うれゐや

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【中篇】 | ナノ




「「っ………!!!」」

大声でわめきそうになる互いの口を互いの手でふさぎ合い、辛うじて抑え、顔を見合わせる。

坂田も、土方も扉自体には触れていない。
扉は手前ではなく、内側に向かって開いていた。
ほんの数センチ開いたその場所は、今土方たちのいる倉庫よりも明るく見える。

そして、香ってくるのは鉄にも似た嗅ぎ慣れた匂いだった。

「こ…いつは…」
「血の匂いだな…」

互いの手の隙間から小声で話す。
当たり前のことながら、当てた掌で坂田の唇が動き、くすぐったい。
それと同時に急に顔に熱が上がってきて、慌てて手を離した。

坂田も気が付いたのか、土方とは対照的にゆっくりと土方の唇全体を一度撫でる様にしてから離れていった。

それをやけに名残惜しく感じて、頭を左右に激しく振る。

「どうするよ?」
「個人的にはさっさと立ち去るのが一番だとは思う」
「だが…」
「だよな…」

そこまで話せば、坂田の行動は早かった。
腰から木刀を抜き、その先で扉を押して全開にする。

ゆっくりと嫌な金属音をたてて、更に開いたがその向こうには人影はなかった。

コンクリートの踊り場。
そして更に地下に降りる長い階段。
人が危険なく利用できる程度の青白い証明がぽつんぽつんと灯っている。

「非常口?」
「マジでそんな事考えてんのかよ?」
「んなわけねぇよ」
「だよな」

坂田はベルトを外し、ドアノブと階段の手すりを固定する。
そして、木刀を手に携えたまま一歩階段を降りはじめ、土方もそれに続いた。

階段は予想よりも長かった。
一般的な感覚が機能しているならば、本来土方たちがこの建物に入って登ったはずの
2階分の段数よりははるかに多い。

どこまで続くのか、一度仕切り直してくるべきだろうかと迷い始めた頃、
漸く足が床を踏んだ。

「ここは…」

がらんとした空間。
苔むしたコンクリートの床と、打ちっぱなしのそびえたつ壁。
そして、プール。

ここまで辿ってきたはずの声はいつの間にか消え、代わりに血の匂いと共にアルコール臭が強くなっていた。

「こりゃアレじゃね?」
「いや、アレじゃねぇ…」
「あ、わかってじゃねぇか土方君」
「いや、アレは都市伝説であって実在しねぇ」

ごぽり。
水が音をたてる。
むわりとする湿度が不快感を更に煽った。

「問題はそこじゃなくてよ…」
「問題はそこだろ?」

ごぽり。
水面が揺れて、同時に身体を強張らせる。

「ど、どっちでもいいけど…ここ、誰もいねぇみたいだしな?」
「そ、そうだな…生存した…救助が必要そうな人間はいねぇみたいだし?」
「あわわわ、それ言っちゃダメ!!と、とにかく戻…」

ごぼりごぼり。
水面が粟立ち、何か白いものが浮かび上がってくるのが視界に入る。

何か本に載っていたのか、ただの噂だったのか。
大学病院などにおいて解剖実習用の遺体をホルマリンのプールにつけて保存するアルバイトがあるという話を聞いたことがある。
洗浄をしたり、保存するためのプール。

きっと、それを模倣しただけの部屋なのだと。
そう思うのに、浮かび上がってくる物体から目が離せない。

ぐらりと眩暈が土方を襲い、足が何故だか一歩前に出てしまった。

「土方?」

坂田の声が耳に入ってはくる。
けれど、何処か遠く、水の中から聞く声のようだと感じた。

「おいっ!土方って!」

そして、自分の身体がまた前に足を踏み出す。
無性にあの水の中に行かなくてはならない気がしたのだ。

強く腕を掴まれて、身体が傾いだ。
が、土方の腕は本人の意思に逆らって、坂田の腕を振り払った。

「行かなきゃならねぇんだ…」

自分の口から毀れた言葉が他人の声のように聞こえる。

「何言ってんだ!ダメだっ」
「呼んでる…」

「おいっ!戻って来い!誰に呼ばれてんだかしんねぇが、あそこはテメーが行く場所じゃねぇだろうが!死体しかねぇ!」
「死体?いや、みんな生きてる」
「何言って…うわぁぁぁぁっ」

ざぶりざぶりと波がいよいよ持ち上がり、浮いていただけの青白い死体が動き始める。
水を掻き分け、プールサイドに次々と寄ってくる。

わらわらと伸ばされる手に土方は手を伸ばしかけたが、ぎゅっと背面から抱き締められて止められた。

「離せ」
「離さねぇよ!あ、ほら!ゴリラどうすんだ?誰があのストーカーゴリラの面倒みんだよ?んな甘ぇ心構えなら!あんな死体にやるくらいなら!俺がもらってやっから!行かせねぇ!」

そのまま腰を抱えられたまま引き摺られるように階段へと後退させられる。

白い水にふやけた様な手がべちゃりべちゃりとコンクリートの床を引っ掻くように上がってくる。

手招きするように、
追いすがるように動くそれらからやはり土方は眼を反らすことが出来ない。

「こっち見ろって!」
顔をぐきりと強引に坂田の方に向かされたかと思えば、視界に赤みかかった瞳が迫ってきていた。

「よろ…んっんぅ」

息が止まった。
比喩ではなく、口を口で封じられ空気の供給を止められた。

「ひじ…」
「何しやがんだぁあぁぁ!」
「お、ようやく瞳孔がいつもみてぇに開いた」

そう言いながら、勢いよく坂田は階段を登り始める。

「な…」
「とにかく!外に出るぞ!」
「ま、待て!隅っこにガキが見えた!」
「子ども?んなもんいねぇ!」
「いるんだよっ」

強引に腕を振り払い土方は走った。
そしてプールの中ではなく、部屋の隅で小さくなりながらこちらを見ていた子どもに手を伸ばした。

5、6歳だろうか。
子どもと接する機会の少ない土方にとって正確な年ごろは分かるはずもないが、こんなところに一人いることが不似合いなことぐらいは分かる。

「来い!外に出るぞ」
「何やってんだ?!土方!」

追いかけてきたらしい坂田に掴まれた手首はきっと後で痣になっているのではないだろうかという強い力でぐいぐいと引っ張られ、土方も足をやや縺れさせながら再び引きずられる。
反対の手で、子どもの手を掴んだ。


ひたひたと
水気を多量に含んだ音が階段下から徐々に近づいてくる。

「万事屋」
「兎に角、振り返んな。
 古今東西、黄泉の国の類から帰る時にゃ、どんな甘言にも罵声にも
 振り返っちゃなんねぇって相場が決まってんだ」

掴まれた掌は熱く、掴んだ手はすこし冷たい。
自分の一歩先を登る男の背を土方は改めてみた。

広い背だ。
自分が慕う近藤のものよりはやや小さいのだろうが、十分に広い背。

かつて白夜叉と呼ばれた男は、己のサムライ道を護りながら生きている。
それはとても羨ましい。
羨ましく、そして口に出して言うことは決してないだろうが、好ましいという感情なのだと突然理解した。
腐れ縁とはいえ、今も自分の手を引き、自分が手を引く子どもごと引き上げようとしている。

どこまでも自由な生き方を選んでいるようにみえて、どこまでも不器用な生き方しかできない。

「痛ぇ」
「あ?」

痛むのは掴まれた腕か、それとも心か。

「なんでもねぇ」

振り返りはしない銀色の頭を見上げ、頭を振る。

あと数段という所まで来て、土方の足がずしりと重くなった。


「土方?」
「足が…動かねぇ…」

足元をまるで何かに捕まれたような感覚はあるのに、そこには何もない。

それに加え、ドアは閉まらないようにベルトで固定していたというのに、重く閉じていた。

「ここまで来て…」

がちゃがちゃとドアノブは回らない。
坂田が木刀を隙間に捻じ込んでこじ開けようとするが、片手では力が入れにくい。

「手を離せ」
「やだね。嫌な予感ってのは信用することにしてんだよ」

土方の手は両腕塞がっている。
子どもの手を離せば、作業を手伝えるかもしれないが、やはり土方の勘も手を離すなと告げていた。

だが、急に握っていた手が小さくなる。
小さくなって、するりと土方の手を擦り抜けてしまった。

驚いて振り返ろうとすれば、初めて子どもの声が土方の耳に入る。

『振り返らないで。ここまで連れてきてくれて、ありがとう』

同時に、どんっと強い力で身体が前に押しやられ坂田にぶつかる衝撃が土方を襲う。
次にドアに当たるであろうことを咄嗟に覚悟したが、その感覚は訪れず、落下した。








身体が次に知覚したのはリノニウムの床の感触だった。

「あ?」
「へ?」

折り重なるように、倒れてしまった身体を半身だけ起こして辺りを見渡す。
そこは今だお化け屋敷の中ではあるようだったが、明るく照明の灯された廊下だった。

「あ!副長!!いたっ!どこ行ってたんですか?もうっ」
「やま…ざき?」
廊下の端から声が聞こえ、ぱたぱたと走り寄ってくる部下達の姿が見て取れる。

「アンタら何やってんでぃ?姫さんたちはとっくにクリアして出てきたってぇのに。
 大の大人がなかなか出てこないなんて。
 お化け屋敷でいちゃこらとか、いいオッサン二人で止めてください。気持ち悪ぃで」
「あらばれちゃった?」
「誰がいちゃこらだっ?!テメーも悪ふざけするな!」
「その体勢が全て物語ってまさぁ」

沖田の言葉に自分が坂田の上に今だ乗っている体勢のままだと思い出し慌てて立ち上がる。

「山崎、状況!!」
「ハイぃぃ!副長と旦那が入られた後入った3組もゴールしたにも関わらず
 出てこられないので、そよ姫たちは予定の時間まで遊んでいただいて、
 いま6番隊が城まで送って行ってます。
 それで、一旦アトラクション自体を一度停止してもらって、お二人を捜索してました」
「予定の時間…」
携帯電話を取り出し、時間を確認すればすでに17時を回っている。
大よそ4時間もこの敷地にいたという齟齬に眉を顰めた。

「で、土方君、それなに?」

坂田に指摘され、手に持っていたファイルをめくれば、小児科のカルテのようだった。

「山崎、これ明日までに調べとけ」
「えぇぇぇ?明日非番なんですけどぉ?」

取敢えず、拳骨を喚きたてる部下の頭に落とし、もう一度辺りを見渡す。
しかし、いくら探しても、廊下のどこにも『倉庫』のプレートは見当たらなかったのだ。






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