『風の辿り着く場所』
本当に願う望みをかなえる時。 それには大きな代償が必要だ。 等価かどうかはわからない。 けれども、きっと大きな大きな代償。
だから、価値なんて人それぞれだけれど、 世界を滅ぼしかけた自分が支払うのはもっと大きな代償かと思っていた。
もっとずっとずっと大きい代償だと。
己のケツを自分で拭ける程度なら なんて安上がりなんだ。
そんなことを絶望の中思っていた。
別に大した人生じゃなかった。 特別、大きなことを成し遂げてやろうだとか、 有名になりたいだとか、 大富豪になってやろうだとか そんなことを本気で望んだことはない。
攘夷戦争に参加していたのだって、先生を取り戻したいだとか、 一緒に横を走る仲間たちの命を取りこぼしたくないだとか、そんなこと。 『白夜叉』なんて大層な名前で呼ばれていたけれど英雄になりたかったわけじゃない。 自分の無力さを呪い、うちひしがれ、辿り着いたかぶき町で、 手に届く範囲でいい、 ちっぽけな世界を護って、馬鹿をやって、生きていければそれでよかった。
だというのに、どうしてこんなことになったのだろう。
真夏だというのに、 呪符で身体をグルグル巻きにしているというのに、 今、自分の身体は汗一つ、かけやしない。 傷一つ、自分の意思でつけられやしない。
脈打つのは己の心臓なのに、ただナノマシンに制御されていて。
それが漸く己の力で動く。 あとどれ程も時間は残されてはいない。 それでも、帰ってきた。 鼓動が、 流れる血が、 己のものだと漸く実感できる。
身体から最後の力を振り絞って出ていこうとしたナノマシンは、すでに感染した5年前の自分の身体に移ることが叶わず、今息絶えた。
感覚の何処かで 風を感じた。
頬に夕日があたり、瓦礫の隙間から風が入ってくる。
過去にむかった『銀時』は無事に事態を収拾できただろうか。
いや、完了したならば、今、この世界は消えている。 ならば、自分に与えられたほんの少しの、この時間。
もし叶うならば、神楽や新八の顔をみて、軽口を叩きながら謝って、 背丈が伸びても変わらない二つの頭を揉みくしゃにして、白い毛玉を撫でてやる。 それでも、まだ時間があったなら。
あったなら…
三十路になって、額など見せて、色気ばかり乗算していくかつての恋人に 一発殴られてやるのもいい。
でも、もう一度の時間は実際にはないし、 15年前の自分が消えたなら、全部全部消えてしまう。
「あぁ…」
銀時は息を吐いた。
己の命ひとつ、引き換えに、 そんな単純な話じゃない。
もっともっと大きな代償を払うのか。 やはり、世界は安上がりなんかじゃ片付かない。
それでも、すっかり変わった世界でお前たちが笑ってくれたなら。
『自分』にはもう『今』『この時』の時間だけ… 唯一、今まで、してみたかったことで、叶いそうなことを最期に。 意外に泣き虫な男を、一度も呼んだことのなかった呼び方で呼んでみよう。
どくりと最後に一つ、心臓が脈打ち、光が満ちる。
「とう…しろう…」
きっと真っ赤になって怒るだろう。 覚えておくよ。 お前が、お前たちがくれた全部のことを。
「とう…しろう…」
天井が見えた。 見慣れた万事屋の古びた天井。
仰向けに寝ていた銀時は瞬きをひとつする。 そうすれば、一筋左右から涙が零れ落ちた。
「ウルセぇ…どんだけテメーは俺のことが好きなんだよ」
ゆっくりと首を回せば、瞳孔の開いた青灰色の瞳がこちらをみてた。 一度上体を起こし、自分がいつもどおりの煎餅蒲団で寝ていることを確認する。
横には久々の非番を前に泊まりに来ていた真選組の鬼の副長がいる。
「十四郎?」
夢をみる。 この暑い季節になると決まって夢を見る。
内容は覚えていない。
誰かを置いてゆき、 誰かを待っていた。
圧倒的な孤独と絶望。 後悔。
夢、と一言で片づけるにはあまりに生々しく、 記憶、と称するには存在感のない世界観。
崩壊していく江戸のイメージ。 やけに大人びた新八と神楽。 片目を隠した桂。 どこかでで見たことのあるような明治剣客浪漫譚のコスプレをした沖田。 そして、今とは違う髪型の黒い洋装の土方。
散在する画像。 どうつながるのか想像がつかない。
「あ?なんだ?テメー泣いてんのか?」 「べっ別に泣いてねぇ…痛っ!」
延びてきた手に髪を引っ張られ、引き倒されるように再び布団に身体が沈んだ。
「禿げたらどうする!禿げたらっ」 「そのいかにも図太そうな天然パーマ、禿げ散らかった方がいっそ落ち着いていいじゃねぇのか?」 「何ソレ!無い方がマシって話なのか!コノヤロっ」 悔しいほどサラサラの前髪を仕返しにと掴みかけて、手を止めた。 そして、ゆっくりと掻き上げれば白い額が現れる。
「なぁ…いつからだったか?オメーのこと名前で呼ぶようになったの…」 「さぁ…いつからだったか…」
少しだけ困ったような顔をして、眼を反らした様子に土方が本当は覚えているのだと予想が出来る。 問い詰めて、真っ赤な顔をさせるのもいいが、今は何故だか、『覚えていてくれるなら良い』とただそう思う。
「『俺を殺れんのは俺しかいねぇ』」 「あ゛?」
不意に口から出た言葉に銀時自身が何のことだか分からずに首を傾げる。
「そりゃ違うな」 すっかり目が覚めたのか、土方は枕元に置いてあった煙草に手を伸ばした。
「違う?」 「あぁ、テメーを殺れんのは俺だ。 もし…テメーの息の根止めなきゃなんねぇ事態がおこりゃ、 そうだな時空超えてでも必ずテメーを探し出してやるさ。 仲間に業を背負わせたくなくても、腐れ縁の俺なら業にさえなりゃしねぇ。 だろ?白夜叉殿?」 「オメーは…」
美味そうに煙を吐き出す口元からさして短くもなっていない煙草を取り上げて、灰皿代わりの空き缶におしこむ。 そして前髪が上げたままだった額に唇を一度寄せ、そのまま抱き込んだ。
「オメーこそ、どんだけ銀さんのこと大好きなんだろうね」
茶化すような口調に切り替えても、土方も何か思うところがあるのか、 それ以上深追いはしてこない。
本当に願う望みはそれほど大きなもんじゃない。 それでも大きな代償が必要ならば、いつだって支払う覚悟ぐらいできているつもりだ。
等価かどうかはわからない。 けれども、きっと大きな大きな代償。
価値なんて人それぞれ。 しょいこむものも人それぞれ。
どんな未来が正しくて、どんな過去が正解なのか、 それも人それぞれ。
それでも、自分も、土方も、 きっと神楽も新八も、定春も、たまも、みんなみんな足掻く。 自分ではない誰かの為に。
だからこそ、何度でも銀時は代償を払ってでも護りたいと思うのだと静かに笑った。
格子窓から見える夜空には星が見える。 明日もきっと晴れて、そして暑い一日になるだろう。
頬を撫でる風の存在が少しだけ寂しい気持ちを思い出させる。
だから、抱えた黒い髪を指で梳きながら手を繋いだ。
『風の辿り着く場所』 了
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