【四日目朝】 「流石になぁ…」 先ほどまで、眼前にあったなだらかで白い肌も、 成人男性にしては淡い桃色の突起も消え失せ、 広がるのは見慣れた自宅の天井だ。 「流石におかしいだろう」 もう一度呟きながら、今朝も盛大に跳ねた髪をかき混ぜ、立ち上がった愚息にため息をつく。 今までだって、土方をおかずに戦闘準備万全な分身を宥めたことがないわけではない。 しかし、問題はそこではなく。 三日間。 同じ夢を見続けるというのは流石におかしいという点だ。 いくら夢が銀時自身の願望を写す鏡のような役割を果たすことがあるとはいっても。 (考えられるのは、総一郎君あたりか?) しかし、銀時だけを標的にするというのも考えにくい。 土方をからかうことへの飽くなき執念。 銀時の土方への気持ちを知っていると仄めかしたタイミング。 「土方…」 姉沖田ミツバの件もあるから、愛だの恋だの、そちら方面をネタにすることはないと思っていたが。 どちらにしても、この現象が沖田のいたずらならば十中八九、土方十四郎も標的にされていることは間違いない。 「ったく…杞憂ならいいんだけど」 とりあえず今できる事は、神楽が起きだして前に厠に向かうこと。 内の熱を少しでも出したいと、口から空気の塊を目一杯吐き出してから、立ち上がったのだった。 日中は久々の仕事が入っていた。 空は見事なまでの晴天。 雲ひとつない空は冬の空気をそれなりに暖めてくれる。 「暑ぃ」 寒さを覚悟し、着こんできたことが仇になった。 屋根の上の作業は地味にじりじりと焼けた瓦が足元を温め、天からの光は背を焦がしていた。 日光に弱い神楽は早々にリタイヤさせて正解だと額の汗をぬぐう。 「あ〜コレ、銀さん、ぐらぐらしてきてるんですけど。ヤッバイわマジで」 「ちょっと!!何またサボろうとしてんですかっ?!アンタ。さっき休憩したでしょうが!」 すかさず、木材を運んできた新八に見咎められてしまった。 「仕方ねぇだろ?冬なのにフライパンで調理されてる気分なんだから。もう足なんか溶け始めてんじゃね?カラメル状態だろ?ちょっと、冷やして固めて…」 「自分が糖分で出来てるって言いたいんですか?ならちょうど良いじゃないですか! 少し溶かし出しちゃえば健康診断の結果も少しはましな数値になりますよっ…あれ?」 「あ?」 新八の視線の先を辿ると、真選組の地味な男が通りからこちらをみていた。 気が付いてもらえるようにヒラヒラを手を振っているが、基本的に周囲の風景に馴染んでしまっている。 あれはあれで確かにすごい才能なのかもしれない。 適材適所。 そんな言葉を思い描いていれば山崎は銀時に軽く会釈してみせ、路地に入っていった。 「ぱっつぁん!悪ぃ」 はしごなど使わず、一気に飛び降り、その後を追った。 先日のターミナルでの騒動の後の土方の様子が気になって、沖田と土方と出会った後、偶然、尾行らしきことをしていた男を見つけて問いただした。 直属の部下ならば、土方の怪我の様子を知っているかと思ったからなのだが、 生憎と張り込み中の山崎はそのことを知らなかったという。 墓穴を掘った気もしたが、まぁジミーだしと深く考えないようにしていた。 「んで?」 恐らく張り込み中の人間がわざわざ自分のところに顔をみせるということはその件なのだろう。 「旦那の予想通り、左の肘から下の部分にやけどを伴う裂傷が見られました。 ただ、それほど深いものではなかったんで、日常生活には不便ないでしょうね」 風呂に入れば沁みるとは思いますけど。 そう言い足し、相変わらず困ったかのような眉を更に下げてみせる。 「でも怪我はそんな風ですし…でも、確かになんか最近寝つきが悪いのか、 目の下クマ作って、周りにやたらと当り散らしてるみたいですけど。 まぁ俺は屯所に今詰めてないから被害にあってませんけどね」 かさかさとあんぱんだらけのスーパー袋を掲げて見せられる。 「夢見が…悪いとか?」 「そこまでは分りませんがね。で、旦那依頼あんですけど」 「は?やだよ。オタクらと関わると碌な事ねぇ」 話の内容にさも興味ありませんよという態度は崩しはしない。 「まぁ、そう言わずに。乗りかかった船じゃないですか」 「ってことは土方がらみってこと?余計に引き受けられねぇよ」 ちらりとうかがう様な表情をしつつも何処かしたり顔の山崎に少しイラっとさせられる。 「あの人、旦那も気が付いたように、狙われてるみたいなんですよね」 「でも大した被害うけてるわけじゃないんだろが?」 わかっていますよという顔で話しをさも当たり前に続けるのだ。 なるほど、取りあえず殴りたくなる土方の気持ちがよくわかる。 「それが逆に怖いんですよ。本物のテロリストの仕業なのか、単独の、私怨からの仕業なのか」 「んなこと…」 頭を掻きながら、ふと山崎の後方に黒い人影を認め言葉を止める。 人影は確かに自分たちを認識したはずなのに、ふぃっと顔を背け足早に立ち去って行ってしまった。 山崎が張り込み中なら真選組と公道で接触するわけにはいかないだろうから、 スルーすること自体はわからなくはない。 気にかかったのは、土方と目が合った時に、その顔が妙に焦ったような、戸惑ったようなものであったこと。 自分の夢が奇妙な事と何か関係があるのだろうか? 去っていく背中。 ポケットに手を突っ込んで、少しばかり刀側に傾いて、 大股で歩いていく背を。 掴む術を持つわけではなく… 「旦那?」 山崎の怪訝そうな声にワザとらしいと自分でも思うため息をついてみせる。 「ジミーよぉ。依頼はともかく調べてほしいことがあんだけど?」 そういって、三度天然パーマに掻きまわした。 【四夜目】 今日も眠りさえすれば、夢で会える。 そんな風に思っていたのに… 土方は夢の中には出てこなかった。 かといって違う夢を見たというわけでもない。 不思議なことに、何もない白紙のような空間をさまよう様な。 瞬間だけ、ほんの瞬間。 気配を感じて手を延ばして。 掴んだ腕を引きよせて抱き寄せようとして失敗してしまった。 泡たつように現れ、霧のように消えてしまう。 空になった腕の中を 呆然と、 思いのほか大きな喪失感に つきんつきんと痛む、胸を押えた。 そうして、思いのほか早まったままの自分の鼓動の音で 朝日を受けたのだった。 【五日目】 長めの前髪から滴る水気が洗面台に落ちていく様をぼんやり眺める。 「おはようございやす。あれ?徹夜だったんですかい?」 にやにやと顔をあげると、鏡面に沖田が映り込んでいた。 「また近藤さんが溜め込んでたんでな」 珍しいこともある。 無駄に悪戯をしかけてくる沖田が、ただにやにやと笑うだけとは。 何かあるはずだ。 そう疑ってしまうのは長年の習慣、条件反射のようなものだ。 「それをフォローするのがアンタの仕事でさぁ…まぁ、俺が副長になってもしやしませんがね」 「そうかよ」 「しかし…土方さん、折角目の前にあるんだ。自分の顔色見たんですかぃ?」 そう言われ、鏡に映る自分の顔を改めて見てみる。 もともと少ない睡眠時間だ。 一日完徹したくらいでどうにかなるほどヤワではないつもりだ。 短時間であっても集中した睡眠時間が普段から確保できていれば何て事のない。 ただ、このところの夢見の悪さ… 眠らなければ良いのだろうかと思っていたのだが。 ふっと途切れた意識にも鮮明な銀色は現れてしまった。 掴まれた腕の感触。 そして、現実に引き戻されてしまって、その名残があたかも追うようになぞってしまった自らの指。 (まさか…) 一番考えられる可能性は沖田の嫌がらせ。 だが、この間、近藤と食堂で「夢は己の願望を映す」などと言ってしまったために、不用意にその疑いを口に出せない。 もしも、「俺の夢になんか細工しやがったか?」と問うとする。 沖田の事だ。 犯人であろうとなかろうと根掘り葉掘り、決して口に出したくない「例の夢」について説明させられたあげく、ねちねちとネタにされるだろう。 「別に悪くねぇよ…いつもこんなもんだ」 「ふぅん?」 少しだけ、面白くなさそうにしながらも、沖田も隣の洗面台の水道を捻る。 「本当になんでもねぇ。今日は巡察サボんじゃねぇぞ」 一度洗った顔を、もう一度ばしゃばしゃをわざと勢いをつけて水に浸したのだった。 今日は奉行所に書類を届けるために歩いて移動していた。 パトカーを使う程の距離でもないから、目覚まし代わりに丁度良いかとおもっていたが、 寝不足の頭に白っぽい冬の太陽は厳しかった。 二日酔いという訳でもないのに、眼は開いているのに白昼夢を見るかのような感覚が 付きまとう。 横断歩道用の信号がチカチカと点滅をし、赤に変わってしまった。 走るのも億劫で、最前列で再び信号機の色が変わるのを待つことにして、煙草に手を延ばす。 その時だ。 どんっと身体が何かに押し出され、車道の方へと傾ぐ。 「土方!」 次に逆方向へ強く腕を引かれた。 右手を引かれて刀にも手が届かない。 左手から煙草が離れ、転がっていった。 本来であれば、もっと焦るべき場面だ。 攘夷浪士の仕業だったら? いや、そうでなくても車道に倒れて、車に轢かれるなんて間抜けな事… なのに、脳の何処かで油断があった。 腕を掴む角ばった男の手を、 気配を、声を知っていたから。 本当に白昼夢でも見ているのかと思った。 しかも、かなり本気で。 無意識に体を委ねる形になっていた。 流石に同じような体格の男の身体を支えきれなかったのか、 引く力が強かったのか、 どさりと相手の身体ごと地面に転がる。 「おい!大丈夫か!」 「!」 再びかけられた声に我に返る。 我に返り、固まった。 自分でも呆れるほどに、見事に石化して、このまま恥辱で人が死ねるならば まさに今死ねるんじゃないかと思うぐらいには。 「ど…」 「ど?」 至近距離からでは完全に相手を沈めることなど出来はしないが、拳を明らかに助けてくれた相手の鳩尾に叩きこみ立ち上がる。 「どこの乙女だ!ゴラぁぁぁぁぁぁあ!」 喚きながら、その場を離脱することしか考えられなかったのだ。 【五夜目】 動揺しまくった割には一目散に信号が変わったばかりの横断歩道を渡り、奉行所に書類を届けるということはやってのけていた。 ただ、そのあとは屯所に戻り、道場でずっと竹刀を振るったり、紙上の仕事をしたりして、とにかく時間を空けないように動き回っていた。 夜になる頃には少し落ち着いてきたが、何かの折に不意に銀色が脳裏にチラついて… 「眠っちゃいけねぇ」 今、もしも例の夢に捕まったなら… 行為の続きを許してしまう気がしたから。 沖田の呪いならいいのだが、 これが己の願望であったならば… そう考えると眠ることが恐ろしい。 「チクショウ…」 結局のところ、まんじりともしないで夜を明かすことはできたが、 朱い瞳が土方の脳裏から離れることはなかったのである。 『朝な夕な 四日目・五夜目―』 了 (10/12) 前へ* 文 #次へ栞を挟む |