、
それを口に出すことはやはり出来ずにいる。

心には相変わらずの風が吹いてはいた。

熱を分け合う行為はひと時だけ風を止めてはくれるが、
何処か悲しく、身を離せばすぐにまた音をたてて吹きすさび始める。

「銀時…」

閨の中でも呼ぶことの今だ出来ない名を吐き出して、土方は辺りに気配がないかもう一度用心深く探ってから、宿屋へと滑り込んだのだった。









―銀肆―



きぃっと部屋の扉が音をたてた。

銀時は見るともなしに付けていたテレビを消し、入り口に視線を向ける。

待ち人はひっそりと立っていた。
無言で傘を傘立てに入れ、腰の物を引き抜く。

(顔色悪ぃな)

そんな感想を持ちながら、彼に近づいて手を差し出せば、土方はいつものように僅かに怯んだ素振りを見せてから、銀時のものに手を重ねた。

まるで乙女が初めてのことに恥じらうような仕草に見える。
もうすでに両手両足では数えきれないほど身体を重ねてきたというのに、不思議なものだ。

今日の手は一段と冷たい。

引き寄せれば、雨特有の匂いが香ってきた。
部屋に籠っていた銀時にはわからなかったが、雨が降り出していたらしい。

「春雨や〜たぁ言うが、油断してっと風邪ひくぞ」
「濡れてねぇし、第一、鍛錬してっから大丈夫だ」
そうは言うが、触れた黒髪はしっとりと湿度を帯びていた。

「風呂…入る?」
「気になるか?」
温まってくるかと聞いたつもりだったが、そうとは受け取らなかったらしい。
苦笑いし、そのまま土方の帯を解きながら布団へと誘導した。

「オメーが良いならいい。時間が勿体ねぇ」

(どうせ、夜明けまではいないのだろう?)

本当はそこまで言ってやりたいが、腹の中に仕舞い唇を重ねた。


着流しを肩から落とし、なだらかな胸をなぞる。
新しい傷は増えていないか。
むちゃをしていないか。

隊服を着ている時分には自分とそれほど体格は変わらないように見えるが、こうして肌色を間近で見れば、銀時よりも線が細いことが知れる。

しなやかな肢体。
細い腰。
長く繊細な指。

余すところなく銀時は指を這わせていきながら、その嬌態を引き出していく。

感じるなど思いもしなかったであろう乳首を開発し、
男を知らなかった蕾を暴き、己のもので串刺しにする。

時に薫風のように優しく、
時に台風のように乱暴に、
時に吹雪のように激しく。

でも、傷つけることは決してないように最善の注意をもって。

(土方)

先に好きだと言ったのは土方だ。
けれど、蓋を開ければ銀時の方がすっかり捕らえられてしまっていると悔しくなる。

最初に言われた脅しのような言葉にさえ大人しく従って。

『表には決して関係を匂わせるな』
『バレた時には別れる』

それが土方が銀時に最初にさせた『約束』。

なぜ、こだわったのかは未だにわからない。

男同士であること。
土方が幕臣であるということ。
銀時が思春期の子どもたちと暮らしているということ。

単純に考えればそんなところだろうが、土方の性格上それはどれも答えとしてしっくりとこない。

いつだって自分が泥をかぶることなど、気にも留めない男だ。
武骨そうに、粗暴そうに自分を見せながら
それでいて相手のことばかり優先させる、そんな男だ。

どうせ、また誰かの為。

だから、
それでもいいと、何でもない事のように笑って承諾してやった。


(しかし、頭では分かっていても、思い通りにならないのが人の心というもので…)

自分の下で過ぎる快感に身を捩る姿に、煽られながら唇を噛む。


こんな姿を見ることが出来る立場にはいても、
外で気軽に話しかけられることを拒まれ、
携帯への電話も最低限に制約され、
絶対に銀時の存在に気が付いていても、空気のように無視されることさえある。

宿に入る時にも出る時にも必ず時間をずらし、
同じ宿は決して使わず、
痕を残すことも勿論禁じられ、ただ刹那の時を共有する。

なぜ、そこまでするのか。
『お付き合い』を始めるまで、
「いくぞ」と手を引いたあの日までは普通に飲みの約束をし、出かけていた。

肌の距離は近くなった今よりも、あの頃の方がまだ感覚的な距離は近かった気がするのだ。

(わかってはいるんだ)

心臓が痛い。
二人の間にまき散らされる実を結ぶことのない体液を絞り出しながら、嘆息する。

外気に触れ、急速に冷えていく白い名残を指で土方の腹に塗りたくりながら、
心臓の脈打つ感覚を味わった。

今更、手離してやることなど出来やしない。

「テメーのことなんて大っ嫌いだ」
一度はそう言って銀時の事を振り切ろうとした男の手を引いたのも、
自由にしてやれなかったのも自分だ。

手の届く範囲に居てくれないものを、
それでもと乗り越えて掴んだのは自分だ。

土方は何も語らない。
それでも傍に居続けるならば、いつか吹きすさぶ風は凪いでくれるのではないか。

「十四郎…」

閨の中でしか、呼ぶことを赦されない名を吐き出して、
もう一度と、その身を揺さぶり始める。

いつか。
そう、いつか。




春の雨は霧雨のように柔らかく、静かで宿の中までは聞こえてこなかった。



『淅瀝 -春之弐-』 了







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