『花の名前 すいせん』
松の内も終わり、ようやく正月らしい空気も抜けてきた、ある日のこと。
銀時は吉原桃源郷へと赴いていた。 かつて吉原一の花魁と謳われていた日輪の店に、依頼があると呼び出されたのだ。
「へ?月詠と?」 「そうなの。流石にそういうところに、女同士で行くにはちょっとねぇ…」 「だからってなんで俺が…」
日輪の依頼は、月詠が闇取引の現場に潜り込む手助けをしてほしいというものだった。 取引として使われる場所は『連れ込み宿』と位置づけされる店であるというから、女ばかりの百華が客と装って入るには、いささか難しいのもわからないではない。
鳳仙亡き後、管理を進んで執り行う気のない神威のお陰で、少しずつ地上とかわりない生活を送れるようになってきた吉原の街。
だが、その反面、これまでの吉原独自の暗黙のルールが外界から破られ、または利用され、今だ百華自警団の役割は終わってはいなかった。
依頼も、やはり最近流行りはじめた阿片の密買を取り押さえることが日輪と月詠の目的だ。
「かまわぬ、日輪。わっちが男装して、百華の誰かと潜り込めばいいこと」 「ね?銀さん。今回は報酬はきちんとお支払いするから」 元はといえば、(晴太の依頼だったとはいえ)天に穴をあけた本人ともいえる銀時にも全く責がないとは言いづらく… カウンターに密やかに生けられた水仙の花に目を向ける。 春を雪の中からそっと待つ冬の花。 俯きがちな花の顔は伏せられたままだ。
「…今回限りだかんな」 「あら、次は仕事じゃなくて、月詠と行ってももちろんいいのよ?連込み茶屋」
「「日輪!!」」
からからとあっけらかんと元花魁は笑う。
月詠は顔を真っ赤にしながら、じゃあ、宵五つに大門でと足早に立ち去ってしまった。
「日輪さんよ…からかうのやめてくんね? 銀さんも、あんまそういうの見られたくない相手、いないこともいないことないからね。 これ」 「あらあら。報われないなら、月詠に乗り換えてくれればいいのに」 「ちょっ!アンタ今さりげに酷くね?なんで報われないこと大前提?」
なんだかんだといっても、儚げで嫋やかな様子をみせながら、日輪が一番の食わせ者だと、銀時は思う。
「それにね…」
やはり、何でもないことのように吉原桃源郷のラスボスは言った。
「今、吉原一番の敵は真選組だもの」
今の話の流れからすれば、日輪は銀時と土方の繋がりを察している。 けれど、あえて組織の名前を出した。 一呼吸置いてから、日輪の言葉を反芻する。
「真選組?」 「そう、真選組」
ゆっくりと頷き、女は語る。
吉原の治安維持。
元より、明確な指針があったわけではない。 天人が入ってくる前から確かに存在してた『慣習』。 幕府の庇護、そして無言の要求。
これらを踏まえた上で、鳳仙亡き後は、滞りなく吉原の運営を行うための最低限のルールを護らせる為に百華は動いている。
囲われた世界のままであったならば、ここまで揺れることのなかった。
崩れた一度バランスは様々な想定外の問題も浮き上がってくる。 入るものも出るものも、自由。 自由と共に、容易に入り込む悪意。
排除しようとする百華。 外から、悪意を追う真選組。
一見、利害は一致している。
けれども、日輪は『敵』だといった。 外部からの干渉を厭う体質と足を踏み入れる機会をうかがう警察組織に対する警戒。
「あいつらにそんな他意はないと思うけどね…」
かばうわけではない。 確かに、土方に惚れていることは事実ではあるが、『真選組』に肩入れしているわけではないのだから。
客観的に見ても、 近藤しかり、土方しかり、沖田しかり ただ、『公務』を遂行して、江戸をテロという大火から防ぐという大義のもとに『真選組』を動かす。
「真選組に限らず、未知のものに用心を怠るわけにはいかないのよ」
日輪は重たいため息をつき、それ以上は語らなかった。
宵五つ。 少し前に夜見世を開始した町は賑わい始めていた。
約束通り、大門の前で月詠と合流する。
一応、潜入の為か、やや、濃いめのファンデーションでトレードマークともいえる顔の傷は隠していた。
「で、なんの取引してるって?」
並んで、歩きながら尋ねた。
腕もからめるでもなく、しかし、耳打ちするような距離でささやくように交わす会話はきっと周囲から見ればわけあり風に見えるだろう。
「なんでも、攘夷浪士たちが、資金集めに阿片を独自に調合して売りさばいておるらしい」
月詠はいつも咥えている煙管がなくて、口淋しいのか、しきりに爪をかじっていた。 そういえば、土方は煙管を使わないなと思いだす。 あの洋装に、煙管姿というのは何やら馴染まないが、着流しならば、さぞや絵になることだろう。 新年の特別警戒体制だとかで、各メディアを賑わせているから、直にその顔をしばらく見ていない。
「独自に調合ねぇ…」
どこかで聞いたことのある流れだ。 比較的最近、とんでもなく面倒なことこの上ない状況で聞いたことがある。
(まさか…ね?)
「あ、銀さんじゃない」 「長谷川さん?」 こんなところ、吉原のような花街で会うことがないと思っていたマダオに声をかけられる。
「いやぁ〜こんなところで会うなんてね」 長谷川は月詠と面識がある。 咄嗟に、女は銀時の背に隠れた。
「あれ〜?やだ、俺お邪魔しちゃった?え?銀さんのカノジョさん?ゴメンネ〜オジサン気が利かなくてさぁ。こんなんだから、ハツの奴に…あ、ハツってのは…」 「あー、長谷川さん」 賑やかに、自分の話を始める長谷川をどうやって撒こうかと耳に指を突っ込みながら考える。 「なに?訳あり?大丈夫!オジサン口はかたいからさ〜」
ちりりと首筋がざわめいた。
(誰だ?)
殺気はないが、強い視線が確かに一瞬、銀時を射ぬいた。
「行くぞ」 言い訳も、挨拶もせずに、月詠の手を引き、足早に歩き出す。
日輪が話を持ち込んだのは、今日の昼。
月詠たちが捕まえたい売人とやらについて、もう少し詳しく聞いておくべきだったかと、今さらながらに悔やまれる。 攘夷浪士と一口に言ってもその範囲は広い。 桂たちのように、『党』を組まないまでも、横のつながりを軸に『攘夷活動』を行う輩。 同じ思想のものたちで『党』を組み、組織的にテロを起こす輩 もしくは、高杉たちのように、天人と手を組んでも『この国』を焼野原にしようとする輩。 そして、『攘夷志士』と名乗り、犯罪を成功させる為に、現場を混乱させるための隠れ蓑にする輩。
適当な路地に百華の頭領を引き込んで、詰め寄った。 「このヤマ、オメーらはどの程度押さえてる?」 「どの程度とはどういう意味じゃ?被害の範囲か?敵の数か?」 「攘夷浪士って言ってたが、背後は?」 「ハッキリとは知らん。最初は吉原の女達に客を引き留めるための催淫効果をうたって、入り込んできた輩のようじゃ。徐々に、金額吊り上げてきたり、客の情報を売れと言ってきたり…」 「『党』の名前とかは?」
「そんなことはしらん」 きっぱりと、あっさりとこたえる。 「営業の妨害をせん限り、そやつがどんな素性であろうと客は客じゃ」 「それはそうなんだけどな…」 確かに、速やかに店の害となる行為を停止してくれるならば、無駄に事を荒立てることは得策ではない。
段取りは、連れ込み宿に月詠と入り、取引の現場を押さえる。 元締らしい人間が今日はくるらしいから、それに圧力をかければ良いと考えているようだった。
「悟られぬように宿に入るまでが依頼じゃ。ぬしは取った部屋で待っておれ」
吉原は月詠達の庭だ。 ぬかりなく、下調べをしているはず。それに狭い部屋であろうから、大した人数はいないだろう。 (ま、なるようになるか…)
先ほどの視線が気にならない訳ではないが、銀時は腹を括り、再び月詠と共に目的の宿へむかった。
宿は、長谷川と鉢合わせた店の真裏に、ひっそりと存在していた。
張り込んでいた百華の報告では、買い手とみられる男女が二組、30分前に。 さらに二人の用心棒を従えた元締めが10分前に入って行ったという。 点いた明かりのタイミングから、全て2階に通されていると思われる。
「他に客は?」 「一昨日から居続けの色男が一人」 「居続け?」 「共に入った女は先に一人で帰りましたが、そいつだけ残ってます。 今回の件とは無関係かと」 二十代後半の目許涼しげな男で、時々窓を開けて、キセルの煙で真っ白になった部屋の空気を入れ換えるらしい。 目的の人間は2階、男は3階らしいから、速やかに取り押さえれば迷惑はかけないですむだろう。
「その羨ましい色男は、片目に包帯とか巻いてたりしないよな?」 念のために聞いたが、それはないという。
連れ込み茶屋とはいっても、いわゆるラブホの類とは少し趣を異にしていた。 外観は古風な宿。 受付に盲目らしい老婆が一人いて、無言で部屋の名前札のついた鍵を渡す。 何か入り用があれば、メモと心付を部屋の入口に設置された木箱に入れておけば、大概のものは用意してくれるらしい。 少し法外かと思われる価格をつけているが、訳ありには有り難いシステムだ。
本来、渡された部屋は色男と同じ3階だったが、迷った振りをして、2階の廊下を歩く。 そして、ボソボソと話し声のする一室の前で月詠が立ち止まり、クナイを構えた。
「ぬしは部屋にいて構わぬと…」 「まぁ、乗りかかった船だからね」 そのかわり、報酬弾めよと笑ってみせた。
そして、勢いよく襖を両サイドに開き、一気に室内へ飛び込んだ。
「?!」 中は濛々たる白い煙が立ち込めていた。
煙草の煙でも、モノが焼けて発生する煙でもない。 人工的な白い霞み。
「銀時っ」 月詠も危険と判断したのか、袖元で口と鼻を抑え、二の足を踏んだ。
「阿片か!」 大した量を吸い込んでいないはずだが、それでもぐらぐらと酩酊感が頭の芯を揺らが、煙が視界を惑わせた。
「!」 ひゅんと空気を切り裂く音が聞こえる。 勘だけで、月詠を廊下側に突き飛ばし、身を沈めて鉛色の軌跡をやり過ごす。
天然パーマの上を刀が空を切った。 しゃがんだ体勢から、床を蹴って洞爺湖を引き抜き、相手へと繰り出す。
だが、奥に行けば行くほど、深くなっている阿片の煙に躊躇したためか、踏み込みが甘かった。一撃で相手を沈めることは叶わない。
(ままよっ)
大きく息を吸い込んで、阿片で充満した部屋へ飛び込む。 否、飛び込もうをした。
「このド阿呆が!」 ドスの効いた、聞き覚えのある声。
振り返ると、真っ赤な女物の襦袢を羽織り、口には煙管を咥えた男の姿。
「は?」 間抜けな声をつい漏らしたのが自分でもわかった。
瞳孔開き気味の青灰色の瞳。 鴉の濡れ羽色の黒髪。 いつも通りきっちりと着込んだ隊服姿はどこへやったのかという自堕落な恰好。
が、どこをどうみてもそれは、真選組副長・土方十四郎だったのである。
『花の名前 すいせん』 了
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