『月の名前 弓張月上弦 』
「?」
銀行内に入った途端、空気の異質さを肌に感じ、一瞬、足を止めた。 どうやら付いてきた銀時も同様らしい。 普段の死んだ魚のような目がほんの少しだけ、変化したことが横目で見て取れた。
「そういや、テメー…」 「ん〜?」
改めて、銀髪の出で立ちを確認する。 当たり前だが、障子張りや修理に来ていたのだから、作業着風の作務衣の上から防寒着を羽織るだけだ。
「腰のもんはどうした?」 「屯所に預けてきてる」 「使えねえな」 「まぁ、どうにかするさ」 さして困った風でもなく、のんびりと返され、思わず舌打ちしてしまう。
銀行は、年末しかも窓口の閉まる3時前とあって、大勢の人間が待合スペースにもATM前にも溢れかえっていた。 忙しなく動き回り、押し合う大勢の人間の中に、土方は数名、気にかかる人間をチェックする。 一見、変哲のない恰好をしてはいるが、眼つきの悪い男たちが窓口に呼ばれる順番待ちを装って行内の四方を囲むように立っていた。
銀行強盗の類なのか。 見張りの役割を担っているのか。 素人なのか、プロの窃盗なのか。攘夷志士なのか 様子見なのか、今日閉店間際に実行するつもりなのか。 応援を呼ぶにしても、判断に難しい。
土方はもう少しだけ、様子をみることにした。
「そんなピリピリすんな」
人数は数えながら、記載台に向かおうとすると、低く耳元で小さく銀時は囁き、サッサと席の確保に行ってしまった。 けれど、後から来た人間がそうすんなりと椅子に座れるはずもない。 銀時は、後ろの方で親を待っているのか、不貞腐れてしゃがみ込んでいた子どもの横に、同じように座り込んで、なにやら、盛り上り始めた。
「分からねぇ奴」 万事屋という商売をして、年端の行かない少女と共に暮らしているのだ。 子どもが嫌いということはないだろうが、積極的に係わるタイプでもないと思っていただけに、土方にとって、その光景は少々不思議に映る。
「やっぱ、分からねぇ奴」
もう一度、呟いた。
「土方さま」
窓口が締まるギリギリに合わせて番号札を取っていた為、名前を呼ばれる頃には、行員を除き、ほんの一握りの人間しかロビーには残っていない。 その間、不審者だとあたりをつけた男たちは動くことはなかった。
(杞憂ならいいが…)
窓口は通常、最後の客が手続きを終え、行内を出るまではカーテンは閉めてもシャッターまでは閉めない。 それに、まだATMには人が並んでいるはずだ。
土方が引き出した現金を確認し、封筒にいれてもらっている時だった。
土方の隣の窓口に並んでいた男が低く男性行員に告げる。
「このままシャッターを下ろしてもらおうか。静かにな」
客の男の手には、サブマシンガンが構えられていた。
「多串くん!」 「!?」
咄嗟に真隣であるから、蹴りで沈めようとしたが、銀時の声に行動を止める。
いつの間にか、ATMに並んでいた女性二人が仲間らしい男に引きづられるように連れてこられていた。
「シャッターを下ろせ」
もう一度、マシンガンを構え直して、ゆっくりと男は繰り返した。
「悪いがお前達には人質になってもらう。静かにしていれば、危害は加えない」
行員に店内とATMコーナーとの間のシャッターを閉めさせてしまう。
3時を回った銀行だ。 外から見た限りでは異変に気が付くものもいないであろう。 土方と銀時も他の不運な人々とともに一カ所に集められていた。
「多串くん〜どうすんの?これ」 「怪しい動きがあることは山崎にメールで連絡してる」
低い銀時の問いに視線は合わせずに、返す。
通用口に二人、人質のそばに三人、行員に現金を積み込ませている男が一人、カーテンごしに外の様子を観察しているのが一人。
対して人質は土方たちを含め十名。
女性や年配者ばかりで被戦闘員とカウントしておく方が良い。 幸いなことに、パニックになって騒ぐ人間も今のところいない。 また、賊は土方が真選組副長だとは気がついていないことが有難い。 気がついているならば、監視の目はもっと厳しい。
(さて、どうするか…)
黙々とマシンガンを突き付けられ、札束が敷き詰められてキャスター付きのトランクの様子を気にしながら、考える。 物取り目的の強盗なら、このまま、人質の見張りを銀時に任せ、自分は行員に張り付いている首謀者らしい男を抑える。
だが、これが…
その時、辺りに賑やかなアニソンが鳴り響いた。
(遅せぇっ。ミントン馬鹿!減俸!) 内心毒づきながら、メールタイトルのみ確認して、立ち上がった。
「すみません〜ボク4時から見たいアニメが始まるんで、帰ってもいいですかぁ?」
へらへらとヲタクの振りをしながら、窓口の男に挙手をして、声をかけた。
「黙って座ってろ!このニートどもがっ!我等は崇高な攘夷思想の御旗の下…」
口上を言い終えるまで待ってやるという親切心は持っていない。
「坂田氏ぃ。すまないんだけど、拙者、帰るね。あとお願いするでござる」 「お願いって、お前ねぇ…」 「そうそう、それ以上、天パ爆発させないようにね」
ぷすすと笑うと、微かに、死んだ魚のような目が瞬いた。 通じた。
強盗達の制止の声を、一切の言葉を無視して、ゆるゆると窓際で外の様子を伺う男の方へ歩み寄る。 土方のことを空気を読まない、ただのオタクだと思い込んだ見張りは、呆れた顔で形ばかり銃口を土方に向けた。
「お兄さん、拙者のお迎え来てるでござるか?」 「あ?お迎え?」
居合を放つように、一気にコートの下から刀を引き抜き、相手に叩きつけた。
「真選組のお迎えが見えんだろ!?」
派手な音をたてて、男は表通り側の大きなウィンドウを破砕しながら、外へと吹っ飛んで行く。
山崎に事前に送ったメールには、銀行内のムービーを添付していた。 万が一、これが攘夷志士の関わる案件であれば、逃走ルートや資金調達のルートについて、逆に追える可能性があると思ったのだ。 顔写真があれば、一派はある程度特定できる。
そして、ヒットする顔があった。
銀行内の攘夷浪士については自分一人でも片づけることができる。 だから、組には、搬送メンバーの追尾と根城の特定を支持していた。
「面倒臭ぇ」
銀時が人質の見張りを、ガラスが割れる音に紛れて、殴り飛ばした。 カウンター内にいた主犯らしい男が暴れ出した銀時と土方に慌てて、トランクの蓋を閉めさせている。
「万事屋!」
声だけかけ、土方自身は、非常口の見張りの確保に走った。 だが、主犯の銃口は走る土方に向けられる。
「後ろがお留守になってますよ〜」
銃を構えて、狙う男の顔がゆがんだ。 飛んできた何かが激しく顔を打ち付けたのだ。
「な、なんだ?!」
ひゅん
風を切るような音と共に銀色の小さな玉が再び飛んでくる。 今度は、左の眼球に命中する。
それは、小さなパチンコ玉。
いつの間に手に入れたのか、銀時の手に握られた木のパチンコから繰り出されていた。
連続で打ち込みながら、銀時はスタートする。 真っ直ぐに、マシンガンを銀時自身に照準を合わせるよりも早くカウンター台を乗り越えた。 乗り越えながら、目に当たり、唸っている男の頭部を蹴りで倒す。
カラン
男の手元から何かのパーツらしいものが転がり落ちた。 それを素早く銀時は拾い上げる。
ボタンらしいものが付いた、シンプルなデザイン。 どうやら、起爆装置を押される前になんとか決着がついたようだ。
「お〜い、こっち終わったけどぉ?」 のんびりした声が土方にかかる。
「とっくにこっちは終わってるつーの!」 「いやいや、俺の方が10秒は早かったてぇの!」 「んなわけあるか!俺は20秒前には片付いてました!」
「あの〜」 恐る恐る、銀行員が声をかけてきた。 なぜか、解放してくれた恩人から、じりじりと、後ずさり、距離を取りながら。
「あぁ?」
行員が青くなって指さす先を追っていけば、いつも通りの風景が広がっていた。
土方が割ったウィンドウ越しに沖田が構える、黒い筒。
「総悟っ!!」
土方が叫んだ時には既に遅かった。 沖田のバズーカーが、表通り沿いの大型ガラス一枚の被害で良かった大江戸銀行のロビーを悉く瓦礫の山と変えてしまったのだった
「じゃ、今年も色々ありましたが〜、お疲れ様てしたぁ!乾杯!」
乾杯の音頭が真選組局長である近藤の口から放たれる。
武装警察真選組屯所内にて、年忘れの宴が繰り広げられていた。 副長の土方が出張から戻って来たこともあり、一部の隊を除き、幹部のほとんどが出席している。
「しかし、なんでアイツらまで参加してんだ?」
苦々しい顔で土方は宴の中心になって、物凄い勢いで飲み食いしている銀髪とチャイナ服をみた。 メガネは申し訳なさそうに一人、自分の膳の前に座っている。ただ、普段から揉まれているためか、しっかり箸は動いてはいるし、脇にはタッパーを待機させていた。
「ま、いいじゃないか。 トシと銀時が遊んでいる間も新八くんとチャイナさんはしっかり働いてくれてたんだから」 並んで上座に座っていた近藤が、お調子を差し出しながら、朗らかに笑う。
「人聞きが悪ぃ言い方やめてくれ。遊んでたわけじゃねぇよ。 それに、アンタはメガネにかこつけて姉貴の方呼びたいだけだろう」 酌を断り、別に入れさせていた茶を手に取る。
「あれ?トシは呑まないの?」 「あぁ、流石にこの年末の特別警戒時期に、局長と副長共々、酒の匂いプンプンさせてちゃ マズイからな」 三番隊が市中を見回り、六番隊は待機だ。 多少の酒でどうとなるわけではないが、昼の騒動もある。 用心したことはないだろう。
「心配症だなぁ。じゃ、俺も飲むのやめようかなぁ」 人の良い大将は相変わらずの大きな笑い声をたてながら、土方の頭を子どもにするように、くしゃくしゃと撫で回した。
「いや、アンタは楽しんでくれ。俺はまだ残務があっから部屋に戻る」 「えぇぇぇ!それは駄目!今日は仕事おしまい!」
駄々っ子のような反応を返され、苦笑いが洩れた。
「大体、宇宙から帰ってきて早々だし、今日ぐらいお休みしなさいよ」 「そうしたいのや山々だけどな。今日の件、穏便に済ませられたところを、 総悟が派手に始末書ものにしてくれたから、それだけは片付けてぇ」 「総悟には俺からも言っておいた。 けど、本当にトシと銀時がセットになると賑やかなことこの上ないなぁ」 「クソ天パと一緒にしないでくれ」 そういいながら席を立った。 当の沖田はチャイナ娘とは反対方向の席に並んで座り、ようやく食事も胃を満たした銀時に酒を薦めていた。 他の隊士たちが上も下もなく、無礼講で朗らかに酒を愉しんでおり、平穏そのものだ。
「トシ?」 「部屋にいる」 近藤は何か言いかけたが、土方の視線で察してくれたのか、それ以上引き止めはしない。 土方はそっと宴会を抜け出した。
肌寒い廊下を歩き、自室に向かう。
元々、皆に好かれている方ではない。 飲みもしない宴の席で長居をしても、周囲に要らぬ気を回させるだけだ。 今だって、近藤に酌をしにきた隊士が、土方も注ぐべきかと気を使って視界の隅でオロオロしていた。
庭に目を向けると、チラチラと白いものが天から舞い降りていた。 道理で冷えるはずだ。 少しずつ、庭石を、山茶花を、白い一色にかえていく様子をぼんやりと眺める。
「土方」
背後から声がかかる。 振り返らずとも、気配で誰なのかわかってしまうほど、自分の生活に馴染んでしまったのだなと思う。
「結構、降りだしたな」
土方のいらえを 待つでもなく、銀時は同じように、外に目を向けている。
「積もりそうだ」
コツンと後ろから肩に銀色のふわふわが乗っかってきた。
「なんだ?」 銀時の額が肩に乗っているから、首筋や頬に跳びはねた髪が触れてくすぐったい。 普段であれば、拳の一つで食らわせるところであるが、今晩は不思議とそうする気分ではなかった。 酒が入っている銀時の体温が暖かいせいだ。 そういうことにしておく。
「今年も色々あったなぁ」 「おぅ」 「去年の暮れには、まさか男の尻追っかけ回すなんて思ってなかった」 「…そうだな」 土方も、まさか銀時と惚れた腫れたの話がでることになるとは思いはしなかった。
「オメーがいなくなった日にゃ、どうしようかと思ったわ」 「……それは、どうしようもねぇな」 先日のことに限らない。
自分は、今までもこれからも剣を握る。 走れなくなるまで。 だから、『どこ』が『いつ』が、『最期』になるかなんてわからない。 それは銀時も同じだろう。
「でも放してやんねぇよ?」 「ずいぶんとポジティブだな。捕まった覚えもねぇぞ?」 「来年の目標…ってことで」 「目標だぁ?」 「いででっ」 いつの間にか、頭だけでなく、腰に回されていた腕を握り潰すぐらいのつもりで捻りあげ、話題を無理やり方向転換させた。
「そういや、昼間使ってたパチンコ、いつの間にか用意してたんだ?」
洞爺湖と銘打つ愛刀が無くても、形に囚われることなく、己の力に変える。 刀がなくとも、戦いようはあった。
「あ〜?あれね。銀行で遊んでた子どもに借りた」 そう言われると、銀時と話していた子どもは親の用が済んだ途端、慌てて銀行を出て行っていた。子どもに自分から話しかけていっていたのは騒動に巻き込まないための配慮であったのだ。 土方が問うても、パチンコ欲しさに近づいたと、男はきっと嘯くだろうが。 そういう男だ。
「土方」 「あ゛?」
懲りずに今度は前から肩口に頭が乗ってくる。
「ちょっとだけ…な」 「この酔っ払い」
両腕が土方の腰に回され、温かい。
銀髪越しに見上げた空には、細い弓張月が笑っていた。 それにつられるように土方の口元も、少しだけ上に引き上げられたのだった。
『月の名前 弓張月上弦』 了
(59/105) 前へ* シリーズ目次 #次へ
栞を挟む
|